充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3720.2017年7月20日(木) 安倍政権、及び自民党支持率低下の原因
今月2日行われた東京都議選で自民党は惨敗した。これで1強多弱の地盤に胡坐を掻いていた安倍政権の支持率は大幅に下落した。俗に支持率が30%を割ると危険水域と言われているが、第2次安倍政権誕生直後の2013年4月の世論調査では68.8%もあった支持率が、今や29.2%にまで急降下した。昨今益々評価を落としているトランプ大統領ですら40%前後である。
その原因はいろいろ挙げられているが、やはり1強という幻に甘え切ったせいだろう。やりたい放題にことを進め自民党議員が増長し、官僚のトップ人事まで内閣官房が決めるというから、政官の垣根がなくなり官僚の間にも「物言えば唇寒し」の空気が生まれているらしい。しかし、思い上がって支持率を失ったことは、反って自民党が謙虚に出直すためにも良薬ではないだろうか。
不人気の原因としては政権内の閣僚の言動が大きく影響している。今最も疑念を持たれているのは、国家戦略特区の獣医学部新設に暗躍して加計学園認可に動いたとされる山本幸三・地方創生相である。どう考えても関係者の声を聞く限り疑わしいものであり、山本大臣がいなければ加計学園獣医学部認可は考えられなかったように思われる。
24日、25日に国会閉会中審査に安倍首相が出席するようだが、常々首相は丁寧に説明すると言いながら、これまで一向に明快な説明をしていない。森友学園問題にせよ、加計学園問題にせよ、安倍首相がどっぷり深みに嵌まっていたのは明らかである。
例えば、3年前行われた加計学園職員へのアンケート調査では、獣医学部新設に対して職員の間では圧倒的に反対意見が多く、「アベを使うなどのやり方がきたない」と加計理事長と安倍首相との特別な関係によってゴーサインが出されることに極めて拒絶感が強い。内々には2人の密接な関係とその成行は早くから不審な目で見られていたのである。
これら反対の声を押し切って、加計学園獣医学部新設計画が進められることにどうしても不審感を抱かざるを得ない。明らかに加計学園と安倍首相との関係がずぶずぶだったことが判る。
もうひとり支持率低下に協力したのが、自衛隊南スーダン派遣部隊の日報を非公表、また隠蔽に関わったと疑いをかけられている稲田朋美・防衛相である。日頃から弁護士らしからぬ稚拙な答弁に終始している稲田氏は、森友学園でも虚偽の対応をした。今また持ち上がっている自衛隊PKO派遣隊の日報が亡くなったり、現れたり、それを公表しないことを承認したり、その情報を聞かなかったとか、答弁が二転三転してまるで訳が分からない。森友学園に続いて、またも虚偽の説明をしている。同僚議員も稲田氏の言動が評価を下げたと指摘するほどひどいものである。
来週安倍首相がこれらの疑問にどう国民を納得させる説明をしてくれるのか。これによって首相への信頼が良くもなり悪くもなると思う。その意味では安倍政権は鼎の軽重を問われているのだ。首相には、国民のことを考えてもう少し真面目に、謙虚にことに当たってもらいたいものである。
3719.2017年7月19日(水) 久しぶりにリクルート事件を考える。
今日北九州を除く西日本地方から関東甲信へかけて梅雨明けとなった。このところ晴れ続きであまりにも暑く、もうとっくに梅雨は明けていたと思っていたが、今日まで空梅雨だったのだ。今日で東京の真夏日は連続15日になった。梅雨明けと同時に土用の入りとなった。今日は丑の日である。ウナギを食べたいところだが、脂っこいものは控えるよう医師から忠告を受けているので、残念だがしばし我慢せざるを得ない。
駒澤大学公開講座も今日が前期最終日である。山田岳講師が講座「体験的ジャーナリズム論」で、先週まで力道山と出身地北朝鮮、及びヤクザ社会との付き合いについて3回に亘って興味深い講義をされたが、今日は共同通信記者として比較的現場に近いところで取材されたリクルート事件取材体験を話された。特にリクルートが疑惑から事件に変わった転機は、何と日本テレビが賄賂の現場を撮影したテレビ放映だったという。リクルート・コスモス社松原社長室長が衆議院議員会館内の楢崎弥之助議員室で、楢崎議員に500万円の札束を手渡す場面がテレビではっきり映像化されたのである。それを実行したのが、親しくさせていただいている菱山郁朗・元日本テレビ政治部長で、菱山講師から数年前この駒大の教室で観せてもらったものだ。
あの衝撃的なビデオ画像が、後にロッキードと並ぶ戦後の2大疑獄事件となったリクルート政治事件にまで発展する証拠となったとは、意外でもあり、同時に10年間受講した駒沢大公開講座の印象に残る講座のひとつである。
山田講師は、汗かきで講義中タオルで汗を拭き拭き、終始情熱的に話される。内容的にも臨場感を伝えてくれて興味深い。前期はここで一応の区切りだが、9月以降に楽しみを持ち越せることになった。
3718.2017年7月18日(火) 日野原重明医師、105歳の大往生
今日午後ほぼ都内全域に雷鳴とともに雹が降った。私も初めての日本ペンクラブ理事会に出席するため、地下鉄茅場町駅からペンの建物へ向かっていた時激しい雨に遭い、ほうほうの体で会場へ駆け込んだ。
実質的には初めての理事会のため、期待感と若干の不安があった。会議の進め方として些か気になったのは、出席者が議論を戦わすのではなく、新会長吉岡忍氏と専務理事山田健太氏による議題の一方通行的な報告形式だった。もちろん質問は許されるが、決まったことに反論出来るような構図になっていない。そもそもすでに議題が決定していることが問題だと思う。何を議題とすべきかを各理事が事前に提出し、それを理事会で審議するのなら分かる。毎度このようなやり方だとするなら、理事会開催する意味はあまりないように思う。疑問に思ったのは、事務局が作成、或いは選んだ議題を常任理事の間で取捨選択して理事会の議案として上げているように感じた点である。
先般会長名で中国の劉暁波氏を支援する声明文について、あまりにも我々が受け取ったメールに意見を述べる時間がなかったことと、声明文の中に書かれた「劉氏の親族は『日本には肝臓がん治療の非常にいい専門家がいる』として、日本を含む海外での治療を望んでいるという」文言は必要ないことを申し上げた。
これから理事会出席の都度感じるであろう、普通の組織体の会議のやり方との相違に少しずつ慣れ、同時に言うべきことは言う必要があると考えている。
それにしてもどうも違和感が拭えない。
軽い憩室炎を患って現在食事療法を行っているので、折角誘われた夕食だが、失礼して直行帰宅した。
さて、今朝聖路加病院名誉院長・日野原重明氏が105歳で亡くなられた。人間国宝的な存在の方である。100歳を超えてもなお現役医師として矍鑠として活躍され、日本中に元気を与えていた。その人生にはいくつかの分岐点があったようで、それが人生観に大きな力を与えたようだ。ひとつに戦争、もうひとつの転機は日航機「よど号」ハイジャック事件だったそうである。とかくへこみがちになる場面で、前向きに心の切り替えが出来たことがその後の人生を切り開いたと言っておられた。
最近テレビでお姿を見かけなくなったと気になっていたが、きっと極楽浄土へ旅立たれたのではないだろうか。惜しい方が亡くなられた。心よりご冥福をお祈りしたいと思う。
3717.2017年7月17日(月) 松丸道雄・東大名誉教授から新著寄贈
今日は祭日「海の日」である。朝から厳しい暑さに見舞われ、東京は今年初めての猛暑日となった。群馬県館林では37.1℃を記録し国内最高だった。豪雨に見舞われた福岡県日田市では36.2℃を記録して炎暑の下で復旧作業に当たる人々のご苦労を想像させられる。その九州北部にはまた大雨が予想されている。今月初めの豪雨による死者は今日現在34人になった。
久しぶりに横浜にいる二男家族がやって来た。長男は今年小学校へ入学したばかりだが、幼稚園年中組の妹とともに地元のキッズ・ラグビークラブに所属して、ラグビーを楽しんでいる。早生まれなのに背が129㎝もあり、クラスで一番高い。私が国民学校に入学した時は、僅か108㎝しかなかったから孫が特別大きいのか、私が小さかったのだろうか。
このまま素直にすくすくと育って欲しいと願うばかりである。
さて、数日前に松丸道雄・東大名誉教授から「甲骨文の話」という専門的な新著を送っていただいた。松丸教授は中国古代史専門の碩学で、古代中国文学と同時に甲骨文という特殊な文字も研究されておられる。漢字についてはもちろん造詣が深い。頂いた書物は難しそうだが、ゆっくり読んでみようと思っている。
実は、松丸教授夫人の明子さんは、私より1歳年長の従姉妹である。松丸教授は昭和9年誕生なので、日頃より親しくしていただいている小中陽太郎さんと同い年である。お2人は東大同期で専攻こそ東洋史学科と仏文科の違いはあるが、駒場から本郷まで4年間一緒の筈であるので、或いはお互いにお知り合いではないかと、不躾に昨日小中さんにメールで尋ねてみた。早速返って来たメールには、確かに境遇はそうだが、1学年時にクラスが別でそのまま進級して専攻も別だったので、名前こそ知ってはいるが、特別親しい友人関係ではないと記されていた。小中さんはむしろ私が松丸教授と親戚関係にあるということに驚いておられた。
まあそういうことだった。
3716.2017年7月16日(日) 劉暁波氏の死に見る中国社会の現実
13日に亡くなった中国の民主化運動の象徴的存在だった劉暁波氏の葬儀が昨日行われ、その後に火葬が行われ遺灰、遺骨が瀋陽の海にまかれた。かつてその瀋陽を訪れた時、生憎海を見ることはなかったが、大連からバスで向かい、清朝開祖のヌルハチを祀った東陵や、皇帝・皇后を祀った北陵、更に満州事変勃発の導火線となった瀋陽郊外の柳条溝を訪れたことがある。その後長春から哈爾浜へ列車で向かった。四半世紀以上も昔の話であるが、いくらでも懐かしい思い出が蘇ってくる。ノーベル平和賞受賞者の遺骨が、中国当局によってあの近くの海へまかれてしまったのだと思うと感慨深いものがある。あの当時中国東北地方はまだ経済的に立ち遅れた雰囲気で、中国の人々もまだ素朴な感じで、今のように権利意識や自己主張をむき出しにすることもなかったし、中国人の人権が抑圧されているイメージはほとんど感じなかった。
だが、経済発展とともに中国は大きく変わった。共産党政権の力を強めると同時に中国は、言論、報道の自由を抑圧する報道管制の厳しい非民主的な弾圧国家として、物言えぬ恐怖政治の国となった。
劉暁波氏の死に際しても、有無を言わさず遺族に圧力をかけてくる。流石にここまで中国当局の一方的な意向によって、ひとりの死に至るまでスケジュール管理されるのかと思うと空恐ろしい気持ちになる。でも、それが現代中国の実態なのである。中国ではNHKニュースで劉氏の死が報じられた途端画面が消されたほど当局は、情報管理に神経を尖らせ、当局の意に反して伝えられることを気にしている。
中国当局は劉氏の遺族が同席する葬儀の様子や海上散骨の写真を公表して、一連の儀式をすべて劉氏の遺族から了解を得たとアピールし、スムーズに葬儀の一連のスケジュールを終えたことを国民に伝えたつもりのようである。
だが、国際社会からの批判や、劉氏の支援者周囲からはこの散骨が遺族の了解を得たとは信じられないとの声が上がっている。実際散骨の場には、劉霞夫人の姿は見られなかった。劉暁波氏が身命を賭して取り組んで来た言論の自由は、現状中国ではまったく受け入れられず、共産党一党独裁政権下では国民はひたすら声を潜めていることを求められている。
共産主義革命を成し遂げ、その過程で6千万人とも、7千8百万人とも言われる大量虐殺を行ったと伝えられる毛沢東は、果たして現在の中国の政治体制をどう思っているだろうか。国民から民主主義、自由主義、言論の自由を奪い取った中国共産党独裁政権が、これからどういう道を目指し、あまつさえ中国をどこまで多くの国々から忌み嫌われる自己本位の国に変貌させようというのだろうか。