ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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2928.2015年5月20日(水) 新国立競技場は屋根なしで出発

 2020年開催の東京オリンピックでは、現在取り壊し建築中の新国立競技場にオリンピック開催時には、開閉式屋根を取り付けないという杜撰な話がトップ会談の場で公になった。どうしてこういうお粗末な話になったのだろうか。

 当初イラク人女性デザイナーが提案した一風斬新なデザインが採用されたが、これまでの国立競技場の周辺環境との絡みから景観面で反対論も出て、そのデザインを若干変更し、コストも削減するとの狙いからデザイン変更、そして建築費も3千億円から半額に削減して、着々と準備が進んでいると思っていた。実際旧国立競技場はすでに取り壊され、厄介な問題を抱えた神宮野球場と秩父宮ラグビー場の解体、移転、新設を抱き合わせて計画が進んでいる。こともあろうにその最中において、計画変更、費用の一部である500億円を東京都に負担して欲しいと唐突に下村博文・文科相が舛添要一・東京都知事に求めた。知事には青天の霹靂だったようで、都民が負担する以上その理由を説明するよう要求した。いずれにせよ、無計画、無責任のそしりは免れない。 

 それにしても五輪関連施設の建設がどうして躓いたのか。これまで日本が計画するこの種のスケジュールはほとんど狂ったことがなかったと思う。むしろ、外国の施設の建築が間に合わなくなると嘲笑していたくらいである。1968年のメキシコ・オリンピックや昨年のリオのワールド・カップ開催前のメインスタジアムの完成もその遅れが揶揄され、心配され、ひやひやしていたものだ。然るにその日本で、建築その他の技術が飛躍的に進歩したにも拘わらず、油断からだろうか、考えの甘さのせいか、逆に予定より遅れるという思いがけない狂いが生じてしまった。

 私の見るところ、各分野の担当責任者に責任感が欠けていたのではないかということと、各担当部門の最終責任者が明確に決まっていなかったことが混乱に拍車をかけた大きな原因であると思っている。

 担当部署にもスポーツがよく分かっているスタッフが少ないようだ。屋根がなくともオリンピックの前年開催のラグビー・ワールド・カップでは問題ない。オリンピックだって真夏開催ということだから、暑くても冷房費のコスト削減などを考えれば当初から屋根なしでも問題がなかったのではないか。そうすれば、経費も大幅に節約できる。今になって考えてみると、どうして最初から屋根付き競技場に拘ったのか、これこそよく分からない。

 昨日から今年の駒澤大学公開講座が始まり、今日から受講している。毎週3時間を有益に楽しく気軽に受講したいと思っている。

2015年5月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2927.2015年5月19日(火) 天皇のご学友・橋本明氏から有益なお話を拝聴

 所属するNPO法人JAPAN NOWの講義が印象的だった。講師はジャーナリストの橋本明氏である。橋本氏は天皇陛下のお気持ちを忖度しつつ、ご自分の気持ちとしてリベラルなジャーナリストらしく安倍晋三首相の集団的自衛権の行使やその手法について厳しく批判されていた。氏は共同通信のジュネーブ、ロサンゼルス支局長などを歴任したが、兄は元日本鋼管常務、弟は元シンガポール、オーストラリア大使と優秀な家系に包まれている。氏が個人的な知遇を得られたという面では、サッチャー元英首相、チトー元ユーゴスラビア大統領、サマランチ元IOC会長、等々びっくりするような華やかで錚々たる経歴の方々の名前を知って驚く。初等科から大学まで学習院一筋に学び、その学習院で天皇陛下と机を並べたというご学友という関係は何者にも代えがたいものであると思う。橋本龍太郎元首相、橋本大二郎元高知県知事は従兄弟に当たられる。

 橋本氏とは5年前小中陽太郎氏にご案内をいただき、中目黒にあるカソリック教会でアメリカ在住の映画監督すずきじゅんいち氏が講演した時にお会いしている。奇遇にもすずき氏が湘南高の後輩で、すずき氏ともども講演会後の懇親会で橋本氏と同じテーブルでお話したことがある。

 今日のスピーチには格別強い印象を受けた。日ごろより天皇家と親しい関係にあるだけに昭和天皇、今上天皇、美智子皇后に関する身近な話を伺うことができた。

 特に心に留まったことは、

 ★日本は海外に対して天皇家はひとつのウリである。

 ★天皇の安倍首相に対する対応には、天皇が牽制球を送っているような様子が見て取れる。

 ★安倍首相は就任時から「戦後レジームからの脱却」を唱えているが、常に躁と鬱が交錯してその合間に出された言葉である。

 ★現行憲法は日本の憲法学者がGHQと充分話し合った末に作られたもので、アメリカから押し付けられたものではない。戦後アメリカの押し付けで制定されたと述べる安倍首相と天皇の考えはどんどん乖離している。

 ★安倍首相の狙いは、国連常任国入りである。

 ★日本には生存権があり、年金制度、国民健康保険が整備されているが、アメリカには生存権が認められておらず、それらの整備が充分ではない。その点では日本の方が進んでいる。

 ★天皇は現行憲法、特に第9条を守り抜くことを秘かに願っているが、改正されれば法律発効のための天皇印を押捺することに頭を痛めるであろう。

 天皇が憲法改正に反対の気持ちを持たれていることは、これまでの言動から推察していたが、今日橋本氏から天皇の本音と思える話を氏のスピーチから汲み取ることができたように思っている。

 先月天皇・皇后両陛下が窮屈な自衛艦内に宿泊されたご苦労にも拘わらず、ご自分の意思を通されパラオへ巡拝慰霊されたが、その際安倍首相が羽田空港でお見送りされた。その時の安倍首相の気持ちは両陛下の純粋なお気持ちとは正反対だと思っていたが、橋本氏の話を伺って納得するものがあった。

2015年5月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2926.2015年5月18日(月) 心配なイェメンへの空爆

 昨年に続き、会社同期入社の仲間と新宿のハイアット・リージェンシー東京でランチを共にした。1963年入社の我々も今では後期高齢者となりそれぞれ自由気ままに過ごし定職に就いている者はひとりもいない。今日集まったのは5人だが、同期生は13人いた。ひとりは早めに辞め、4人はすでに彼岸へ旅立った。別府に住むひとり、予定がつかなかった2人を除いて今日集まったのは5人である。

 8人に送った案内状は、昨年同様に今日この日の12時にホテル・ロビーに集まれというものだった。特に出欠を連絡しなくてもよいとしたので、何人集まるか分からなかったが、まあ来られる仲間が来てくれてありがたいと思っている。

 4人の話を聞いていると私とは趣味が違う。在職中から4人ともゴルフを楽しみ、今ではゴルフの他に釣りとか、畑仕事を楽しんでいるらしい。私自身は在職中ついにゴルフを嗜むことはなかった。そのおかげで浪費をせず、旅行に投資することができた。幸いそれが今日役立っている。

 こうして気楽に話ができるのも同期生の誼であろう。いつまで続けられるか分からないが、何となくやることになった幹事役として、こうして集まれるうちはこのまま引き受けようと思っている。

 昨日大阪市の都構想賛否を問う住民投票の結果、都構想賛成派が敗れたが、主導した橋下市長が公約通り任期終了後に政界を引退すると記者会見で話したが、あれだけの知名度と実行力、そして意欲のある人物がそうあっさりと引退できるだろうかと外野が煩い。実際今日のあるスポーツ夕刊紙には「橋下市長、引退撤回のシナリオ」などと書かれている。結局都構想は市民にその内容が充分理解されず、説得力を持たなかったということのようだ。特に高齢者の賛成者が少なかった。いずれにせよ当分の間橋下市長の動向に注目が集まる。

 さて、しばらくイスラム国IS関連ニュースが伝えられなかったが、ここへ来て中心都市のひとつイラクのラマディをISが奪回し、一時収まっていたISの力が再びぶり返したらしい。それと同時に、停戦期限が切れたイェメンのアデンをサウジアラビア軍が空爆し始めた。ここでも再び戦闘が再開される恐れが生まれてきた。

 アデンは何と言っても1968年1月に日本人として初めて入国した思い出深い都市である。先日実際に入国した時以来初めてアデンの映像を見た。私が訪れ滞在したホテル周辺の景色とは幾分印象が異なるが、歩いている人々は同じような民族衣装を着て歩いている姿を懐かしく思った。今晩のNHK・BS国際ニュースでも現地の様子を伝えていたが、本格的な戦闘が始まるのではないかと心配である。

2015年5月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2925.2015年5月17日(日) 大阪都構想、実現成らず。

 カイロ刑事裁判所はムルシ前エジプト大統領に極刑である死刑の判断を下した。随分荒っぽい判断を示したものである。ムルシ氏は、3年前に国民の民主的な選挙により初めてエジプトの大統領に選出された人物である。そのムルシ氏を軍部がクーデターによって追放し、あまつさえ選挙の前年刑務所から大勢の受刑者を脱獄させた首謀者として関与した「ムスリム同胞団」メンバーとともに刑事裁判に処したものである。ことの真相はどうあれ、民主的な方法で選ばれた大統領を武力で放逐し厳罰に処するというのは、民主主義社会ではとても理解されまい。現状ではイスラム国家宗教指導者の見解を聞いたうえで6月に最終的な判決が言い渡される見通しである。

 この報を受けて早くも国際人権団体アムネスティ・インターナショナルや、トルコのエルドアン大統領から非難する声が上がっている。いずれにせよ国際的に大きな問題となるであろう。

 この厳しい裁判と同じように情報非公開の北朝鮮でも、恐怖の粛清事件があった。一昨年金正恩国家主席は後ろ盾だった伯父の張成沢氏を突然粛清し、処刑した記憶も生々しい中で、今度も側近だった玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相を国家反逆罪として処刑したと伝えられた。玄氏が粛清されたのは金主席の演説中に居眠りをしたとか、反抗的な態度を取ったとか、些細な理由で国家のトップ人材を葬ってしまっている。しかも処刑の仕方が機関銃で射殺したうえに火炎放射器のようなもので遺体を焼きつくしたなど、非道でヘドが出るような残虐な方法を執ったと言われている。

 だが、ここへ来て韓国の情報機関・国家情報院の報道に対して、その真偽につき疑念が浮上している。北朝鮮のニュースは眉つばものが多いが、南北朝鮮の情報合戦になると針小棒大もエスカレートするからここは一歩引いて冷静にニュースを注視することが肝要である。

 さて、今日は大阪市の大阪都構想に対する賛否を問う大阪210万有権者の住民投票が行われた。都構想は大阪維新の会のリーダーである橋下徹・大阪市長がい就任時から強く主張していたものであり、維新の会以外の自民、公明、民主、共産ほか各政党はほとんど都構想に反対を唱えている。維新の会がどれだけ無所属、或いは態度を決めかねている市民の票を掴み取ることができるかどうかに懸っている。言い出しっぺの橋下市長は、負けたら政界を引退すると発言し進退を賭けて必死になってようだ。しかし、その発言は市長を辞められたら困るという市民の同情票を集めることが狙いだと足元を見られている。

 開票当初は賛否互角ながらも僅かに都構想賛成が上回っていたが、次第に反対票が盛り返し、僅差ではあったが、最終的に賛成70万5千票(50.38%)に対して、反対69万4千票(49.62%)で、大阪都構想は否決された。終始接戦を繰り広げたが、結局のところ市民にもどうなるかの将来のビジョンがよく分からなかったというのが、大阪都構想が実現しなかった大きな原因ではないだろうか。これにより選挙前に負けたら引退との発言もあり、橋下市長は市長任期満了を待って政治の世界から身を退くと考えられている。

2015年5月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2924.2015年5月16日(土) いつの間にか日本史が変わっている。

 昼間見るとはなしにテレビを観ていたら、ある民放で歴史的事件の名称変更を説明するような興味深い番組をやっていた。興味を惹かれたことがいくつかあったが、最も驚いたのは現在の教科書では、「大化の改新」と呼ばれる645年中大兄皇子が藤原鎌足とともに蘇我入鹿父子を倒した争いは今では乙巳(いっし)の変と呼ばれ、その後の一連の改革を「大化の改新」と教えているという。その他には、1637年天草四郎時貞が戦った島原の乱は、歴史上最も激しかった一揆として「島原・天草一揆」と紹介されているという。新しい史実が明らかになれば、それを修正するのは当然ではある。しかし、過去に必ずしも確証がなくともそのように決められ、それが定着していたところ、最近になっていとも簡単に変更されるのは、昔教えられた者としてすんなり納得するには幾分抵抗がある。

 例えば、こういう話もあるそうだ。

 鎌倉幕府が開かれたのは日本人なら誰でも知っているように、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任じられた西暦1192年で、年代暗記の好例として「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と我々が受験生だった頃は覚えたものである。ところが、その当時「幕府」という言葉もなく、鎌倉幕府が開かれたのは6つの説があるという紛らわしい話があり、その中では1185年説が今最も有力であるという。最近の教科書ではほとんどこの1185年を鎌倉幕府開府の年号として採り上げているらしい。因みにこの年は壇ノ浦で平家が滅亡し、頼朝が朝廷に日本全国へ守護・地頭の設置を認めさせたことから頼朝の実質的な支配が始まった年である。

 それにしても史実がこう頻繁に変えられると、変更の事実を知らされない昔の教育を受けた人たちは、間違った史実や名称のまま頭の中で想像を巡らせていることになる。

 世界の長い川の順位も10年も経つとナイル川とアマゾン川が入れ替っているようだし、面積も埋め立て工事などで変わっているようでもあり、今頭の中にインプットした事実・真実もいずれいつの日にか、変わってしまうものだろうか。それにしてもうっかりしていると日本人でありながら、日本史を間違えて覚えたままになっているケースに陥ってしまうわけである。あんまり気持ちの好いものではない。

 さて、本日でこのブログ書き込みも9年目に入った。我ながらよく続けて来られたと思っている。過去8年間毎日1日も欠かさず書いてきた。海外へ出かけてどんな状況下にあっても何とか書き続けてきたのは、やはり生来文を書くことが好きだからだと思う。どんなに疲れていてもこうしてパソコンに向ってタイプすることに何の抵抗もない。7月には連続3千回を数える。いつまで続くだろうと好意的に、或いは興味本位に見守ってくれている友人たちもいると思うとそう簡単にギブアップするわけには行かない。今の願いは10年を迎えたら、或いは連続5千回を数えたら、いくつか自分でも印象的な文を書いたブログをセレクトして私家版でも出して友人らに読んでもらおうと考えている。夢は実現できるかなぁ。

2015年5月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com