ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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3249.2016年4月5日(火) 若者が本を読まなくなり、書籍が売れなくなった。

 単行本や雑誌の売り上げが近年急速に落ちているようだが、それにはいくつか現代的な原因があると思う。その最大要因に若者が書物を読まなくなったトレンドがある。それに近年若者が溺愛しているスマホ利用者が増えて、書物まで電子書籍で読む人が増えたために、書店で購入する人が減っていることが大きいようだ。

 実際書物を読まない若者が増えたことは事実のようで、この傾向が進めば文系の学生はどうやって頭を鍛えるのか、特に創造性を養うには他にどんな有効な手段があるか分からなくなる。いま「吾輩は猫である」が、漱石没後100年記念として朝日新聞に再連載されているが、中学生のころに岩波文庫で読んだ時以来の記憶を呼び戻しながら、楽しんで読んでいる。細かいことは記憶の彼方であるが、ところどころ思い出してはひとり悦に入っている。やはり若い頃に良質の文学作品を読めば、必ず自分に還って来る。

 さて、このように書物が売れなくなっている昨今であるが、岩波書店が発行している隔月刊誌「文学」が、今年の11月、12月号で休刊になるという。これまであまり読んだことはないが、創刊が1933年というから歴史と伝統のある雑誌で、日本文学の発展に貢献してきたものだ。誇り高い岩波書店としては、休刊は苦渋の決断だったろう。

「文学」は三島由紀夫らも執筆した、最新の文学研究の成果を普通の読者に紹介する雑誌として必ずしも堅い雑誌としてではなく、幾分大衆的な雑誌として親しまれてきたが、岩波では大学での文学研究に逆風が吹いている状況を考慮したという。これには、昨年文科省が「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院は組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に取り組んでほしい」と国立大学の文学部不要論を唱えたことから、文学への興味と関心が一層薄れると考えられたのではないか。更に販売部数が減少したことを大きな休刊の理由として挙げている。

学生時代に岩波の「世界」や、思想の科学研究会の「思想の科学」(1996年廃刊)をよく読んでいたが、流石の岩波も時代には勝てなくなったのだろうか。せめて岩波には「世界」だけでも守ってもらいたいものである。

2016年4月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3248.2016年4月4日(月) 思い上がるメディア、朝日新聞とテレビ東京

 自称「メディアの天下人」朝日新聞と「成り上がりテレビ局」テレビ東京の両社と、不毛とも言えるバトルを開始してから好い加減時間が経つ。朝日は昨年6月からだから大分長い闘いとなっている。昨年6月5日付一面記事「高齢者の地方移住を」が端緒である。この表現がお年寄りを軽視、侮蔑してお年寄りに失望感を与えている。「朝日姨捨山説」たる所以である。私の知る何人かのお年寄りも、がっかりし憤然としていた。

  爾来この朝日とのバトルを続けて来て分かったことがいくつかある。自らを「朝日人」と名乗る朝日新聞という種族は、常識では考えられないほど、自分たちは他の人間とは違って秀でた選民で、偉いのだと自惚れきっていることである。こんな気持ちでよくぞ世知辛い世間を生き抜いていけるものだと呆れている。傲岸不遜も極まれりで、前記記事に関して高齢者を愚弄していると指摘したところ、記事内容は自分たちの考えではなく、日本創成会議が打ち出した提言をそのまま掲載したもので高齢者を愚弄する気はないと責任転嫁し、それなら誤解された朝日としては不本意である筈だから自社の独自の社論を提示すべきだと再び回答を求めると、以降一切応えようとしない。さらに、いくつかの朝日に関する質問と、朝日が報道しなかったり、他社に後れを取ったニュースについて質問すれば、流石に恥ずかしいのか、応えがない。何とかしてこのバトルを停止するには、回答を出さず無視を決め込むことだと愚かにも信じていることである。

 私が直接社長に会いに行き話をすると言えば、それだけは断ると回答がある。9.11同時多発テロ1ヶ月後の朝日全面のレポート内容がメディアのリーダーらしからぬお粗末さだと具体的に指摘したことに対しても、ひたすら黙秘し、抗弁もしない不条理さでよくぞ今日までメディアのリーダーと傲慢にも名乗れたものだ。

私もいくつかの対抗策を考えているが、そのひとつとして先月末スポンサー健康食品企業5社社長に宛て、簡単な経緯を書いて高齢者を侮辱する朝日には広告掲載を止めることをお願いする書状を送付したところである。この結果次第では次の手として、第2の矢、第3の矢を放つつもりである。

 テレビ東京は、昨年10月1日に放送したニュース番組「アンサー 潜入テレビ初!飢餓の島で見た戦争」を放送して以来のバトルである。同ニュースで戦没者遺骨収集事業に対して誤解と事実誤認の報道内容と、事業に関わった旧厚生省、遺族会、戦友会や遺族を傷つけるような内容について私自身も同事業に関わったひとりとして強く抗議した。

また、昨年12月30日「日本人として知っておくべき戦後の51人」番組放送中に「湯川秀樹博士がノーベル賞を2度受賞した」とか、「湯川博士が亡くなって14年が経った(実際には放送日時点で34年)」と好い加減で致命的な誤報に対して、訂正を求めた。

だが、いずれも不誠実で前者については言い訳、後者については無視するばかりである。これについて対朝日同様今後スポンサー企業に事実を伝えることを考えている。現在すでに放送倫理・番組向上機構(BPO)に2度質問しているが、音沙汰がないので、これからBPO放送倫理検証委員会委員長に宛ててテレビ東京の不誠実な対応について書状を送るつもりである。

 いずれにせよ、言論の自由の重要さについて天下の朝日も、テレビ東京も偉そうにほざいているが、まったくその気もなく、誠意の欠片もなく一読者、一視聴者の声なんて歯牙にもかけないスタンスで、あまりにも傲岸不遜である。メディアなんて所詮こんな非常識なものなんだろうか。これなら反って相手にとって不足はないと思っている。

2016年4月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3247.2016年4月3日(日) オバマ大統領は被爆地広島を訪れるか。

 ワシントンで50ヶ国以上の首脳が出席して開かれていた核セキュリティ・サミットを終え、安倍首相は今日帰国した。具体的な成果は見えにくいが、ここでも中国の習近平国家主席が大国としてその存在を訴えるべく核テロの脅威に対して国際的な協力を積極的に推進していくと表明した。

 同時に中国には、世界の電力需要を見込んで原発の海外進出戦略を進める狙いもある。サウジ・アラビアやアラブ首長国連邦、南アフリカなどへ安く安全性の高い原発施設を売り込もうと習主席自らこれらの国を訪れている。だが、中国内では原発施設の建設が始まってまだ時間が経っておらず、事故が起きた際のメルトダウンや放射性物質の大量漏出が起きる心配があると、世界の専門家は懸念している。

 口だけで言っているうちはいいが、実際さほどの経験があるわけではなく、単に自国の立場を高く見せるためだったり、事故の心配を漏えいするようでは、まだ世界へ販売外交は控えるべきだと思う。

 さて、核セキュリティ・サミットは終わったが、11日から広島で主要7ヶ国外相会合が開かれるのに合わせて、核保有国を含む7ヶ国外相が平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花することが決まった。各国外相は広島平和記念資料館も訪問する。今までアメリカの大統領と国務長官が訪れたことはなかったが、今回初めてケリー国務長官が訪問する。

 来る5月に開かれるG7首脳会議(伊勢志摩サミット)に訪日するオバマ大統領も広島を訪れるよう、関係者の間で現在調整が行われている。残り任期が少なくなったオバマ大統領が、核なき世界を華々しくアピールし、ノーベル平和賞を受賞した就任当初に比べて、核撲滅へのメッセージが幾分輝きを失い、やり残したことが多いと言わている。その中で、核廃絶への姿勢を訴える点では、被爆地広島を訪れ、各国首脳とともに核兵器のない世界を目座すとのメッセージを発することはオバマ大統領にとってタイムリーであり、大統領の功績としてもプラスに左右すると思う。

 原爆投下は戦争の早期終結のためには意味があったとして、原爆投下の正当性を主張する多くのアメリカ人の気持ちをどう核のない世界へ気持ちを向かわせるかということが求められているのではないか。

2016年4月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3246.2016年4月2日(土) 小中陽太郎さんがペンを退会?

 小中陽太郎さんのあまりにも唐突な日本ペンクラブ退会届にはびっくりした。もちろん理事も辞めるという。「びっくりぽん」である。

今日は花曇りでやや寒いとの天気予報が出ていたが、前々から京王線仙川駅近くで恒例の花見をやろうとお誘いを受け楽しみに、待ち合わせ時間に京王線調布駅へ出かけた。男女7人が向かった先は、深大寺だった。わが家からそれほど遠いわけではないが、訪れるのは初めてだった。近くの神代植物公園周辺ともども、まさに桜は満開だった。

 その後小中さんが理事長を務めている仙川駅近くの一般財団法人プラザ財団へ行き、ドイツ在住のアーチスト近藤愛助氏の写真展示を拝見した。曾祖父が戦後アメリカの日本人収容所に抑留されていた記録を写真に収めたものだった。その後インド・カレー店で会食となり、そこで小中さんが正式にペン退会について浅田次郎会長宛退会届コピーを示され、退会を決意した事情と経緯を説明された。

今のペン執行部のやり方には、かねがね不満を漏らしていたことは、われわれペン会員は承知していた。それらについて再三に亘って質問し、理のある説明を求めてきたが、その都度言い逃れられてしまった。中々改革が前へ進まない。問題はペンの不明瞭会計であり、それを許す事務局の慣れ合い体質である。ペンの財布から資金がどんどん無くなり、国際ペンへの貸付金と対応や、著作権問題の不誠実な処理、理事選出問題、等々不透明な問題が吹き出している。それを良識派の小中さんが追及してきたが、姑息な浅田次郎会長以下執行部が不十分な説明で追及を逃れようとしている。小中さんも長年問題点を追及してきたが、もう手に負えないと投げ出したように思える。

折角昨年の理事選挙で改革派としては、それなりの成果を挙げて漸進的にあるべき方向へ踏み出したばかりである。ここで親分に匙を投げられては、子分としては思案投げ首である。今日参加しなかった常務理事の大原さんを交えて今後の対策を考えなければならない。

 それにしても小中さんも随分思い切ったことをやるなぁという気がしている。これほどの大決断をされるなら、前以って一言われわれにも相談していただきたかったというのが本音である。とにかくあまりのショックに呆然としている。

2016年4月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3245.2016年4月1日(金) 女子中学生誘拐事件に見る意外な判断

 今日から新しい年度が始まる。新入社員の入社式が行われたり、地方では小学校の入学式が行われたところもある。その名の通り、フレッシュマンはいつまでもフレッシュマンでいてほしいものである。

 さて、数日前に2年間も行方が分からなかった埼玉県朝霞市の女子中学生が都内東中野の警察に身柄を保護された。突如姿を現した少女と2年間もアパートに拉致していた大学生の事件をメディアは重点的に伝えている。この事件は、大学生によって誘拐され、拉致されていた女生徒が東中野のアパートから逃げ出し、公衆電話を使って警察に助けを求め保護されたものである。誘拐された時中学1年生だった生徒は、本来ならこの3月に義務教育を終えて卒業する筈だった。その間両親は駅前でビラ配りをするなりして必死になって愛娘を探していた。2年間の誘拐は女生徒に大きな心の傷を負わせたことだろう。両親にとっても可愛い娘が戻ってきたことは嬉しいことではあるが、娘の心の傷をこれからケアして行かなければならない。

 犯人は国立千葉大学工学部の学生である。この学生は今月大学を無事卒業したばかりである。在学中カナダで語学研修と、ロスアンゼルスで軽飛行機の資格取得のために1年間留年して今年卒業した。随分余裕のある生活を送っているので、金銭目当ての誘拐犯というわけではないと思われている。今は逮捕され警察の取り調べを受けているので、追々事件の全容もはっきりしてくるだろう。

 ついては、この事件を通じて理解し難いことがある。それは「卒業」と「退学」である。「卒業」は、女生徒が在籍していた中学校が生徒に中学校の卒業証書を授与したことである。その生徒は1年間しか通学しなかったが、中学校の過程を終了し、中学生として身に付けるべき学力を有していると認められたことになる。あたふたと急いで卒業証書を与えたということは、朝霞市教育委員会と学校が卒業するに足る条件をクリアしたということである。だが、どうも素直に納得できない。女生徒は同情されることは分かるが、実際には中学校に1年間しか通わず、試験も受けず部屋に監禁されていたので、卒業レベルをクリアしているとはとても思えない。更に気がかりなのは出席日数が他の生徒に比べて精々1/3にしか過ぎず、決められた出席日数が不足しているのではないだろうか。どういう根拠で「卒業証書」を授与したのかさっぱり分からない。

 もうひとつの「退学」についても訝しい。犯人の千葉大学生は、この3月に必要単位を取得して卒業した。それが、千葉大では何を考えているのか、彼の卒業証書をはく奪して千葉大卒業生リストから削除しようとしていることである。これから対応については大学内で検討するらしいが、いかに不名誉で、大学の名を汚そうとも、在学中ならともかく卒業後に授与した卒業証書を取り上げようというのはいかがなものだろう。大学にとって許しがたい破廉恥な学生から、大学に在籍したという事実を永久に消し去りたいのだろう。いくら何でも大学側の幼児症的我儘ではないか。それなら、入学を認めなければ良かったということになるのではないか。

 この学生は、確かに大学にとってはお荷物学生・卒業生だろう。だからと言って、自分たちの都合だけで実際に学んだ学生の存在を排除してしまおうというのは、決して教育者のやるべきことではないと思う。

 ひとつの事件でも本質以外に想像を超えた理不尽なことが起こるものだということを、図らずも知らされた。

2016年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com