充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3075.2015年10月14日(水) 内憂を一日も早く解決することを期待する。
今わが国で2つも大きな問題を抱えることになってしまった。1つは、昨日翁長雄志・沖縄県知事が辺野古沖埋め立て工事承認を取り消したことで、一層政府と県との対立が険悪になったことである。知事は知事選の公約だった移設計画の阻止を熟慮の末、ここに至って決断し行動に移したのである。当然政府は対抗措置として不服審査請求と執行停止の申し立てを行うと見られている。最終的には政府、沖縄県双方が法廷闘争に持ち込むことが考えられる。国と地方自治体が相争うことは大変残念であるが、これまで沖縄の歩んできた道筋を考えれば、沖縄県の取った手段は理解出来るものである。政府の考えには県民の感情を配慮しない点があることや、沖縄県との話し合いの前に基地管理について米軍と談合したり、とかく県民の気持ちを逆なでする面があった。今回の翁長知事の承認取り消しについても、安倍内閣では全閣僚が沖縄県の取り消し行為を絶対認めないと、全く沖縄県民感情に配慮する気持ちがない点が気がかりである。これではいつまで経っても政府と県が対立する構図が続くばかりである。こんな時どうしてひとりくらい知恵者が現われないのだろうか。
2つの目の問題は、再来年4月から消費税を10%に引き上げることが決まっているが、政府はその際何とか公明党との話し合いで軽減税率を導入しようと考えている。それが先日経済産業省案である、増税分を後から還付する手間のかかる方式を提案することが報道されるや、公明党が猛然と反対し、慌てた安倍首相がこれを推進していた野田毅・自民党税制調査会会長を更迭までしてご破算にし、もっと分かり易く中小商工業者に負担のかからない軽減税の導入を検討することになった。確かに経産省案は分かり難く手続きが面倒で、よくもこんな方式を編み出すものだと思っていた。
ただ、どの品目を減税の対象とするかが今も決まっておらず、今後に問題を引きずりそうである。とにかく再来年4月には増税されることになるが、軽減税を導入するにしても、早く減税対象品目をすっきり決めて欲しいものである。
3074.2015年10月13日(火) チェコの名花チャスラフスカの明暗人生
昨夕NHK・BSで2時間に亘るドキュメンタリー番組「東京五輪・女子体操の華ベラ・チャスラフスカの肖像、民主化求め激動の人生」を観た。チェコ・スロバキアの名花チャスラフスカと言えば、男子マラソンのアベベ選手と並び、大会の話題を独占したヒロインとヒーローである。番組では東京オリンピック以降チェコ・スロバキアのスターとなったチャスラフスカは、1968年自由と民主化を求めた「プラハの春」でその民主化運動に賛同したことから魑魅魍魎の世界へ巻き込まれながらも同年開催のメキシコ大会でも金メダルを獲得して、世界中から同情と称賛を得た。だが、その後の人生は苦難の連続で、番組では彼女の厳しい人生を追っていた。番組では別れた夫が息子に殺害された不幸な私生活などは紹介されなかったが、オリンピック金メダル獲得の栄光の反面、起伏の激しい人生を送った。今や73歳となり癌を抱え入退院を繰り返して健康は必ずしも芳しくはないが、その間初志を貫き自由と民主化に身を捧げ、署名した「2000語宣言」を撤回しなかったため、長い間国の監視下にあった。番組ではその波瀾万丈の人生模様を冷静に描写していた。あれだけ華やかだった名選手でも、時代と国家に見放され翻弄されると不本意で必ずしも納得の行かない人生に付き合わされるということである。
私自身チェコとは浅からぬ因縁がある。革命前にチェコへ留学を志したが実現しなかったのは、生憎「ブラハの春」に遭遇したためであり、また1988年チェコを訪れた時も偶然「プラハの春」20周年記念日に当り大群衆のデモと出会ってホテルから出られなくなってしまったことがある。
私の青春を思うようにも、その反対にも彷徨わせたかつてのチェコ・スロバキアと「プラハの春」については、思い出は尽きない。画面で久しぶりに観たモルダウ川とスメタナの名曲が懐かしい。
さて、先月24日にサウジ・アラビアで行われたハッジ(大巡礼)で巡礼者が将棋倒しに押しつぶされ700名余りの死者が出たと報じられた。だが、つい最近フランスのAFP通信が、実際の死者はその数を遥かに上回り1535名と伝えた。当初サウジ政府が発表した数の約2倍である。これについてサウジ政府は何のコメントも出していない。1990年に同じようにハッジで1400余名が亡くなったが、それを上回る犠牲者を生み、イスラム教歴史上最悪の事故となった。
サウジ政府は事故発生当初に準備や対応の悪さを指摘されたことに対して誠意ある回答をしなかった。これ以上自らの落ち度を非難されたくなく逃げ通そうと考えたからであろう。自らの落ち度を指摘されても謝罪も反省もしない「夕日新聞社」(旧「朝日新聞社」)の無責任で不誠実な対応と酷似している。
それにしても聖地への巡礼に加わって命を落としたのでは堪ったものではない。大勢の人々が集まる集会では準備によほど慎重で、行事進行中は周囲に神経を張りめぐらせていないと無意識のうちに、危険の影が忍び寄ってくるものである。
一昨日トルコの首都アンカラではテロリストによる自爆テロが仕掛けられ、市内で95名が犠牲となった。クルド人を敵視するイスラムは過激派組織「IS」の仕業と見られている。トルコ国内でこれまで最大のテロ事件である。国境を接するシリアの内乱は今や手をつけられない状態で、当分治安は乱れたままであろう。そこへトルコでも治安不安定な状況になると中東地域は益々混乱してくる。サウジ・アラビアとトルコのトラブルは性質が異なるが、世界的に危険で怪しい事象が増えてきたことは間違いない。
今世界の現状は荒れ漂流しているが、一体これからどこへ向かおうとしているのだろうか。
今日ラグビー日本代表チームが大歓迎の中を帰国した。選手たちはテレビ局にモテモテである。アメリカ戦の勝利を伝えた今日のスポーツ紙をつい7部も買ってしまった。
3073.2015年10月12日(月) 「体育の日」に祝砲、ラグビー日本、アメリカを撃破
1964年10月10日前夜来の雨が打って変わった快晴の下、国立競技場で東京オリンピック開会式が行われた。爾来毎年この日を祭日「体育の日」としていた。しかし、2000年から「体育の日」は10月第2月曜日に変更され、今年は今日がその「体育の日」に当る。いつもの通りウォーキングに出かけた近くの駒澤オリンピック公園では、著名なスポーツ選手も参加して、いろいろ健康と体育に関するイベントを行っていた。
さて、日本時間の今暁イギリス・グロスターで行われたラグビー・ワールドカップの日本代表チーム第4戦は、日本チームがアメリカを28-18で破り、Bグループ内で3勝1敗の好成績を挙げ5チーム中第3位となった。残念ながら2位までに与えられる決勝トーナメント出場権は勝ち点の差で、同じ3勝1敗の1位南アフリカ、2位スコットランドに僅かに届かなかった。
残念ながら念願のベスト8入りは成らなかった。だが、過去7回のワールドカップでは、通算1勝22敗2分けで勝ち星を挙げたのはたったの1度きりだった。それを思うとこれまで大きな顔が出来なかった日本ラグビー界にとって貴重な3勝を加えることが出来た。充分称賛に値する大活躍ぶりだったと思う。ゲームを見ずしてルールが分からないというファンが多い中で、ラグビーに目を向けさせ、ラグビーに関心を持ってもらえたことはラグビー代表チームの功績であり、今回の代表チームは今後の日本ラグビー界発展のためにも偉大な貢献をしてくれたと思っている。
アメリカ戦の前に行われたスコットランド対サモア戦でスコットランドが勝った時点において、日本のベスト8進出の夢は潰えていた。そこでテレビの生放送も明け方の4時過ぎにキックオフという悪条件にテレビ観戦を諦め、昼食後ビデオ録画で試合をじっくり振り返って観た。緒戦以来チームとしての強い意思は第4戦でもしっかり引き継がれていて、ノーサイドまで終始互角以上の戦いぶりだった。印象的なプレイは、後半12分敵陣ゴール近くでペナルティのチャンスに、南ア戦と同じようにキックを避け、狙い通りトライを奪って5点を得たのは自信の表れだろう。南ア戦に次いで最後まで素晴らしいゲーム展開を見せてくれた。
強豪南アフリカを破り3勝1敗の成績を収めていながら、結果的に決勝トーナメントへ進出出来ないことは何はともあれ悔しい。リーグ戦で3勝しながら決勝トーナメントへ進めないワールドカップ史上最初の国となったが、イギリス国内では日本がトーナメントに出場出来ないのは、商業ベースでマイナスだとの声があると英国紙に書かれている。
それにしても今年の日本代表チームは、勇敢に、堂々と戦ったと思う。4年前エディー・ジョーンズ氏がヘッドコーチに就任して以来、従来とはまったく異なるハードなトレーニングと、フィジカルの強化を目指したことは必ずしもチーム内をひとつにまとまめたわけではない。だが、HCは信念と持論である戦略を話し、頑なに選手たちに要求した。HCは勝ち方を徹底して教えたのだ。結果的にチーム力は格段に向上した。このHCの頑固さが成功の大きな原因だと言えるのではないだろうか。南ア戦は別にしても、残りの2勝は、勝ち方を知った日本チームは勝つべくして勝ったのである。選手たちのひたむきな努力はもちろん、それ以上にチーム力向上の功績は、この偉大なるエディー・ジョーンズHCであることを忘れてはならないと思う。エディーには引く手あまたのオファーがあり、日本チームとの契約切れを待って南アのチームに請われて行く。ありきたりだが、エディー・ジョーンズHCに感動をありがとうと伝えたい。
今回の日本チームの活躍は、次回2019年ワールドカップ日本大会へ向けて良い弾みになった。「体育の日」に相応しい嬉しいトピックである。
3072.2015年10月11日(日) 国力衰えたアメリカの威信と影響力
国際社会における国家間の縄張り争いというか、威信を賭けた駆け引きは、時として行き過ぎて熾烈でここまでやるかと思わせられることがある。近年自他ともに「世界の警察」と認めていた超大国アメリカの国力の衰えによる威信の低下が言われて久しいが、それは相対的に中国が持ち前の中華思想に裏打ちされた、世界の中核であるとの考え方が国力の充実と相俟って国際社会へその存在を拡大させてきたからでもある。中国の覇権主義と大国主義は、日本を追い抜いてGDP世界第2位になってから一層自己中心的、かつ独善的となり、今やその百家争鳴ぶりは凄まじく世界の隅々から顰蹙を買っているほどである。それは南シナ海における海洋進出で強引に公海上に島を造り、自国領土としてアピールするパフォーマンスが典型的な例である。
加えて中国の経済力に関して統計上は、国のGDPは確かに世界2位にのし上がって来たが、人口が多いせいもあり、1人当たりGDPで比較すれば、わが国の約1/10である。国内の貧富の差が激しくなったことがよく分かる。マルクスが予想もしなかった共産社会における貧富の格差が共産国家・中国には存在するのである。それでも中国が、かつてのソ連とアメリカの世界2大国に取って替り、アメリカと自国こそが世界の2大強国であるとの自信たっぷりの立ち居振る舞いとプロパガンダには圧倒される。
一方、ベルリンの壁崩壊後、力が衰えた旧ソ連・ロシアが突如再びその存在感を世界に示しつつある。それが停滞気味の経済面ではなく、軍事力の行使であるだけに国際社会から警戒の目で見られている。ロシアは昨年ウクライナの内政問題に介入するや否や、直ちにクリミヤ半島へ侵攻し、占領して東部の親ロシア地域まで掌中にロシア領土へ編入する露骨な武力行使を行った。
そのような時にシリア情勢の混乱につけこんで、圧政を敷くアサド独裁政権を支援するフリをしながら、「イスラム国」殲滅作戦と言ってロシア空軍機による空爆を行った。このロシアのやり方が、実はシリア・アサド政権が手を焼いている反政府軍を攻撃していると言われている。このロシアの攻撃参加により、「イスラム国」攻撃より、むしろロシアはアサド政権を支援した結果となり、欧米にとっては大きな誤算となった。
ロシアは、空軍機からの攻撃だけに留まらず、カスピ海からシリア国内に向けて弾道ミサイルを発射し、その内のいくつかはイラン領内にも落下したとの報道がある。この様子を見てロシアの攻撃をむしろ評価する国も出始め、その反面アメリカの権威は落ちている。更にアメリカのアフガニスタン領内の誤爆により「国境なき医師団」が活動する病院が爆撃され多数の死傷者が出て、アメリカは人道面でも国際的に非難されている。ここでもアメリカに対する評価は大きく後退した。
今やアメリカの力と評価が下がる一方で、公平な評価ということでないにせよ、相対的にロシアや中国の力と影響力は確実に高まっている。ロシアと中国にとっては思う壺である。
2006年バラク・オバマ氏がアメリカ合衆国の大統領に就任して僅か9カ月後に、平和への力強いアプローチと実のある結果を期待されて、華やかにノーベル平和賞を受賞したが、オバマ大統領の力と影響力も、今や影の薄いものとなった。そのオバマ大統領にぴったり追想している日本の安倍首相、否わが国の前途は、このままで本当に大丈夫なのだろうか。
3071.2015年10月10日(土) 一味違う今年のノーベル平和賞
昨日ノーベル平和賞がチュニジアの民主化に貢献し、引き続き活動している「チュニジアン・ナショナル・ダイアログ・カルテット(チュニジア国民対話カルテット)」に授与されると発表された。チュニジアでは23年の長きに亘って独裁政治を敷いてきたベンアリ政権が、ジャスミン革命によって倒れた後、国内に湧きあがって来た国民運動が「アラブの春」の先駆けとなって周辺諸国に民主化の影響を与えた。その後国内では、イスラム系政党「ナハダ」と、世俗派及び左派の溝が深まった。だが、その緩衝仲介役として対立回避へ向かわせたのが、今回受賞の対象となった国民対話カルテットである。カルテットと呼ばれる通り、4つの団体、「チュニジア労働総連盟」「人権擁護連盟」「産業商業手工業連盟」「全国弁護士会」からなる複合組織である。
中東や北アフリカでは、長らく実権を握っていた強権政権が2011年以降次々と崩壊し、各国では今もそのまま混乱が続いている。その火付け役となったのが 「アラブの春」と呼ばれた民衆蜂起だった。
ノーベル平和委員会は、中東、北アフリカでの民主主義と基本的人権は途上で悉く失敗に終わったと指摘した。実際エジプト、リビア、イエメンでは、新しい政権による弾圧や武装組織による市民への迫害が今も続いている。その中でチュニジアは、民主化を望む国民の声に後押しされた4つの団体が、各政党に政治対話を促し、与野党合意の下に暫定内閣の発足から、憲法制定、人民議会選挙、大統領選の日程に至る民主化プロセスを作り上げることに力を尽くした。この地道な努力をノーベル委員会が評価したのである。もちろんチュニジアにはまだ解決すべき課題が山積している。雇用不足や難民流出、ISへの志願者増加、自国内テロ事件発生等々、事態は依然として深刻であり楽観は許せない。
しかし、それでも国民対話カルテットが活動しなければ、チュニジアも他の周辺諸国と同じ道を歩んだことだろう。その意味では、この団体が民主化のために果たした役割とその功績を無視することは出来ない。
これまでノーベル平和賞と言えば、混乱の最中にある当事者が受賞するということはあまりなかったように思う。危険の恐れのない平地で平和のために活動する人々や団体が賞の対象になっていた。今年の平和賞はその点で、従来とは一味変わったものになった。混乱の中にあって事態を一層悪化させるような混乱を止めさせようと地道な努力を重ねてきた団体に、ノーベル平和賞が授与されることになったのである。
今年は日本からも「日本原水爆被害者団体協議会」や憲法9条の改正に反対する「九条の会」が、戦後70年という節目に当り、受賞への淡い期待を抱かせた。結果的には上記の通り、国内の政治的対立解消と国の民主化のために活動した、チュニジアの4つの組織が手を携えた行為に対して栄誉ある平和賞が授与されることになった。