充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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5011.2021年1月31日(日) イギリスが行った香港市民への支援策
新疆ウィグル地区とチベット自治区における少数民族に対する中国人民政府の抑圧が大きな問題を提起しているが、一昨年来香港の自治も危うくなってきた。特に昨年香港において国家安全維持法が施行されて以来、香港において保障された1国2制度が有名無実化され香港の自治が危機に瀕している。
その最中に香港の旧宗主国だったイギリスが、香港からの移民を受け入れる特別ビザの申請受付を始めるという。そもそも問題の発端は、中国が香港返還の際イギリスに返還後50年間は1国2制度を遵守するとの約束を一方的に反故にしたことにある。イギリスはその時点で中国政府に約束違反であると強く抗議すべきだった。それをあまり強い態度にも出ず、この期に及んでイギリスは香港に居住していると自由が脅かされると感じる香港人の支援に乗り出したのだ。
しかし、イギリスがこれまで世界の植民地で行った植民地政策、とりわけ分割統治は、決してその国の人びとと宥和するようなものではなく、逆に痛めつける非道なものだった。それが今では中国に対して理不尽だと叫んでいるが、かつての大英帝国時代に犯した自らの罪にてらしてみると好い。自らの残像とも言えるものである。
このほど上梓した拙著「八十冒険爺の言いたい放題」にも過去のイギリスの罪について触れている。アデンにおける植民地政策とロヒンギャ族発生の原因である。特に後者はイギリスが強制的にロヒンギャ族を現バングラデッシュ領からミヤンマー領内へ移住させたことが遠因である。その点についてイギリスは、これまでまったく責任を取ろうとしていない。その他にも私自身がイギリス政府から受けた無責任な所業を書いた。私が受けた無責任な所業とは、植民地アデン(現イエメン)のビザを東京の駐日イギリス大使館で発給してもらったが、その僅か1週間後にアデンは独立した。そのため私はそのビザではアデンへ入国出来なかった。大使館は当然独立について承知していた筈で、無効となると分かっていながら私にビザを発給した。結局役に立たないビザの代金を支払わされた。国家ぐるみの詐欺とも言える。
イギリスは、自ら蒔いた種を刈り取る気持ちがないばかりか、相手国民が大迷惑を蒙っても無視するのはイギリス流儀のやり方である。果たして、香港の人びとがイギリスに当面居住を許されたところでどこまで心底から彼らを支援してくれるだろうか。
それにつけてもそれ以上に非民主的なのは、中国である。イギリスが香港市民を受け入れるとの行為に対して、中国政府は厚顔にも「主権侵害」と反発を強めているが、香港市民の自由と自治の権利を侵しているのは、間違いなく中国政府ではないか。中国政府はきれいごとで一見辻褄が合っているようなことを叫ぶが、よくよく注意してみると自らが他国の自治を侵害しているのだ。
こういう民主とか、自治の自由について、取り敢えず現状では侵害されない我々日本人は香港市民に比べて幸せというべきだろうか。
5010.2021年1月30日(土) 確定申告書類作成にてんてこ舞い
今2020年の確定申告の書類作成に慌ただしく取り組んでいる。以前にも書いたが、パソコンを使用せず、スマホで申請するなんて時代の先端を行くようなことはせず、アナログ的にひとつひとつ手作業で時間をかけて金銭元帳に書き込んでいる。効率が悪いことは承知のうえで恐らく呆れる人もいるだろうが、今更新たにデジタル化する気はない。
作業をやっていて2020年は、思いがけず不労所得?が2つもあったことに考えが至った。ひとつは、全国民に支給された特別定額給付金であり、妻の分と合わせて20万円である。もうひとつは、手術を受けて生命保険会社から受け取った保険金である。これが支払った手術代金より多かった。手術とは、昨年秋国立東京医療センターで受けた左眼白内障と左足動脈瘤の2つの手術である。この会計上の処理方が分らず、どう処理すべきか青色申告会に尋ねてみた。いずれも納税する必要がないので、敢えて申告する必要がないとの回答だった。だが、申告しないと振り込まれている預金通帳の残高と合わなくなるので、その辺りも聞いてみたところ、それでは借方に「普通預金」、貸方に「事業主借」として給付金と保険金を計上してはどうかとアドバイスされそのように扱った。書類を書き上げるには、まだ数日かかりそうだが、これが終われば取り敢えずホッとすると思う。
さて、新型コロナウィルスの影響で東京オリンピックをはじめ、多くのビッグ・イベントの開催が危ぶまれている。昨春のセンバツ高校野球は、出場校が決定しながらも感染拡大により大会は中止となった。夏の全国大会も中止となった。今年はどうなるだろうか、何とも言えない難しい環境の中で昨日出場校32校が決まった。
しかし、観客を入場させるとの方針のようだが、いろいろ制約を設けるようだ。従来の大会のように各出場校の応援団がブラスバンドとともに派手に応援する光景は見られそうもない。また、コロナの感染者数次第では、途中から入場に別の制約をつける可能性もある。1954年高校へ入学した時母校は選抜に出場したが、応援には行かなかった。しかし、1回戦で敗れてしまった。
ざっと32出場校を見てみると、時代の移り変わりと傾向が窺える。出場校の中に私立校が圧倒的に増えたことだ。特に野球校と揶揄されるような高校が今年も何校か出場している。大学付属校も8校選ばれている。全体の1/4が進学の心配がない大学付属高校であり、中でも東海大学付属高校が3校も出場するのには、ちょっと驚いている。伝統校の中ではレジェンド中京大中京高と県立岐阜商高が2年連続で、それぞれ32回目、30回目の出場である。高校野球の強豪校も一極集中の影響か、大都市から選ばれる傾向が目立つようになった。
春は選抜からと言われるように、白球に快音、そして若々しい高校生の溌剌としたプレイには、随分元気づけられる。早くコロナが終息して欲しいとの願いと同時に、コロナ禍にあっても13日間無事に選抜大会が開催されることを願って止まない。
5009.2021年1月29日(金) 世界経済は一部を除き不況
このところ朝から晩まで、テレビは新型コロナウィルスに関する情報番組をやっている。現時点では、今月8日に11都府県に発出された緊急事態宣言のせいか、多少感染者は減っている。しかし、専門家が望む感染者減には至らず、2月7日までの期限に緊急事態を解除するか、或いは延期するかしきりに議論が行われている。現状では解除は難しいとの考えが官邸内や専門家から挙がっている。
コロナは世界経済にも大きな影響を与えているが、アメリカ経済も大きく落ち込んだ。にも拘らず、株価ばかりが上昇していた。そこへ実情を表しているというべきか、商務省が発表した2020年の実質国内総生産(GDP)は、前年比▲3.5%でリーマン・ショック後の2009年(▲2.5%)以来となるマイナス成長に沈んだ。第2次世界大戦終了後の1947年以降で最大の落ち込みである。旅行が制約され航空業界もどん底に近い落ち込み状態であるが、航空機製造会社ボーイング社も2020年の決算では、1兆2千億円の大幅赤字を出した。明らかにコロナの影響である。
しかし、この不況下にも拘わらず好況に浸っている企業もある。例えば、IT大手のアップルやフェイスブックなどは、売上、利益とも過去最高を更新したというから羨ましい。これは、コロナの感染拡大に伴うデジタル化の進展が大きい。テレワークが普及したことも利益に幸いしたと言える。
国別でも累計感染者が僅か899人でコロナの影響をほとんで受けていない台湾では、GDPが2.8%上昇したというから、いかにしてコロナを抑え込めるかが景気のバロメーターとなる。
さて、話題をちょっと大相撲に変えてみよう。今日元横綱の栃ノ海が亡くなった。小柄ながらも業師で横綱にまで出世し優勝は3度だった。私と同じ昭和13年生まれだが早生まれで、私より8か月ほど年長だった。実は、この栃ノ海が横綱になった力士の中で最長寿だったという。82歳10か月だった。同じ昭和13年生まれの横綱に柏鵬時代という一時代を築いた柏戸と佐田の山がいた。栃ノ海は技で、柏戸は力と硬軟対照的な横綱だった。栃ノ海とは異なり柏戸は58歳で他界した。五島列島出身の佐田の山は79歳で世を去った。昭和13年生まれの3横綱は同世代の私にとっても懐かしい力士である。
大相撲初場所は終わったばかりだが、両横綱が初日から休場し、最近の場所での休場が多過ぎるとして相撲協会から警告を受けた。両横綱は3月開催の春場所で鼎の軽重を問われる。初場所はコロナの影響で初日から16人もの力士が休場する意外な本場所となった。観客数も制限して極力コロナの危険から遠ざけようとの試みが行われた。その中で前頭の大栄翔が埼玉県出身力士として初めて天皇賜杯を手にした。
2か月ごとに開催される本場所は、感染から防げないとして7月の名古屋場所からずっと両国国技館で場所を開催している。3月の大阪春場所も国技館で行われることが決まった。大阪のタニマチもさぞや困っているのではないだろうか。
5008.2021年1月28日(木) 革共同議長・清水丈夫さん再び顔を見せる。
昨日聖徳太子不在説にびっくりしていたところへ、今日も私にとって衝撃的なニュースがあった。昨年9月15日に半世紀ぶりに世間へ姿を見せたとして警察をはじめ公安当局、マスコミからマークされていた中核派の元全学連書記長、革共同委員会議長の清水丈夫さんが、昨日再び姿を見せ記者会見を行ったとのニュースが今朝の朝日に載っていたのだ。これまで警察は清水さんの動向を追っていたそうだが、その割には、9月にしろ、昨日にしろ清水さんの身柄を拘束するようなことまではしなかった。清水さんはマイクを前に「革命情勢が到来した。労働者階級に訴えようと思った」と述べたが、近年中核派は反基地、反原発を訴えているという。
昨日に続けてご近所の小中陽太郎さんに電話で連絡し、しばし清水さんのパフォーマンスについて話し合った。偶々母校湘南高校ラグビー部は今年創部70周年の記念すべき年を迎えることになり、このほど創部70周年記念誌を発行した。私も拙稿を書いたが、その中に親しく、かつ一緒にプレイした部員として2年後輩の故竹内謙・元鎌倉市長と1年先輩の清水さんに纏わる想い出と印象を記した。入手次第小中さんに送ることを約束した。
そして午后になって高校ラグビー部で主将だった私を助けて副主将を務めてくれた大島泰毅くんが、昨晩のTBSニュースを観たかと電話をかけてきた。彼は清水さんがスピーチしている姿をじっくり観たという話だった。ラグビー部でともに戦った仲間同士でしばし懐かしい話をした。
それにしても清水さんと会ってじっくり話をしてみたいが、今や清水さんは外部との連絡が取り難い固い組織の中の中心人物になってしまい、個人的に会うことはほとんど夢となってしまった。しかし、例え会うことは叶わなくても清水さんの信念と一貫して揺るがない言動に敬服している私としては、いつまでも清水さんを見守って、清水さんが本当に目指したものは一体何だったのだろうかを突き止めてみたい。
今日驚いたもうひとつのニュースは、新型コロナウィルスの感染者がついに世界で1億人を超えたことである。新聞によると地球上の人類の78人にひとりがコロナに感染していることになる。今もその勢いは一向に衰えることがなく、1日当たりの新たな感染者は60万人になった。その中で多少なりとも希望の持てるのは、ワクチンの接種が漸く現実味を帯びてきたことである。未だ接種を受けた人は、人口の0.8%だというから人類が全員接種を受けることを考えると気が遠くなる。日本でも一般的には、高齢者から接種を受けることが出来る。しかし、その予定が当初3月下旬とされていたが、4月1日以降に順延されるようだ。
すでにミヤンマー、ネパール、インドネシアなど途上国でも接種が始まり、イスラエルなどは人口の3割が早や接種を受けたという。ワクチンへの交渉は早かったようだが、どうして日本では後手にまわることになったのだろう。
5007.2021年1月27日(水) 聖徳太子は日本にはいなかった?
今日は意外なことを知った。朝日新聞の「文化・文芸」欄に国文学者・中西進氏が「人生の贈りもの」としてインタビュー連載の中でいろいろ語っている。今日の連載で、中西氏の東大学生時代の国文科同級生で、先日亡くなった作家・半藤一利氏と対談した時に半藤氏が聖徳太子はいなかったと思うと述べたことである。こんな歴史上重要な人物の存在感を覆すような話を半藤氏が亡くなってから知っても、今更半藤氏に確認しようがない。中西氏は万葉集の研究で知られ年号「令和」の決定にも関わったが、4年前までは日本ペンクラブ副会長をされ、総会の折に何度かお話ししたことがある。話好きなせいか、スピーチもつい長引いて拍手で降壇を促されることもあった。
実際朝日朝刊「文化・文芸」欄で公に聖徳太子不存在説を話されても当惑するばかりである。実のところ半藤説は本当だろうかと疑問を抱いた。小学生のころから聖徳太子の名前を授業で何とも聞かされ、日本最初の十七条憲法を制定した人物と言われ、飛鳥寺をはじめいくつかのお寺に聖徳太子像がある。また、現在の1万円札は福沢諭吉であるが、それ以前は聖徳太子だった。生年月日まで分かっていて唐突に現存しなかったと言われても困る。あれほど歴史上の事実を追及するのに熱心だった半藤氏が、何故そのような悩ましいことを、いくら親友とは言え中西氏に語って謎を残したまま冥界へ旅立ったのだろうか。
鎌倉幕府が成立したのは、1192年と考えられていたが、何年か前に実際には1185年の方が相応しいということから、頭の切り替えをして「イイクニ」から「イイハコ」と考えるようにした。鎌倉幕府の成立については多くの専門家が精査、検討したうえでそうしたのだろう。だが、聖徳太子がいなかったとは、半藤氏だけの考え、推察ではなかったのだろうか。今更聖徳太子なんてこの世にいなかったなんて言われても、確たる証拠があるならともかく思い付きのように言われても困る。
ところが、この話を近くに住んでおられる小中陽太郎さんに電話でお話ししてみたところ、その話は以前にもかなり信憑性を持って伝えられたと仰った。調べてみたら良いのではないかとアドバイスされたので、早速ネットで調べてみると2つの説があった。聖徳太子は「いた」、とも「いなかった」とも結論は得られなかった。いずれも聖徳太子が「厩戸王」の名で、十七条憲法制定、官位十二階の制定、遣隋使の派遣など後世に残る数々の偉業を成し遂げた。そして厩戸王が後世聖徳太子と呼ばれるようになった。それなら聖徳太子はいたことになるが、それがそうでもないようだ。このため、近年日本史教科書には、聖徳太子の業績があまり掲載されなくなったという。日本歴史上の変更があるのだろうか。
こういうことなら、ここは半藤一秋氏にもう少し生き伸びて、聖徳太子不存在論に積極的に加わって。一石を投じて欲しかったと思う。