充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3755.2017年8月24日(木) 椎名誠著「家族のあしあと」を読んで
椎名誠の「家族のあしあと」(集英社刊)を読んだ。椎名は幕張小時代のクラスメートの実弟である。6歳年長の兄研二くんは数年前に亡くなったが、彼とは5年生時に同クラスに相前後して転入した。彼は千葉市郊外の酒々井小から、私は同じ千葉県房州の勝山小から転校生同士として直ぐ親しい友だちになった。一緒に後楽園に巨人戦を観に行ったこともあるほど、お互いに野球好きだった。彼の家に何度も遊びに行ったので、弟である誠にも会っている筈だ。彼に弟がいたことは何となく覚えている。漠然とではあるが、家庭の雰囲気や周辺の環境も覚えている。
椎名誠は最近ペンクラブの会合に姿を見せないので、話すことはなくなったが、私の処女作品「現代海外武者修行のすすめ」について、
「さっそく読みました。いやはや面白い!!ものすごい冒険家ですね。映画を見ているようですっかり没入しました。いまの日本の若者すべてに読ませたいと思いました。私もハップンしています」と随分好意的な感想を送ってくれたこともある。
事務所を移転してから連絡を取り合うことはなくなったが、お互いの故郷である幕張が懐かしく思えて、私は毎年開かれる幕張小のクラス会には必ず参加するようにしている。
椎名誠は幕張に随分拘りと関心を持って多くの書物に幕張について書いている。最初に「犬の系譜」に書かれた情景描写に興味を惹かれ、その後「岳物語」を通読し、先月上記「家族のあしあと」が発刊され、懐かしい幕張描写が今度はどのように描かれているか興味を抱いて手に取ってみた。
あちらこちらに「幕張」のシーンが現れる。ただ、どうしても分からないのは、彼の自宅の所在地が、私の理解とは方角違いであることだ。当時の椎名家は、千葉郡幕張町(その後千葉市に編入された)の北西部で国電の北側にあったと記憶しているが、椎名誠の著作では東部の花見川に近い場所のようなイメージなので、本書に従って外出した気分になると方向を見失ってしまう。
椎名誠の作品で最も面白かったのは「さらば国分寺書店のオババ」と「哀愁の町に霧が降るのだ」(上)(下)だったが、ここにも兄研二が電車内で酔っ払って喧嘩するシーンが書かれている。その兄は酒の飲み過ぎで亡くなったので悔いはないと思うと諦めたようなことを言っていた。
幕張小卒業後、兄研二くんとは進学した中学が分かれたので、その後はクラス会以外で彼と会うことはなくなってしまった。残念ながら椎名研二くんが彼岸へ旅立ったので、彼と幕張について話すことはなくなった。小学校時代は、子どもがあまり勉強をしない時代だったので、彼とも放課後暗くなるまで遊びまわっていたことをノスタルジックに思い出す。その点では、「家族のあしあと」は、野球をやったり、アサリを取ったり、遊び回った砂浜の埋立地のことなどもよく描かれている。懐古的にあのころはのびのびした佳き時代だったのだと思う。
さて、またかと思うほど名代の嘘つき代議士が恥ずかしげもなく自らの主張を翻した。来月1日に行われる民進党代表選に立候補している前原誠司元外相が、ここへ来て従来の主張とは反対の主張をしたのである。これまでにも鉄面皮前原氏の裏切り行為については厳しい見方を取ってきたが、この期に及んでまたかという不信感が拭えない。
彼は、これまで集団的自衛権行使を認めた安全保障関連法を容認していたが、今後は廃止を求めていくとこれまでの発言を翻したのだ。これに対して前原氏を支援するグループはどう思うのか。これで安保法については当初から反対していた枝野元官房長官と同じ立場を取ることになった。こんなのありかというのが、普通の人の感じではないだろうか。ひどい代表選になりそうだ。
3754.2017年8月23日(水) 日系ボリビア人・フレディ前村の革命映画
元日本テレビ政治部長の菱山郁朗氏から、キューバ革命で活躍された日系人「エルネスト前村」を主人公に映画化された日本とキューバ合作「エルネスト」の試写会にお誘いを受け、期待しながら日比谷の日本プレスセンターへ出かけた。試写会が始まる前に監督を務めた阪本順治氏が挨拶され、制作に取り掛かった2014年から3年かけて完成したが、その間登場人物のひとりであるカストロが亡くなったことに驚かれたという。日本国内におけるロケを除いてキューバにおける撮影では出演者は主役のオダギリ・ジョー以外は全員キューバ人だったという。監督はキューバ人にはキューバならではのイメージがあるので、躊躇する面もあったようだが、監督の考えるように演出したら好いとキューバの人たちに励まされたと語っていた。
タイトルの「エルネスト」とは、残念ながら日本ではあまり知られていないが、フレディ前村という日系ボリビア人のことである。フレディは、ハバナ大学医学部にボリビア人留学生のリーダー役としてハバナに滞在中チェ・ゲバラに出会い、ゲバラに共鳴しボリビアの革命戦争でゲリラ活動をして「エルネスト・チェ・ゲバラ」のファースト・ネームをいただいた経歴がある。ゲバラと同じように山中で政府軍に捕えられ殺害された。私もそういう人物がいたことは薄々承知していたが、改めてフレディの人間性と存在を知り日本人として心強く誇りに思った。そのフレディは生存していれば、今年75歳になる筈であるが、日系人の中に親が移民した国で誇り高い人生を全うした潔い男がいたことに爽快感を憶える。
ほとんどロケはキューバでされ、ハバナ市内やその他の土地の風景が昨年訪れた時に感じたまま映されていて懐かしく思った。やはり道路にゴミ、チリは一切落ちていないくらい掃除が行き届いていて清潔であること、そして雨に恵まれているため殊の外グリーンが目に入って来る。ストーリーも中々面白く力作であると思った。
映画は10月に一般公開される予定である。今年2017年は、ゲバラが亡くなってから丁度半世紀に当たり、先日鑑賞した「写真家チェ・ゲバラが見た世界」写真展のように、何かとゲバラに因んだプロジェクトが企画されるようだ。キューバでは革命を成功させたゲバラだったが、ボリビアでは捕らえられ無念にも殺害されたため、ボリビア革命は成功しなかった。それだけがゲバラにとっても、またフレディにとっても無念だったであろう。
鑑賞してみて久しぶりに爽快感を味わう映画だったと感じた。
3753.2017年8月22日(火) ピューリッツァー賞受賞の沢田教一写真展に思う。
16日からベトナム戦時下の「安全への逃避」でピューリッツァー賞を受賞した、戦場カメラマン・沢田教一写真展が日本橋高島屋で開かれている。
6月に小田急トラベル新社長に就任された佐々木文信新社長にお祝いの挨拶がてら出かけたが、その後日本橋へ出て何とか写真展を鑑賞することが出来た。佐々木新社長は大学の後輩でもあり、以前からよく存じ上げている。大変明るく気さくで話しやすい人なので、今後も出来るだけOBとして外から協力することをお約束したところである。
写真展にはどのくらい見学者が来られるのかと些か気になっていたところ、かなり大勢の男女客が鑑賞していた。ウィークデーということもあり、若い人の姿はあまり見られなかったが、年配の男女が多かったのは想定外だった。沢田は主にベトナムとカンボジアで活動されたが、結局1970年10月プノンペン郊外でクメール・ルージュに銃撃されて享年34歳で亡くなった。その時代にある種のノスタルジアを感じる世代の人々が見学者の主たる人たちではないかと思う。
冒頭の「安全への逃避」が撮られた時は、私自身ちょうどサイゴンを訪れたころだった。その3カ月後沢田がケサンへ向かう米軍輸送機内で兵士たちを撮った写真がある。そこにはこんなことが書いてある。「鋭い目つきがカメラをにらむ若い米兵。顔つきに余裕はない」とあるが、私が同じような気持ちになったことがある。サイゴンのタンソンニュット空港に着いた直後に、傍にいたアメリカ兵のひとりに、軽い気持ちでトイレの場所を訪ねたところ、すごく怖い目つきで睨まれ、ドキッとしたことがある。米軍兵士は興奮し殺気立っていて精神的に落ち込んで、沢田が写真でコメントしているように普通の顔ではなかった。熾烈な戦火がベトナム全土に広がり、アメリカは破れかぶれになっていたように思う。彼は親しい友人に「ベトナム戦争は米国の負けだ。写真を撮り歩いているからわかる」と言っていた。臨場感を身体に感じていたのだ。私自身初めての武者修行で感じた臨場感は、その後行動面でひとつの規範となった。
その翌年ベトナム戦争で最も激しかった戦い「テト攻勢」によって、米軍と南ベトナム軍は守勢に回るようになった。
私が戦火のベトナムを訪れてから早くも半世紀が経過した。今日は臨場感こそ伴わないが、懐かしいベトナムの想い出にしばし浸れることが出来た。いずれも臨場感のある写真を集成したアルバム「戦場カメラマン沢田教一の眼」を買い求めた。これも時々目を通すのが楽しみである。
番外であるが、沢田は三沢基地で働いていた当時11歳年長の写真屋の娘・サタさんと結婚した。沢田20歳、サタ夫人31歳だった。サタ夫人は92歳の今もご健在のようだが、サワダサタさんの旧姓は、沢田を逆にした田沢だったとは!
3752.2017年8月21日(月) 高浜虚子、母校湘南高の甲子園初優勝を祝福
今や昔日の面影がなくなった民進党の党代表選挙が9月1日に行われる。その日は選りによって台風が襲来する「二百十日」に当たる。代表選も台風並みの波乱含みだろう。蓮舫代表がすっきりしない能書きを述べて無責任にも辞任を表明した後を引き継ぐ跡目争いである。
告示に際して立候補したのは、予想通り前原誠司・元外相と枝野幸男・元官房長官である。前原氏の人間性、行動など無責任な政治責任については、言いたいことが山ほどある。人間的にまったく信用出来ない。まず朝鮮国籍の女性から資金提供を受けたという選挙違反の前科があることと、2009年民主党政権成立に伴って国土交通相に就任した時、選挙公約で約束したとして自民党が建設を決めた八ッ場ダムに反対を唱えたが、大臣を辞めるやダム建設の動きが再燃しても一向に取り合おうとしなかった不誠実な態度、そして観光庁長官に同級生を任命したことなど公私混同も甚だしかった。いくら表面的に納得させるようなことを言っても人間的にとても信用出来ない。こういう人物が野党第1党の代表選に立候補しようとしているのだから、今以って民進党の浄化作用は信用出来るものではない。
前原、枝野両氏の主張は大分隔たりがある。野党共闘、原発、憲法改正などでは意見が対立しているようだ。どちらが代表になるにせよ、その後の民進党の歩む道は党内分裂の危機を孕んでいて険しい。自民党が地盤沈下している時でもあり、民進党にとっては盛り返す絶好の機会であるが、以前のようなフレッシュさと実行力が感じられない。これではまだ当分の間自民党をのさばらせることになるようだ。偶々世論調査を見ていて自民党が支持率を回復したことが書かれていた。現状は確かに自民党に大きなミステークがなければ、自民党には順風が吹いているようだ。いつになったら真剣に国民のことを考えてくれる政治家、政党が現れるのだろうか。前途は明るくない。
さて、今日の朝日夕刊に5段に亘って母校湘南高校の昭和24年甲子園初優勝に因んだ記事が掲載されていた。
「虚子から球児へ短冊がつなぐ縁」、「31回大会Vの湘南 プラカード係の女性と交流」との見出しの下に当時鎌倉市内に住んでいた俳人高浜虚子が、湘南の優勝を殊の外喜ばれお祝いに野球部の田中孝一主将に句を詠んで贈ったことに纏わるエピソードを採り上げている。その後湘南のプラカードを掲げて行進された女性と湘南との交流が続けられ、今甲子園で開催中の高校野球大会の間開かれている「高校野球特別展」でエピソードが復活したことを紹介している。
実は偶然にもこの記事と同じストーリーを私も3年前に上梓した拙著「南太平洋の剛腕投手」に採り上げ書いている。執筆していた時、これほどまでに母校の優勝を地元の多くの人々が喜んでくれたことを感慨深く思ったものである。こういう形でパンチの効いたエピソードをさりげなく紹介していただいたことを改めて嬉しく、また有難く思っている。
その高浜虚子が贈ってくれた名句とは、「秋風や 最美の力 唯盡す」というものである。
3751.2017年8月20日(日) トランプ政権内のゴタコタ
東京に太陽が顔を出すことが少なく、8月に入って今日まで20日間長雨続きである。昨日も午後には雷雨が激しいとの予報があったが、傘を持参して補聴器の調整に行って帰っても雨が降る様子が見られなかったので、漸く晴れ間が現れると思っていた。ところが、夕刻5時ごろになって一転掻き曇った空から突然雨粒が落ちて来たと思う間もなく、ガラス戸を激しく叩く物音に外を見ると雹が落ちて来た。雨戸を閉めても雹は激しく雨戸を叩きつけて来る。テレビ・ニュースでは、世田谷区に激しい雷雨が襲来したと伝えていた。多摩川の花火大会が開催される日だったが、結局中止になった。東京と同じように雷雨が襲来した横浜の花火大会も途中で取り止められたという。
あまり長い時間ではなかったが、これほど激しく雷鳴が轟いたのは実に久しぶりである。
さて、相変わらずアメリカ・トランプ政権がガタガタしている。白人至上主義を晒して批判を浴びているトランプ大統領が、18日昨年の選挙戦以来トランプ政権誕生のため選挙参謀となってトランプ氏を支えてきたバノン首席戦略官の更迭を発表した。保護主義のバノン氏の戦略に乗って、大統領選以前から「アメリカ・ファースト」を打ち出し、保護貿易や移民排斥を始めとしてイスラム民族の入国禁止や、メキシコとの国境に壁を建設するなどの差別政策を打ち出し、そのうえ地球環境保護のパリ協定からの離脱、TPPからの脱退など、国際世論から厳しく非難されている。その戦略を打ち出したバノン氏を解任したのは、政権内に意見の対立があったからに他ならない。だからと言って保護主義者のバノン氏を追放してもトランプ大統領自身が同じ保護主義者であり、多少リベラル派の評価が上がるにせよ、政権外から依然厳しい見方は変わらないだろう。
政権内の幹部を2月にフリン大統領補佐官、7月にプリーパス大統領首席補佐官とスパイサー大統領報道官、そして今月バノン首席戦略官と立て続けに更迭することによってトランプ政権存立の基盤はかなり弱体化したと見るべきだろう。節操のないホワイト・ハウス内人事の迷走が国民の間に不安を感じさせ、一部にはトランプ大統領が弾劾によって罷免される可能性まで示唆されている有様である。
北朝鮮のミサイル発射問題などで緊張感を強いられる時期に、アメリカはいつまでも政権内で揉めている場合ではないと思う。差別問題は別にしても、大統領は毅然として自分なりの信念を貫けば「アメリカ・ファースト」の下にそれはそれで国が割れるような対立が生じる問題ではないと思う。いずれにせよアメリカ政府の言動から当分の間目が離せない。