充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
4867.2020年9月9日(水) 今日はおめでたい重陽の節句
今日9月9日は、祭日ではないが、おめでたい重陽の節句である。世界史上では中国の毛沢東・国家主席が亡くなった日でもある。
ついては、今日誕生日を迎えられた小中陽太郎さんは、生まれたのも昭和9年9月9日で、いわば「三重陽」とでも呼んだら良いほどおめでたい日に誕生された。お名前も重陽からつけられたと伺った。新型コロナウィルス感染の影響で、ご近所に住んでいながらしばらくお会いしていない。4月に明治記念館でお花見をする予定だったが、コロナ禍により急遽中止にした。取り敢えず、Face bookにお祝いの言葉を書いたところである。
この9月9日については、印象的な思い出がいくつかある。1976年には翌10日に羽田を発って旧文部省教員海外研修団で全国各地の30名の先生方にお供して欧米7か国を1か月間に亘って訪れ、ストックホルムとアメリカ東海岸のニュー・ベッドフォードで学校など教育施設を見学した時である。実は、その前日9日に中国の毛沢東・国家主席が亡くなり、国内外でも大きな話題となった。毛沢東は歴史上最も多くの人を殺害し、その数は実に6千万人と言われている。すべてが意図的に殺害したわけではないにせよ、農業政策の失敗による農村の食糧飢餓により餓死者を含めても桁外れに多くの国民を死に追いやった。毛沢東主席に比較してしばしば例に挙げられる旧ソ連のスターリンは、その残虐性によってライバルや、批判的な意見を言った人物を片っ端から無情に殺害した殺人鬼と呼ばれていたが、それでも被害者の数は2千万人である。毛沢東がいかに冷酷な独裁者であったかが想像出来る。
その毛沢東は、亡くなる前年の1975年8月、82歳8か月の時に右眼の白内障手術を受け、手術後1年にして83歳9か月で他界したそうだ。私は81歳10か月で左眼の白内障手術を受けるが、毛沢東の永眠までまだ2年ある。妙な点で似ているが、私は毛沢東とは別で虐殺とはまったく無関係であり、精々ニアミスにならないよう健康に留意したい。
特に前記の旅行で印象的だったのは、ニュー・ベッドフォード研修で余暇にジョン万次郎がホイットフィールド船長に救われ、船長とともに暮らしていた船長の自宅と博物館を訪問したことと、まだ東西対立が激しかった西ベルリンに滞在し、バスで国境検問所「チャーリー・ポイント」を東ドイツ兵の厳しい監視下に東ベルリンへ入域した時であり、その緊張感は何とも言えなかった。帰国後ジョン万次郎の寄宿家を訪れたと義父に話したところ、何と義父の大叔母が中浜家に嫁いでジョン万次郎の実家中浜家とは遠縁に当たると聞いてびっくりしたことがある。近々上梓する拙著のあとがきにこの点についても軽く触れた。
今日9月9日は他にもいろいろ思いがあって、今でも忘れられない1日となっている。
4866.2020年9月8日(火) 予定通り24日に白内障手術
来る24日(木)国立東京医療センターで左眼の白内障手術を受ける予定であるが、今日執刀医師による説明会があるということで医療センターへ出かけた。医療センターでは、医師が手術を受ける患者を対象に1時間半程度の説明をするということだった。しかし、新型コロナウィルスの影響で1か所に集まることは出来ず、1人ひとり別々にテレビ画面で説明するということから、タブレットによって15分程度の画像による説明を受け、その後に執刀医師から個別に検査と説明を受けた。
白内障手術を受けた友人は結構いるが、受ける立場からすれば、それほど大変な手術ではないと聞いていた。ただ、身体の中でも最も大切な目を診てもらうわけで、いくら設備の良い国立病院で名医の執刀であろうとのほほんとする気持ちにはなれない。3日前から所定の薬を服用し、手術以降は就寝時にも眼帯を外さないことが少々面倒である。それでも今世界が暗く見え、寝ながら読書することが出来ない状況では、手術後は世界が明るくはっきり見えるようになることを楽しみにしている。
さて、コロナ禍の中で観光業界が落ち込んでいるとの声に、7月から観光業全般の景気テコ入れとして国土交通省主導の「GO TO トラベル」キャンペーンが実施され、一部に問題があったとは言え、ある程度観光業界にとっては息をつくことが出来た。そこで柳の下の2匹目のどじょうを狙って、今度は農林水産省が旗振りして「GO TO EAT」キャンペーンを始める。あくまでコロナ禍に伴う外出自粛などの影響を受け、甚大な影響を受けている飲食業者に対して期間を限定して需要喚起を図る。
果たしてこれが観光業界全般にどれほどの効果をもたらすだろうか。
コロナが少しずつ終息の方向へ向かっているという一方で、一部にはむしろ逆に感染者が増える傾向が窺える。日本では確かに7月下旬を頂点に少しずつ減り始めている。だが、不名誉にも感染者数トップのアメリカをはじめ、2位のブラジル、3位インドは相変わらず増え続けている。そこへ異変が起きた。連日1日当たり9万人が感染しているインドが、昨日になってブラジルを抜いて2位に躍進?した。インドは何度も訪れたことがあるが、人口も中国に次いで多く、街に人が溢れ、とても「3密」を避けることは難しい。そして、衛生状態が悪いという悪条件が重なり、このままではインドのコロナ旋風を抑え込むのは容易ならないことである。世界で感染者の数は2千7百万人を超え、死者は90万人弱となった。この勢いからすると直ぐに、感染者は3千万人、死者は90万人に達することだろう。
折も折大統領選で苦戦を強いられているトランプ大統領が、コロナ・ワクチンを来月10月には提供できるだろうと随分楽観的な発表をしたが、一種の選挙戦術ではないかと俄かには信じ難い。アメリカも大統領がひとり相撲ばかり取っているだけに、科学的根拠よりも感情が先走って取り巻きはさぞや大変だろう。
4865.2020年9月7日(火) 国が民間企業に巨額の債務保証をしても良いのか?
昨日から今朝にかけて九州一帯を暴風圏に巻き込んだ大型台風10号は、北上して朝鮮半島へ去っていった。韓国、北朝鮮でもかなりの被害が出るのではないかと気になる。この台風は、度々の警戒警報により事前に避難した人たちが多かったせいか、幸いそれほど人的被害はなかった。しかし、雨と風が厳しく今日も広範囲の地域に影響を及ぼし、各地に大雨警報が出されている。
さて、数々の汚職疑惑を持たれたまま金融商品取引法違反と特別背任罪で起訴、収監されていた日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が、昨年12月保釈期間中に日本から逃亡し、ベイルートで悠々生活しているような不祥事を犯した日産自動車の今年度の業績は、6,700億円の純損失と2年連続の赤字の見通しである。その日産が驚いたことに日本政策投資銀行から、実に1,800億円の融資を引き出し、その内1,300億円に政府保証がついているということである。つまり、1民間企業の経営不振に対して政府機関を通じて貸付けて、最悪のケースで企業が倒産した場合、税金が注ぎ込まれるという危ない手を打ったのである。日産は日本経済をリードする大企業として政府としては倒産するのを見ておれないということだろうが、その貸付金の出どころは国民の懐である。債権者である国民の声を聞かずに、また国民に何の説明もなく多額の資金貸付の保証を与えるのは、あまりにも無責任ではないだろうか。
過去においてリーマンショック直後に日本航空へ470億円の保証付き融資を行ったが、その後日航が倒産して国民にツケが回ったことがあった。日産の例が今後悪い先例とならなければ好いが、このところ長らく財務省のトップが、財務にあまり精通しておらず、漫画本ばかり読みふけって威張りちらしている麻生太郎大臣では、これから先も心配でならない。
今朝の新聞訃報欄を見て、アッと驚いた。あの方がとうとうお亡くなりになってしまった。上智大学名誉教授のドイツ人アルフォンス・デーケンさんである。死とどう向き合うかなど「死生学」がご専門のようであるが、長らくカトリック・イエズス会司祭を務めておられた。デーケンさんとは日本ペンクラブのパーティで出会って以来、いつも「やぁ!コンドーさん!お元気ですか?」と気さくにお声をかけて下さり、楽しくお話しをした。3~4年前ぐらいからお姿が見えず、またこの3年間は年賀状もいただけず、どうされているか、気になっていた。享年88歳だった。またひとり存じ上げている方が亡くなり、世の習いとは言え一抹の寂しさを感じている。心よりご冥福をお祈りしたい。
4864.2020年9月6日(日) 童心に帰って「ガリバー旅行記」を楽しむ。
6月から毎週金曜の朝日夕刊全1頁に「ガリバー旅行記」が連載されている。小学生のころに児童書で読んだので、あらすじは承知しているが、これまで原書の翻訳文を読んだことはない。その意味では柴田元幸翻訳で世界的なベストセラーを改めて読むことになった。幸い知らなかったことを改めて知ることにもなりストーリーも結構面白いと思っている。
作者のジョナサン・スウィフトは17~18世紀のアイルランド出身の作家であるが、政治的な活動に関わっていたこともあり、文中に当時の皇帝や政治家に対する刺激的な表現が現れることがあると言われている。私自身子どものころの記憶でもあるので、やはりストーリーの細部についてはほとんど知らなかったと言っても好い。恥ずかしながら船が難波して漂着した小人の国が、「リリパット」という国名であることさえ知らなかった。そういう意味では、新しい外国文学作品を読んでいるのと同じである。
一昨日の文章で火事に遭った宮殿の消火に駆け付け、前日呑み過ぎたワインのせいでもよおした小便をかけて幸いにも消火することが出来たが、皇后から敬遠されるに至った話がある。あの時代にしても品の良い話ではなかったので、19世紀になって現場にある筈がない大きな桶で水をかけて消火したことにされたという。更に女性は字をまっすぐに書けないとやや女性蔑視の表現や、死者は頭から真っすぐ下にして埋葬すれば、ほぼ30年後には死者は蘇り、その時地上はひっくり返っているので頭から地上に出て来られると信じられていたというようなユニークなエピソードが目白押しで、今日でもそれなりに興味をそそる話である。
スウィフトが生まれたアイルランドは、イングランドとは言語的、宗教的にも一線を画している。スウィフトには、他のアイルランド人同様に大英帝国王を戴くイングランドや王室への複雑な気持ちがあったのかも知れない。
1992年旧文部省教員海外研修団でアイルランドの首都ダブリンの郊外ダン・レアラで学校など教育施設を訪れた時、現地の教育関係者から、イギリスと異なる点や、スウィフトについても随分話を聞かされた。
ともかくこの「ガリバー旅行記」は、私自身これまで知らなかったことを改めて教えてもらっていると思っている。まだ序章でもあり、この後ストーリーは原書に沿ってどんな波瀾万丈の展開を見せてくれるのか大いに楽しみである。
さて、ここ数日南方洋上で発生して九州方面へ北上している近年稀なほど大型の台風10号が、沖縄、奄美諸島を通過して今夜8時には九州全県が暴風圏内に入った。テレビ各局は朝から現地情報を交えて台風警戒報道で持ち切りである。JR九州新幹線が今日午后から明日終日運休、またJR山陽新幹線も明日は広島~福岡間で運休し、航空便も多くが欠航を決めている。そのせいで14日実施予定の自民党新総裁選挙はおろか、立憲民主党と国民民主党が合流して結党し、10日に予定している新党の代表選挙もすっかり影が薄くなっている。
4863.2020年9月5日(土) 「筑波山ガマの油売り」口上名人亡くなる。
今日の朝日夕刊「惜別」欄に去る7月に73歳で亡くなった歌手弘田三枝子さんが紹介されていた。「人形の家」などのヒット曲があるが、それより中々パンチのある「アスパラ」のCMソングがテレビから流れてきたのをよく覚えている。注目したのは、その隣に筑波山のガマの油売り口上で知られた吉岡久子さんの訃報である。やはり7月に96歳で亡くなられた。
実は、吉岡さんのガマ口上は、2004年12月4日に吉岡さんが大女将をしていた「筑波山江戸屋」に、茨城県教員海外視察団団員が24回目の同窓会に集まり、「1枚が2枚、2枚が4枚~」と懇親会で熱演してもらってじっくり鑑賞させてもらい強い印象を受けたことをよく覚えている。その時すでに80歳だった吉岡さんが、日本刀を抜いた迫力ある実演にはほれぼれした記憶がある。記事によると私たちが鑑賞した時は、筑波山ガマの油売り口上第19代名人「永井兵助」を名乗っておられた。確かにおぼろげながらそんな記憶がある。女性がガマの口上をするとは、筑波山でも珍しかったようだが、保存会事務局長も声と手の動きはしなやかで鮮やかだったと思い出を語っている。
それは想い出せばキリがないほど鮮烈な思い出の多い視察団だった。1980年12月茨城県教育庁課長を団長に、小中高の先生方と旧文部省係長を加えた計18名の教育関係者を案内して16日間、フランスのマルセイユとローマで小中高など教育施設を訪問した他に、マドリードとパリを観光した。ところが、その最中に世界中にショックを与える事件が起きて皆驚いた。12月8日深夜、あのビートルズのジョン・レノンがニューヨークのアパートを出た瞬間に、突然若者に拳銃で撃たれ、ほぼ即死状態だった。ちょうとその時我々はマルセイユにいたが、9日の早暁ジョンは亡くなった。マルセイユではジョン・レノン急逝は号外となって大きな騒ぎになっていた。レノン殺害事件はその後も何かとこの視察団でも話題となった。あれから早や40年が経った。
マルセイユについては、視察団の折団長、班長の先生とともに日本総領事館を表敬訪問して、総領事から市の様子もうかがった。また、愛読書のひとつ、デュマの「モンテ・クリスト」にナポレオン時代のフランスの街の雰囲気が伝えられており、その後2度訪れたが、その都度市内を歩いては主人公モンテ・クリスト伯への思い入れを重ね合わせたものだ。港から見える巌窟王の島・モンテ・クリスト島へも行ってみたいと思いながら望みは果たせていない。丘の上の眺望の素晴らしいノートルダム寺院も懐かしく想い出されてくる。
今この視察団は団長をはじめとして半数以上の団員がすでに冥界へ旅立たれた。団長が亡くなるまで同窓会「チボリ会」は、団員の先生方が仲睦まじく続けられた。旅行で一緒だったことを縁と絆にして、いつまでもこれほど長く親しく団員同士が交流していたグループは珍しい。いくつかの衝撃的なメモリーとともに、愛おしい思い出が蘇ってくる。
これまでに旧文部省海外教育視察団21団体のお供をしたが、それぞれに今も強く印象に残っている。すでに長い時間が経過したので、同窓会は今では1985年10月にご一緒した兵庫県視察団だけしか続けられていない。近年兵庫県の同窓会には出席していないが、そろそろ黄昏時になってきたので、この新型コロナウィルスの時勢下集まり難い環境にあるが、開催されるなら万難を排して久しぶりに懐かしい先生方のお顔を見に参加してみたいとの気持ちが強くなった。