充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2859.2015年3月12日(木) 鳩山由紀夫元首相の奇妙なクリミア詣で
案の定と言うべきであろうか、鳩山由紀夫元首相が政府及び外務省の強い反対を押し切ってロシアが強奪したクリミアを訪れ、現地でロシアのクリミア編入を肯定する発言をした。これに関して政府部内から厳しい非難の声が挙がっている。選りに選って鳩山氏は、クリミアのロシア編入は住民投票によりウクライナの憲法に則って平和裏に民主的に行われたと述べた。ロシアでも鳩山氏の行動に高い関心が集まっており、メディアでも報道された。昨日はロシア政府から日本・クリミア友好協会の設立を持ちかけられ、鳩山氏は安易にこれを受け入れた。クリミア共和国の要人とも会談した。懸念されていた通り、すっかりロシア側のペースにはまって行動している節がある。このような事態は日本政府の考え方とはまったく相容れない。これが、かつての日本国総理大臣の行動かと疑問視せざるを得ない。
すっかり鳩山ペースでことを運ばれた原田駐ロシア大使は、すっかりおかんむりである。コメントするに値しないと強い不快感を示した。
「イスラム国」問題が話題となった折に、シリアへ出かけようとした新潟県在住のフォト・ジャーナリストに対して、旅券を取り上げ、応じなければ検挙まで匂わせた外務省の強引な自由束縛の対応に比べて、元首相が相手となるとこうもその行動が違う。いくら国家にとってマイナスだと思えてもクリミア入国を思いとどまらせることができないものか。よほど世間知らずのわがままお坊ちゃまには手を焼いたとみえ、ただ良識に訴えてお願いするだけだったようだ。結果的にお坊ちゃまは制止を振り切って火中へ飛び込んでしまった。事態の深刻さが分からず、それでいて周囲のアドバイスにもまったく聴く耳を持たず、世話の焼けるご仁である。政府は帰国後鳩山氏に対してどういう対応をするのか。場合によっては今後の外交上にも悪影響を残すことになる。
鳩山元首相のクリミア漫遊に比べて、同じ元首相でもパフォーマンス面で人気のあった小泉純一郎氏はシャキッとている。小泉氏は昨日震災の地、福島県喜多方市で福島第一原発廃炉問題についてきちんと誰もが納得できる持論を述べ、原発再稼働にはあくまで反対する立場を訴えた。ドイツのメルケル首相は原発再稼働から原発中止へ考え方を変えたが、当初小泉元首相も原発賛成派だった。だが、原発が安全ではないことが分かって、不安が残るうえに後々まで使用済み核燃料の処分や放射能問題の処理に展望が開けず、今後も貴重な資金と時間を投じることに疑問を感じた。小泉氏は福島事故を機に思い切って自然エネルギーの開発、そして核の廃絶、原発中止へ考えを変えて行った。これは小泉氏自身が強い信念として終生変わらないと公言している。あまりにも軽薄な鳩山氏とは人間的に大きな器の差を感じる。
しかし、安倍政権にとっては鳩山氏も厄介だが、国民的人気のある小泉氏への対応はそれ以上に至難で苦慮しそうだ。小泉氏の論理は、分かりやすく国民が納得して受け入れられるものだからである。
小泉氏は安倍政権の原発政策、及び首相談話について極めて批判的である。
鳩山氏が近日帰国してから、どういう談話を出して、自らの偏屈な立場を主張して政府、国民を理解、納得させることができるか。それ次第ではすでに政治的命運は尽きた鳩山氏だが、人間としても致命的ダメージを受け、いよいよ命脈が尽きることになるのではないだろうか。
2858.2015年3月11日(水) 東日本大震災から4年
昨日の東京大空襲70周年記念日に引き続いて、今日東日本大震災が発生してちょうど4年が経過した。あの日午後2時46分、書斎でパソコンを打っていた時だった。突然部屋が大きく揺れ、書棚から書物が落ちてきた。慌てて机にしがみついたが、ふと外を見るといつもの地震より電線が大きく揺れていた。早いもので、あれからあっという間に4年が経った。復興は福島第一原発の放射能漏れなど遅々として進まず、今も自宅へ帰れない避難住民は23万人もいる。
震災の犠牲者に行方不明者と関連死亡者を合せると、その数は実に2万人を超える。
今日は天皇・皇后両陛下をお迎えして国立劇場で東日本大震災四周年追悼式が挙行された。安倍首相も犠牲者の御霊に復興を誓っていたが、震災地の現状を見ると、引き続き復興に力を入れなければならないことは当然である。しかし、同時に自然災害の地震・津波災害対策もさることながら被災地に大きな爪痕を残した人災である原発を思い切ってストップした方が、よほど震災地の人々のためばかりでなく、将来の日本にとってプラスになると思う。
昨日離日したドイツのメルケル首相が、最も影響を受けたのがあの福島第一原発の爆発と放射能漏れの映像だったという。当時メルケル首相は原発中止を決めていたわけではなかった。だが、福島原発事故の映像を見て直ちに原発中止を決めたと述べた。
一方の安倍首相はどうか。相変わらず安全に充分配慮したうえで原発再稼働を進めたいと述べている。今朝の新聞に、他人のふんどしで相撲を取るような記事が出ていた。メルケル首相には昨日帰らずに、今日日本で震災について発言してもらえば、原発反対に一層の拍車がかかったのではないかと、なぜもう一日滞在を延長できなかったのかと都合の好い記事が掲載されていた。更にこんな下衆の勘ぐりのような記事も見られた。
「メルケル首相の発言が、原発反対派を勢いづかせる恐れもあるので、安倍政権として今日は滞日しないスケジュールにしてもらった」とのコメントである。
そんな他人のふんどしを当てにするより、自分たちで原発再稼働反対を貫徹するより堅実な方法はない。
さて、少々平衡感覚が狂っているのではないかと思われている元総理の鳩山由紀夫氏が、またとんでもないことをやらかしてくれた。政府自民党、及び民主党のほか外務省や多くの良識ある人々の反対を押し切って、ロシアが不当に占領したクリミアを訪れたのである。元日本首相の肩書が、相手の思惑通りに利用されるのを承知のうえで、ロシアの術中にはまる愚を敢えて犯した。鳩山氏は、これまでも核開発問題で欧米から制裁を受けていたイランを訪れ、周囲の顰蹙を買ったばかりでなく、日本外交に汚点を残した。
ロシアによるクリミア半島占領が、そもそもウクライナ問題の発端である。欧米諸国はもちろん日本政府もロシアの強引なクリミア半島のロシア領編入を強く非難し、経済制裁を課している。民主党の枝野幹事長や菅官房長官もその行動について軽率であり、極めて遺憾であると強く非難している。このように是々非々の判断力のない総理を戴いたことは、日本にとっても不幸だった。どうしてこういう奇妙奇天烈な総理大臣が誕生したのだろうか。結局は我々国民の民度が低いということになるのだろうか。やりきれない気分である。
さて、朝日夕刊の連載小説「口笛鳥」が、今日ちょうど100回の短い連載で終わった。新聞連載小説で僅か100回というのは異例の短さだと思う。これまでも本ブログに書き込んだように、どうもストーリーが分かりにくく面白くなかった。今日の結末もなんだかよく分からない。憶測だが、朝日も読者の不人気を知り、連載打ち切りを作者の道尾秀介氏に申し入れて受け入れられ、連載中止を決めたのだと勝手に思っている。
2857.2015年3月10日(火) 東京大空襲70周年を迎える。
終戦の年、昭和20年の今日東京大空襲があり、10万人を超える夥しい数の犠牲者を生んだ。数年前両国国技館近くの東京都慰霊堂にお参りしたことがあるが、その時度々お参りに来られたというご老人から、まだ犠牲者の全体像がつかめないと聞き、犠牲者の実態を把握することには並大抵ではない苦労があることを今更ながら知らされることになった。
この大空襲の後しばらくして、私たち家族は藤沢市鵠沼の住まいから千葉県安房郡勝山町(現鋸南町)へ引っ越して、勝山国民学校初等科へ入学した。兄は通学していた藤沢市立片瀬国民学校から、私が入学した勝山国民学校へ転校することになった。晴れて国民学校1年生となって自宅の2階の窓から、房総西線の長い列車が米軍機から機銃掃射を受け黒煙を上げる様子を恐怖心を抱きながら呆然と見ていた。時々敵機来襲の警報で近くの防空壕に避難し、警戒警報解除の知らせがあるまで洞窟の中で家族や近所の人たちとじっと潜んでいたことを思い出す。そして8月日本は広島と長崎に原爆を落とされ、ついに降伏し終戦となった。
あの終戦から今年で70年になる。戦争の実体験はないが、その実情は
60年安保闘争を経験したことや、厚生省の戦没者遺骨収集事業や戦没者慰霊巡拝団に関わって、厚生省職員や、戦友会、遺族の方々から生々しい話を伺ったり、戦跡地を訪れたことで大分知ることになった。そして現地の人々からも戦争の裏話なども聞いて戦争というもの、特に戦争は絶対やってはいけないということと、反戦ということについて曲がりなりにも自分なりの考え方を固めることができた。
今夏発表される予定の首相談話が世界から注目されている。これまで安倍首相は自分の思っていることをそのまま発表する気持ちが強いようだが、周囲が周辺書庫の反応を斟酌し首相の独走を懸念し、有識者の意見を聴くことになった。その結果西室泰三・日本郵政社長以下16人の有識者を「70年談話に関する有識者会議」のメンバーに選んで、素案を作成させることにした。そのメンバーの顔触れを見る限り、首相寄りの人たちが多いが、昨日その座長代理を務める北岡伸一・国際大学長が思いがけなく「首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と発言した。日ごろから保守的、というより右翼的言動の目立つ北岡氏が、首相が最も触れることを嫌う「日本の侵略行為」について前向きな発言をした。平静を装っている菅官房長官も、意見のひとつでいちいちコメントはしないと核心を避ける発言に終始した。
これから終戦記念日が近づくに連れて、周囲は騒がしくなるであろう。
2856.2015年3月9日(月) ビルマのパゴダを想う。
経済紙である日経新聞に昨日珍しくビルマを大きく扱った記事が全2頁に亘って掲載された。それも経済関係のニュースではなく、いずれも仏教寺院を紹介したものである。1頁目は首都ヤンゴン(旧ラングーン)市内のエポック・メーキングな建造物、シュエタゴン・パゴダについて紹介した内容であり、もう1頁はビルマ中部都市パガンのアーナンダ寺院の記事である。これまでに何度も訪れた懐かしい観光スポットである。
ビルマでは全国どこでもパゴダを見ることができる。中には崩れかけて雑草が生い茂っているものもあるが、人家の近くにあるパゴダは今でもほとんどが、信仰心の篤い人々によって大切に保存、管理されている。それらは昔からビルマ人の心の支えとなっている。中でもヤンゴンのシュエタゴン・パゴダは一段と聳え立つように建造され、遠方からでも眺望することができる。特に夜間は明るくライトアップされ、熱心に手を合せているビルマ人の姿は神々しいほどである。
12世紀に栄えたパガン王朝時代に建立されたアーナンダ寺院は、パガン界隈の多くのパゴダの中でも代表的なもので、多くの観光客が訪れる。とりわけ日没前の赤く染まった光景は、えもいわれぬ美しさである。パガンのパゴダ群は実に見事なものだと思うし、静かな環境と相まって訪れる人々の心を打つ。いずれこの辺り一帯が世界遺産として登録されることは間違いないと思う。
近年ビルマにとって残念なことは、先進国との経済協力とか、辺境の少数民族を排除しようとする政府軍の動きぐらいしか話題にならないことである。華があった反体制派のスーチー女史の活動もすっかり影を潜めてしまったかのようである。やはりビルマらしいのは、そういう国際社会から注目されるようなニュースよりも、貧しいながらも昔とあまり変わらない日常生活の中で古くからの伝統的で質素な生活を営んでいる地道な姿が綿々と続いていることである。
さて、今日ドイツのメルケル首相が2日間の予定で7年ぶりに来日した。早速午後朝日新聞社と財団法人ベルリン日独センター共催で講演会が催された。実は私もぜひメルケル首相の話を聴いてみたいと思い聴講を申し込んだが、残念ながら抽選で外れてしまった。ドイツは同じ敗戦国として、またともに戦後復興を遂げた国として日本とよく比較されることがある。ドイツが他国と大きな諍いを起こすことなく平和と安定を享受しているのに引き比べて、日本には依然として近隣の中韓両国とのこじれた関係が続いている。昨日も中国の王毅外相が、反ファシズム戦争勝利・抗日戦争勝利70周年記念行事には、誠意さえあればあらゆる関係国の指導者を招待すると安倍首相に牽制球を送った。
メルケル首相は今日の講演で、ドイツがヨーロッパで和解を進められたのは、ドイツが過去ときちんと向き合ったことと、隣国フランスの寛容さもあったと述べた。わが国に敷衍すれば、大東亜戦争の反省と関係諸国への謝罪を示すことである。これはすでに20年前の村山談話に盛られたことでこれをもう一度安倍首相談話として公表することである。問題は隣国、中国と韓国の日本に対する寛容さである。果たして対日強硬策を取り続けることが、自国民の愛国心を高め、国家を治める最も効果的手段だと思っている、頑なな姿勢の中国と韓国が寛容さを示してくれるだろうか。
2855.2015年3月8日(日) お彼岸前にお墓参り
お彼岸を前に早々にお墓参りを済ませた。横浜の二男家族とともに、妻の実家のお墓がある多磨墓地から、近藤家代々のお墓のある中野の宝仙寺へ廻った。奈良に住む中三の孫が志望高校に入れるようお祈りしたほかにも、ご先祖様にいくつかのお願いごとをした。
早朝から小雨交じりの気象で何となく寒々しい。救いは元気の好い2人の幼い孫である。もうしばらくすると花見で知られる多磨墓地内には桜の花が咲き誇り、訪れる人の目を楽しませてくれるが、流石にこの時期にこの肌寒さでは開花もせず、散歩する人もほとんどいない。多磨墓地でお参りを終えて中野の宝仙寺へ向かう途中でランチタイムになったので、甲州街道に沿った「味の素スタジアム」に隣接するファーストフード・レストランに入ったところ、サッカーJリーグ2部の試合ではあったが開始前ということもあって、多くのファンで混みあっていた。
サッカー人気はともかくとして、ひと頃に比べて日本サッカーの実力は一頓挫しているように感じている。前々回のワールド・カップ南アフリカ大会では予選リーグを突破して、ベスト16に食い込んだが、昨年7月のブラジル大会では期待に反して早々に敗れた。次回大会に向けて新チームがスタートした途端アギーレ新監督がスペインチーム監督時代の買収疑惑によって解任された不幸もある。つい先日漸く後任にボスニア・ヘルツェゴビナ出身のバヒド・ハリルホジッチ氏が決定したところだ。だが、今アジアカップに日本から出場している4つのJリーグチームの戦いぶりは芳しいものではなく、久しぶりにアジアの王者奪還を目指す日本サッカー界には、憂色が漂っている。Jリーグ加盟チームが増え、サッカー人気は高まっているとは言え、日本のサッカーはヨーロッパに比べて歴史も浅く、力もまだ不安定である。いくら投資しても一朝一夕に強くなるものではないことを思い知らされる。
さて、昨日と今日の2日間に亘って民放テレビでシベリア大陸のドキュメンタリー番組が放映された。延4時間の長編なので、ずっと観ているわけにはいかなかったが、これまでに2度シベリアを訪れているので懐かしく楽しむことができた。特に、雪の中を走るシベリア鉄道の車窓外風景と車内光景が殊更懐かしかった。初めて訪れた1991年10月はまだ雪は見られず、バイカル湖水も青く透明だった。学生時代にトルストイの「復活」を読んで感激し、「復活」をトレースしながら一度シベリア大陸を横断してみたいと思っていた。できればシナリオ通り雪の季節に旅してみたいと願い、2003年3月のまだ積雪の多いシーズンにシベリア鉄道で広大な大陸を横断してみた。雪の白樺並木を走り、「復活」のシーンを彷彿とさせる光景にカチューシャこと、カチェリーナ・マースロヴァを追う青年士官ネフリュードフにイメージを重ねてネフリュードフの懺悔と愛情を思い出して感慨に耽ったものである。
今日の番組では、雪と寒さに閉ざされた広大な大陸を雪以外に何も見ることができないような単純な景色の中に、シベリアの奥深い魅力を描きだしてくれたように思っている。