充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
81.2007年8月3日(金) またロシアがやってくれた!
また、ロシアが世界に先駆けて?勝手なことをやってくれた。有人潜水艇が北極点周辺の海底を探査して、錆に強いチタン製のロシア国旗をぶっ立てた。意図は見え見えで、北極海周辺海底に眠る地下資源開発を目論んでいる。探査を指揮して潜水艇に乗り込んだ、海洋学者でもあるロシア国会下院副議長が「100年、1000年を経ても、海底に行けばロシア国旗が見られるだろう」と得意気に述べている。
私もロシアについて講演することが多いが、最近では安保闘争時代に旧ソ連が考えていた、覇権主義の象徴である版図拡大策を地図で紹介することがある。北極点を中心に東はチェコト半島・西経170度、西はカリーニングラード・東経20度、更に南は旧ソ連領で現トルクメニスタン・北緯35度の三角内の広大な土地はすべて旧ソ連領土だと主張していた。まるで雲を掴むような話だ。国際的に何の根拠もない自説を、世界は相手にしなかったが、最近になってロシアは国内経済好況により国際社会でも一段と強気に出てきた。今度も図々しく主張するものの国際社会では、強欲と領土拡大主義ばかりが目立って、多分鼻も引っ掛けられなくなるだろう。実際、自国の沿岸から200カイリを排他的経済水域として天然資源の開発権を持っている5カ国のうち、早速カナダ外相は「15世紀ではないのだから、世界のどこかに行って旗を立てただけで『我々のものだ』ということは出来ない」と言った。当たり前だ。
80.2007年8月2日(木) 長嶋茂雄さんの「私の履歴書」
日経新聞は朝刊、夕刊ともに現代に訴えるストーリーの連載小説を掲載しているので、毎日楽しみに読んでいる。朝刊「世界を創った男」のチンギス・ハンにしろ、夕刊「地の日天の海」の織田信長にしろ、2人の主役はそれぞれある意味で現代にも通用する抜群の政権管理能力者だ。
現代の著名人の業績を自己PRする「私の履歴書」も、人によっては参考になり、面白い連載ものである。特に、功成り名遂げた財界人なんかより、芸術家とか、スポーツ選手のように自分だけの力で名を成した人の履歴書の方が読んでいて断然興味深い。その点で、7月の長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督の手記を長嶋ファンとしては大いに期待していた。脳梗塞で倒れる前の長嶋さんの底抜けに明るい、独特の長嶋節を楽しみにしていた。実際長嶋さんがTV画面から消えた途端に世の中が暗く感じられたくらいである。
ところが実際に連載が始まってみると、率直に言って実につまらない。あれだけ実績と特異なパフォーマンスでファンを唸らせ、書く材料に事欠かない、長嶋さんの履歴書がどうしてこんなに面白くないのだろうとがっかりするとともに、その理由を考えてみた。
ひとつは、全盛期の脂が乗っているころの長嶋像を伝える情熱、方法が長嶋さんサイドにも欠けていたのではないか。だから、もう少し体調の回復を待って情熱が甦ってきた時に満を持して執筆したら良かったのではなかっただろうか。次いで、長嶋さんを取材したライターに、長嶋像を描写し、表現する能力が不足していた。長嶋さんが現役で活躍したころを良く知っていて、長嶋さんに負けず劣らず長嶋像を伝えることにもっと情熱を抱いているライターに執筆を依頼すべきだった。あまりに平板に過ぎた。この2点で、期待に添えなかった。最近の履歴書の中では、かなり低レベルの連載ものだったと思う。躍動感や、臨場感がまったく伝わらなかったのは致命的だった。以前連載された野村克也監督の「私の履歴書」が面白かっただけに、長嶋ファンとしては残念でならない。
79.2007年8月1日(水) 小田実さん余話
改めて小田実さんのホームページに目を通してみた。今年6月2日付で発信した「市民のみなさん方へ」という一般向けのメーセージがある。その中に、「友人への手紙」として「恒久民族民衆法廷」(PPT)、直近の活動と病の告白が綴られている。この「手紙」は、4月21日に書かれたものだが、前月3月にオランダのハーグとトルコへ出かけている。ハーグは前出PPTの関係で、トルコは小田さんの専門古代ギリシャに関して、古代植民地都市を現地で確認してみたかったからとのことである。忍び寄る死を意識しながら、友人への遺言のつもりで書いた手紙の一ヶ月前にこのような冒険的な調査旅行を実施するとは、「さすが小田実!」と敬意とともに心より拍手を送りたい。
友人から何通かのメールをもらったが、その中で高校の同級生・呉忠士君から興味深いエピソードを知らせてもらった。呉君のお父上は高名な古代ギリシャ文学の碩学、呉茂一先生であるが、東大教授時代の教え子のひとりに小田実がいて、お父上を訪ねて藤沢市辻堂の実家へ来られたことがあり、一緒に食事をしたそうである。その時の話がふるっている。①東大の入試では解析は駄目だったが、英語はほぼ完璧だった、②高校時代(大阪・夕陽丘高)にすでに小説「明後日の手記」を書いて、その一冊をいただいて持っている、③女優・有馬稲子は高校の同窓である、というものだ。いかにも小田実の面目躍如というところではないか。そして、「何でも見てやろう」旅行を実施するきっかけとなった、フルブライト奨学生として渡米する際には、お父上が何かと面倒をみられたそうである。
さらに別項目に慶大経済学部の「現代思想」講義で、小田さんが熱弁を揮い慶大出版会から出版された「ここで跳べ」の編集者は、飯田裕康慶大名誉教授であると記されていた。そこで飯田裕康先生のプロフィールを見てみると経済学部助教授時代、1971年2月から73年3月までの間西ドイツ・チュービンゲン大学へ客員研究員として研究留学されたと紹介されている。実は、当時飯田先生の渡航手続き関係は私が依頼され、お世話して出発当日羽田空港でお見送りしたことを懐かしく思い出す。図らずも小田さんの系譜を辿った結果が、昔の飯田先生ドイツ研究留学話に行き着いた。これも小田さんとの縁であろうか。
さて、アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人グループの内、男性ひとりが昨日殺害された。犠牲者は二人目だ。むごい。双方の交渉がまとまらず、タリバンは残りの韓国人の殺害もほのめかしている。
国内ニュースとして、安倍首相の信頼度が急降下しているが、坊ちゃん育ちで外の空気を察知する感度が鈍い首相は、トカゲの尻尾切りを始めた。問題のお坊ちゃん、赤城農水相をやっと今日辞めさせることにした。周囲の声は、遅過ぎる、なぜ選挙前に辞めさせなかったのか。自民党大敗の元凶とまで批判されながら、そんな大臣を首相が庇って墓穴を掘ることになりかねない。しかも、赤城農水相は辞任記者会見で言い訳に終始して、国民に対して謝罪する姿勢は一向に感じられなかった。領収書の綴りまで持参して表紙をぱらぱら捲りながら、それを公開しないというのだから、まったく何のために持参したのか、また何を考えているのか、この人物の心中はさっぱり分らない。ルールに則って処理しているとの一点張りだが、そのルールは自分たちで作っているのではないかと反論したい。この御仁はアホじゃないのか。
今日横綱朝青龍に対して、日本相撲協会は秋場所と九州場所の、2場所連続出場停止処分を課した。骨折で地方巡業に参加しないと言っておきながら母国モンゴルへ帰って、元気な姿でサッカーに興じている姿がTVで放映され、お灸をすえられたわけだ。行動にこれまでとかくの噂があった横綱に対して、協会は断固たる処置を取った。公平に見ても横綱はちょっと身勝手が過ぎた。横綱の行動に対しては、この処分はやむを得ないだろう。反省してまた出直した場所で、汚名挽回のためにも優勝してもらいたいものだ。それにしても横綱の処分は初めての不祥事だというが、確か小学生のころ、横綱前田山が仮病で場所を休み後楽園で日米野球、サンフランシスコ・シールズ戦を観戦して処分を受けたような前例があったと記憶しているが、思い違いかな?
78.2007年7月31日(火) 「構想日本」第120回J.I.フォーラム‘年金’
月例のフォーラムに参加した。依然関心の高い年金について「そもそも年金制度、何がおかしいのか?」と題して、ノンフィクション作家・山岡淳一郎氏がコーディネーターを務め、2人の専門家、東京福祉大学大学院教授・喜多村悦史氏と政策研究大学院大学客員教授田中秀明氏がそれぞれ複雑な年金制度について持論を述べられた。
冒頭「構想日本」加藤秀樹代表より、年金制度と年金業務がごちゃごちゃに議論されているので、その辺りをごちゃ混ぜにしないよう前もってアドバイスがあった。
まあとにかく難しい。どうして年金問題というのは、こう複雑で分りにくいのだろう。偶々年金記録漏れをきっかけに、国民の間に大きな関心を呼ぶことになったが、そうでもなければこのまま先送りされ、益々闇に包まれたかも知れない。
さしあたり問題になっている、年金一元化にしても、国民年金と厚生年金、共済年金では、発足の主旨とスタート年代が異なり、納付条件と年金支払額算出根拠も違うので、これをまとめるのは生半可では出来ず、前途多難だと揃って一致した意見だった。
その中で、喜多村教授が個人的な考え「国民保険構想」を提言された。これは、いま話題の年金一元化を更に広げて、社会保障と称されている医療、年金、介護、雇用、労災等をすべて統合一元化するというものである。これに関連して5項目ほど説明されておられたが、支払者は一箇所に限定され、最初に支払った場所へ終生直接納付するとの考えである。従って、勤務場所が変わろうとも最初に納付した場所へ保険料を収めるというものである。隣の参加者とも話したが、難しいですねということだった。もっと深く勉強する必要があると感じた。
77.2007年7月30日(月) 敬愛する行動派作家小田実さん逝く。
あの作家小田実さんが亡くなられた。享年76歳である。直接お話したことはなかったが、駆け出し経理マンのころ代々木ゼミで教えていた小田さんを、国鉄代々木駅近くの喫茶店でしばしばお見かけした。私にとっては人生について、ひとつの生き方を教えてくれた恩人のひとりだと思っている。手元に何冊かの小田本があるが、何といってもベストセラー書「何でも見てやろう」は、私に新鮮なショックを与え、しばし唸っていたのを覚えている。ベ平連を始め、言行一致のパフォーマンスに魅了されたといったらいい。その後繰り返し4度読んだ。そして、「何でも見てやろう」は私の愛読書として、その後の私の行動に少なからぬ影響を与えた。私が海外ひとり旅にはまって、戦乱のベトナムや、第3次中東戦争戒厳令下の中東諸国へひとりで出かけ、旅行先で再三危機に晒されたのも、もとはと言えば「何でも見てやろう」の影響によるところが大きい。いまも私にとってはバイブルのような書で、いつも若い人に必読書として薦めている。
胃がんで闘病生活中だということは、4月に小中陽太郎さんから伺って気にかかってはいた。今月11日NHK時代に小中さんがディレクターとなって作成したドラマ「しょうちゅうとゴム」完全復刻版を見る機会があったが、この四日市コンビナートを風刺したドラマも小田さんの原作である。そこにはほんの僅かではあるが、小田さんは声の出演もしていた。
1965年に哲学者・鶴見俊輔氏、開高健氏、吉川勇一氏、小中さんらとべ平連を結成し、ベトナム戦線へ向かう米空母イントレピッド乗組員の若い4人を脱走させ、日本国内に匿った挙句に最終的に無事スウェーデンへ逃がした人道的な行為には驚愕させられたものである。このセンセーショナルで隠密的な行動は、世間に行動することの価値、意味を問うたと思っている。その後小中さんに何度かこのときの記者会見のニュースフィルムを見せてもらい、当時の生々しい映像に危機的な臨場感を思い起こさせられたものである。伺うところによれば、小中さんもこの事件では主体的に関わり、4人のうちのひとりを長らく自宅に匿っていたそうである。身の危険を冒しながら当時の骨っぽいリベラリストは、理論と行動を実践していたのだ。
小田さんが世界で最も感動したのが、アテネのアクロポリスの丘だと前著で触れているが、その影響を受け、一時私の憧れもアクロポリスとなり、2003年にギリシャ政府観光局長賞エッセイ部門で入賞した拙稿もそのアクロポリスについて書いたものである。
僭越ではあるが言わせていただけるなら、小田さんの偉いところは、偉ぶらず、何でも好奇心を持って一般人とともに先頭に立って行動する点にある。1960年代に、NHK番組で小田さんと作家石原慎太郎が丁々発止と渡り合い、小田さんがその当時から威勢の良かった反動作家に対して、「君はいつもそれだからダメなんだ」と、ぴしゃりと言い放ったのが小気味よく、いまでも強く印象に残っている。
小田さんと格別親しいお付き合いはなかったが、ベトナム反戦運動の中でも個人的に大いに影響を受けた。小田さんへの思い出は尽きない。
行動する作家・小田実さんのご冥福をお祈りするばかりである。 合掌