充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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91.2007年8月13日(月) 戦場跡に舞う蝶
終戦記念日が近づいてくると、マス・メディアでも過去の戦争による悲惨さと残酷さを訴える報道番組が増える。その中で昨晩、戦艦大和の写真を撮ったフィルムをブーゲンビル島のジャングルに埋めたという元日本軍兵士のメッセージを受けた方が、ブーゲンビル島への戦没者慰霊団の一員として島へ行き、遺志を継ごうとしたドキュメントが放映された。フィルムを埋めた人は復員したがすでに亡くなり、いまや当時の地形は変わっていてジャングルで考古学調査用の近代的な電波探知機を駆使しても、結局フィルムを収めた箱は見つからなかった。
最後の手段として期待したのは、前近代的な祈りにも似た、蝶が舞ってきてその場へ案内するという神がかりな願いで、およそ科学的な根拠のないものだった。しかし、一縷の望みをかけて待っていたところへ現実に一羽の蝶が舞ってきた。残念ながら、蝶は立ち会った人々の期待を裏切り、埋められたフィルムは見つからなかった。私自身ブーゲンビル島では、ジャングルには入らず海岸沿いのコテージで、野犬を追っ払っていだだけだったが、この話は私にとっても妙に現実味のある話である。
単なる寓話としてしか信じようとしない、科学的思考の現代人にとっては他愛ない話であろうが、実際に太平洋戦争戦没者遺骨収集作業に数多く立ち会ったり、旧戦地への戦跡巡拝慰霊に参加した折に、現実に蝶の飛来を何度も見た私にとっては、とても他人の絵空言とは思えない。特に、サイパン島の戦没者焼骨式において、立ち上がる焼骨の煙りと炎を求めてやってきた無数の蝶が、煙と一体となって乱舞しながら天へ舞い上がっていくさまは、荘厳で遺族をして漸く死者が成仏できたのだと納得させるに足るものであり、心打たれるシーンだった。
現場で悟る戦争の悲しい遺産と、当事者である遺族や戦友から伺う実話には臨場感が篭って説得力があり、それらと報道番組で他人事のように冷静に話される若いインテリたちの戦争感の認識には、大きなずれを感じるのは私だけではあるまい。戦争は、現場に何らかの形にせよ触れた後でなければ、本当のことはほんのひとかけらも分らない。
90.2007年8月12日(日) 慶應のエースだった2人の死
今朝の新聞で往年の慶應のエース、平古場昭二氏の寂しい死を知った。79歳だった。戦後再開された夏の甲子園中等学校野球大会優勝校・浪商のエースとして、準決勝の東京高師付中戦で19奪三振記録を作り、その記録は今も破られていない。東京六大学では東大戦でノーヒットノーランを演じ、慶大卒業後はオール鐘紡で活躍した。当時私自身草野球に夢中になっていたころだが、神宮球場で平古場投手が活躍した印象があまり強くなく、慶大ではむしろ2番手の河合投手とか、3番手の山本治投手の活躍の方が記憶に残っている。
野球界を離れてゴルフ場の支配人を勤めた後に、小豆島でひとり住まいをしていたが、ガスメーター検針のため自宅を訪れた検針員が死後数日の遺体を発見したという。甲子園の高校野球が熱戦を繰り広げている最中、あまりにも寂しい訃報に接してお気の毒でたまらない。今ならすぐにもプロ野球界からドラフトされたであろう逸材だったが、前半生において華々しく脚光を浴びた割に、後半生では恵まれない生活を送っていたように思われていかにも切ない。家族がすぐ分らないせいか、喪主、葬儀等は未定とある。何とも虚しい気がしてならない。
数日前にはもうひとり慶應のエースだった高橋栄一郎氏が亡くなられた。山形県新庄市の現職市長で、5期目だった。高校生のころ先輩だった佐々木信也、衆樹資宏選手が活躍する早慶戦を観戦に行った時、慶大2番手投手として登板したのが高橋投手だった。球は滅法速いが、コントロールがままならず自滅するのが欠点と言われ、卒業後にニッポンビールから巨人へ、そして南海へ移り、漸くひと花咲かせてオールスターにも出場した。
高橋氏が再びスポットライトを浴びたのは、父親の地盤を継いで新庄市長に当選した時だった。その後地方政界で活躍し、20年間に亘って地方自治のために精勤されていたが、病魔に冒され帰らぬ人となった。71歳だった。
最近縁のある人、ない人を問わず、僭越であるが故人の人生を考えることが多い。やり残したことはなかっただろうか。自分の人生に悔いはなかっただろうか。もう一度同じ人生が可能だとしたら、果たしてそれを選択されるだろうか。ありきたりだが、いま目前に自分が精一杯集中出来る目標があるということが、後々まで後悔しない基本であるように思える。
毎日を精一杯ポジティブに生き抜こうと改めて心に期す。
89.2007年8月11日(土) 円キャリートレードとは?
昨日は世界的に株価が下落して、各国証券市場は振り回されたようだ。アメリカの住宅ローンの不安から始まったものだが、アメリカばかりでなく、ヨーロッパ、アジアへ飛び火して、各国の中央銀行が32兆円もの資金供給を行った。その他に日銀でも1兆円の資金を市場へ供給したようだ。東京株式市場の日経平均終値は、対前日比406.51円まで落ちた。昨晩古館キャスターの「報道ステーション」で、アメリカ通の寺島実郎氏がゲスト解説者としてコメントしていたが、国際投資ファンドの資金源には2つあって、そのひとつはアラブ石油資本のオイルマネーで、もうひとつは、何と日本の「円キャリートレード」だそうである。つまり、低金利の円である。一部の国際ファンドが低金利の円を借りて高リスク投資を行っている。
米FRBの1/10以下の日銀金利を借り漁って国際ファンド投資マネーの原資に化けて、回りまわって日本企業の買収を仕掛けてくる仕組みになっているようだ。この「円キャリートレード」は、「マダムワタナベ」とも称され、いまやM&Aの鉄砲玉になっている可能性があるとのご託宣であった。詳しいことは分らないが、何やら日銀の低金利政策が、日本の国際企業を買収の危機に晒しているとも考えられる話である。
近年の国際金融市場は素人には段々分りにくくなってきた。成金国の登場とか、宝くじを当てるような国が突如進出して来たからであろうか。われわれが学生時代に学んだ近代経済学の教科書通りには、実勢経済は進まなくなってきたのである。その意味では、インドや中国の経済発展は、近代経済学では想定外の出来事だったのだろうか。
88.2007年8月10日(金) 不埒者がうじゃうじゃ
東京医療センターの建物を出て構内でバスを待っていた、僅か20分ほどの間に、思ってもいなかったパフォーマンスを見て呆れてしまった。
第1に、入り口前の前庭に大きな犬がロープでつながれ、その犬が吼えながら暴れまわっていた。来院者が気にしていたので、ロビー内で呼び出しをやったようだが、飼い主は現れなかった。病院の門柱には、犬、ネコ等のペット類は連れてこないようにとの注意書きが認められていた。第2に、玄関前にボックスカーを駐車しようとして、警備員に止められた運転者が、それを無視して駐車禁止場所へ停めたまま病院内へ入ってしまった。第3に、バス停でタバコを吸おうとした人に警備員が気づき、ここは禁煙ですと注意したところ、タバコをくわえているだけだと反抗した人。
みんなどうしてこうも公徳心もなく、社会常識もないのか。これはほんの氷山の一角だと思うとぞっとする。
モラルの欠如と言ってしまえばそれまでだが、社会全体にストレスが溜まっているせいか、若者はすぐきれて突然羽目を外す。常識を備えたはずの社会人でも、差別社会における劣等感とか、奉仕する人とサービスを受ける人との間の気持ちのすれ違い等により、自分がその殻から解放された途端、気持ちが反転して痛めつけられていた弱者が、偶々優位な立場を逆用して、罪もない人を痛めつけるような風潮や傾向が見られるように思えて背筋が寒くなる。
教育の荒廃とか、金権主義の跋扈、政治家の不正、格差社会の置き土産、等いろいろ原因はあろうが、現代社会が生んだひずみであることは間違いない。あれだけ国際社会では悪評高いビルマ(現ミャンマー)だが、経済優先の現代社会を皮肉っているように、貧しい国でありながら、いつ訪れても国民は礼儀正しく崇高で優しく、一人ひとりがホスピタリティーの心を持っている。嫌なことを目にすると、ついそんな優しいビルマの人々を思い出してしまう。もう7年くらい訪れていないが、懐かしい国であり、心惹かれる人々である。
87.2007年8月9日(木) 長崎平和祈念式典と総理大臣の挨拶
3日前の広島原爆投下記念日に続き、長崎への原爆投下も今日が62年目に当る。午前中1時間のTV中継を見た。粛々と式典は進められ、主催者田上長崎市長の挨拶後に、出席者を代表して安倍首相、金子長崎県知事、正林さんと仰る被爆者代表が平和への願いと核廃絶について話された。この4人の中で、私と同じ年、68歳の正林さんが、手振り身振りを交えて被爆体験を話されたのが一番印象に残った。次いで市長、知事の戦争放棄、核廃絶のアッピールが参列者を納得させたと思うが、一番冴えないのがわが総理大臣安倍晋三のスピーチ内容である。
心に訴える話となると、やはり現場にいて臨場感が分っている人が一番である。その点で爆心現場に最も近かった正林さんが自身の呪わしい体験を含め、一番臨場感を伴った、説得力のある話をしてくれた。
それにしても安倍首相のスピーチは、話し方、並びにその内容において格段にレベルが低い。原稿を読んで平板に、淡々と喋っているだけで、何が何でも核実験を止めさせるとか、核不拡散条約を実現させるために何かをやるという強い意志を表すのではなく、冥福を祈るとか、戦後の荒廃から立ち直った先人の労を多とするものであるとか、非核3原則を堅持するとか、或いは被爆国としての立場から世界へ向け核廃絶の声を届けるとか、空疎な言葉の羅列だけで、何も心に訴えるものがない。総理大臣として、ここで話すことがどういう意味を持つのかということが全く分っていない。世界へ向けた平和希求のメッセージである。それがまるで地元後援会の挨拶レベルなのである。
安倍首相の言動については、もはやメッキが剥げてその無能力ぶりにいまさら驚くわけではないが、「このまま首相をやっていたい」のわがままだけで、国家をリードされたのでは、国民にとって迷惑千万であるし、国民が不幸になるばかりである。もう自分の無能ぶりに見切りをつけ、さっさと首相を辞めるべし。