充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3442.2016年10月15日(土) ♪風に吹かれて♪日本語訳の「ら抜き言葉」
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞することになってから、巷では詩人ではなく歌手ではないかと恰もディランはノーベル賞に値しないとやっかんだような声も聞かれるようだ。
そこでディランの最大のヒット曲 ♪Blowin’In The Wind(風に吹かれて)♪ の歌詞を取り上げてみよう。
どれほど道を歩めば 人として認められるのだろう?
どのくらい白い鳩は飛び続ければ 砂浜で安らげるのだろうか?
どれだけの砲弾が飛び交えば 殺戮をやめさせることができるのだろう?
その答えは 風に吹かれて 誰にもわからない
山は海に流されるまで 何年在り続けられるのだろう?
人々はどれほどの時間を過ごせば 自由の身になれるのだろう?
人はどのくらいの時間を 見過ごし続けられるのだろう?
その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない
人はどのくらい見上げれば ほんとの空を見れるのだろう?
人にどれだけ多くの耳があれば 悲しみの声が聴こえるのだろう?
どれだけ数多くの命を失えば 死が無益だと分かるのだろうか?
その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない
答えは風に吹かれている
これがノーベル賞受賞に値する詩である。中々アピール性がある素晴らしい詩だと思う。我々とはちょっと感性が違う。1960年代に反体制運動に力を与えた歌詞である。上記の訳詞は、誰によって訳されたのか分からないが、その中に最近しばしば話題になる「ら抜き言葉」が見られる。最終文節に「人はどのくらい見上げれば ほんとの空を見れるのだろう?」の訳文があるが、原文では‘Yes, how many times must a man look up Before he can see the sky ? ’となっているので、「見れる」はノーベル文学賞受賞者の作詞ではなく、翻訳者の考えである。
それについて偶然にも今朝の日経新聞「親子スクール」に「ら抜き言葉 ダメなの?」で「ら抜き言葉」が取り上げられていた。原則的には「ら抜き言葉」は国語の教科書では間違いとされているが、世間にはかなり出回って使われている。その例として「ら抜きの表現は昭和のころからあった」として、太宰治に「看護婦は男の顔を見ぬように努めた。気の毒で見れなかった」(「道化の華」より)や、獅子文六の随筆「食味歳時記」に「フランスでイチゴは5月でしか食べれない」の表現があるという。
教育のように檻のような中ではその表現は絶対許されないが、自由に書くことができる私的な文章ではあまり深刻に考えるなということであろうか。
3441.2016年10月14日(金) 自動車免許証を更新する。
昨日の2つのビッグニュースの続報である。タイのプミポン国王の死去はタイ国民に深い悲しみをもたらし、弔意を表すためであろうか、一般に人々は黒い衣装を身に付け、国は1カ月間の喪に服す。これほど親愛の気持ちを表される国王はそうはいないだろう。日本企業もタイ人従業員がどういう勤務をするか様子見のようだ。
もう1つのボブ・ディランが受賞したノーベル文学賞のニュースは、各界に改めて歌手ディランの作詞家としての高い価値と評価を認めさせ、同時に、ノーベル文学賞の在り方まで話題を提供している。そのディランが一向に受賞についてコメントを発表せず、今日ラスベガスで行われたライブでも一切語らなかったそうだ。更にノーベル文学賞委員会では、受賞発表後ディランからまったく連絡がなく、早く一報をと待ち焦がれているという。ちょっと風変わりな人という印象である。
さて、先日電通勤務の女性東大卒新入社員が、昨年過労勤務の末に自殺した。労災認定されたことで今日電通本社と支社に東京労働局と三田労働基準監督署が立ち入り調査に入った。25年前にも入社2年目の男性社員が長時間労働に悩み自殺し、最高裁が会社側の責任を認定した。また繰り返された同じような悲惨な自殺事件に、役所も会社の体質に問題があると呆れているのではないだろうか。件の女性社員の1ヶ月の時間外労働は何と100時間を超えるという。
今日の立ち入り調査で電通の労働時間の把握が杜撰で長時間労働が野放しになっていたらしいことが分かった。オリンピックの宣伝関係業務をIOCから一括して請け負い、受けにいっているが、営業はともかく人事管理が追いついていないのではないだろうか。攻め一辺倒のこの会社には、社員を守るべきディフェンス体制が整備されていないようだ。
かつて同じように立ち入り検査を受けたABCマートや、ドンキ・ホーテのようなブラック企業と同じレベルの会社ということになる。当局は違法な長時間労働が全社的に常態化していた疑いがあるとみて、刑事事件として立件を視野に調査を進めるようだ。
ついては、今日自動車免許証の書き換えに出かけた。もう何度目になるだろうか。3年に1度の免許更新で、3年前に引き続き世田谷警察署免許更新所で手続きを済ませた。70歳を過ぎてからは高齢者講習を受けなければならず、今回は事前に2度目の高齢者講習を済ませた。このために暑い盛りの8月に、まる1日を費やして自動車講習所で高齢者講習の受講(認知症テストを含む)と実技(見学しているだけでも可)を済ませて修了証明書を受領し、今日一般の人と同じ手続き書類にこの高齢者講習修了証明書を添付して提出した。更新手続きは簡単で、視力検査に合格してその場で写真を撮りほんの5分も待っていれば、新しい免許証を交付してくれる。流石にこの辺りはIT化されているのか一連の作業は早いものだ。これで向こう3年間有効の免許証を手にすることができた。
想えば、大学1年終了時に免許証を取得して以来56年になる。あの60年安保闘争の年である。爾来それほど長い距離を運転してはいないが、この間ブルーバード、オペル、ヴァイオレット、カローラ、カムリ、そして現在のVW、更に一時ニューヨークに友人と共有していた真っ赤なスポーツカー、コルベット・スティグレイにも乗った。国際免許証を発行してもらい海外でも結構運転する機会があった。ニューヨークでは当時在住していた、亡くなった友人の曽田順吉さんと共同所有の前記の車に乗って、ハイウェイをスピード感を楽しんでひとりでボストン郊外まで出かけたり、ベルギーではレンタカーで動き回ったことがある。
車の運転では旧厚生省から随分喜ばれ感謝もされた。毎年のように1カ月間も中部太平洋戦没者遺骨収集事業でサイパン島に常駐しては、本部が置かれたホテルで団長だった厚生省課長の秘書役として運転手役を仰せつかったからである。
反省すべきは、半世紀以上にわたって運転して1度だが事故を起こしたことである。交通ルールは順守して安全運転を心がけて来たが、1966年12月同期入社の友人たちと箱根へ旅行して、宿泊の翌朝箱根で道路表面が氷結しているのに気付かず、車が氷結した道路上を走る状態になり滑ってそのまま土壁にぶつけてしまった。幸い対向車がなくくて頭にけがをした程度で済んだが、車は中破してレッカー車のご厄介になる無様なことになってしまった。2台の車に分乗して移動中で、もう1台の車も滑ってぶつかった。幸い友人たちにけが人はおらず、崖下に転落するような惨事にもならず、胸をなでおろしたことも昨日のことのように思い出される。
これからいつまで車を運転することができるだろうか、まだ漠然としているが、次回の書き換えは81歳になっているので、そろそろ引き際ではないかと思っている。高校時代の友人の中にも免許証を返還して運転しないという友人が何人かいる。実際最近は人通りの多い地区をドライブしたりすると、人一倍神経を使うようになり以前より慎重にハンドルを握るようになった。これも運転上の老化現象かも知れない。そろそろ車の運転から身を引く時が近づいているのかも知れない。
3440.2016年10月13日(木) タイ国王崩御、ボブ・ディランにノーベル文学賞
昨日妻と南青山にある岡本太郎記念館見学中に、妻が二男の嫁から東京で停電が発生しているニュースを目にしたが、影響はないですかと心配そうにスマホで尋ねられた。停電自体をあまり気にしていなかったところ、記念館を出てゼミの先輩と同期生夫婦らとイタリアン・レストランに集まっていた時、ある先輩から山手線が停電で動かなくなってしまったので、食事に遅れると連絡があった。それでもそれほどの大事とも思っていなかったところ、帰宅してテレビで大騒ぎになっているのを知った。
今朝の新聞のトップ記事に「東京 大規模停電」とあり、埼玉県新座市内の地下に設置された電力ケーブルが漏電から火災が発生したことが原因で、約1時間に亘り58万所帯以上が停電となり、交通機関にも乱れが出たと書かれていた。一時霞が関の中央官庁街のビルからも電気が消えて真っ暗になったというから、こんなことが度々起きては困る。今までこのような大停電事故は知らないが、国家的事業でも開催中だったら大変なことになっていたかも知れない。
ついては、岡本太郎記念館には一度行ってみたいと思っていたので、昨日偶々近くのイタリアン・レストランへ行く機会があったので、その前に初めて覗いてみた。旧私邸を改造して私的に公開の場所にしたため、それほど広いスペースではないが、いかにも太郎作品と思われる彫刻品が館内と庭園に置かれていた。喫茶店も経営されていたので、コーヒーをいただきながら館員の方と太郎さんに関わる話をしてみた。妻の父が、慶応幼稚舎から普通部まで竹馬の友として終生懇意にしていただいた。大阪万博の太陽の塔の制作に当たって、岳父が会長を務めていた日本軽金属㈱のアルミ製品を使用してもらったと岳父から聞いていた。同期生仲間には、歌手の藤山一郎さん、作家の野口富士男さんもいて、岳父は幼稚舎仲良し4人組としてメディアでも紹介された。面白いことに、この4人でそのまま大学まで進んだのは岳父1人だけだった。
幸い大正13年幼稚舎を卒業した時の記念アルバムが義兄の手元にあり、そのコピー写真があるので、これを近い内にお届けしましょうと係員に約束したら随分恐縮しておられた。多分岡本家には卒業アルバムは残されていないと思うので、ご覧になれば喜ばれるのではないかと思う。出来るだけ早い機会にお届けしようと思っている。
さて、夜になって電撃的に2つのニュースが入った。ひとつは、タイのプミポン国王が亡くなられたというニュースだった。その1時間前のニュースで容体が大分悪く入院先の病院内でご回復をお祈りする国民の姿をうつしていたばかりだった。在位70年という在位期間が世界で最も長い国王だった。タイに行けばどこかで必ず国王の写真を目にしたものだ。タイ国民もきっと深い悲しみに包まれ喪に服すことだろう。享年88歳だった。
2つ目は、今年のノーベル文学賞受賞者は、期待された村上春樹ではなく、アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディランだった。私より3歳若いが、まさか歌手が文学賞、それも最高峰のノーベル文学賞を受賞するとは驚きである。♪風に吹かれて♪がよく知られているが、歌はベトナム戦争、公民権運動を背景にして唄われ、訴求力と大きな影響力を持っていたので、歌詞もそれなりに文学性があり格調も高いのだろう。村上ファンにとっては今年も期待を裏切られたが、村上氏の表現方がディランのそれと似ている節もあるようなので、来年に期待したいと言っていたファンもいた。来年こそはそうあってほしいものである。
3439.2016年10月12日(水) 地球温暖化対策のパリ協定に日本批准せず
先日11月4日に地球温暖化対策に新しい国際的枠組みであるパリ協定が発効することが伝えられた。そして、パリ協定締約国会合がその後7~18日にモロッコで開かれるCOP22 に合せて開かれるが、日本はそれを批准していないため会合には出席できない。
厳しい規制に多くの国がしり込みしてしばらくはまとまらないだろうと日本は甘く見ていた節がある。だが、諸外国は問題を真剣に捉えて、すでに排出ガスを枠組み内に抑制しようと動いていた。20年も以前に「京都議定書」を取りまとめ主導的な役割を果たしていた日本としては迂闊だったと言うだけでは済まない。
温室効果ガス排出量上位5カ国のうち、批准していないのは日本とロシアだけだというから、世界的に地球温暖化にブレーキをかけない国と見られても仕方がない。流れが変わったのは、ダントツで排出量の多い中国が批准し、続いて2位のアメリカも批准する立場にスタンスを変えたことが大きい。EUは全加盟国揃って締結と対応し、排出量4位のインドですら批准した。それでいながらわが国はこの動きにただ指を銜えていて手を打たなかった。これでは、世界の流れに置いて行かれ、ガス排出国との汚名を浴びせられるだけである。しかも、批准できそうもないと分かったら、国益のためにも何を放っておいても国会で優先的に批准すれば間に合うのにそういうことはやらないのが、今の自民党議員である。まったくお話にならない。
現在開会中の臨時国会の所信表明演説で安倍首相はパリ協定に一言も触れなかったという。総選挙が噂される中で国内向けのスタンスなのか、やたらに補正予算や南スーダンのPKO自衛隊派遣など国内問題を語っているが、もう少し国際社会を見つめた政治に気を配ってほしいものである。
さて、「さ入れ言葉」があるとは知らなかった。「ら抜き言葉」は知っていたが、話の中に無理やり「さ」を入れる使い方だそうである。昨日の朝日新聞読者欄に掲載された83歳の男性の投書である。この方は、「させていただく」という使い方から、本来「見せていただく」「やらせていただく」と言ったことをそれぞれ「見させていただく」とか、「やらさせていただく」と言う使い方に違和感を覚えるという。特に「乾杯の音頭を取らさせていただく」との言い方が今では当たり前のように使われていることに、日本語の危機感を感じておられる。確かに投書氏の言う通りだ。丁重に発言した方が良いと思うのか、やたらに「させていただく」という言い方が違和感もなく使用されているが、そこには日本語としてあるべき形が崩れているように思う。それは日本語を粗末に扱っているというより、文章を書く習慣を身に付けずに、話し言葉でスマホやメールに省略分を書いたり、基本を蔑ろにしているせいではないかとちょっと心配している。その意味では投書氏のご意見は卓見だと思う。
3438.2016年10月11日(火) 興味が薄れたプロ野球
昨日プロ野球セ・リーグのクライマックス・シリーズと称するリーグ2位と3位の2番勝負・セカンド・ステージがあり、2勝1敗で3位の横浜DeNAベイスターズが2位の読売ジャイアンツを破った。これで横浜は次のステップであるファースト・ステージで、優勝した広島カープと日本シリーズへのセ・リーグ出場権を争うことになる。
かつては私自身あれほど熱中したプロ野球だが、最近ではすっかり熱が冷めてしまい、実戦はもとよりテレビ観戦もほとんどしなくなった。それは選手がペナントレースに全力投球しなくなったような気がして1試合1試合に真剣味が感じられないような気分になり、つまらなくなったせいである。
どうしてそうなったのかは、今のクライマックス・シリーズのような金儲けシリーズに原因がある。どうして日本プロ野球機構は、こういう余計で優勝の価値を減殺するような愚かな制度を導入したのだろうか。選手は口には出せないようだが、内心不満が溜まっているのではないだろうか。昨年引退した元中日投手の山本昌氏もその点を指摘していた。1年間130試合の総当たり制で6球団が争って優勝を決めたペナントレースを蔑ろにするような制度自体に大きな問題がある。仮に2、3位のチームが日本シリーズに出場し、日本シリーズで優勝するようなことになれば、1年間ペナントレースを戦い抜いて優勝を勝ち取ったチームにとって優勝の価値が薄れるばかりか、優勝するために全力を注がないで3位以内を狙い、クライマックス・シリーズに全力を傾けて下剋上優勝を遂げたら真剣にプレイする選手が馬鹿を見るということにならないか。手抜きゲームを見せられるファンも堪ったものではない。それほどつまらなくなったプロ野球だが、それでも女子ファンの開拓とか、いろいろ応援のやり方の工夫や、地域の力などによって観客が増えているというから、考え方によっては、プロ野球界もまだ捨てたものではないのかも知れない。下らないクライマックス・シリーズなんか止めて、今のうちに将来を考えた恒久的な対策を考えていくべきではないだろうか。
アメリカ大リーグのポスト・シーズンも同じようなシステムだと指摘する声もあるが、まったく違う。メジャー・リーグには、アメリカン・ナショナルの2リーグで30チームもあり、地域的にも東海岸から西海岸に拡がっているうえ、カナダにも1チームある。あまりにも広大な地域で多くのチームが存在するために已むに已まれず考えられたシステムである。それは各5チームが加盟する東海岸、中部、西海岸の3地区の優勝チームに、残りの1チームは3地区の2位で勝者を決めてプレイオフ出場チームを決定する。そして4チームでトーナメント方式の下で勝者となって、ワールド・シリーズへ進出するルールになっている。
すべてメジャー・リーグをお手本にする日本野球界が何とかもうひとつ商売をと企んで、2、3位のチームにも機会があると思わせ、余計なクライマックス・シリーズという制度を取り入れている。実際に過去に千葉ロッテ・マリーンズが下剋上優勝した例がある。だが、これは日米のチャンピオン・チーム決定のしきたりがまったく異なることを知っておくべきである。この点を日本のプロ野球界関係者にはよくよく知ってもらいたいと思う。
パ・リーグはすでに2位ソフトバンク・ホークスが3位千葉ロッテ・マリーンズを破っており、これからセ、パとも日本シリーズ出場チーム決定シリーズの舞台へ移るわけである。
何となく冷めた目で見てしまうプロ野球である。
それよりかつてはネクラなスポーツと揶揄された卓球のワールド・カップで、開催地フィラデルフィアにおいて昨日16歳の平野美宇選手が全力投球して最年少にして日本人初優勝を飾ったというから、手抜きのプロ野球に比べて大あっぱれである。