充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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3785.2017年9月23日(土) リガ旧市内を見て改めて旧ソ連、ロシアの影響力を知る。
リガ旧市内の細い路地をグループで歩きながら、聖ペトロ教会、リガ城、3人兄弟ビルなどを見て回った。自由時間に市場をぶらつき、リガ大聖堂を入場して厳かな雰囲気を味わってみた。外国からの観光客もかなり多いようだ。
昨日から移動しながらガイドをする時は、提供されたガイディング・レシ―バーを耳につけている。多少添乗員との距離が離れても彼女が話していることははっきり分かる。我々が添乗していた当時は、話に聞く程度だったが、今や博物館見学の多いヨーロッパでは当たり前のようだ。ただ、これを耳に当てた時は補聴器を使えないが、これは補聴器の用も足しているのでレシーバー優先で使用している。
市内で昼食を済ませてから郊外のルンダーレ宮殿へ出かける。市内の住宅地の環境がとても良い。一戸建てで庭スペースをたっぷり取った住宅が何軒も連なっているのを見ると日本より経済事情が良いのではないかと錯覚してしまうほどである。
また、ガイドから宮殿について故事来歴を話してもらった中で感じたのは、ロシアの影響力とベルサイユ宮殿についてだった。ベルサイユ宮殿を模したと説明されたが、豪華さにおいては正直に言って、とてもベルサイユの足元にも及ばないと思う。
その後ラトヴィア・リトアニア国境を通過してバルト3国の最後のリストニアへ入った。ここではシャウレイの田園の中にある十字架の丘へ立ち寄った。小高い丘とその周辺に大小取り混ぜた数多くの十字架が立てられている。ちょっと異様な感じではあるが、書で見たことがあるような気がする。観光バスやタクシー、自家用車でクリスチャンらしい人々が押し掛ける。そのままカウナスのホテルへチェックイン。時間的にもホテルには8時近くなっていたし、歩いた歩数もかなりあった。1万2千歩に近かった。明日はいよいよカウナスで日本のシンドラーとされる杉原千畝がユダヤ人に日本の通過ビザを発給し続けたとされる仕事場、元日本領事館を訪れ歴史を遡り、考える時間を持つことになると思う。
3784.2017年9月22日(金) バルト2国へ入って2日間の印象
いよいよバルト3国の旅が始まった。最初の観光は、昨日入国したエストニアに始まる。バルト3国は、それぞれ旧ソ連、ロシアの支配によりかなりロシアの影響が強い。ロシアの民族人形マトリョーシカの人形が土産物店に陳列されているほどである。
世界遺産に登録されている首都タリンは、長い歴史を誇るだけに全体的に落ち着いた街との印象である。市内には喧噪がなく、街も整然として街路樹がきれいに整備され、木々は少し紅葉が優っている。ホテルに近い高台にあるトームペア城は、狭い坂道を歩いて辿り着くのだが、展望が素晴らしい。その近くにアレクサンドル・ネフスキー聖堂があるが、帝政ロシア時代にロシア正教の教会として建てられただけにネギ坊主の屋根は周囲とはやや違和感を覚えた。教会内に入って入口近くに日露戦争で沈められた戦艦に乗船していたエストニア出身ロシア兵の慰霊の案内プレートが貼りつけられていて、日本人としては些か気になった。
昼食後は6時間かけて次の目的地であるラトヴィアの首都リガへやって来た。途中エストニア・ラトヴィア国境を超えてバルト2番目の国へ入った。出入国の手続きはない。道中目に入る風景はほとんど変わりない。道路は整備され、途中の景色は田園風景が連なりこれというほど目立つものは見られなかったが、道路沿いの森林がよく保存されているのに感心した。白樺が目につくが、最も多い樹木は松である。背の高い松が立ち並ぶ沿道は中々壮観である。日本人にとっては松はとかく日本的な植物と思いがちだが、いろいろな松の種類が欧米や、アジアにはある。
ところで、昨日、今日とほんの2日間の感想であるが、ホテルのサービス面はまだ欧米流の洗練さに欠けていると思う。今日宿泊のホテルは、入口からホテルのエントランスまでのアプローチが坂道で凹凸になっており、バゲージを引っ張っていくのに苦労した。2間もあるアプローチなので、ゲストと荷物の関係を考慮してせめて1mほどは凹凸のないスロープにすべきであり、経営者の感覚を疑りたくなった。2日間の感じでは、電話機の場所がベッドから離れたテーブルの上だったり、コンセントの位置が湯沸しに不便な位置だったり、風呂場の床シート・ウオッシュタオル・石鹸や、予備の毛布がなくて夜間寒かったり、少々気になった。
一方で湯沸かし器が置いてあり、インスタント・コーヒーや紅茶がサービスされていて直ぐ温かいうちに味わえるのは有難い。
市内の交通を見ていると、車のスピードが速く、交差点やカーブでは危ないと感じたが、いかがなものだろうか。
明日は、リガの市内を見た後で3番目のバルト国、リストニアへ向かうことになるが、果たしてどんな姿を見せてくれるのだろうか。
3783.2017年9月21日(木) 世界遺産・エストニアの首都タリンへ
ホテルから送迎バスで成田空港第2ターミナルへ来てみると第1ターミナルと変わらない立派なロビーだった。ツアーは33人の参加者で、これでは添乗員も大変だと思う。旅行会社で働き多くの海外団体旅行を企画、添乗した経験があるくせに、自分自身旅へ出るとなると団体旅行よりとかくひとりで旅する傾向がある。今度のツアーはバルト3国とポーランドを訪れ、しかもポーランドではアウシュビッツとクラクフを効率的に訪れるので、個人では中々このようにうまく旅行出来ないのでこれに決めて参加したものだ。
フィンランド航空機はほぼ満席状態でヘルシンキまで直行した。ヘルシンキもほぼ20年振りである。流石に予想通りやや寒くセーターとジャンパーを機内で着込んだ。エストニアのタリンへ渡るシリアライン「ヨーロッパ号」出発まで時間があったので、ヘルシンキ市内観光を楽しんだが、かの有名な元老院広場の高台にある聖教会とアレクサンドル2世像、市電が懐かしい。
シリアラインについては、20年前にストックホルムから1泊2日の船旅を楽しんだことを懐かしく思い出す。船では特別の席はなく、船内で簡単な買い物をしたり、カフェで軽食を取ったり、公的なスペースで同行の仲間と四方山話を楽しんでいた。その中でも84歳と80歳のご兄弟がご夫婦で参加され、しかも奥さんがそれぞれ足の不自由なのにも拘わらず元気なのには驚いた。自分もあまり老け込んだ発言をしないよう注意しなければいけない。
今日はバルト3国の最初の国エストニアのタリンで最初の夜を迎えることになった。明日から楽しみが始まる。
ところで、ヘルシンキへの飛行中機内で今朝の日経紙を読んでいるとビルマのイスラム系民族ロヒンギャ弾圧について、日経記者のアウンサンスーチー国家顧問へのインタビュー記事が掲載されている。スーチーさんは国連を始めとして国際社会から大分非難されているが、軍部とビルマ国民との間で難しい立場にいることが何となく分かる。軍部は、外からの批判には一切お構いなしで自分たちの思うようにしているようだし、彼女自身がイスラム系ロヒンギャに救いの手を差し伸べれば、90%が仏教徒の国民から非難されることは目に見えている。元はと言えば、ロヒンギャがビルマ・ラカイン州に定着するようになったのは、イギリス支配時代の19世紀後半に現バングラディッシュから旧インド人を移住させたことに端を発している。ビルマとしては彼らを宗教的にもビルマ人として受け入れられず、イギリスから独立を勝ち得ても彼らにビルマ人として国籍を与えなかった。それが今日「ビルマ国籍も与えず」との、ロヒンギャ寄りの考え方が国際社会に振り撒かれていることから、殊更ビルマ政府の対応が非民主主義的と強く非難される原因となっている。本当のところは中々分からない。だが、難民となったロヒンギャの言い分だけが通っていることも間違いないようだ。非難する前に、何が正しいのかを精査し、そのうえでロヒンギャの待遇をどう守るのか、ビルマ軍もこの関わり合いから逃げるわけには行かないのではないだろうか。
3782.2017年9月20日(水) メキシコで32年前と同日に大地震発生
JR成田エキスプレスで成田へやって来た。明日の早い出発に備えてホテル日航成田で前泊するためである。明日のフィンランド航空は第2ターミナルから出発するので、ターミナルからホテルへ迎えのバスで向かったが、その途中で第1ターミナルへ寄った。昨年キューバへ行った時は、羽田から出発した。成田はこれまで第1ターミナルしか利用したことがない。2014年も、15年も第1から出発したが、第2ターミナルの雰囲気から考えると周辺の空気がまるで別の空港のようだ。成田空港の印象も随分変わった。
さて、メキシコでまたM7.1の大地震があった。メキシコ・シチーに近いプエブラ州で昼過ぎに起きた。1985年にも同じ日に大地震が起きた。日本時間午後9時時点ですでに死者217人を出している。8日に南部で起きた地震はM8.1 だったが、これほど大勢の犠牲者は出なかった。放映される画像が生々しい。日本も自然災害に襲われることが多いが、どこの災害を見ても自然には勝てない。
今年も国連総会が開催され、アメリカのトランプ大統領が早速北朝鮮を非難した。アメリカの制裁を物ともしない傲慢な金正恩委員長にしびれを切らしたか、金正恩をロケットマンと呼び、ロケットマンは自爆行為に走っていると言い、北朝鮮を完全に破滅させる以外に選択肢はないとまで言い出した。トランプ氏は、ヨーロッパ諸国と結んだイラン核合意についてもやり玉に上げ、イランを攻撃した。日本にとって意外だったのは、トランプ氏が北朝鮮の非人道的行為のひとつとして、北朝鮮によって日本の13歳の少女が海岸からさらわれたと、拉致被害者の横田めぐみさんに言及したことである。
トランプ演説に対して安倍首相が、今は対話でなく圧力をかけ続ける時だとして、トランプ氏が喜びそうなことを良い続けていることに対するお返しをしてくれたと言えないこともない。トランプ氏は上機嫌だった。善し悪しは別にしても、トランプ氏の言うことも一部的を射ていることは確かである。ただ、北朝鮮問題の先行きは誰にも分からない。米中ロの思惑や、駆け引きもあって北朝鮮には北朝鮮だけの我儘だけではない生き残りの悪知恵のようなものが憑りついているように思える。
自国第一主義を主張するトランプ大統領に対する強い反発もあった。ブラジルのテメル大統領は保護主義を批判したり、フランスのマクロン大統領も地球環境を主眼にしてトランプ氏とは異なる見解を表明していた。
国連が協調よりむしろ統制、自己主張に走り出したような印象を持った。
3781.2017年9月19日(火) 日本ペンクラブ財務上の課題
明日成田へ前泊して明後日から念願のポーランドとバルト3国へ出かけるが、その間隙を縫って今日開かれた日本ペンクラブ財務委員会に出席した。ペンの大きな課題は、このところ年度予算が毎年赤字で、これを何とか健全予算へ立て直そうということが主題で、事前に私なりのたたき台を各委員に送った。ペン事務局員の説明だと、一般社団法人であるが、公益法人としての性格上利益を大きく産出するわけにはいかないという行政の指導があるという。どうも納得しかねる話だが、こうなると健全財政というのはどういうことだろうかとの疑問も生まれてくる。今日は第2回委員会とは言え、実務的には最初の委員会のようなものだ。
営利目的の民間企業のようには、がめつくなる必要はないかも知れないが、それでも赤字が累積すれば、組織自体の存立が危機に瀕することになる。黒字は出さずとも、赤字は出してはならないという課題を実行するのがいかに難しいか、これから財務委員会の人々と侃々諤々議論し、検討して行かなければならない。
さて、一昨日にも本ブログで取り上げたが、ビルマに住むイスラム系ロヒンギャへのビルマ政府の虐待が国際的にも大分厳しい批判を浴びるようになってきた。そこへこれまでまったくコメントしていなかったアウンサンスーチー国家顧問が、今日になって漸く国民へ向け話をした。スーチーさんに対する非難が、彼女をしてマイクへ向かわせたのである。ただ、彼女のステートメントは、直接的にロヒンギャへの虐待を止めろというものではなかった。「ロヒンギャ」という言葉さえ発しなかった。これには、軍部への遠慮、全国民のうち90%を占める仏教徒への気遣いがあるように思える。ビルマとしては、静かに事を収めたかったようだが、事件は国際的に拡散してしまった。しかし、これはあくまで国内問題である。だが、こうなったらビルマ政府は本腰を入れて問題解決に当たらなければなるまい。
ビルマ政府とスーチーさんはこれからどう国際社会を納得させることが出来るか。