充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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5656.2022年11月7日(月) 天才ピアニスト・ブーニンを通してロシアを見る。
ウクライナへ侵攻したロシアの身勝手な言い分と行動には愛想を尽かしているが、これはリーダーたるプーチン大統領だけが悪いのではなく、ロシア人の本質とスターリン的帝国主義に基づく非民主主義的体質が関係しているように思えてならない。
一昨日夜NHK・BSで天才ピアニスト、スタニスラフ・ブーニンを描いたドキュメント「それでも私はピアノを弾く~天才ピアニスト・ブーニン9年の空白を超えて」が放映され、引き込まれるように最後まで観てしまった。ブーニンというそのロシア的名前は、早くからよく知っている。19歳の時ショパン国際ピアノコンクールで優勝して天才ピアニストとして持て囃される。その4年後の1988年、有名人となったブーニンはKGBの監視に身の危険を感じて母とともに母国ソ連から西独へ亡命した。ソ連が崩壊したのはその3年後のことである。ブーニンが母国を捨てたのは、著名人に対する監視に耐えられなかったことと、旧ソ連の自由と人権を抑圧する厳しいソ連式社会主義体制の締め付けがあったからである。ソ連政府はこれら芸術家を外貨稼ぎの道具とみて、同時に国威発揚のシンボルとして都合よく利用し、監視した。文化人が外国で稼いだ所得はその多くをソ連政府に掠め取られ、行動は常に監視付きで心の休まる閑もなかった。海外へ出かけてもその行動は、常にKGBに付きまとわれ、外国での演奏会も指図されかねなかった。
KGBの監視がいかに気持ちを落ち着かせず、恐ろしいものであるかということは、実際に経験してみなければわからないものだと思う。かつて、東西対立時代の1983年旧東ドイツのカール・マルクス・シュタット(現ケムニッツ)で、旧文部省教員海外派遣団と一緒に同地に滞在の間、派遣団は四六時中シュタージと呼ばれた東独のスパイ監視組織に付きまとわれ、教室で質問すると、応える東ドイツの教育者はいちいちシュタージの顔色を見て答えるように気持ちの休まることがなかった。我々視察団より我々を世話してくれた同地の教育関係者が随分迷惑をこうむっているようで気の毒だった。
ブーニンもKGBの被害者のひとりであるが、幸い亡命することによって西欧では演奏活動を続けることが出来た。ただ、KGBの追求は逃れることが出来たが、その後は個人的に不幸にして左手が麻痺するというピアニストにとっては致命的な症状に襲われた。他にも転倒して痛めた左足が縊死し、手術を受けたことによってピアノのペダルを踏むのに苦悩したようだ。それらの苦労を乗り越え、ブーニンは長い9年間の空白期間の後に復活した様子が、このドキュメントで分かりやすく紹介されている。
一時は復活を諦めかけた時期もあったようだが、本人の強い意思と日本人の榮子夫人の愛情溢れる支えがあったからである。八ヶ岳高原音楽堂の復帰公演における夫婦の睦まじい様子や、日本とドイツ・ケルンの間を往来する生活などがとても温かく、心を和ませてくれる。
それに引き替え、ブーニンに愛想尽かしをされた旧ソ連と現在のロシアには、自由と民主主義が全く見られない。国際社会の厳しい非難を浴びながら、盟友・中国の支援を頼りに何とか無理して侵略戦争を戦っているとの印象が拭えない。
5655.2022年11月6日(日) 人情と思いやりが薄くなった昨今の世相
最近あまりお世話になった人や行為に対して感謝の気持ちを素直に表さないという話を、しばしば耳にする。特に若い人たちが、親切な扱いを受けても心に感じることもなく、当然のような態度を示すことが世の中をギスギスさせているのではないかと思っている。
昨日、妻からこんな話を聞いた。昨日友人に会うために駅へ向かって歩いていた時に、スーパーの前を通ったら小学3年生ぐらいの女の子が自転車を引きながら、大きな声を上げて泣きじゃくっていたという。人通りもある中で、このままでは心配だと案じた妻が、その子に「どうしたの?」と声をかけたら、母親とはぐれてしまったと言い涙が止まらないようだった。妻はそのまま見過ごすわけにもいかず、携帯を持っているなら、電話をしてみたらと尋ねてみたところ携帯を失くしてしまったという。「お母さんの携帯№を知っている?」と聞いたら知っているというので、妻のスマホで母親の携帯へかけてみたら、留守番電話だった。妻は携帯へメッセージを残して、しばらくお嬢ちゃんをなだめていたところ、妻のスマホが不意に鳴ったので出たらその子の母親からだった。妻が事情を話し、今ここで待っているから娘さんを引き取りに来て欲しいと居場所を伝えた。やがて母親が駆けつけてきて、娘に自分(母親)から離れないように随分言ったでしょうと言うだけだったという。妻がそれまでの事情を話すと「それはどうも」と言って、娘が世話になったとか、ありがとうございますの一言もなかったという。妻はそのまま2人と別れたというが、その話を聞いて妻より私の方がカチンときた。
これが今どきの若者気質というのだろうか、若い母親の態度には呆れてしまった。同時に、こんなことはあってはいけないと自らを戒める「人のなり見て我がふり直せ」を噛みしめている。
これは偶々身内が出会った「他人の気持ちがわからない思いやりのない人」の例だが、世間には同じようなことが山ほどある。気になるのは、以前はどこにもあった人の情が近年見られなくなったことである。
ついては、最近アメリカでツィッター社を紆余曲折の末に、総額440億㌦(約6兆4千億円)の巨額で買収した起業家イーロン・マスク氏が、買収直後に自らツィッター社最高経営責任者(CEO)に就任して実権を行使して、他の役員を全員解任した。その後、全世界のツィッター社全従業員7,500人の内、半数を一方的に解雇すると述べた。そのやり方も前代未聞のスケールで、思いやりの欠片もない。全社員宛てのメールで自宅待機を命じ、解雇対象者にはメールで通達するというものだったようだ。労使の話し合いなんてあったものじゃない。このような一方的で、社員の人権や立場を考慮せずにその場でバサッと首を切るとは、人情の片りんも見られない。これも最近の世相を反映しているようで、情けがなさ過ぎる。前段の妻の話とは異質であるが、今や世界は分断、争いが溢れるようになった。このような世情で人の情けや思いやりも消えていくのだろうか。実に辛く寂しいことである。
5654.2022年11月5日(土) コロナ規制は緩和して大丈夫か?
新型コロナウィルス新規感染者がここへきて減るどころか、むしろ漸増傾向になって来た。それでも観光業を主にあちこちで制限緩和が行われているようだ。
2020年1月に横浜港を出港した大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号(DP号)から香港で下船した男性乗客が、コロナに掛かっていたことから横浜へ戻って来た同船に何人かの感染者がいたことが分った。船は横浜港に足止めされることになり、その後もDP号から乗客が発症した。船員、乗客合わせて3,713人が乗っていたが、その内の714人が感染し、14人が死亡した。
そのためクルーズ客船は、21年以降まったく日本へは寄港することなく、かつて17年にはクルーズで252万人が来日していたが、21年にはついにゼロとなった。クルーズ・ブームは消えつつあった。その後DP号は運行を停止していたが、来春3年ぶりに再開することになり、予約販売は好調だという。
中学時代の友人が、来年5月に夫人とともにクイーン・エリザベス号で沖縄、台湾を巡る10日間のクルーズに参加すると手紙で知らせてくれた。世界でも最高級の大型クルーズ船でもあり、コロナ禍のうっぷん晴らしには最高のツアーだと思う。2度目の乗船というからよほどお気に召したのだろう。とにかく広い海と青い空の中をゆっくり旅をエンジョイ出来るのは船旅の魅力だと思う。私たち夫婦も、アテネ・オリンピックの前年にエーゲ海クルーズを、そして4年前にはニッポン丸で神戸港から横浜港までクルージングを楽しんだことがある。ただ、現在コロナ禍が完全に終息したわけではなく、むしろこれから患者が増えそうな時であるがけに、友人が楽しみにしている旅行が中止にならなければ好いがと願っている。
さて、習近平・中国国家主席の独裁色が益々強まり、人権問題、台湾問題、ウクライナ危機などを巡り中国とヨーロッパ諸国との関係が懸念されている中で、ドイツのショルツ首相が昨日中国を訪問し、習主席と会談した。会談で習主席はアメリカ主導の「対中包囲網」に加わらないようショルツ首相に訴えた。一方のショルツ首相は、バランス感覚と現実主義が必要だとして、中国は最大の貿易相手国であり、アメリカのように関係を絶って行く動きには一線を画すと述べ、ヨーロッパ・エアバスと旅客機140機販売の契約を結んだ。最近ドイツでは貿易港ハンブルグの港湾管理会社に中国の海運大手企業が、35%も出資することが国内で問題となっていた。それを何とか24.9%に圧縮した。だが、ドイツは、他のEU諸国の対中国外交方針とは大分異なるようで、アメリカや他のEUとの間でさざ波が立たなければ良いがと懸念する。
今日午後は、いつもお世話になっているITコンサルタントの小糸武彦さんに来宅してもらい、いつもこのブログを発信しているノートPCを新しいPCに替えてもらい、インプットしてある情報をすべて新PCへ移設してもらった。ブログも幸い今日で語呂合わせのような5555回連続というひとつの節目を迎えた。HPをはじめ全体に情報量が多いので、2時間ほどかかってしまった。これで時折PC操作上首を傾げるようなこともなくなるのではないかと期待している。
5653.2022年11月4日(金) 国際政界の著しい変転ぶり
先日ブラジルの大統領選があり、右派の現職ボルソナロ大統領が左派のルーラ前大統領に敗れた。そのボルソナロ大統領は、トランプ米前大統領と同じように選挙に不正があったと主張して、敗戦を認めず、ルーラ新大統領にエチケットである祝福の言葉すら送ることをしなかった。
ついては、昨3日イスラエルでも総選挙が行われたが、これはブラジルとはまったく逆の結果となり、現職ラピド首相が率いる中道左派と左派グループは、ネタニヤフ元首相の率いる極右「リクード」陣営に敗れ、政権を明け渡すことになった。ただ、ボルソナロ大統領と異なり、ラピド首相は潔く敗北を認め、ネタニヤフ氏に「イスラエル国民のために、ネタニヤフ氏の幸運を祈る」と祝福の言葉をのべた。
気がかりなのは、元々極右のネタニヤフ氏が政権カムバックすることによって、以前の在職時と同じようにアラブ人への弾圧が一層厳しくなると見られ、国内でテロ騒ぎが頻発するのではないかという懸念がある。それにしても、今回のブラジルやイスラエルのように、政治が極端から極端へ転換すると国民が選択したことであるとは言え、かなりの国民は面食らうのではないだろうか。その点では、中道政治グループがもっと活動し存在感を示して、極端に走りがちの政権にブレーキをかけさせることが必要ではないかと思っている。イスラエルは最近4年間に5度の総選挙を行った。それだけ政局が不安定であることを表している。
あまりにも過激に過ぎると、次のような手荒なことが起きる。アメリカのペロシ下院議長宅が暴漢に襲われ、ペロシ氏は留守で難を逃れたが、自宅にいた夫が負傷した。アメリカ国内には暴力の下地があり、民主主義国家としては恥ずかしいことである。政治家が襲われることは、昨日パキスタンでも起きた。イムラン・カーン元首相が集会の最中に銃で撃たれ負傷した。こういう事態が頻発するのは、アメリカに例えれば、今以て西部開拓時代の暴力野放し時代から抜け出せないということである。こうなると子どもが銃砲を持つのと同じである。民主主義社会が進歩していると言いながら、実際にはアメリカでは民主社会が後退していると言うことである。そうなると、国が核を持つ怖さが現実味を帯びて来る。日本の周辺にも、わからずやの暴力団組織が見られる。プーチン組と習近平組、そして金正恩組である。気を付けないといつ彼らに襲われないとも限らない。
さて、このところコロナ新規感染者数が、全国的に拡大している。第8波の到来という警鐘があまり重視されず、全国旅行支援キャンペーや、外国人入国制限の緩和のように、全体的に緩和の傾向が窺える。だが、このままにしておいて良いのだろうか。今日東京都ではその対策について専門家会議を開いた。新規感染者数の7日間平均が、10月26日の3,305人から今月2日の1週間の間に4,306人に増え、約千人もの増加となった。入院患者も増え、去年末の高い水準を上回っている。夜の街への人出も3週間前に比べて、約38%も増えている。このままにしておいて好いのだろうか。いよいよコロナ第8波到来ではないだろうか。
5652.2022年11月3日(木) 84 歳の誕生日に忌むべきミサイル発射
先月末から4日まで米韓軍事演習が軍事境界線を挟んだ海域で行われているが、昨日北朝鮮から日本海と黄海へ向けて20発以上のミサイルが発射された。これに対抗して韓国軍が北側の公海へ向け、3発のミサイルを発射した。少し緊張感が高まったと思っていた矢先の今朝、北朝鮮はまたもや弾道ミサイルを発射し、新潟、青森、山形、宮城などではJアラート(全国瞬時警報システム)が出され、東北及び北陸新幹線が一時運行を停止した。その後ミサイルは日本上空を通過して太平洋上に落下したと報道された。夜9時半過ぎになって、また警報が流れて来た。北朝鮮が性懲りもなく今朝に続いて再び3発の弾道ミサイルを発射したという。
しかし、今朝のミサイルは、実際には日本上空は飛行していなかったことが分り、その点は取り消された。このJアラートには、しばしば誤りが起きる。先月4日には北海道上空を飛んだとJアラートが発せられたが、実際には北海道の上空飛行はなかった。今回も新潟県関川村では、Jアラートが発せられたが、音声が流れなかったことが分り、防衛省では現在調査を行っている。
奇しくも今日は年男の私にとって84歳の誕生日である。選りによって、明治天皇と同じわが誕生日の「文化の日」に、祝砲を打ち上げてくれるなら嬉しいが、誰もが恐れるミサイル弾道弾を打ち上げるとは、相も変わらず悪魔・金正恩と悪魔が牛耳る北朝鮮という「自治体」は嫌なことをやってくれるものだ。今日は天候も良さそうなので、横浜に住む息子から一緒にお墓参りをしようと2,3日前から提案されていた。コロナ禍でしばらく訪れなかった妻方の多磨墓地と近藤家の中野・宝仙寺へ、息子の車で久しぶりに訪れ参拝した。暫くはこれで気分的に落ち着けることと思う。
さて、84年の生涯を今改めて振り返ってみて、完全とは言えないまでも、まずは満足すべき人生だったと言えるのではないかと思っている。幸い家族にも恵まれた。子どものころより結構自分の思い通りに生きて来た。小学校(当時国民学校)1年生時に終戦となったので、戦争の怖い体験はいくつもある。国民学校で先生に連れられ、クラス・メートと田んぼ道を歩いていた時、突然米軍戦闘機編隊が急降下して襲われかかったが、パイロットが子どもの集団と判ったのか、急上昇して遠ざかり助かった。また、米軍機の来襲により慌てて防空壕に逃げ込んだり、戦後の物資不足の時代に苦労した両親の姿を目にしているだけに、両親の言い付けは守り、父の転勤に依る引っ越しと転校にも黙って従ってきた。大学入学試験では親に散々心配をかけた末に何とか2年浪人して、100%満足とは行かないが、それなりの大学へ入学することが出来た。大学で登山と専門課程で飯田鼎教授のゼミで社会政策を学んだことが大きかった。人生の見方、生き方を学んだのも飯田教授のご指導のお蔭である。それが、生来の海外志向と重なり、政治・経済的問題の多い政情不安定な途上国へ度々ひとりで出かけることになった。それでもやや無鉄砲とも言える海外武者修行のような旅が、自らの人生を深堀する習癖を身につけてくれたと思っている。鉄道会社へ入り、その後旅行会社設立時からずっと旅行業に携わり、多くの海外企画を行い、沢山の営業経験を積むことによって、旅行業の何たるかを曲がりなりにも知ることになった。200回もの海外渡航経験や多くのツアー経験により、多くのお客様から知己を得ることにより、益々旅行業を深く知ることになった。
今朝新聞紙上に恒例の秋の叙勲者名簿の中に、最高勲章である「旭日大綬章」を受賞された6人の中に、旧厚生省の戦没者遺骨収集事業で何度となく南洋群島へご一緒した水落敏栄・日本遺族会会長のお名前を見つけた。数年前には副文部科学大臣として、甲子園の始球式の様子をテレビで観たこともあり、その後電話でお話しした。今度もお祝いの気持ちをお贈りしたいと思っている。
当初は旅行業者としては、まだ駆け出しであったが、40年近く奉仕している間に多くの土地を訪れ、いろいろなことを学んだし、多くの素晴らしい方々にお会いすることが出来た。今では第一線から完全に身を引いたが、変わらず一旅行者として、またフリーランス旅行業者として、これからも健康である限り旅行には関わって行きたいと思っている。
今日はミサイルは別として、大きな健康上の問題もなく、晴れやかな気持ちで誕生日を迎えられた。あと何回誕生日を健やかに迎えることが出来るだろうか。神のみぞ知るであろうか。