ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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3080.2015年10月19日(月) また脱線!高石大臣ら靖国神社参拝

 昨日日本共産党の日米安保条約容認という電撃的なニュースを耳にして腰を抜かさんばかりに驚いた。俄かには信じられなかった。今朝の朝日「天声人語」は皮肉たっぷりに取り上げ、「夕刊フジ」のような大衆紙にも紹介されている。「天声人語」は、「違憲」の安保法制廃止のためだけに他党とともに新政権「国民連合政府」を樹立しようという共産党の構想と提案が注目されていると指摘している。今回の提案の特徴は、党の根幹政策である、日米安保条約の廃棄や自衛隊解消は暫定的なものとして極力抑えた。だが、共産党アレルギーのある他の野党は共産党との連携にどういう対応を取るだろうか。当分の間議論を呼ぶことだろう。

 こういう時に、安倍政権の閣僚2人が秋季例大祭開催中の靖国神社に参拝した。やれやれまたかという印象である。その2人とは、高石早苗総務相と岩城光英法務相である。高石法相がこのよおうな言動をするのは、これで何度目だろうか。確信犯である。メディアに取り上げられ、話題になることだけを目的にした言動に見えてならない。大体2人とも言うことがおかしい。「国のために戦い、尊い命を捧げられたご英霊に対して感謝の誠を表すために参拝した」。本心からそう思っているのだろうか。参拝する政治家は、皆同じ言葉を繰り返す。だが、とても本心とは思えない。問題は、靖国神社に祀られた御霊が、赤紙1枚で徴兵された兵士や軍令によって戦い命を落とした人たちばかりなら、2人の言い分も分かる。だが、英霊の中には、彼らを死に追いやった戦争犯罪者として処刑されたA級戦犯が含まれていることを忘れては困る。高石大臣らは、こんなことは百も承知だろう。それにも拘わらず、毎年のように参拝している。これが、中国や韓国を始め、先の大戦の戦勝国や、犠牲者を生んだ国々から非難され、外交関係がおかしくなっているのだ。どうして分かりきった理不尽な行為を、大臣ともあろう者が性懲りもなく参拝し続けるのだろうか。そこには、何らかの個人的な意図や思惑が隠されているように思えて仕方がない。はっきり言ってこの2人には大臣の資質がないと断定せざるを得ない。あまりにも浅はかであり、無思慮である。

 案の定早速中国と韓国から批判的コメントが伝えられた。

 さて、今日はセビリア大使館でセルビア人画家、ミラン・トゥーツォヴィッチ氏の展示会を行うので、ぜひ閲覧をとベオグラードの山崎洋さんから先日案内をもらった。ゼミの友人3人と大使館へ見学に行ったが、ちょっと普通の展示会とは変わっていた。大使館中庭でコントラバスによるセルビア曲の独奏を立ったまま聞き、手作りの木製の箱の中へ入ってひと時イヤホーンで解説を聴いたり、絵画自体が主に床屋と美容院を題材に描いているのが異色の感じがした。

 それにしても、山崎さんは今年になって一時帰国したのは3度目だ。元気いっぱいに明るく振る舞っているのが頼もしい。25日には、ともに鎌倉散策を楽しむ計画である。

2015年10月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3079.2015年10月18日(日) 日本共産党は変節したのか。

 去る15日に日本共産党の志位和夫委員長が、安全保障関連法案を廃止するために提唱する国民連合政府が実現すれば、日米安保条約の枠組みで対応すると日本外国特派員協会の記者会見で述べた。国民連合政府の対応として凍結すると条件付きではあるが、それにしてもあまりにもショッキングなアピールである。

 共産党が安保条約を一時的にも認めようとの考えには驚き以外の何物でもない。「ブルータス、お前もか」と尋ねたいほどのショックである。志位委員長の個人的見解でもなさそうだとすると、かなりの数の党員が賛成したというのだろうか。これまで「平和への道」として頑なにテーゼを守って来た、野呂栄太郎、徳田球一、野坂参三、宮本顕治氏ら党の先覚者はこの変節をどう受け止めるだろうか。そして党是はどうなるのか。とりわけ期間限定的な許容との条件付きであることが、これまでの共産党がイエス・オア・ノーとして潔癖性を打ち出し、妥協も許さなかった活動から見ると、とても理解することが出来ない。

 志位委員長の腹は、とにかく戦争法案とされる安保関連法案を廃案するためには、何でもやるぞとばかり従来の党是を脇に置いてでもやろうとの意思と受け取れる。妥協を許さない党員は果たしてこの委員長の決断を是とするのだろうか。野党連合を組もうとしている相手の民主党内には、共産党との連携には後ろ向きである。

 我々が1960年に安保条約改定反対の旗印の下で安保闘争を戦ったが、その岩盤をしっかり支えてくれたのは日本共産党ではなかったのだろうか。大学にはライシャワー米大使、浅沼稲次郎・日本社会党委員長、自民党から藤山愛一郎外相らに交じって日本共産党から伊井弥四郎氏が来られ、間もなく暗殺された浅沼委員長と伊井氏は、安保改定は絶対阻止しなければいけないと絶叫調で訴えていた。間近にいて彼ら大物のスピーチに圧倒されたものである。

 それにしても共産党の現役委員長がよく言うよと言葉もない。確かに最近の共産党は社民党の退潮もあって党勢の伸長が著しい。だが、だからと言ってそれは自分たちの思想や訴えが必ずしも国民の支持を得たというわけではないと思う。それを誤解してなりふり構わず党勢拡大のためのチェンジ・オブ・ペース的なジェスチャーだとしたら、幻滅を感じるだけだ。

 実際いくら志位委員長の考えを聞いたところで、こればかりは素直に納得出来るものではない。共産党はこれまで通り腰を据えて、信念を曲げずに是は是、非は非として国民のため、平和のために闘うべきである。

 第3次安倍改造内閣の閣僚として閣内へ取り込まれた、原発再稼働反対だった河野太郎・国家公安委員長も変節の人と考えざるを得ないが、就任後記者会見で九州電力川内原発2号機の再稼働についてコメントを求められると、「担当大臣(経済産業大臣)に聞いて欲しい」とさらりとかわして自説を述べることはなかった。共産党も河野大臣と同じ穴の狢でなければ好いがと思っている。

 それにしても、あの日本共産党が日米安保条約を容認するとは、思いも寄らないことだった。時代も変わって人物も変わったのだなぁと思うとともに一抹のやりきれなさと不安を感じる。

2015年10月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3078.2015年10月17日(土) 呆れ果てた大手企業のモラル

 技術の日本、テクノロジー日本、ものづくり大国とか、或いは真面目さ、熱心さ、信頼感とか日本の技術水準や仕事に対する真摯な姿勢、取り組み態度に関する評価は海外で広く認められ、我々も自覚している。ところが、つい最近横浜市内のマンションで施工不良により建物が傾いたことが明るみに出て深刻な問題となっている。商業的にはもとより、道徳的にもないがしろに出来ない問題である。これは2006年に大手不動産会社・三井不動産レジデンシャルが、販売した大型マンション4棟の内1棟が、基礎のくい打ち工事の手抜きによりマンションが少し傾いた事案である。くい打ち自体が地下の強固な地盤に達していなかったことが明らかになったのである。

 更に補強のためのセメント量を改ざんした疑いも出てきた。販売業者から元請会社、基礎工事施工会社まで幾段階かに亘って工事が行われたが、すべて大手企業、乃至はその子会社である。当然徹底した教育を受けた社員が高いモラルを持って工事に当っていたと思われる。それが購入者である顧客住民を欺き手抜きをやっていたとは、呆れ果てて住民に同情するばかりである。どうして信用のある大手企業がこんな騙し打ちのような工事計画と杜撰な工事を行うのだろうか。

 今回業者の不正については、今全面的な建て替え工事を前提に会社側と住民との間で、話し合いが行われ保障問題が話し合われている。だが、これとて中々一筋縄では行かない。建て替えするにしても、基本的に所有者の4/5以上の同意が必要である。仮に建て替え工事を行うにしても、3年程度の時間がかかり、その間別の場所へ移住しなければならない。付帯経費も無視出来ない。ことほど左様に意図的な不祥事による報いと費用負担、心労は馬鹿にならない。

 加えて別途明らかになったのは、大手タイヤ・メーカーの東洋ゴム工業の不祥事である。この会社は3度目のスキャンダルというから極めて悪質である。

 海外ではフォルクス・ワーゲンのディーゼル車排気ガス不正が、世界中に車への不信感を撒き散らしている。どうして世界的にも有名な大手企業が、このように顧客を欺くような不良商品を製造し販売して自らを貶めるようなことをやるのだろうか。情けない限りである。

2015年10月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3077.2015年10月16日(金) 原発再稼働の流れが始まった?

 昨日鹿児島県薩摩川内市にある九州電力川内原子力発電所で2号機が再稼働された。この2号機は、8月の第1号に続く国内再稼働第2号でもある。この後、高浜、伊方、玄海、大飯、美浜が後に続く模様である。原子力規制委員会が安全基準を満たしていると判断してから、政府、並びに各原発はどうも急いで再稼働の流れが加速しそうな様子が窺える。だが、福島第1原発事故以来原発の危険性が知られるようになり、原発再稼働に対する国民の目は厳しくなっている。

 ほとんどの国民には原発や放射能の安全性に対する不安がどうしても抜けきれない。原発自体への不安も去ることながら、近年特に心配されているのは、頻繁に火山噴火の兆候が窺え、一層不安感を増幅させているからである。

 核のゴミ自体について言えば、福島第1原発事故で放射性物質が拡散し、土などに付着した廃棄物が核のゴミとなり、その処理が宙に浮いた状態になっていることが不安を煽っている。そのゴミの処分場が中々決まらず、福島県内の各地域の仮置き場に保管されたままである。

 今最も気がかりなのは、原発再稼働によって新たに発生する放射性廃棄物の処分である。中でも最も厄介なのが高レベル放射性廃棄物である。原発で使用した核燃料からプルトニウムなどを取り除く再処理の際出る廃液である。これが何と数万年に亘って強い放射線を出し続けるために、その廃液とガラスを混ぜて固めてステンレス製の円筒型容器に入れ地下深くに埋める。具体的には地下300m以上深くに10万年の長い年月を隔離する考えであるが、その処分場選びが一向に進んでいない。一括保管される中間貯蔵施設、更に最終処分場の場所ははまったく決まっていないのである。

 このように処分方法が行き詰まった中で、新たに危険な原発を稼働させ、放射性廃棄物を増やすのは、あまりにも後世世代のことを考えず、そのツケを将来に回す無定見なやり方ではないだろうか。電力は必要だと主張する再稼働賛成派の人たちは、一体この事態をどう考えているのだろうか。

 近年自然現象の台風、地震、津波、火山爆発等々の他にも原発施設を脅かす現象が増える可能性がある中で、敢えて原発再稼働を推進しようという無思慮な考えにはとても賛同出来ない。加えて上記のように、稼働によって排出される核のゴミの処分問題がまったく解決されていない。現時点で危険な方向へ向かって着実に進んでいる。

 川内原発再稼働についてコメントを求められたノーテンキな菅官房長官は、新基準に適合すれば再稼働の方針であると平然と述べた。安倍内閣は、原発再稼働を推進することをはっきり明言している。

 他にも節操のない人事として顰蹙を買っているのが、これまで原発再稼働に反対していた河野太郎衆議院議員が、第3次安倍改造内閣で大臣の椅子欲しさの腹の内を見透かされて政権側に取り込まれてしまったことである。変節した河野新国務大臣は国家公安委員長に就任すると同時に、行政改革と防災も担当するのである。仮に原発事故が発生すれば、防災面で指揮を執る立場である。そのトップが信念を捨てて大臣の椅子にしがみついた人物とは驚きである。国民の心配なんかどこ吹く風なのである。政治家は目の前にお土産をぶら下げられれば、つい理性なんていとも簡単に消えて手を伸ばす。原発再稼働問題の渦中にも政治家の愚かさと欲得、利己主義だけが目に見えてくる。これだから政治家は信用ならない。

2015年10月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3076.2015年10月15日(木) 「世界記憶遺産」登録で顕れた日本人の狭量さ

 このほどユネスコの「世界記憶遺産」に、日本から2つの貴重な資料が登録されることになった。いずれも京都府内にある舞鶴引揚記念館に所蔵されている「シベリア抑留・引き揚げの資料」と、世界遺産・東寺が伝えてきた「東寺百合文書」である。

 シベリアについては、遺骨収集業務の下見調査のため1992年にチタ、ハバロフスク、イルクーツク等の日本人抑留者流刑地を訪れ、寂しい荒野における厳しい環境と気候を実感し、抑留者の辛い気持ちと厳しかった拘留生活を慮ったものである。東寺は近くの平安中学2年在学中に度々遊びに出かけた。その意味では記憶遺産と直接関係があったわけではなく、触れることもなかったが、2つともまったく縁がないというわけではない。

 それらの文化的財産が世界的に認められ、価値のある記録として残されることは素晴らしいことであると考えている。併せてこれらの遺産と同時に中国・南京にある南京博物館に保管されていた旧日本軍による「南京大虐殺の記録」も登録されることになった。これについては、中国の登録申請が明らかになった時点で日本政府は、日中間で様々な見解の違いがあり、申請資料は中国の一方的な主張に基づいているとして懸念を表明してきた。最大の問題は、日中双方が主張する虐殺された南京市民の数である。日本政府は、行為があったこと自体は否定出来ないと認めているが、犠牲者数は認定出来ないとの立場である。一方中国側の言い分は、犠牲者数を30万人以上と記した南京軍事法廷の判決書に準拠している。

 どちらの主張も正確な数字に確たる証拠はないというのが実態である。中国には、戦後アメリカ政府が原爆投下による日本人死者の数を大きく報道されないために、中国が南京事件の犠牲者の数を上積みしたことに目をつぶっていたと言う説もあるくらいである。

 先ごろ経営委員を辞めた作家・百田尚樹氏を安倍首相に媚を売る放言家としてあまり信用していないが、その名の通り氏の近著「大放言」によると、1937年旧日本軍が南京占領した当時の南京の人口は20万人で、それは資料として残っているという。それにも拘わらず虐殺された市民が30万人もいたというのは理解出来ないという。しかも、中国側が当初主張していた犠牲者の数はもっと少なかった。それがいつの間にか30万人以上という考えられない数になったという。この点については、確かにもっと精査する必要があるような気がしている。

 ところが、これとは別の問題が派生しつつあるのが気になる。それは、中国の南京虐殺の資料が登録されたことに対して、菅官房長官が不満の意を表し、あまつさえユネスコを非難したうえで、日本からユネスコへの拠出金を取り止めることも検討するという短絡的な考えを世界へ向けて公表したことである。自分たちにとって不本意であるとの思いだけで、これまでユネスコに協力し、拠出金もアメリカに次いで多い資金を一刀両断の下に切り捨てようと言うのは、いかにも狭量で世界中の物笑いの種に成りかねない。実際イギリスのメディア辺りから早くも批判的なコメントが出されている。

 国内からも良識的な意見として、登録承認と資金拠出は別次元の話ではないかとか、資金拠出凍結をするようでは文化国家とは言えないとごく当然の意見が出ている。政治家というのは、いつまで経っても世間知らずのまま未熟で成長しないものだと改めて知らされることになった。国のスポークスマンである官房長官には、もう少し理性的であってもらいたい。

 さて、高尚なディナー招待券をいただき、今夜は妻ともどもさるレストランへ出かけた。自宅近辺のバス停から東京駅南口行の都バスで一直線である。向かった先は丸ビル36階にある三つ星イタリア・レストラン「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」で、ミラノに本店を置く高級レストランである。店の名前も初めて聞くものでやや長たらしく、とても一度には頭に入らない。スリランカの首都スリ・ジャヤワルダナ・ブラ・コッテや、オランダ水泳界のヒーロー、ピーター・ファンデン・ホーヘンバンドと同じ類である。

 しかし、流石に三つ星レストランである。料理の見栄え、味、おもてなし、ムード、ロケーション、すべてに満点で、ひとつひとつじっくり味わうことが出来た。ボリューム的にも問題なく久しぶりに美味しいディナーを楽しむことが出来た。普段高級食を食べる機会はあまりないが、偶にはデラックスな食事も好いものだ。

2015年10月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com