充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
2913.2015年5月5日(火) 自然災害と戦争の防止
連休も後半になって今日は「子どもの日」であるが、最近では連休の中の一日という印象が強く、「子どもの日」らしい「五月人形」や「鯉のぼり」があまり大きく取り上げられることが少なくなったように思う。これも時代の流れだろうか。
そんな中でこのところ大きな話題となっているのが、外国ではイギリス皇室に生まれたプリンセスの命名と、国内では観光地・箱根地区の水蒸気の頻繁な噴き出しである。プリンセスの名前は「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」と命名され発表された。ミドル・ネームに現女王の名を戴いたことはともかく、サード・ネームに非業の死を遂げた祖母ダイアナ妃の名前を戴いたことは一部で噂には挙がっていたが、現実に決定してみるとやや意外な感じで受け止めた。ダイアナという名は祖父に当たるチャールス皇太子にとってはスキャンダラスな風聞が表面化した後に離縁し、その後不運な事故死を遂げた元妻ダイアナ妃の名を戴いただけにきっと心中複雑な想いが交錯したであろう。
さて、箱根の群発性地震騒動の影響は観光客が押し寄せる箱根、中でも大涌谷周辺の一部に立ち入り禁止措置を取ったせいで観光客への影響が懸念されている。まだ小田急在職中に箱根地区へ足繁く通って周辺環境をある程度承知し、関係者も知っているだけに、心配である。特に、早雲山地区旅館街の営業や、箱根ロープウェイの運行が気にかかっている。
近年地震、台風、津波などの大きな自然災害が相次いで発生し、世界的に地球地殻変動が注目されている。つい最近もチリの火山爆発、そしてネパールの大地震が世界を震撼させている。わが国でも東日本大震災に続いて、昨年御嶽山が突然噴火して多くの犠牲者を生み、東北では蔵王、九州でも雲仙や霧島、桜島の活火山が活発化して不審な活動を予見させている。
自然災害による被災者への救援が国際的な規模で行われ、それは直近のネパール大地震でも、中国とインドが支援を競い合っているほどであるが、これは国家間同士の争いが形を変えて表れていると言えそうだ。だが、自然災害であるネパール大地震の犠牲者数が7千名を超えていて世界の人々から悲しまれ同情を買っているが、国家間の戦いで失われる犠牲者や被災者の数は、現実にはそれを遥かに超える。それらの戦争によって生まれる難民や被災者に善意や同情から与えられる支援は、自然災害による支援に比べて遥かに少ない。その点では戦争を止めることが最も人道に叶ったことであり、災害を防ぐことに繋がることを知らされる。
近代になって日清戦争で1万4千人、日露戦争11万5千人、太平洋戦争で310万人の同胞が尊い生命を犠牲にしている。国際的に見ても第1次大戦で850万人、第2次大戦で910万人、その他にアジアだけでも朝鮮戦争で350万人、ベトナム戦争で145万人が無駄に命を落としている。戦争さえなければ失わずに済んだ尊い命である。考えようによっては、自然災害防止のための手立てを講じるより戦争さえ止めれば、明らかに犠牲者を少なくすることが可能である。
そのためにも人類はこの地球上から戦争を放擲するよう不断の努力を求められているのだ。にも拘わらず、それが人間の浅知恵か、強欲で利己主義、我儘で自己主張が強過ぎるが故に中々できない。人間には可能なことと、不可能なことがある。戦争を防止することは可能に見えて実は不可能なことなのだろうか。
今日は日中私と妻の実家のお墓参りをともに済ませた長男家族5人と、嫁の実家の新潟から戻った二男家族4人を合せて大所帯11人で横浜大倉山でしゃぶしゃぶディナーで大いに盛り上がったが、予想を超える大散財だった。そう滅多にある機会ではないので、それも覚悟のうえだ。
皆健康であるのが、何より幸いである。一番上の高校生となった男の子には、今年の夏休みにサンフランシスコに連れて行く約束をした。やや内向的な子なので、アメリカで見聞を広げられるのではないかと願って両親了解の下に連れ出すことにした。
2912.2015年5月4日(月) 母校ラグビー部応援へ
昨夜遅く奈良の長男家族5人が車でやって来た。あまりにも遅かったので、その時すでに私は白河夜舟だった。彼らも普段あまり家族で出かけることが少なくなったようだが、上の男の孫が今春奈良学園という私立高校に入り、2番目の女の子が公立中へ、そしてサッカーの得意な末っ子の女の子が小学校6年へ進級したこともあり、GWを利用してやってきたものだ。
この一週間近くの駒澤公園で「肉フェス」という肉料理屋さんのイベントを開いていて、それがメディアでも報道されたせいか若者で溢れかえっている。そこへ陸上競技場ではU-14国際サッカー大会が開催されているので孫娘にはちょうど良いとそちらを案内した。
では、私はこのGWをどう過ごすかというと、今日は母校湘南ラグビー部が県立静岡高校と親善試合を行うのでその応援に母校へ出かけた。いつもなら車で行くところだが、テレビがしきりに交通ラッシュ状況を伝えているので、車を敬遠して電車で行くことにした。大体計算通り時間内に学校へ着いたので、まずは電車を利用して正解だった。
ゲームは前半立て続けにトライをあげた母校が33-18で粘る静岡を振り切った。3年前の親善試合でも勝っているが、お互いに同じような伝統ある公立校として良きライバルと言える。7月には同じく伝統校・浦和と親善試合を行う予定であるが、浦和は昨年全国大会にも出場した強豪校でもあり、その力は静岡より上なので油断はできない。
ともかく天候にも恵まれ、まずまずのGW中盤である。
2911.2015年5月3日(日) 憲法記念日に憲法の行方を心配する。
昨日の朝日新聞の憲法観世論調査に次いで、憲法記念日の今朝日経新聞にも同社の憲法に関する世論調査の結果が紹介されていた。こちらの分析は朝日に比べて幾分分かりやすい。憲法を改正すべきかどうかについて、反対が44%で、賛成が42%である。朝日に比べてその差は接近している。それでも寡聞にして知らなかったが、日経では同様の調査を開始した2004年以降反対が賛成を上回ったのは初めてだという事実に驚いた。朝日とは読者層が異なり、日経購読者は一流企業に勤めるサラリーマンが多いだけに、自民党寄りの考えが強いと思われるが、それでも今までは改憲賛成派が多かったとはちょっとショックである。しかし、それも一部の読者が反対へ回ったことによって改憲反対派が賛成派を圧倒したことでホッとしている。他では保守路線の産経新聞読者層がどんな結果を示すか興味深かったが、ここにも意外な現象が表れていた。インターネットによって調べてみたところ朝日以上に反対派が多いのである。改憲賛成40.8%に比べて反対者が47.8%だった。集団的自衛権行使容認によりそれまで賛成派の一部の人たちが反対派へ回ったようだ。この様子だと政府自民党が極右的行動を示す度ごとに、改憲反対派が増えていく。この現象を安倍政権はどう受け止めるのだろうか。
憲法記念日の今日、朝からテレビの情報番組では最近の政府の「憲法ないがしろ行動」につき、改憲賛成論者、反対論者の議論が闘わされていた。国民の意向がどうあろうと、最早改憲の道を歩き出した安倍政権、自民党にとっては、反対論など歯牙にもかけない傲慢さが見られる。
今のままでは限りなく戦争への道を歩き、いずれ海外派遣される自衛隊員が犠牲になることは火を見るより明らかである。
アメリカでは日本の国会における議論を経ずして日米ガイドラインを改正し、謳い文句のように日米同盟の強化を強調し、アメリカ議会でのスピーチでも日米両軍がお互いに補完しながら、「世界平和と秩序の安定」のために協力しあうと述べている。しかし、その実情はアメリカ連邦政府の逼迫した財政事情からアメリカの軍事費、及びアメリカ軍兵士の減少を日本が肩代わりして現状の戦力を保持しようということだ。これまで米軍が行使していた各国、各地の治安維持を日本の自衛隊の海外派遣によって補おうというものである。つまりアメリカの軍事費削減のツケを日本国民の税金で、しかも憲法違反の大罪を犯すことまでして日米同盟の強化を謳っているのである。こんな国民を愚弄した理不尽なことがあるだろうか。日本の今日の政治志向に喝采しているのは、安倍一族とその取り巻き、右翼集団、一部の企業だけではないのか。彼らの利のために、自衛隊海外派遣による集団的自衛権行使によって国民の生命、財産が失われようとしている。そのうえ本丸である憲法改正が控えている。なぜこの日本の危機に際して、メディアを始めとして国民の間に60年安保反対闘争時のような強力な反対運動が湧きあがらないのだろうか。若い人たちは静かである。憲法の大切さや、戦争の残酷さが彼らにはあまり身に沁みて分かっていないからだ。
戦争を知らない人たちが戦争勃発の危機に際して、むしろ安倍政権と一体となってその背中を押そうとしているのである。実に恐ろしいことである。
今や日本国内には憲法遵守を意に介しないおぞましい保守勢力が跋扈しつつある。現行憲法では第2章に「戦争の放棄」を掲げ、その第9条で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、その第2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とはっきり戦争放棄を約束しているのである。そして、それが戦後70年間海外派兵を行わず、戦争に巻き込まれることなく平和を維持することができた大きな原因である。
安倍首相が自ら訪米を成果と自画自賛して帰国した後の言動が気になる。
2910.2015年5月2日(土) 安倍暴走により危うくなってきた国民の憲法観
今日は夏も近づく八十八夜で、全国的に暑さも増してきたようだ。そして、明日は憲法記念日である。日本国憲法が施行されたのは、昭和22年の今日、5月3日である。まだ、小学校3年生だったので、当時の実感はもちろんない。だが、その後学校では幸いにも折に触れて憲法について話を聞かされた。果たして現在の学校教育ではどうだろうか。
その中で特に思いだすことが2つある。ひとつは、小中学校を通じてどの先生もみんな新しい現行憲法について、第9条の戦争放棄、憲法改正の条件について語る時現行憲法がいかに優れているかという話をされ、これで戦争はなくなるし、絶対守っていかなければいけないと諭すように話されたことである。新憲法について誇りを抱いているように感じた。
もうひとつは、京都市立上桂中学3年生の社会科教師棚橋先生が、軍備は必要ない。もし、敵が攻めてきても丸裸のままでいて闘うことはないと毅然として言われた。まだあまり事情がよく分からない同級生と私が、それでは他国に侵略されるばかりではないかと質問しても、先生はどうなっても軍備は必要ないし、闘うこともしない方が良いとの持論を強く主張されたことに驚き、それは今もって強く印象に残っている。どうして無抵抗を主張されるのか、先生の真意は分からなかったが、戦争でご家族か親戚の方が惨めな目に遭われたような事実が頭にあったのではないかと勝手に推察している。
あの個性的だった棚橋先生はとうにお亡くなりになったが、軍国的な風潮が出てくる都度棚橋先生の強い信念のようなものが甦って来る。
さて、棚橋先生のお考えとは逆行して、昨今右翼的傾向が強まってきた安倍政権が、改憲への道を歩き始めた。その前に憲法違反のような行動を起こしていることは良識派国民から危惧され恐れられている。
今朝の朝日新聞によると朝日が憲法に関する世論調査を実施し、国民行動の分析を行った。だが、リベラルな朝日が何を考えたのか、分析及び解釈を一般人が分かりにくいものにしてしまった。難しい憲法についてあれこれ条件をつけたような分析調査は避けた方がいい。あまりにも細かく分析しては、憲法自体を分かりにくくさせて庶民の視界から徐々に遠のいていくのではないかと心配になる。憲法改正に国民は賛成なのか、反対なのかという一番肝心な点が、条件をつけ過ぎるためにどう受け取ったら良いのか分かりにくいのである。精々男女別と年令別で分けるくらいの単純な一覧表を作ればよいのではないか。結局今日の朝日の調査報告ははっきりとは分かりにくくしてしまっていた。多少憲法改正反対者(48%)が賛成者(43%)を上回ったという一番知りたい点は何とか分かった。この他に第9条を変えることについては、「変えない(63%)」が「変える(29%)」を圧倒的にリードした。まあそれだけで取り敢えずほっとしている。だが、国民の声を軽視しがちの安倍政権が憲法改正に向けて虎視眈々と次のステップを待っている。まったく目を離せない状態である。
とにかく最近は政府に憲法を無視しているかの言動が目立つ。既成事実を積み重ねて常態化させようとしている傾向が見られることが怖い。戦前の軍部の動きと一脈通じる動きが出てきたように思う。他人事でなく我々国民もよほど自分自身の問題として捉えてどう対処すべきか、よくよく考える必要があると思う。
2909.2015年5月1日(金) アメリカ議会における安倍スピーチへの反応
訪米中の安倍晋三首相が、昨日米議会上下両院合同会議で演説した。事前に各方面からかなり注目されていた。日本の首相でこのような場でスピーチしたのは、安倍首相が初めてである。未来志向を主張し、先の大戦への痛切な反省には言及したが、侵略や謝罪という言葉は一切使わなかった。朝日の論調は、対米と対アジアの2つの顔を見せたと冷ややかなものだった。
安倍首相の演説について、戦争に対する責任論が取り沙汰されている。勝者、敗者いずれの側にも責任はある筈である。それは、昨日のブログで言及したベトナム戦争についても同じである。戦争中アメリカ軍に協力して参戦した韓国軍の暴虐行為に対して、今ベトナムと韓国で責任と謝罪が注視されている。そこへ今朝新聞各紙が、厚生労働省がシベリア抑留死者1万人の名簿を発表したと報道した。北朝鮮、中国、サハリン抑留者の死者も含まれている。しかし、戦後70年である。あまりにも遅い対応である。これはロシアがこの期に及んで厚労省に伝えたものである。
シベリア抑留者の悲劇だって勝者であるソ連に責任はある筈である。それに対して謝罪と言う言葉がかつてソ連とロシアから聞かれたことはない。そうなると勝者は体の好い事だけ言って責任はすべて敗者に負わせて逃げていることになる。
翻ってベトナム戦争は、アメリカ合衆国が建国以来唯一敗れた戦争と言われている。だが、昨日和田春樹教授が追及していたように、アメリカはベトナムに謝罪も賠償もしていない。アメリカとともに戦った韓国も敗戦国になるが、一切謝罪はしていない。それどころかベトナム戦争中の蛮行が表面化しても両国からは国としてお詫びの姿勢はまったく示していない。
こうなると安倍首相の演説で謝罪を言わなかったことはどう理解すべきであろうか。首相の演説で問題なのは、心から謝罪の気持ちが感じられないからである。それどころか、A級戦犯に対しても他の戦没者に対すると同じように尊崇の念を抱いている。侵略した国の人々に対して気持ちのうえで、迷惑をかけた、申し訳ないとの気持ちがあれば、意自ずから少しは通ずると考えられると思うが、ちょっと甘いかなぁ。いずれにせよ首相には、傲慢に前進することだけが我が意を伝えることであると考え、アジアの人々の気持ちを斟酌する気持ちがなく、周りの意見を聞いてみようとの気持ちがないからである。
今でこそ一強多弱の基盤に乗っかり威張りくさっているが、いずれ首相の座を去らなければならない時が来る。その時どういう心境で王座を去るのか。