充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
5051.2021年3月12日(金) 朝日新聞読者欄に興味を惹かれる。
このところ暖かい日が続いている。今日東京都内の気温は17℃で4月中旬並みの暖かさだった。やや早いが、昨日広島で全国のトップを切って桜の開花宣言がなされた。今日は福岡でも開花宣言があった。恐らく来週には靖国神社の桜も花開くことだろう。
今朝の朝日新聞の読者投稿欄「声」を何気なく読んでいて2つの投稿に興味を惹かれた。ひとつは、86歳の男性の「開戦の年、満開の桜の下で入学」というものである。昭和16年に母親に連れられ国民学校へ入学した。その時校門傍の桜が満開だったことをよく覚えているという。戦争ごっこをやって遊び、軍歌も随分歌ったようだ。今の新入生には、平和の歌を口ずさんで校門をくぐって欲しいと願っておられる。私が入学したのは、その4年後で終戦の年、昭和20年だった。両親は勤務と家事から手が離せず、知り合いのおじさんに学校へ連れて行ってもらった。桜については記憶がないが、校門の正面に大きな二宮尊徳像が建立されており、おじさんに像に向かって礼をするよう言われたことを覚えている。入学してから軍歌も歌ったが、間もなく終戦になって戦後の流行歌をお隣のお兄さんのギターに合わせて歌ったことが思い出される。よく覚えているのは、♪鐘の鳴る丘♪、♪青い山脈♪、♪湯の町エレジー♪、♪憧れのハワイ航路♪などだった。今こういう歌はテレビでもあまり歌われなくなったが、時折「懐かしのメロディー」風の歌番組が放映されるとつい観てしまう。
もうひとつの「声」は、福島県の68歳の会社役員で、「ミヤンマー 国民納得の収拾策を」とある。これは、昨年11月に行われた総選挙でアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したが、軍は不正があったとしてクーデターを敢行したことに疑問を呈したものだ。不正が事実というならすぐに再選挙を行い、不正排除のための徹底監視を行う必要性について述べている。この方がクーデターで大量の犠牲者を出したというコメントは正しくない。確かに犠牲者は出たが、他国の似たようなクーデターや騒動に比べれば、犠牲者の数は遥かに少ない。これはミヤンマー人の国民性の故であると思う。もうひとつ興味を抱いたのは、イラワジ川の渡し場でたたずんでいたところ、売り物のブドウを1房くれた見ず知らずの女性のことである。それは旅人への無償の施しであると書いておられる。この行為こそが実にミヤンマー人らしい。今ミヤンマーについて拙稿を2つ書いているが、この国の国民性、民族性は近隣諸国のそれとは随分異なる。その辺りについていくつも例を挙げながら分かってもらえるようペンを走らせている。とにかく旧ビルマは最も好きな国であるが、外国に誤解されることと、経済成長が近隣の国々より遅れていることが残念である。
5050.2021年3月11日(木) 東日本大震災発生10周年
今日は東日本大震災10周年目に当たる。各被災地では追悼式が行われた。東京では国立劇場において日本政府主催「東日本大震災十周年追悼式」が、天皇・皇后両陛下ご出席の下に行われた。昨年は新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止となり、天皇がこの追悼式に出席されたのは初めてである。政府からも菅首相の他に衆参両院議長が出席され、それぞれ追悼の辞を述べた。
10年前の地震が起きた午后2時46分には書斎でパソコンを叩いていた。突然揺れてしばらく止まない。電線が大きく揺れていた。これは大きな地震ではないかと思った。それがかくも被害をもたらすような大地震になるとは思いも寄らなかった。そしてあれから10年目の今日も同じようにパソコンに取り付いていた。10年間生活が変わっていないと言うことであろうか。
これまでに確認された死者と行方不明者は、合せて18,425人で、関連死を合わせると実に22,200人に上る。インフラ施設はかなり復旧したようだが、被災者の気持ちとしてはまだ復興したと実感している人は被災者の半分にも満たないという。家族を喪ったりして、気分的にも気持ちを取り戻すことが出来ないからではないかと思う。避難者はなお4万人を超えるという。三陸海岸には造成されても人影のまばらな街があるといい、福島県には7千人もいた町民が1人も帰れない町がある。放射能によって故郷を追われてしまったのだ。
今日は朝から晩まで新聞、テレビは震災報道に溢れている。朝刊丸々一面を使ったYAHOOの「防災大国から防災大国へ」というカラー広告まであった。
これからも毎年この日を迎える度に、恐ろしかった大震災を想い出すことだろう。
さて、イギリスのハリー王子とメーガン妃夫妻が、イギリス王室から出自を理由に差別的な目で見られているようなことを、アメリカのテレビ記者会見で話したことをきっかけにイギリスとアメリカで大きな関心を呼んでいる。メーガン妃の母親がアフリカ出身ということと、メーガン妃に離婚歴があったことから当初から2人の結婚には必ずしも誰もが祝福と言うわけではなかった。結婚後2人はアメリカへ渡り、アメリカで生活を送ることになった。王子はよほど結婚後王室の対応に理不尽さを感じたのか、イギリス王室離脱まで言い出した。偶々この度の騒ぎは、メーガン妃が妊娠中に子どもの肌の色がどれだけ濃いのかとの懸念がイギリス王室内で話されたとテレビで喋ったことがキッカケとなった。ハリー王子夫妻に対する同情の声はイギリスでは低く、出身国のアメリカでは高い。
ただ、はっきりしているのはイギリスもアメリカも水面下では人種差別感が根強いということである。ハリー王子がメーガン妃と結婚した時、すでに今日の騒ぎは予想されていたと思う。両国では男女差別をしきりに問題視するが、それ以前にアングロサクソンは、人を人とも思わない人種差別主義を絶対的に止めるべきである。さもないと同じようなトラブルは今後も間違いなく発生する。
5049.2021年3月10日(水) 広島に次ぐ犠牲者を出した東京大空襲から76年
今日3月10日は、76年前に東京大空襲があった日である。その後も5月までに4回のアメリカ軍による無差別爆撃が行われ、東京都内は下町を中心に焼き尽くされ多くの被災者を出した。3月10日の第1回の空爆では、罹災者は百万人を超え、死者の数は11万5千人以上だった。私は房州へ疎開していたが、国民学校入学目前だった。
故林家三平の妻海老名香葉子さんのもとへ今日アメリカの駐日代理大使から追悼の機会を与えていただいたことに感謝する手紙が届けられた。海老名さんは、疎開していて難を逃れたが、この大空襲で都内にいた祖父母、両親、兄弟6人を一辺に喪った。
長崎より多く、広島原爆投下に次ぐ犠牲者を出しながら、東京大地震はそれほど注目されて来なかった。今日のテレビ、新聞でも前記海老名香葉子さんのニュース以外関連ニュースは目にしなかった。近年は明日発生から10年目に当たる東日本大震災の被害が大きく報道される一方で、注目は薄れるばかりである。メディアでは数日前から大震災の詳細を伝えて、改めて日本国民に自然災害の恐ろしさを啓蒙している。
実は一部にはこういう穿った見方がある。アメリカによる東京大空襲を伝えようとしないのは、日米同盟強化を進めようとしている日本政府のアメリカへの気兼ね、或いは忖度があるからではないかという見方である。その点では、東日本大震災を派手に報道すればするほど発生1日違いの東京大空襲を実行したアメリカへの非難が弱まるというのである。少々斜視な見方であるが、なるほどと思う点もある。そういう穿った考えをシャットアウトするためにも、大震災にも大空襲にも同じような気持ちで向き合い、東京大震災についてもっとメディアは取り上げるべきだと思う。
さて、このところ減少傾向をたどってきた新型コロナウィルス感染者が下げ止まりとなっている。昨日、今日の新規感染者は先週より増えている。
こんな空気を配慮したのか、政府、東京都、大会組織委員会は海外から来る観客を受け入れることを見送る方針に切り替えたようだ。来る25日より福島を起点に始まる聖火リレーを前に結論を出すということである。今日も国土交通省は航空会社に対して日本向けの航空機搭乗客の人員を減らすよう要望し、日航、全日空はそれに従うと述べた。オリンピック開催の短期間の間にあらゆる方面から大勢の外国人が来日することは、入国に際して諸手続き、医療ケアなどを考えると医療関係者のマンパワーはとても足りない。仮に入国後に新規感染者が発生したケースを考えると、その対応には問題点が多い。開催自体もまだ最終的に決定したわけではない。諸問題をクリアして問題が生じない環境を整備しなければならない。オリンピックが開催されるのかどうかはまだ分からないが、それほど難しい段階に来ている。外国人観客を迎え入れたいが、諸般の事情はそれを許さない。慎重に、慎重に結論を出して欲しいものである。
5048.2021年3月9日(火) 2.26事件の世相をアルバムに見る。
昭和11(1936)年に発生した2.26事件は、日本軍国主義化への動きに拍車をかけた大きなきっかけとなった。私の生まれる2年前だからその当時どんな世相だったのか、以前から興味があった。
偶々自宅書斎に埋もれたままでその当時の東京下町の日常生活を撮ったアルバム集をじっくり見直した。1974年晶文社から発刊された、「東京昭和十一年」と題する桑原甲子雄写真集である。読書好きだった義父から譲り受けた1冊で、何気なく頁をめくっていると何かしら懐かしい匂いがする。このアルバムに見る写真は昭和9年から18年までまたがっているが、昭和11年を中心に13年にかけて撮影されたのがほとんであり、2.26事件のバックグランドを知るには好都合である。中には終戦直後の疎開先で見たような光景もあって妙に懐かしい。撮影した桑原氏は1913年下谷生まれだから、昭和11年と言えば23歳のころだ。
説明文を読むと多くのあの戦時体制の世の中のありようが想像出来る。いくつか珍しいと思ったことを拾ってみた。
1.東京市内のどこにも原っぱがあった。今ではほとんどなくなった。
2.よく雪が降った。雪の中を下駄で歩く人が目についた。そう言えば、2.26事件の折も雪が降りしきっていた。
3.紙芝居が出回り出した。
4.浅草界隈は賑わっていた。
5.どこの家でもおしめと洗濯物を干していた。
6.旅館は1泊1円
7.市電より市バスの方が高かった。
8.昭和12年には小学生の戦勝旗行列が目立った。
9.中国大陸へ出征兵士を送ることが多くなった。
10.路地の入口に「牛馬車、自動車通行止」の立看板が見られた。牛馬車がいかに多かったかが分る。
11.袈裟をかけた愛国婦人と「盡忠報国」の幟が町のあちこちに
12.女性はほとんど和装
幼かったが、戦時中や、終戦直後の記憶は今も脳裏に残っており、いくつか思い当たる事象がある。それにしても軍国化の道を歩んでいたあの当時からしばらくして、「贅沢は敵」と言われるようになった。息苦しい時代だったと思う。私たちを育ててくれた両親たちは、随分大変な時代をかいくぐってきたのだと思う。それでもあの苦難の時代を映し出している写真をこれだけ沢山見ると、当時の現実感をまざまざと焼き付けられる。そう考えると写真とは、偉大な歴史資料であることがよく判る。
5047.2021年3月8日(月) 今更ながら呆れる国会議員の資質
最近国会予算委員会などで質疑応答をテレビで観ていて低レベルのやり取りに呆れることが多い。質問者はともかく、回答者の説明と内容、そして周囲の閣僚級議員のお行儀の悪い態度を見ていると、こんな人たちに国政を任せておいて大丈夫だろうかと心配になることがしばしばある。最近では、武田総務相が総務省幹部が接待について聞かれて答えている隣で背広のボタンを外して身じろぎもせず、ただボッーと天井を見上げている無気力な姿を見て、質疑を聞いているのだろうか、また質問が分っているのだろうかと気になった。
今日の参議院予算委員会では、いつも傲慢な態度で下品に存在感を示している麻生太郎副総理・財務相が、ふざけた応え方をしていた。少子高齢化で現役世代の医療費負担が増えている問題で、現役世代の負担軽減策について国民民主党の浜口誠議員が質問したのに対して、菅首相は浜口議員と同じ考え方だと応えたが、その質問を麻生副総理に振ったところ、麻生氏は「いきなり急に振られてね、質問に答えて下さいと言われても、今の質問ほとんど聞いていなかったので」と答弁し、委員会室では抗議の声と笑いが起きた。このご仁は、何のために予算委員会に出席し、質問者に応える場に座っていたのだろうか。国会ばかりでなく、国民を舐め切っているとしか思えない不誠実な言動である。この場面をNHK夜7時と9時のニュースでは、菅首相と浜口議員のやり取りは放映されたが、麻生副総理の質疑場面はカットされていた。総務省がNHKに圧力をかけたのだろうか。元々麻生氏は国会議員には相応しくない常識と能力の持ち主である。政治家としての血筋と裕福な資産を有していたお蔭で今日幸運にも副総理という座に座っていられるだけの話である。子どものように漫画が大好きで読書せず、国会答弁で「有象無象」という言葉すら読めずに笑い者となった過去を持つ。それが今以て謙虚さを持ち合わさず、野党質問者の質問を聞いていなかったとあっては、その場にいる資格がないということだ。質問した浜口議員に対しても失礼ではないか。こういう程度の低い議員に今も要職を務めさせ、辞職を迫る動きもないというのだから、国会議員全体の質と知的レベルも推して知るべしである。
国会内からの自浄作用が期待出来ないなら、せめてメディアが批判して本人に反省を求め、場合によっては議会から追放することは出来ないものだろうか。知識も常識もなく、業務についても不真面目では呆れ果てるばかりである。
さて、気になっているミヤンマー情勢であるが、ここへ来てCDM(Civic Disobedience Movement=市民による不服従運動)が広く注目されるようになった。軍事政権に対して服従しないと所属する軍や警察に愛想を尽かして、離脱する道を選ぶ人が増えてきたことである。
ワシントンの駐米ミヤンマー大使館は、武力で権力を握った軍を自国政権とは認めないとミヤンマーの在外公館の中では初めて軍事政権に反対する意思表示をした。在日ミヤンマー大使館は意思表示をしていないが、一部の書記官らが軍事政権には従えないとCDMを支持した。今まで何度も訪れて多くの親切なミヤンマーの人たちに世話になっただけに、彼らは今どうしているだろうかと心配でならない。