充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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4269.2019年1月20日(日) また巡って来た大学入試シーズン
今や受験シーズン真っ最中だが、昨日と今日の2日間大学入試センター試験が全国の大学などを会場にして行われた。全国で58万人弱の受験生が受験したらしい。奈良にいる一浪中の孫も受験したようだが、今年こそは難関を潜りぬけて欲しい。このセンター試験は今年で30年目だそうだが、再来年には新たな試験に取って変わられるようだ。受験生にとっていくら事前に知らされ、平等に行われるにしてもどうしてこうも度々制度が変わるのだろうか。
私はこういう全国統一のセンター試験なるものは経験しなかった。すべて受験する大学の行う入学試験を受験しただけだった。言うなれば目指す大学との真剣勝負だった。更に言えば、2年浪人したために仮に3年目の浪人生活を送る時新しい制度が導入され、受験科目が大きく変更されたために受験しにくくなるという事情があった。そのため、浪人生活は2年を限度とした。今思い返すと数学の科目変更が一番厳しいと思っていた。例えば、数学には3科目あり、解析1、解析2、そして図形を使う幾何があった。それが、数学1、数学2、数学3という構成になった。私の卒業した浪人1年目と2年目は2つのコースからどちらかを選択できた。ところが、それが浪人3年目から後者だけに絞られ、解析派は受験が難しくなった。それが、私が3浪はやらないと決めた理由だった。大学入試については随分苦労も悩みもあったので、あまり良いイメージはないが、時折懐かしく思い出すことがある。
今から50年前の1969年の大学入試は、学生運動が激しく東大安田講堂が学生らに占拠されたため、東大入学試験が開学以来初めて中止となった。竹中平祐・元財務大臣は目指していた東大を止む無く諦め、一橋大へ方針変更したと言っていた。今朝の朝日「天声人語」欄に竹中氏と同じような目に遭い東大を諦め、地元の北大に進学した元室蘭工業大学教授の恨み節が載っていた。
それにしても、大学入学試験で大きなウエートを占めるセンター試験なんて果たして実施する意味があるだろうか。大学が大学独自の事情のうえにそこを目指す受験生を入試成績で合否を判断すれば済むのではないかと思う。そうすれば、全国統一センター試験の必要性もなく、何年か経過して制度自体を変えることなんかせずとも良いと思う。
60余年以前を思い、つい愚痴のひとつも言いたくなった。今年の受験生には、孫を含めて日頃学んだ力を精一杯発揮して狭き門を潜り抜けて欲しいと願っている。
4268.2019年1月19日(土) 沖縄県民投票に5市が不参加という異常事態
辺野古米軍基地移設計画について沖縄県内では圧倒的に反対が多いと考えられ、それは昨年9月に行われた県知事選でも反対を訴えて新知事に選出された玉城デニー氏が過半数を得票したことでもはっきり示された。勢いに乗って新知事は、「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う」県民投票を行うことを決断し、来月24日に投票が行われることになった。玉城知事による県民の移設反対の意思を明確に示したいとの決意の表れと思われる。
ところが、早々と県民投票をしないと宮古島市長が表明した。それに続いて宜野湾、沖縄、石垣市などの各市長も県民投票をしないと公表し、更に昨日うるま市長も県民投票不参加を表明した。さらに増える自治体も考えられる。しかし、現時点で県内11市11町19村のうち、大都市5市が県民投票を行わないとすれば、沖縄県民有権者の3割強が投票に参加出来ず、自らの賛否の意思表示を封じられるということになる。
そこには、複雑な事情があるようだが、ここへ来て自民党の自治体に対する忖度、圧力が効果を上げたのではないかとの風聞が飛び交っている。しかし、狭いながらも地勢的には異なる気風のある島には、それぞれ自治体によって異なる独自の事情があるようだ。例えば、すべて県民は基地問題には反対するオール沖縄の考えがある一方で、実際には基地と離れた地方では米軍基地問題への関心が薄く、投票率も低い。中には基地問題にまったく関心がなく、関わりたくもないという県民も少なからずいると聞く。本土の人たちもまた同じような思考傾向があると考えざるを得ない。また、県民は反自民と考えられがちであるが、実際には県内に保守層がかなり多いという現実がある。県民投票にかかる費用はすべて県が負担するので、それを実施する市町村にとっては経済的負担にはならない。もちろん投票を忌避する自治体の中には県民投票に参加できないことに強い不満を覚えて、中にはすでにハンストを行っている若者もいるようだ。
大きな問題として不参加の5都市の有権者にとっては、自分たちにとって切実な問題の選挙への参加を封印されることが、ひとつの言論の自由を封じることにつながり、憲法違反にならないかという問題である。
県民投票まで余すところあと1カ月余である。真の県民の意思表示には必ずしもならない恐れのある現状をどうするのか。果たしてこのまま全県民が納得出来ない県民投票へ突っ走るのか。米軍駐留と日本政府の対応のうえに苦悩させられている沖縄県民にとって、また新たな難問が突き付けられている。
4267.2019年1月18日(金) 97歳のフィリップ英殿下が運転事故
世界でも最も伝統と格式のある皇室のひとつ、英王室のフィリップ殿下が昨日車を運転中に他の車にぶつけて横転する事故を起こし、相手の車に乗っていた2人の女性がケガをした。殿下にケガはなかったが、事故の後ショックで身体が震えていたという。それにしてもエリザベス女王の夫でもあるフィリップ殿下は、今年97歳である。このお年でよくぞ公道でハンドルを握られるものだとつい半信半疑にならざるを得ない。女王を始め、お付武官は殿下の運転を誰も止めることは出来なかったのだろうか。
天皇陛下は現在85歳であるが、偶に皇居内で趣味の一環として車を運転することはあるようだ。しかし、公道で運転したとは聞かない。私が学生時代の夏、軽井沢のアイスクリーム店でアルバイトをしていた折、店の前をテニスコートへ向かう皇太子時代の天皇が助手席に美智子妃殿下を乗せてドライブして通り過ぎた光景を何度か見ている。若かったころならともかく、今では天皇もご高齢になり、もう道路上での運転は止められていることだろう。それに比べて、失礼ながらフィリップ殿下の年齢を気にしない些か無謀な行動には驚嘆するばかりである。
実は、昨年80歳になったのを機に今年限りで運転を止めようと考えている。今年の誕生日に免許証の期限が切れるが、そのまま更新しないつもりだ。学生時代に免許証を取得してからもう58年になる。昨今高齢者による事故が増えていて、高齢者は安全上出来るだけ運転しないよう警察庁も啓蒙している。友人の中には、家族も反対するのでハンドルはもう握らないと言って免許証を返上した友もいる。私はそれほど車の運転が好きというほどではないが、これまでに国内のみならず、海外でもドライブしている。国際免許証を取得してアメリカ、ヨーロッパ、ミクロネシア諸島、南太平洋諸島で仕事も兼ねて運転することがしばしばあった。ニューヨークには当地在住の友人の強い希望により派手なスポーツカー、コルベット・スティングレイを共同で購入して共有していたことがある。アメリカ東海岸へ出かけた時には、ハーフ・オーナーであるスポーツ・カーを運転してアメリカ人を羨ましがらせたこともあった。随分遠く懐かしい記憶である。
さて、昨日本欄に取り上げた厚生労働省の「毎月勤労統計」が別の観点から物議を醸している。担当者らが手抜きをして不正な調査結果を供したが、これを再集計して算出し直すという作業を始めるに当たり、2004年から11年分までの統計資料を紛失したり、廃棄していたことが分かった。組織的関与があったのではないかと疑問が呈されている。資料が亡くなった以上再集計は難しいと見られている。どうして役人というのは、こんな法律で定められた重要な業務をこのように好い加減にやってしまうのだろうか。無責任も甚だしいと思う。これに気づかず、放任していた歴代大臣も官僚に合わせて責任を取るべきであろう。
今夕の朝日新聞「素粒子」欄にはこう書かれている。「統計不正で『厚労次官ら処分へ』の報。ははーん。ここでも政治家は責任をとらず、官僚に押しつける得意技か」と。
4266.2019年1月17日(木) 阪神・淡路大震災から24年
24年前の今日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生した。この震災によって6434人の尊い生命が喪われた。海外教育視察団でお供した兵庫県の先生の中にも、ご家族を喪われた先生がおられる。私自身直接間接に被害はないが、一番印象に残っているのは、24年前の今日か明日、突然ブラジルの親しい友人から家族、親戚に被害はないかと心配して電話をもらったことである。その時は誰も被害に遭っていないので、心配ないと言ったらすぐ電話を切ったが、彼の優しく思いやる気持ちには感激したものである。その後彼は日本に来た時、日光、箱根、富士五湖を案内したし、私もリオの自宅を訪ねたこともある。その友人からは4年前に手紙をもらってからまったく音信不通になった。その手紙には、健康状態が大分悪いと書いてあり、高齢で独身でもあったので、悲しいことだがすでに天に召されたのではないかと推測している。大変寂しいことだが、この日を迎える度にブラジルのアミーゴが思い出されて堪らない。
今日午前鹿児島県屋久島町の口永良部島で火山が爆発的に噴火した。噴石や火砕流が流失しているが、大きな被害はなさそうでほっとしている。火山国日本では、気の重いことではあるが、これからも地震、火山噴火には充分警戒して行かなければならない。
さて、このところ国内外で政治的な問題が注目されている。国内では韓国との外交問題が行き詰まり膠着状態である。こればかりは韓国が1973年に日本の法律を無視して金大中・元大統領を日本国内で身柄拘束して密かに韓国へ連れ去った事件と同じような対応をしていることが問題で、解決の目途は立っていない。
そこへ官庁の杜撰な統計資料の使い方から、多額の予算支出が予想されている。厚生労働省が、統計法で定められている政府の基幹統計のひとつである「毎月勤労統計」の調査方法を勝手に変えていたことにより、追加費用が約800億円もかかるというお粗末ぶりである。正しい勤労統計の調査方法は、従業員500人以上の事業所はすべて調査をすることになっていたが、2004年1月以来対象を全所ではなく、その3分の1に絞って行ったために、低い平均給与額が出た結果、雇用保険や労災保険などを少なく給付された人が何と約2千万人もいるという。厚労省は追加給付額を567億円、事務費などで200億円を労働保険の特別会計を財源にするという。これで歴代3人の厚労大臣は、一切責任を取らず、今日厚生労働事務次官を処分すると発表しただけである。政官界の無責任体質を絵に描いたような事件である。
一方、イギリスでは来る3月のEU離脱を前にしてメイ首相がEUから円滑に離脱するため、EU側と合意した離脱協定案が一昨日下院で圧倒的な大差で否決された。だが、昨日行われた内閣不信任案は否決された。国内も一昨年行われた国民投票で離脱が決まりながら、今では賛否両論である。メイ政権には、4通りばかり進むべき道が残されている。総選挙実施、国民投票の再実施、EUと再交渉、否決された協定案を廃案とすることなどであるが、最悪な結論は合意なしの離脱である。期限は残り2ヶ月余に迫っている。早く結論を出さなければ、イギリス国民はもちろんEU国民にとっても不幸な事態となる。メイ首相はどんな新手を打つのか。
4265.2019年1月16日(水) 横綱稀勢の里の引退と先輩・脇村春夫氏の野球殿堂入り
昨日懸念したように横綱稀勢の里は、今日記者会見を開き引退することを発表した。今日の夕刊でも夜のニュースでもトップ記事である。32歳でまだまだ横綱の地位を全うできる力を秘めていながら、周囲のプレッシャーに負けて土俵から降りることになった。本人の気持ちの中には忸怩たるものがあるだろう。これまでもプレッシャーに押され、肝心な場面で負けたケースが散見される。それが証拠には、連続4場所準優勝に終わったり、準優勝は10回程度成し遂げている。中々トップを取れない。性格的に真面目で思い詰めるところがあったことが勝負のうえで致命傷になったのかも知れない。引退後は年寄「荒磯」を襲名するそうだが、純粋で真面目な人柄だから、きっと立派な弟子を育ててくれることだろう。
さて、昨日長年プロ野球界で活躍した元プロ野球選手に授けられる栄誉である今年度の「野球殿堂博物館」入りが決まった。選ばれた2人のプロ野球人は、いずれも元中日の権藤博投手と立浪和義遊選手である。権藤投手は私と同年齢で入団1年目にして、35勝で最多勝、新人賞、最優秀防御率賞、澤村賞など投手部門の賞を独り占めした。監督としても就任1年目で現在の横浜ベイスターズの優勝に貢献した。しかし、私にはもうひとりの同姓、権藤正利投手の方が忘れられない。最優秀投手賞、新人賞など数々の実績を挙げたが、1957年にはプロ野球ワースト記録のひとつ、投手として28連敗という誰も真似出来ない屈辱的な記録を作っている。その次の試合で勝って29連敗を免れた対巨人戦を後楽園で間近に見たことがある。一方、立浪選手は小さい身体ながら引退するまで22年間に亙って中日一筋に活躍し、2千本安打達成と通算2塁打記録を書き換えた。
ところで、2人の殿堂入りの他にアマチュア球界関係者から選出される特別賞を受賞されたのは、高校の先輩で元日本高校野球連盟会長だった脇村春夫氏である。脇村さんは母校・湘南高校が甲子園初出場初優勝した時、2年生ながら2番を打ち、3塁手として優勝に貢献した。拙著「南太平洋の剛腕投手」の中で母校優勝のエピソードを書いたが、脇村さんの1年後輩だった佐々木信也さんとの関係についても触れた。脇村さんは東大野球部でも主将として活躍されたが、中学生時代に一度神宮球場で先輩のプレイを見たことがある。
脇村さんが特別賞を受賞されたのは、佐々木信也さんから依頼されて、プロとアマ球界の健全化、及びその橋渡しと融和に貢献されたことが高く評価されたからである。甲子園決勝戦後の表彰式でも会長としての一般的なスピーチの他に、専門的にして技術的なコメントを付け加えていたことが印象に残っている。美智子皇后の従妹でもある先輩の野球殿堂入りを誇らしく、大変嬉しく思っている。