ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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4304.2019年2月24日(日) 天皇在位30年、ドナルド・キーン氏他界

 今日国立劇場で天皇陛下即位30周年記念式典が行われた。その席で天皇作詞、皇后作曲の「歌声の響」という曲を沖縄出身歌手の三浦大知さんがソロで唄った。沖縄を唄った曲であるが、天皇陛下が書かれた詩を沖縄の方言に変え、メロディーは沖縄の民謡の感じを皇后陛下がうまく表現した曲だと感じた。1975年皇太子時代に両陛下は初めて沖縄を訪問された。その最初の訪問でハンセン病患者の療養所「沖縄愛楽園」を訪ねられた当時は、まだハンセン病への差別や誤解が残っていた時代で、収容されていた人々が両陛下が帰り際に一斉に唄った沖縄民謡♪だんじゅかりゆし♪は感動的だった。「歌声の響」はそれに相通じるようなメロディーだった。

 慰霊碑にお祈りしていた時に爆発物を投げつけられたり、沖縄では最初の内は皇太子ご夫妻の訪問に歓迎ムードはあまり感じられなかったようだ。しかし、それもお2人の優しい心遣いに沖縄の人たちの気持ちも和んで次第に歓迎ムードが高まって行った。お2人での沖縄訪問は実に11回に上ると言う。

 天皇在位30年というのは、ご苦労と気遣いの歳月だったと思う。口の悪い韓国国会議長が戦争犯罪人の息子呼ばわりしたり、時には何かと悪く言われるような空気の中で、ひたすら国家の平和と安寧、そして国民の幸せを願って全国を訪れては国民と触れ合っておられた。今日の挨拶でも、平成という時代に戦争がなかったことは平和を願う国民の気持ちが功を奏したと国民に感謝のお気持ちを謙虚に述べておられた。そういう意味では、とかく怖く冷たいようなイメージがあった昭和天皇の暗いイメージを極力払拭されるよう努められておられたように思う。天皇84歳、皇后83歳となられ、4月30日には公務の天皇という激職を去られ、それぞれ上皇、上皇后となられる。これからはのんびりと生活をされ、両陛下お揃いでいつまでもお元気にお過ごしになられるよう願って止まない。

 両陛下にとって思い出と、思い込みのある沖縄では、今日米軍基地辺野古移設への賛否を問う県民投票が行われた。午後11時現在ではまだ最終結果は出ていないが、影響を与える勝敗の分岐点は、投票数の1/4を超えられるかどうかであるが、ほぼ反対が1/4を超えそうだと予測されている。明日詳細な数値が明らかになるが、残念なのは、結果はどう表れようとも政府によって沖縄県民の気持ちと相反する判断がなされるような気がしている。

 さて、日本文化の研究者で日本ペンクラブ名誉会員でもあったドナルド・キーン博士が今日心不全で亡くなられた。享年96歳だった。言わずと知れた日本通で日本が大好きなアメリカ人で、最近まで現役で活躍しておられた。文化勲章他国内外で数々の名誉ある賞を受賞され、日本国籍を取得されてからは名前も英語名からドナルド・キーンと片仮名に替えられ、通称は「鬼怒鳴門」を使うこともあった。年齢的には人生を全うされた方であるが、つい最近までお元気だったので少々寂しい感じがする。何度かお話を伺ったことがあるが、日本ペンクラブが島崎藤村初代会長の下に発足した11月26日を記念した2012年「ペンの日」に講演され聴講したことが懐かしい思い出である。心よりご冥福をお祈り致したい。

2019年2月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4303.2019年2月23日(土) 皇太子殿下59歳の誕生日

 ♪梅の小枝で鴬が 春が来たよと唄います ホッホッ ホケキョ ホーホケキョ♪と鴬の美声を楽しみにしていたところ、待ち望んでいた2羽の鴬が梅の開花とともに、今日午後梅木のある我が家を訪れてくれた。残念ながらホーホケキョとは鳴いてはくれなかった。いずれ囀ってくれるだろう。

 さて、昨晩から身体が熱っぽく寒気を感じていた。体温も38℃を超えてこれはただ事ではないと思った。風呂に入り早々と寝床に就いた。夜中にも何度か目が覚めた。気になったので、今朝かかりつけの森内科で診察してもらった。ジャジャジャジャーン!悪魔の宣告があった。インフルエンザA型に感染したそうである。こんなことは初めてである。血圧も脈拍数も上がっている。確か昨年10月に予防接種を受けたが、効果を表さなかったということになる。当然誰かから感染させられたわけだが、妻は風邪気味ではあるが、インフルエンザではない。誰かからうつされたことは間違いないと思うが、思い当たる人はいない。とにかくタミフルに替えて1度の服用で済む薬・ゾフルーザをいただき、うがい・手洗いを欠かさず、家の中でもマスクを手放せなくなってしまった。

 縁起でもない話の後に恐縮であるが、今日は皇太子殿下59歳の誕生日である。天皇即位まであと2ヶ月余となった。新天皇即位後最初の誕生日である来年の今日は、還暦を迎えることになる。59年前に皇太子が誕生した時は、大学のアルペンクラブの仲間たちと新鹿沢温泉へスキーで向かっていた。その途中でトランジスター・ラジオから皇太子誕生のニュースを聞いて山仲間ともども何となく明るい空気になったことが思い出される。

 あの時代1960年は、日本中が60年安保反対闘争で持ちきりだった。安保反対のデモ行進をしながら、その一方でそんな大事な時期にのんびりスキーなんかで滑っていたわけである。妙な考えに固まらず、全体的に柔軟な考えで、学生生活を送っていた。その4か月後安保条約改定案は国会を通過して、それが今もなお協定の縛りから抜け出せない結果になっている。当時の沖縄はまだアメリカの治世下にあった。日本へ復帰したのはそれから12年後の1972年である。明日その沖縄で米軍基地辺野古移設の是非を問う県民投票が行われるが、こういう深刻な問題が沖縄だけに残されているのは、日本が沖縄を見捨ててしまったひとつの証左ではないだろうか。

2019年2月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4302.2019年2月22日(金) 「はやぶさ2」、世界で初めて小惑星「りゅうぐう」へ到着

 今日は2月22日で、「にゃんにゃんにゃん」との語呂合わせから「猫の日」というのだそうである。冬も終わりに近づき春の装いが感じられるが、遅れていた我が家の梅の開花も漸く蕾から花が開きつつある。去年に比べて遅咲きである。今年は鴬が訪れてくれるだろうか。

 昨夜9時22分ごろ北海道胆振地方で震度6弱の地震があった。昨年9月に同地方でもっと大きな地震があったが、今年は生活への影響はそれほどなかったようだ。それでも半年足らずの間に大きな地震が続けて起きるというのは、以前の地震の余震の余波ではないだろうか。

 その影響はこんなところにも表れた。昨晩NHK・BSでこの時間に放映された「スパイ・ゾルゲの真実」を録画して今日ゆっくり観ていたところ、ちょうど地震発生の時間に「ニュース速報」の字幕とともに、画面は地震のニュースに変わってしまい、肝心なゾルゲのドキュメントは途中で観られなくなってしまった。

 さて、小惑星探査機「はやぶさ2」が、今朝8時過ぎに地球と火星の間にある小惑星「リュウグウ」へ着陸したと宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発表した。日本の科学技術の高いレベルを示した快挙である。

 世界で初めて小惑星「りゅうぐう」から土石を採取して持ち帰った。2014年12月に打ち上げられ、18年6月に小惑星に到着し、今後あと2回土石を行採取した後20年末に地球に帰還する予定である。その距離は何と3億4千万㎞という途方もない距離で、実に地球一周4万㎞の3万4千倍である。理系の専門的な内容は、素人には中々分かり難いが、何事につけ世界で先陣を切るというのは、容易なことではない。

 今度の「はやぶさ2」は高度20㎞から降下を開始したようだが、上空20㎞から甲子園のマウンドへ降りるようなものだそうである。このような目論見通り標的に向かって的を射るのはかなり高いテクニックが必要で、「ピンポイント・タッチダウン」と呼ばれる誘導法は、同じく小惑星探査に取り組んでいるアメリカ航空宇宙局(NASA)からも「直径6mに降りる方法を教えて欲しい」と、JAXAのその高い技術力を買われているという。

 まだ前途には難題があると思うが、誇らしい気持ちでこのプロジェクトの成功に喝采を送りたいと思う。

2019年2月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4301.2019年2月21日(木) 安倍内閣在任期間が桂太郎内閣に次ぎ2位に

 長ければ良いというものでもあるまい。国民のために功績を残さなくても、またいくら政治活動の中でウソをついたり、世間を騙しても長い間総理大臣の職を務めることが出来ることを、世襲政治家・安倍晋三首相が証明してくれた。僅か11カ月に終わった第1次組閣に続いて、2012年12月発足した第2次安倍内閣は連続在任日数を重ねて実に2248日となり、1位の大叔父・佐藤栄作の2798日に次ぎ、吉田茂と並ぶ歴代2位となった。先人の佐藤、吉田首相に比べて、これという輝かしい実績がなくとも長らく総理の座に居座り続けることが出来たのは、野党勢力がだらしなかったことが最大の原因であろう。それと自民党内のどんぐりの背比べのような世襲政治家が蔓延っていたせいもあるだろう。

 首相としての在任期間が第1次内閣を加えると今年11月20日には歴代最長になるというから驚くではないか。1位桂太郎、2位佐藤栄作、3位伊藤博文だそうだ。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作に、桂太郎、伊藤博文のような日本史上にも特筆されるべき明治初期の偉大な政治家である。それらの政治家を、モリカケ事件のようないかがわしい行動で政治不信を招いたり、トランプ大統領に過大な忖度をしたような安倍首相が、何故長期間日本のトップに収まっていられるのか不思議でならない。結局日本人全体が社会性において成熟度に欠け、政治レベルが低いということになるのだろうか。

 さて、今月に入って大阪府東大阪市内のコンビニ「セブン・イレブン」が、24時間営業に対応出来ず、フランチャイズ契約をしているセブン・イレブン本部と話し合いがつかないまま、1日24時間営業から5時間短縮して19時間営業に変更した。本部は24時間営業が原則としてこれを認めず両者は対立している。本部はもしこのまま時短営業を続けるようなら契約を解除して違約金1,700万円を支払わせるという。昨今の労働市場の悪化でアルバイト従業員が集まらず、また人件費負担が厳しく労働環境もタフで経営が苦しい中で、深夜営業は顧客の数が少なく反って営業的にマイナスであることから、本部の了解がないままオーナーは時短に踏み切った。

 今から40年以上も前にアメリカで初めてセブン・イレブンの店舗を見た時、朝7時から夜11時まで営業している便利なショップだと現地の人から教えてもらったことがある。それがいつの間にやら24時間営業に変わった。深夜の客は少ないだろうし、昨今は雇用状況が厳しい実態から、経営はなかなか難しいとは思っていたが、各コンビニもその点ではそれぞれ四苦八苦しているらしい。深夜営業は利用客には便利だろうが、24時間サービスは絶対やらなければならないほどの営業とも思えない。従業員の健康面も考えてコンビニ各社は深夜営業を含む時短を真剣に考えてみてはどうかと思う。

 思い返すと鉄道会社へ入社後1年半の間駅員として、24時間交代制の隔勤勤務の下に働いた経験から言えば、その勤務時間内は何も考えることなく、身体だけを提供していたとの印象が強い。それでも最終列車や始発列車の運行による乗客への利便から、否応なく職務に努力することが求められたので、時間短縮などは考えられなかった。

 労働環境改善については、それぞれ職種によっても異なるが、経営面や従業員の酷使・健康問題が表面化した以上お互いが話し合い暫時解決の方向へ持っていくことが大切だと思う。

2019年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4300.2019年2月20日(水) ホンダ工場、イギリスから撤退

 ホンダが2021年にイギリスのスウィンドン工場を閉鎖して、ヨーロッパから撤退するという唐突なニュースが内外に大きな波紋を呼んでいる。日本国内よりむしろイギリス国内で衝撃を持って伝えられている。特にイギリスでは来月にEUから離脱することが差し迫っていることもあり、それが影響しているのではないかとメディアが伝え、イギリス政界でも、EU賛成派、離脱派がそれぞれ大きな論争になっている。離脱すれば、イギリスで生産された車をEUへ輸出すると10%の関税が課せられるうえに、アイルランドへ輸出すれば、イギリス国内用とアイルランド国内用として輸送トラックのドライバーが2人必要になり、その分経費が余計かかる。

 更に中部都市スウィンドン工場は3,500人の従業員を抱えているだけに、工場閉鎖は深刻な失業・雇用問題を派生させる。ホンダ社長は、撤退はEUからの離脱、俗にいうブレグジットとは関係なく、電気自動車(EV)への需要のシフトに伴い日本でEVへの投資に集中することと、ヨーロッパ市場の販売の伸びが見込めないことを理由として挙げている。イギリスからの撤退と同時にトルコのコジャエリ工場の生産も21年中に終了させると発表した。ここにも従業員が1,100人いる。

 今やメーカーの海外工場は、日本国内の需要のためでもあるが、イギリス・ホンダで生産された車は、EU内のみならず、北米と日本にまで輸出されている。それほど国際的な産業となっているのである。これからイギリス国内ではスウィンドンを始めとして、同じような事例がブレグジットにより生まれる可能性がある。それだけにこの問題で揺れるイギリス国内は平静を保ってもいられないようだ。メイ首相も直々にホンダの現地責任者に厳しいコメントをぶつけたと言われている。

 かつていかに外国の地で雇用を促進し、地域経済を潤す大メーカーの進出が待ち望まれているかという事実に直面したことがある。

 1985年9月のことだった。旧文部省教員海外視察団の添乗員兼通訳として西ドイツ・リューネン市、アメリカ・ペンシルヴァニア州アルツーナとともに、イギリスのスコットランドに近い東海岸の中部都市サウスシールズで教育施設を訪問した時のことである。サウスシールズでは近くに日産の工場が建設される予定だと市民の間に歓迎ムードが満ち溢れていた。3日間の学校訪問が終わった夕べ、女性市長が市庁舎で歓迎パーティを開いてくれ、市長は近々開設される日産工場を待ち望んでいると挨拶された。それほど現地の人々は日本の日産自動車工場がやってくるのを楽しみにしてくれた。今ホンダの撤退を知るにつけ、彼らの失望感を想像すると堪らなく心が痛む。

 その土地に現存する施設が不意に無くなるということは、それを利用していた人々、恩恵を受けていた人々、愛していた人々にとっては例えようもないくらい、寂しく辛いものだということを感じる。ホンダ社長のコメントでは触れていなかったが、経営者はその地域の人々に対して大きな経営責任があるということを充分認識すべきだと思う。

2019年2月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com