充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3402.2016年9月5日(月) マザー・テレサ女史が聖人に
貧しい人々を救済する活動に尽くしたとしてノーベル平和賞を受賞した修道女マザー・テレサが、ローマ・カソリック教会で「聖人」に認定され、昨日バチカンのサンピエトロ広場で行われた列聖式には多くの信者が集まった。
10日の淑徳大学講座で保岡孝顕講師の講義を聞くことになっているが、保岡さんはバチカンともツーカーの間柄でもあるので、様子を尋ねてみたいと思っている。
実はマザー・テレサ女史が亡くなられた1997年9月5日、偶々私はカナダに滞在していてケベック・シティからトロントへ移動した時その死を知った。しかし、6日前にドラマチックにもイギリスのダイアナ妃が不慮の事故死をされた。ダイアナ妃はパリ・セーヌ河沿いで8月31日早朝に突然の死を遂げたが、当時私が滞在中のバンクーバーでは時差の関係から西海岸ではその日は8月30日夜半だった。私は図らずも遅れた時差のせいでダイアナ妃の死を公式に8月31日とされている事故当日より1日早い8月30日に知るという珍しい体験をすることになった。
そして1週間後に引き続き世に知られた著名人のひとり、マザー・テレサ女史の死を知ることになったのである。それ以来偉大な修道女・マザー・テレサ女史について関心を抱くようになった。テレサ女史はインドのコルカタ(カルカッタ)地方で貧しい人々を開放するために献身的な活動を続けておられたが、元々はマケドニアの首都スコピエの出身だった。
世の中には他人のために自らの利得や自由を投げ捨ててまでしても奉仕活動する奇特な人がおられるが、そこまで自らを捨てて他人のために尽くす真心はどこから生まれるのだろうかと思うことが時にある。マザー・テレサ女史を知るにつけ、彼女の行為は普通の人間にはとても真似できるものではないと思う。世知辛い世においてそうまでする人々がいる反面、彼らとは正反対の言動を行う人たちがいることは周知のことである。利己主義、とりわけ自分の利益・利得のためにしか行動しようとしない人々(国家)である。その点では、訪れたばかりのキューバのフィデル・カストロやチェ・ゲバラらの行動は国民のために行ったものであることを実感した。
さて、今日北朝鮮がミサイル3発を発射し、日本海のわが国の排他的経済水域へ打ち込んだ。昨日、今日の2日間に亘って中国・杭州で開催されたG20サミットの開催に抗議するかのような駄々っ子ぶりである。今年に入ってから13度目、21発のミサイル発射である。世間から相手にされなくなった腹いせを外国へ迷惑をかけることによって憂さ晴らしをする心中は、普通の常識ではとても考えられない。
今日の会議で安倍首相は北朝鮮のこの暴挙について強く非難したが、思考能力が極端に劣化した北朝鮮のお坊ちゃま・金正雲総書記には理解できないようで、今後も同じような行為が繰り返される恐れがある。
いつまでこんな状態が許されるのか。現状では不満とイライラが高じるばかりである。現地のメディアからの報道では、安倍首相の非難に対して各国の反応が充分伝えられていないような気がする。この辺りも最近の日本のメディアらしく、的外れの報道が多いことを表しているのだろう。これも別の意味で問題である。
3401.2016年9月4日(日) 米中の協調と対立
このところ我が安倍首相は連日東奔西走の忙しなさである。プーチン大統領との会談を終えて昨日ロシアから帰国したと思ったら、今日は主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席のため中国・杭州へ向かった。
一方で、すでに1日早く杭州入りしていたオバマ米大統領は、昨日中国の習近平・国家主席と首脳会談を行ったが、2大国の間では協調と対立が改めて浮かび上がった。まず最大の協調は、地球温暖化対策における温室効果ガスの排出削減に対する国際ルール「パリ協定」について、米中がともに締結したと発表したことである。これまで頑なに排出削減に異を唱えていた2大排出国が一気に協定発効の可能性がほぼ固まった。
現在中国の温室ガス排出量は20.09%で、アメリカは17.89%であり、両国だけで世界全体の排出量の4割を占める。このまま放置したら地球はこの2大国のせいで汚染ガスにより覆われることになりかねない。まずまずほっとしている。尤も3.79%のガスを排出している日本は、この数字の実現性に中々自信が持てないらしく、実施期限が先延ばしされることを内心願っていたようだ。事実日本はこの協定を締結していないのだ。だが、イニシアチブを握る米中が一歩前進した現在これ以上もたもたしてはいられまい。
新ルールは2020年以降発効される。米中の実効性もともかく、日本としてもいち早く実現へ向けて対策を急ぐ必要がありそうだ。
さて、米中対立の最大の問題は、アメリカが南シナ海問題や人権問題を中国側に糺したのに対して、中国は自国の立場を主張し内政干渉の立場を譲らない。南シナ海問題は遥かに内政問題を踏み越えているにも拘わらず、自説の押し売りである。自分の立場でしか考えることをしようとしない中国の強引な中華思想には、世界中から顰蹙を買い、呆られるばかりである。
実は昨日もこんなことがあった。杭州空港に到着したオバマ大統領が搭乗したアメリカ大統領専用機、並びに同行者に対して中国側から異常に立ち入った干渉があったようだ。あまりに傲慢で常識的な慣例を無視した中国側の態度に、業を煮やしたアメリカ側担当者が抗議したところ、「ここはわが中国国内だ」と突っぱねたと言われている。どうして中国という国は、こうも傲慢な自己主張に凝り固まっているのだろうか。これではまとまる話もまとまらないのではないだろうか。G20は果たしてどんな成果を生み出してくれるだろうか。中国が議長国だけに会議の成果にどうしても懐疑的にならざるを得ない。
3400.2016年9月3日(土) ある友人の死
腰打撲の状態を診てもらうため、早速かかりつけの松本整形外科へ伺った。レントゲン検査で診断していただき、コルセットをつけて無理せず生活するようアドバイスを受けた。しばらくは窮屈な生活になる。
さて、帰って来てから随分訃報を知る。中学・大学の同級生・伊藤嘉信くんが肺がんのため、旅行に出かける前日の8月25日に他界されたことを別の友人からのメールで知った。ショックである。
伊藤くんの葬儀は旅行中の31日に執行されたと帰ってから知った。彼とは千葉県市川学園中学で同級だったが、2年生時に私は京都へ転校し、彼は千葉の地元中学へ転校した。偶々高校卒業後互いに2年間の浪人生活の末、同じ慶大経済学部に入学し、登山のアルペンクラブに入部するという稀有な再会を互いに喜び合った。在学中東北地方の飯豊連峰を縦走したことが懐かしい思い出であるが、その他にも一緒に南北アルプスや八ケ岳、秩父など他の山々にもよく登った。卒業後、彼はキッコーマン㈱役員として活躍され、また個人的にはマンズワイン㈱社長時代に山梨のマンズワイン工場を見学させてもらったことがある。長年気の合う友人として半世紀以上に亘って厚誼を深めてきた。2年前の拙著出版記念会には健康が勝れず出席してもらえず、しばらく会っていなかった。今日奥様にお悔みのお電話を差し上げたところ、3年前から肺がんで入退院を繰り返していたという。まったく知らなかった。好漢の死は実に寂しく残念である。
著名人としては、映画監督の松山善三氏、そして世界的にはチェコの元体操選手で一世を風靡したベラ・チャスラフスカさん、そしてウズベキスタン独立以来四半世紀以上に亘って大統領の職にあったカリモフ大統領が亡くなった。
この中では、チャスラフスカさんが強く印象に残っている。オリンピック東京大会とメキシコ大会の妖艶な演技で金メダル10個を獲得し、今の曲芸師のような演技とは異なり上品な演技でファンを沸かせた。家庭的にはあまり恵まれず、東京大会で400mに出場したオドンネル選手と結婚したが、その後別れ、その元夫が長男によって殺されるという悲劇を背負った。彼女を最も有名にしたのは1968年の「プラハの春」で反体制側を支援したため、その後厳しい生活を余儀なくされたことである。親日家で日本人にとっては五輪史上最も印象に残る選手のひとりである。数か月前に癌で余命を宣告されたが、いつまでも自分の意思を曲げずに行動し、思い通り自らの選んだ道を歩んだことはもって瞑すべしであろう。
人が去るのは世の宿命である。だが、身近な人、親しい人が手の届かないところへ行ってしまうのは耐え難い悲しみである。これを無情と言うのだろうか。
3399.2016年9月2日(金) カストロ、ゲバラに比べて自己顕示欲の強い安倍首相
とにかく機内が寒い。幸い隣の席が空いていたので、その座席の分とともに薄い毛布を2枚かけることができたが、それでも寒い。もちろんスェーターを着たうえでの感触である。私自身個人的な感想から言えば、以前に比べて機上の居心地は良くなくなったというのが率直な気持ちである。トイレの利用回数も増えたし、座席が窮屈に感じるようになった。それでもやはりあれこれあっても相変わらず楽しい気分に捉われるのも旅だからだ。
搭乗機ジャンボB777-300ERは確実に羽田へ向かっている。まもなくこの旅も終わるが、この次出かけるのは、いつ、どこへだろうか。今のところ自分自身でも見当がつかない。
今回お誘いを受けて幸い半世紀以上も前からの念願だったカリブ海のキューバを訪れることができた。キューバについては、革命を含めてカストロ前議長、チェ・ゲバラについて事実関係はほとんど知らなかったと言ってもいい。特に2人の人間性を含めて革命成功のための私利私欲とはまったくかけ離れた強い意思と高邁な思想、そして国民の福祉実現のためのあくなき思いには心を打たれた。これほどまでに国民のためを願って1個人が大きな目標である「革命」に2人3脚で取り組むことができるものだろうか。これだからこそ今以って2人はすべての国民から広く尊敬されているのだ。同じ革命家でもレーニン、スターリン、毛沢東らとは大きく異なる点だろう。
幸い今回事前の研究も含めて、現地で臨場感から身体全体で知った知識は計り知れないと思う。まだ見学して見たかった所もある。特に革命の大きな力となったメキシコからキューバへ乗り込んだグランマ号を見ることができなかったことである。健康上でも運悪く旅の最初にシャワーを浴びている際転んで腰を強打したために思うように動けなかったこともある。部分的には見たが、屋外のキューバン・ミュージック・ショーが降雨のため鑑賞できなくなってしまったことも残念だった。でもキューバで世界遺産も4カ所見学できた。これで訪問世界遺産は182カ所になった。見たこと、思ったこと等々について、いずれ近いうちに考えたことや感じたことを拙稿にまとめてみるつもりでいる。
今度の旅行で気分的に大分助かったのは、エア・カナダ機の利用空港が羽田だったことと、時間的に利用し易い時間帯だったことだ。昨夏孫を連れてサンフランシスコへ出かけた時利用した成田だと往復するだけでもかなり時間の無駄が生じる。その意味でもラッキーだったと言える。
帰宅してみると何と岩手県と北海道南東部を中心に台風10号が舞い戻って襲来し、多くの犠牲者が出ている。一方ウラジオストックを訪問中の安倍晋三首相は、ロシアのプーチン首相と会談し、12月にプーチン首相の訪日の約束を得た。そして会見の場が、首相の出身地・山口県だというのだからどういうつもりなのか。自己顕示欲の強さに呆れかえる。短期間の滞在に際して日本の政治的都市ではなく、自分の出身地に世界の要人を招こうというのだから首相自身の力の誇示であり、地元の日頃からの支持への恩返しではないかと思う。カストロやゲバラに比べて何とまぁ我利我欲と自己顕示欲が強いのだろうか。これでは彼らのように国民の信頼を勝ち得ることは到底無理だろう。
3398.2016年9月1日(木) キューバにお別れ
3時にモーニングコールを頼んでおいた。ベッドから起き上がる時に体調は大分良くなってきたが、まだ腰の辺りが痛む。それではと時間をかけてゆっくり動作を開始する。外は真っ暗闇である。チェックアウトして絵葉書を3通投函してもらおうとしたところ、この4ツ星ホテルでは取り扱わないということにはちょっとがっかりさせられた。それでは空港内で切手を買おうと思い6時前のこの早朝時だが郵便局は開いていないかとガイドのエライネさんに尋ねてみると、それも難しいといい、個人的に彼女に投函をお願いすることにした。一流ホテルなら宿泊客からのハガキ投函の対応ぐらい当然の業務だと思っていたが、それもお国変われば品変わるの類ということだろうか。ここは案内書か何かに注意書きとして書いてもらいたいものだ。
ハバナからトロントまで3時間余りの空の旅だったが、機内の寒さには閉口した。スェーターを着込んでも寒い。中には半袖、半ズボンの乗客も見かけられたので、きっと彼らも閉口する寒さだっただろう。往路と同じようにトロントでも一応入国検査を済ませたが、テロ防止対策とは言え、随分手間のかかることになった。
さて、トロントからは一路羽田へ向かう。この機内も寒い。今回の旅行はキューバという少々特殊な国だったので、かなり興味があったが、やはり革命の地を踏むことができて、カストロやゲバラの話を存分に聞き、カストロの生家やゲバラの住宅を見ることができたのは最大の収穫だった。もう2度とキューバを訪れることはないだろう。たった1度の経験ではあったが、得たものも大きかったと思いたい。