充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2874.2015年3月27日(金) ドイツ機墜落事故、新たな展開
つい3日前にフランス南東部の山中に墜落したドイツのジャーマンウィングス機の事故原因がマルセイユ検察庁によって明らかにされた。何と副操縦士が自爆的行為で自ら搭乗機を墜落させたという衝撃的な事実が発表されたのである。ボイスレコーダーの解読により、墜落当時コックピットにはひとりしかいないということは分かっていた。コックピットの外から激しくドアをノックする音がボイスレコーダーに残されていたので、当初は2人の操縦士の内ひとりが外へ、中のひとりが急性心不全か何かの原因で意識を失ったと考えられた。だが、実際はそうではなく副操縦士が覚悟のクラッシュで自殺を遂げたようだ。巻き添えを食った乗客は堪らない。急降下し始めてから管制塔からの問いかけや、その他外からの連絡には一切応えず、ただドアの外から叩く音と乗客の悲鳴しか聞こえなかったというから瞬時地獄絵図だったのではないか。
事故なら悔しいと思っても諦めるしかないが、搭乗した航空会社の人間に殺されたとなると遺族の気持ちは納まるまい。事故現場へ向かう遺族の間でも、航空会社に対して激しい怒りをぶつけたり、批判や、恨みつらみを浴びせているようだ。
どんな場合でも、特に生死がかかわる重大な局面で決断をする場合、ひとりで判断し実行することが果たして適当なのかどうか。改めて考えさせられる。今後現在の在り方について考え直さなければならないだろう。2人で1セットの操縦席からひとりを締め出してしまったわけで、それが意図的に行われたとなるとひとりのパイロットがコックピットを離れたら、残ったパイロットに悪意があれば極めて危険な状態となる。2011年の同時多発テロ事件に鑑みた教訓として、危険を避けるためにコックピットへの外からの入室を抑制したが、これが逆効果となった。
夜になって現地から伝えられた報道によると副操縦士の健康診断をした医師が、搭乗前に搭乗不可の診断書を書いていたことが分かった。副操縦士はこの診断書を会社へ提出していなかったようだが、それにしてももしそれが事実なら航空会社のパイロット管理も甘いということになる。
まだまだ隠された問題が出てくるに違いない。
2873.2015年3月26日(木) 後輩ラグビー部員へ卒業記念に拙著を贈る。
母校ラグビー部が昨日から校内で3日間春の合宿を行っているので、その合宿の様子を窺いがてら早田直彦・顧問教諭に会いに学校へ行った。市川誠人教頭にも挨拶して校長の分も合わせて7年前に上梓した古い拙著「停年オヤジの海外武者修行」を贈呈する。
グランドで早田顧問は部員らと練習試合に汗を流していた。毎日若い高校生と一緒にいるとこうも違うものかと思うくらい、ボールを持って俊敏に走りまわっている。いくら大学でもプレイしていたからと言っても今年54歳の筈である。のびのびと楽しそうにやっているところが、羨ましく思える。
そもそも早田顧問とお会いしようとしたのは、今年の卒業生部員12名に拙著「南太平洋の剛腕投手」を贈り、同時に華向けの言葉を贈りたかったからである。先日の全員登校日にそういう舞台を作れば良かったのだが、残念ながら時間的にその余裕がなかった。結局今日合宿練習を手伝いに来てくれた卒業生は2人だけだったので、その2人には手渡すことができた。残りの10名分は早田顧問に預けて、卒業生が学校へ来た時に顧問から手渡してもらうようお願いした。
卒業生に直接話をしたかったが、その機会を失したのが悔やまれる。今日は話し聴かせたいことのエッセンスをコピーして拙著に添えた。後輩たちは拙著と添えたメッセージをどう思ってくれるだろうか。僭越だが、良い記念と受け取ってもらえれば嬉しい限りである。
さて、アラブ圏内各地でイスラム過激派の激しいテロ攻撃が繰り返され、市街は破壊され多くの市民が犠牲になる悲劇が相も変わらず絶えない。今日驚いたのは、アラビア半島イェーメンの最南端、港町アデンをサウジアラビアがアメリカの支援を得て10カ国による共同作戦で空爆を行い、現実的に軍事介入に踏み切ったことである。イェーメンのハディ大統領がイスラム教シーア派の武装組織「フーシ」の一方的な政権掌握宣言により、アデンへ逃げ伸びた。ハディ大統領はアデンを暫定首都と定め、そのハディ大統領の要請により軍事作戦が行われた。
アデンと言えば、紅海の入り口という要衝の地にありながら、最近のイメージとしてはやや霞んだ印象があった。1968年独立直後に訪れた時は、岩に囲まれた地形と内戦で生々しい戦火の後が随分異様な感じがしたものだ。アデン空港の入国係官は、私をじろじろ見詰めた末、独立後入国した最初の日本人だと言い、‘Enjoy your stay’とお愛想まで言ってくれた。久しぶりのアデンの画像を観ていて懐かしくはあるが、こういう形でアデンが再び脚光を浴びるようになるとは思いも寄らなかった。これから暫くテレビでもしばしば現地の風景が出てくると思うが、大したことがなければ良いがと思う。
2872.2015年3月25日(水) 航空機墜落で日本人2人が犠牲に
つい1週間前にチュニジアでイスラム過激派によるテロ事件により日本人3人を含む21名が犠牲になった。その犠牲者の遺体が昨日日本へ帰って来たばかりで、その悲しみも消えぬ間に、昨日新たな悲劇が起きた。スペインのバルセロナからドイツのデュッセルドルフへ向かっていたドイツの格安航空会社ジャーマンウィングス機がフランスの山岳地帯に墜落したのである。乗員乗客合せて150名の中に2人の日本人が搭乗していることが判明した。
近年海外旅行する日本人が増え、しかもそれもかつての様相とは異なり、今まで訪れなかった地域や国へ旅行する人が増えた。そのため意外な土地に日本人が歩いている姿を見かけることが多くなった。今回起きた事故では、バルセロナからデュッセルドルフへ向かう航空機に日本人が搭乗していたことにもやはりそうだったかとの感がする。これからは、どこにいても事故となれば、日本人が巻き添えになっている可能性があると考えた方が良さそうだ。
春の選抜高校野球がたけなわだが、残念ながら昨日母校と呼んでも好い龍谷大平安高が連覇を期待されながら、1回戦で姿を消した。そういう表舞台の熱戦とは別に、高校野球の裏では名門校が教育とはまったく無縁のとんでもない裏金工作をやっていたことが今日明らかになった。
それが、現在の高校球界の新興名門校の大阪桐蔭高校を舞台に展開されていたのである。何でも保護者から集めた教育関係費を多めにもらって余った分を還さず、食費やブランド品購入費などに充てていたらしい。約10年間に積もりに積もった裏金は、金額にして実に5億円に及ぶというから仰天である。2013年度に大阪府から受けた私学助成金5億円と同額と聞いて流石に松井知事もあきれ果て、助成を取り消すと憤然としている。春夏合せて甲子園で5回の優勝を飾りいくら高校野球の強豪になって名を上げたところで、サギまがいのことをやるようでは、名門校も何もあったものではない。ちょっと寂しい話である。
さて、今もめている沖縄辺野古海岸の海底ボーリング調査に関して、沖縄県知事が停止指示を出したが、これに対して政府は作業停止の指示を取り消すよう求め、審査請求した。併せて採決が出るまで指示効力を止める執行停止も申し立てた。政府はあらゆる手段を尽くして辺野古移設阻止を掲げる知事側に対抗する姿勢を示した。いよいよ対立激化の様子を見せて来た。沖縄県を相手に国は遮二無二押しきろうとしている。県は絶対阻止を鮮明にしている。どうなるのか、この対立劇のゴールは?
2871.2015年3月24日(火) 誤報道に対するNHKの対応
昨夕のNHK番組の間違った報道内容について気になり、夜中にNHKに対してメールでその過ちを指摘した。今朝になって早くもNHKから回答があった。この点は公共放送らしからぬ敏捷な対応である。ただ、私自身はその説明と訂正に納得したが、間違った放送を事実として受け止めさせられた視聴者はそのまま事実を曲解したまま受け入れたことになってしまう。新聞や雑誌の間違いなら次号で訂正すれば済むが、一過性の放送は一旦放送した間違いをどう訂正して伝えるのか、現状のままでは良いアイディアがあるとは思えない。気がつかない視聴者には、結局知らんぷりして済ましてしまうのだろうか。
参考までにNHKふれあいセンターという組織から受け取った素早い回答はどんな内容だったのか。
「いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。3月23日放送の『高校野球100年のものがたり』で指摘をいただきました件についてご連絡いたします。放送で、1957年の早稲田実業の優勝を『関東勢として春夏を通じて初めての優勝』とコメントいたしましたが、正しくは「関東勢として、春のセンバツでは初めての優勝」でした。また、スタジオのモニター画面のなかで『’57 優勝旗が初めて箱根を越える』と表記しましたが、正しくは『’57 春の優勝旗が初めて箱根を越える』でした。お詫びして訂正いたします。このたびはご指摘をいただき、誠にありがとうございました」というものであった。一応一件落着とする。NHKは私以外の視聴者にはどう訂正を伝えるのだろうか。
さて、沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古への移設に関して、今辺野古埋め立て作業が国と沖縄県の間で揉めている。翁長沖縄県知事は、水産資源を守る観点から海底ボーリング作業を一時停止するよう沖縄防衛局に指示した。だが、国側はこれを聞き入れようとせず、菅官房長官は法的な問題はないとして粛々と工事を進めると語った。実際今日も海上作業は続けられた。国と県の対立が一層激しくなってきた。
元々仲井真前知事に対して、辺野古移設反対で当選した翁長知事には最初からこの作業を認める考えがなかった。できるだけ他の選択肢を模索しながら、辺野古への移設を容認しない考えを押し通そうとして苦悩している。政府も沖縄県の意向を聞き入れる考えはなく、最悪のケースだと法廷闘争へ持ち込まれそうである。こうなるといよいよ国と沖縄県の対立は激化し、問題解決の見通しは暗くなるばかりである。どこに解決のための落とし処を求めたら良いのか。米軍基地問題が沖縄県民に一層厄介な負担を負わせることになった。我々非沖縄人はどうやって彼らを手助けてあげたら良いのだろうか。
2870.2015年3月23日(月) 諸々母校に関係すること
今朝シンガポール建国の父と言われ、リー・シェンロン現首相の実父でもあるリー・クアンユー元首相が91歳で亡くなられた。シンガポールは東京23区を僅かに上回る程度の面積でありながら、
1人当たりのGNPが日本を上回る、アジアで最も豊かな国である。その繁栄の基礎を築いたとされた政治家で、経済開発を最優先し、異論を許さない政治手法が時として独裁的と批判を浴びることもあったが、シンガポールを一等国に押し上げた大功労者である。初めてシンガポールの首相の座に就いたのは、1959年であるから、半世紀以上に亘って小国のリーダーとして国を導き国家発展のために貢献した稀代の政治家である。
リー・クアンユー氏について懐かしい思い出がある。今から30年近く前になると思うが、首相として2度目の日本訪問の時だった。外務省から小田急ロマンスカーで箱根へ案内したいので打ち合わせに来て欲しい旨連絡があった。その数日後当時の木村太郎・新宿駅長とともに外務省で外務省職員と警視庁係員を交え新宿から小田原までの乗車誘導について打ち合わせをした。その時初めて知ったことだったが、リー首相はその時2度目の訪日だったので最初と違って「国賓」待遇は適用されず、公式には待遇は変わらない「準国賓」の扱いということだった。警備上乗車される中央部の車両には他の乗客は乗せず、貸し切りにするということだったが、すでに希望の車両にいくつか予約が入っていたので、すでに座席指定券を予約された利用客には、事情を話して別の車両に座席を交代してもらった。当日はパトカーの先導で新宿駅に到着したリー首相一行を先導される駅長の前を露払いのように歩き、乗車車両まで案内したことが思い出される。リー首相の離日後外務省から手配業務を労ってもらった。
29日に国葬を行うと発表された。周囲の親しい人が亡くなるのは寂しいが、リー首相のように多少縁があった著名人が他界されたニュースを聴くことも侘しいものである。
さて、高校のクラス会幹事を委ねられていたが、今日藤沢市内のクラス会で何とか予定通り役目を果たすことができた。17人の元クラスメートが出席し、順次ひとり2分ずつの近況報告をしてもらったが、申し合わせたように恰も病歴発表会のようだった。76歳となれば皆病気持ちか、病歴の一つや二つはあるものだが、それにしても我がクラスメートの病戦歴は華々しい。私が現状まず健康体と発言をしたために、動議が出され一番長生きしそうな私に永久幹事をと指名されかかったが、冗談じゃない。大体これまで幹事は輪番制だったので、極力お断りしてすでにクラス会前に決まっていた幹事に当初の予定通り引き受けてもらうことにした。
ところで、高校野球が始まってから今年が100年になるのを記念して、NHKが今夕「高校野球100年の物語」という特集娯楽番組を放映し、中々興味深く、懐かしいシーンを見せてくれたが、ひとつ大きな間違いを犯していた。100年の間の印象深いでき事として、「1957年王選手の早稲田実業が優勝して春夏を通じて初めて優勝旗が箱根を越えた」と表示されたが、それは大きな間違いである。更に元日本テレビのプロ野球放送アナだった徳光氏もこれを画期的な事象として推薦していたが、徳光氏もとんでもない勇み足である。
大会が始まった翌年の第2回大会で早くも東京代表の慶應義塾普通部が優勝し優勝旗は箱根の山を越えた。戦後も1949年に神奈川県代表の我が母校・湘南高校が初優勝して、その当時優勝旗が箱根を越えたこと自体第2回大会の慶應普通部以来として、大きな話題になっていた。こんなエポック・メーキングなことが、簡単に間違えられているのは、チェック漏れなんていう次元の問題ではなく、報道機関であるNHKの好い加減さと杜撰さが知れる。また、徳光氏の認識と誤解も酷いものだ。全国放送でもあり多くの視聴者が観ていたであろう番組だけに、もう少ししっかり調査して番組作りをしてもらわないと困る。
今日は母校のクラス会で昔の仲間と話合えてすっかり好い気分になっていたが、夜になって母校の栄誉に水を差すような公共放送番組にはがっかりしている。
昨年10月朝日朝刊に再連載が始まった夏目漱石の「三四郎」が、今日117回目の最終回となった。以前文庫版で読んだ時に比べると、随分印象が変わった。当時はまだ学生だったし、もう50年以上前に読んだもので、読み手も変わったし環境が大きく変わったことが何より大きいと思う。率直に言って、これが今の若い世代に受け入れられるかというと何とも言えない。文章は古臭いし、情景にもあまり魅力的な表現がない。しかし、これはこれで日本近代文学の古典と敬意を払われている作品だけに、一目置くべきなのだろう。4月から同じ漱石の「それから」の再連載が始まる。