充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3224.2016年3月11日(金) 東日本大震災から5年
あの惨い東日本大震災から今日でちょうど5年が経過した。各地で犠牲者を悼む追悼式が行われた。都内で開かれた政府主催の追悼式典では、天皇、安倍首相が追悼の式辞を述べられた。死者、行方不明者合わせて2万人を超える犠牲者である。このところ連日のように、各被災地の当日の様子や、その後の復興具合、家族を失った悲しみの遺族の様子、街の現状、等々についていろいろな角度からドキュメント風に伝えている。今日は朝から夜遅くまでスタジオから、現地から生放送で生々しい当時の様子を伝えている。改めて震災の恐ろしさ、自然の驚異を思い知らされる。
5年前までわれわれは地震、津波の恐ろしさについて、あまり真剣に考えていなかったのではないかと思う。そのため地震への備えが、必ずしも充分ではなかったのではないだろうか。被災者は口を揃えて、日頃から地震が起きたらどうすべきかということを常に考えておくべきだと言っている。確かにそうだと思うが、そうは思えども恐怖を身近に感じないと備えをするという心境には中々ならないものだ。
気の毒なのは、まだ遺体が見つからず行方不明になっている人たちの家族である。再起への力が湧いてこないと半分諦め、その一方で、今もなお、もしやどこかに生きているのではないかと一縷の望みをかけている遺族もいる。行方不明者の数は、3千名近い。
被災地はどこもまだまだ復興途上にある。1日も早く街が復興し、遺族の人たちが立ち直られるよう願っている。
さて、今日は麹町の日本海事センタービルで、NPO法人JAPAN NOW観光情報協会の観光セミナーに出席した後、理事会に出席した。観光セミナーは副理事長・JR東海相談役の須田寛氏が講師を務め、「『駅名』と『列車名』を考える」と題して、専門的な立場からユーモア溢れる話をされた。
その後理事会が開かれ、5月の総会に向けて、今年度の決算案と来年度予算案について議論した。その後にJN協会の今後の行き方が話し合われた中で、「城と観光」をテーマにフォーラムの開催について提案と検討がなされた。今や歴史ものブームが地域に観光客を呼び込むひとつの流れになりつつある。幸い大河ドラマ「真田丸」高視聴率の影響を受けて戦国武士が注目されている。そこで、JN協会員である長宗我部家17代目当主・長宗我部友親氏と甲斐武田家16代目当主・武田邦信氏に対談してもらい、それにオプションを付けて浅井長政が城主だった滋賀県長浜市フォーラムを開催してみてはどうだろうかと提案が出され、前向きに検討することになった。
3223.2016年3月10日(木) 高浜原発3、4号機に運転停止の仮処分
昨日大津地裁は関西電力高浜原発3号機、及び4号機の再稼働に反対する住民の訴えを認めて、運転差止めの仮処分決定を下した。2基はいずれも昨年4月に福井地裁の運転差し止め仮処分決定で運転を取りやめていたが、12月に関電の保全異議が認められ、今年に入ってから再稼働していた。だが、この大津地裁の判断により再び運転することが出来なくなった。裁判長は断層の調査が徹底的に行われておらず、安全上の余裕を取ったとは言えないとして関電の説明では不十分としている。これにより、再稼働したばかりの高浜原発3号機は今日運転を停止したが、4号機はお粗末にも再稼働したばかりの29日に変圧器周辺のトラブルで原子炉を緊急停止していた有様である。
稼働中の原発に運転停止が示されたのは初めてである。これで再稼働中の原発は、鹿児島県川内原発の2基だけである。いくら設備について原子力規制委員会から安全とのお墨付きが出ても、周囲環境に地層などの問題がないのかという点でイェロー・カードを示された。これからも電力会社と地域住民との間でトラブルが起きたりするのだろう。実は、この高浜原発は地形上福井県に位置している。だが、これは隣接県滋賀県民が訴えた裁判である。これまでにも京都府民から地元住民とはどこを指すのかとの疑問が上がっていた。高浜原発がほぼ京都府との境界線上に在るからである。行政による線引きで事足りるのかと、同じ県内でも原発への距離によって異なる声が出ていた。今度の裁判所の判断は、所属する県だけでは、必ずしも地元とは呼べないということを示唆している。その意味で電力会社は今後地元の意見を配慮する場合、どれほどの地域を地元と考えたら良いのかと新たに考えなければならないと思う。
それにしてもトラブル続きの原発稼働である。この高浜原発運転停止が、今後他の運転中止中の原発再稼働にどんな影響を与えるだろうか。それでも政府は原発再稼働を進める方針に変わりがないと言っている。この負の影響のせいだろうか、今日の東京株式市場では日経平均株価が軒並み上がっている中で、関電株式のみ一時17%も下落した。
さて、今日は東京大空襲から71年目の1日でもある。B29爆撃機300機の空襲により約10万人の人々が犠牲になり、約27万戸が焼失したと言われている。とかく明日の東日本大震災の日に目を向けがちになるが、ともに忘れてはいけない運命の日である。
昨日朝日朝刊の「オピニオン&フォーラム」に、東京大空襲に遭い、それに関して数々の著作を残している作家・早乙女勝元氏が今年も「忘れてならぬ3.10と3.11」と投書で訴えている。因みに早乙女氏は毎年この時期になると被災体験について朝日に投稿している。
3222.2016年3月9日(水) 皇室典範が女性差別?
昨日取り上げた国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)が日本に対して提示した見解は、日本人の理解や観念からすれば、首を傾げる内容がかなりあった。その中で委員会はこんなことも勧告し、事前に日本政府がクレームをつけて何とか撤回させた一項もあった。
それは最終見解案に、男系男子による皇位継承は女性差別に当たるとして、皇室典範の見直しが盛り込まれていたことである。国連の一組織として影響力が強い委員会が、誤解も含めてどうしてこのように無秩序で不正確な知識や情報だけを拠りどころに、拙速に長年国家が延々と継続し、その国民により受け入れられている制度を大上段から糾弾しようとするのか理解に苦しむ。
確かにヨーロッパの王室などでは、女性が王位に就くことを認めている。だが、それは国民の間で長い伝統の中で自然に根付いた制度である。わが国の皇室典範も男子が皇位を継承するというのは、庶民の家長制度など日本的な風習などがその根っこにあり、決して女性蔑視から生まれたものではない。
今回は、日本政府が直ちに手続き上問題があるとして公式に反論したため、皇室典範の見直しは最終見解から削除された。それでも当初は、委員会の見解案は2月に行われた日本に対する審査会では皇室典範が議題にならなかったことから、日本政府が審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題があると抗議して委員会は最終的に皇室典範に関する記述を削除したという。委員会は必ずしも納得したうえで皇室典範が女性差別であるとの見解を撤回したわけではない。
しかし、日本を取り巻く環境は、例え長年定着した文化面であれ、伝統面であれ、このようにだんだん風当りは厳しくなっている。現実にいま国連では、この他にも子どもの人身売買、児童売春、ポルノなどの他にJK(女子高校生)ビジネスについても不正確で不十分な報告を基に、国連人権理事会に勧告書が提出されている。これらの日本に対する曲解や誤解などに、今後どのように対処していくべきだろうか。
3221.2016年3月8日(火) 国際的な見方と考え方は千差万別
「選択」3月号には中国関連レポートが大分載っている。主に中国に対して批判的な記事が多い。記事への批判とは別に、その中のひとつを読んで意外なことを知った。今年2月のアメリカ上院本会議で首を傾げるような法案が全会一致で可決された。それは、首都ワシントンにある在米中国大使館の一角をノーベル平和賞受賞者で、獄中にいる反体制作家・劉暁波氏にちなんで「劉暁波プラザ」と改称することを定めた法案である。これを提案したのは、いま大統領選に立候補している共和党のクルーズ氏だそうである。
私が意外に思い驚いだのは、いくらアメリカ国内の土地の一隅とは言え、件の「プラザ」がこの外国大使館内だとすれば、明らかに治外法権が認められている用地内である。はっきり言っていかにアメリカの公権力であろうとも簡単に手出しは出来ない筈である。対中国外交において大きな波風を立てたくないアメリカ政府筋としては、恐らく大統領特権である拒否権の発動により、法案を承認しないであろうが、好奇心を掻き立てる法案である。どうなるのか、興味を持って見守りたい。
さて、昨日国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)は、日本政府に対して女性差別撤廃条約の実施状況を審査するための勧告、及び見解を公表した。
その要旨は3点ばかりある。ひとつは、昨年最高裁が合憲とした「夫婦同姓」について「女性に夫の姓を強制している」と訴えた。第2点目は、国会議員や企業の管理職など指導的な地位を占める女性の割合を2020年までに30%以上にすることを要求した。第3点目は、慰安婦問題の責任を巡る指導者の発言や日韓両政府が昨年12月に結んだ合意は、被害者中心のアプローチが十分とられていないので、被害者の意向を考慮するよう求めた。その他にも付随した勧告条項がある。
これらについては、日本政府がまだコメントを出していないので、論評のしようがない。ただ、わが国は昨年女性活躍推進法が成立して、女性の地位向上へ向けた動きを活性化させようとしている時だけに、これらの指摘をどう受け止め、日本の立場をどう国際社会へ説明し納得させていくのだろうか。
ただ、これらは概ね理解出来るが、これらの指摘の中で必ずしも素直に納得出来ないのは、第1の「夫婦同姓」についてCEDAWが、結婚後妻が夫の姓を強制的に押し付けられているとの指摘は、現時点ではやや的外れだと思う。他の国にも見られるように結婚後、夫妻ともに旧姓をそのまま名乗る伝統の国は数多い。これに対して日本の場合は、法律により夫か、妻のどちらかの姓を強制的如何に拘わらず名乗っている。また、古来から男が家長だった伝統もある。日本の社会では、現在まで一部の例を除き、この旧習を踏襲してきた。必ずしも男尊女卑から生まれた制度ではない。
果たして文化が全く異なる外国人の目から見た「男が女に姓を強要した」との短絡的な見方は、現代の時流に即した自由で公平なものであるかとの見地から見て些か疑問を感じざるを得ない。
3220.2016年3月7日(月) ‘芸術は爆発だ!’岡本太郎氏を想う。
昨日に続き、テレビ番組感想記である。昨晩放映のBS朝日の2時間番組「滝川クリステルが巡る美術ミステリー紀行!ピカソ&岡本太郎描く巨大壁画に隠された謎」を、懐かしく思いながらじっくり楽しんだ。
実は、ピカソと岡本太郎の間には、以前から何となく接点があるのではないかと思っていた。ある1枚のピカソの絵に衝撃を受けた若かりし太郎が、その後ピカソの面影を追うようにパリで真剣に研鑽に励み後年になって南フランスで憧れのピカソと対面し啓示を受けることが出来た。パリ大学留学中に激しい軍国主義の動きが風雲急を告げ、戦争間近くの慌ただしい空気の中で、太郎は辛うじて最後の船で帰国することが出来た。だが、間もなく太平洋戦争が勃発して太郎は徴兵され、中国戦線へ派遣され、そのために絵の修行にとって大切な5年間を無駄に過ごすことになり、そのことを太郎はいつまでも悔やんでいだ。
ドキュメントでは、大阪万博の「太陽の塔」やベトナム反戦広告について解説、或いは談話で紹介されたが、なるほどと頷けるものがあった。偶々岡本太郎氏と義父は、同じ同級生の藤山一郎氏らとともに慶応義塾幼稚舎以来竹馬の友として終生親しくお付き合いしていた。ある時保護者会で太郎の母上、岡本かの子女史からチリ紙で鼻を噛んでもらったと義父が話してくれたこともあった。あの「太陽の塔」で使用されたアルミ製品はすべて、義父が会長を務めていた日本軽金属㈱製のアルミだった。それも2人の友情の証であろう。
また、太郎はベトナム反戦運動にも理解を示して「ニューヨーク・タイムス」紙にべ平連が全面反戦広告を掲出した際、日本語で「殺すな!」と揮毫を書いてくれた。それは、昨年ベトナム戦争終結40周年に当たり都内芝公園で集会を行った時、べ平連の中心人物のひとりだった小中陽太郎さんが持参してくれた。反戦運動の仲間たちが一緒に写真に納まり、それが翌日の「ジャパン・タイムス」紙に掲載されることになって、義父を通して岡本太郎氏と少なからぬ因縁があった私も、小中さんや岡本氏の揮毫とともに英字紙上に活動と存在を世に発信することになった。
とても凡人には真似の出来ない言動をした逸材・岡本太郎氏であるが、常日頃よりそのエネルギッシュな行動力と、権力に屈服しない強い信念に尊敬の念を抱いていた。義父がつないでくれた小さな縁だったが、たった1度だけ電話でお話ししたことが、今では宝物をいただいたような思い出となっている。
全編を通して2時間はやや長いドキュメントであったが、フランス語の達者なガイド役のクリステルさんが、ピカソに所縁のある場所を丁寧に案内し、上手に説明してくれ、お陰で岡本太郎氏と同時に亡き義父を偲ぶことが出来た。中々興味深いドキュメントだった。