充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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120.2007年9月11日(火) あれから6年
あの忌まわしいニューヨークの9.11テロから丁度6年の月日が流れた。あの日は義母通夜だった。葬儀場の待合室のTVで実況生中継されるおぞましい事件を目の当たりにして、愕然とし、しばし呆気にとられたことを思い出す。いま国会で問題になっているテロ特措法も、このテロ事件が引き金になった。ブッシュ米大統領が「これは戦争だ!アメリカに対する挑戦だ!アメリカに仕掛けられた戦争だ!」とTVを通してアメリカ国民に興奮気味に訴えた。あれから6年が経過して、国際社会にはテロ撲滅のためなら有無を言わせぬ強引な手法さえ許され、世界は戦争の脅威に晒されているのが実態である。今日のTVニュースは、6年前を回顧する番組が目白押しだった。とりわけ異常だと感じたのは、ニューヨーク市警が国産テロリストと名づけ、イスラム教徒で35歳未満、犯罪歴なし等の移民をほとんどテロ準備罪みたいな形で身柄を拘束してしまうことだ。アメリカも疑心暗鬼のうちに相当病魔に冒されたと見え、自由な国だった筈が不自由な国へどんどん突き進んでいる。
先日亡くなった小田実さんがテロから僅か10日後に、こういう声明を発信している。
「アメリカ合州国政府は、声高に『報復』を叫ぶ。『戦争』への準備を着々と進めつつ、要人テロを認め、さらには『核』による攻撃も辞さないと脅しをかける。少し待て。今、『自爆』テロの野蛮に対して、戦争によって『報復』する-これは、はたして文明がなすべきことか。
殺されれば殺す。暴力と逆流する暴力の、果てることがない連鎖の中に20世紀はあった。いや、これまでの人類の歴史はあった。仕返しの『私刑』はまた仕返しの『私刑』を生み、『報復』は互いの間で無限に続く。文明とは、この無意味な『連続』にとどめを刺そうとする人類の意思のことではないのか」(アメリカ合州国の「報復戦争」に対する声明より抜粋-良心的軍事拒否国家日本実現の会)
今年4月交通事故で亡くなったアメリカの著名なジャーナリスト、デヴィッド・ハルバースタムが、生前このテロを予測していたという。当然CIAは、予測していて何らかの術を打つ筈であったが、先手を打たれたというのが本当のところだったらしい。日本では、佐藤優が彼独特の勘と、彼の人脈から得たインテリジェンスにより予測していたと彼の著書にはある。自慢話めくが、私もある程度予感した一人である。私の場合は、過去の海外における反米テロを時系列的に辿っていった後で、テロの1年半前実際にタリバンの巣窟近くの、アフガンとパキスタン国境・カイバル峠を訪れ、国境周辺部落に立ち並ぶ銃砲店の異常な繁盛振りを目の前にして、9.11テロとは確信出来ないものの、近いうちに大きな反米テロが引き起こされる兆候と可能性を感じ取った。その予感については、テロの翌月旅行業界のセミナーで講師を依頼された際に説明したことがある。
こういう事件というのは、現場にその前兆らしい異様な空気が流れるもので、それをどうやって感じ取り、摘み取るかということが、一種の危機管理ではないかと思っている。つまり、何事も現場の臨場感に敏感であるか、そうでないかによって、場合によっては事故や事件を未然に防ぐことが出来ると思っている。私が時折講師として話す「旅のリスク・マネジメント」ではしばしばこの例を取り上げる。
それにしてももう6年か。一向に世の中は落ち着かないなあ。
119.2007年9月10日(月) 「鯰亭通信」を読む。
いよいよ臨時国会が召集された。今朝シドニーから帰国したばかりの安倍首相にとっては、心身ともに疲れきったところで、正念場を迎えることになった。前日シドニーの記者会見で、来月末に期限切れとなるテロ対策特別措置法の延長に、職を賭して取り組むと強い決意を表明した。参議院選挙惨敗でも責任を取ろうとしなかった首相が、ねじれ国会の前途を憂慮したのか、中々潔い決断だと思ったが、「蛇の道は蛇」で、そう単純なものでもないらしい。各夕刊紙の論調や、TVキャスター、政治評論家の見方は、退路を断つ小泉流のやり方の二番煎じで、見え見えの手法と極めて評判が悪い。安倍首相ではもはや何をやっても賞味期限が切れたと見られているのだ。この先、テロ特措法の扱いは、対米関係も斟酌してどう取り扱うのか。興味が尽きない。
今日高校の後輩である田渕守くんから、手紙に添えて、彼が中心になって発行している労働広報月刊紙「鯰亭通信」を郵送してきた。時折送ってくれる。相変わらず、腰が据わって正論と理念を、しっかりした論調と組版でまとめている。よくやっているなと感心する。田渕くんは共通の見解を有する同士と社内にサークルを結成して、働く者の立場から現場労働者の切実な声と、現場の実態を絶えることなく発信し続けている。同通信も今月号でもう135号になった。長い間、先頭に立って、会社の方針に対立する活動を継続しているので、彼に対する会社の評価と対応は厳しい。田渕くんも割り切って、以前から「生涯一現場労働者でありつづけよう」の姿勢を貫く考えを公言している。私は必ずしも全面的に彼の主張や、行動に賛成するものではないが、真面目で誠実な人柄と努力、そしてその考え方にかなり共鳴する点がある。会社勤めの傍ら、努力を積み重ねて「行政書士」「特定社会保険労務士」などの資格を取得するなど、そのポジティブな姿勢には敬服している。同僚のために筋の通った主張をしているだけに、会社から冷遇視されている田渕くんについ同情してしまう。好漢田渕くんのこれからの活躍を願ってやまない。
9月7日付135号に目を通すと、瀬島龍三氏の死去に触れ、コメントを遠慮がちに書いている。田渕くんの父上もシベリア抑留者だったそうだが、そんなところからも「生涯一現場労働者」の道を選択したと書かれていた。シベリアについて黙して語らなかった瀬島氏の罪はやはり重い。
118.2007年9月9日 義母7回忌
今日、9月9日を古くは重陽の節句といった。6年前に亡くなった妻護江の母・川手乙女の7回忌を、府中市多磨墓地で執り行った。宗派は曹洞宗で住職はわざわざ山梨県北杜市内の龍岸寺から来られた。施主の義兄夫婦、長男家族、長女に、近藤家ではわれわれ夫婦に長男家族5人を合わせて14名だった。次男は新潟市に勤務していて、どうしても仕事の都合がつかず来られなかった。
庭を隔てて隣に住んでいた義母が亡くなったのは、妻が外出中の午前中、次男に昼食用のおそばを届けに行かせたところ、顔色を変え戻って来るや、「おばあちゃんが死んでいるよ!」との声にすぐ駆けつけたところ、廊下で寝巻き姿のままうつ伏せに倒れ、口から異物を吐いていた。すぐに119番へ連絡したら救急車と検視官が来られ、死亡が確認された。前日までそのような気配はまったく見られず、慌ただしく逝ってしまった。
優しく良い義母だったなあと懐かしく思い出す。特に、隣に住んで、二人の息子を可愛がってもらったので、余計に感謝の気持ちでいっぱいである。
9月9日というと、昭和51年の今日、初めて文部省教員海外派遣団の添乗員として1ヶ月間欧米の学校、教育機関を訪問したことを思い出す。爾来20年以上に亘って文部省派遣団をお世話することになり、多くの国々を訪れ、自分自身も教育について沢山のことを勉強することが出来た。とりわけ教育施設を見学出来たことは、その後旅行業界人としての道を歩む上で、得ることが大きかった。特に、当時あまり訪問する機会のなかった社会主義国を訪れたことは、自分が学生時代から社会主義というものに関心を抱いていただけに、貴重な体験になった。ことに、ブルガリアの経済高校で、ブルガリア語で教えている経済学の授業を参観していても、マルクス経済学を教えているということが、何となく見当がついたものだ。
私にとって、旅行業者として一歩大きく踏み出すきっかけになったのは、ひとつは、ビルマへの戦没者慰霊団であり、もうひとつは、この文部省教員派遣団である。その意味でも、今日がその文部省派遣団の第1回の出発日であったというのは、何か縁があるのかも知れない。
序でに言えば、昭和51年9月9日という日は、中国の毛沢東主席が逝去された日でもある。
117.2007年9月8日(土) ゆとり教育は見直されるか。
先月末、文部科学省は中教審小学部会、並びに中学部会に対して学習指導要領の改訂を提示した。小学校で約40年ぶりに授業時間が増え、教科では5教科の授業が増え、5、6年生には英語授業を導入することになった。その代償としてゆとり教育の象徴である「総合学習」時間が減じる。中学校では、全体を増やし、5教科とともに保健体育が増える。小学校と同じように、いまやままっことなった「総合学習」時間数は当然減少される。
それぞれに賛否両論はあるが、文科省は割合簡単に結論を出した。しかし、ことが教育問題だけに、それで充分なのかどうか、気になるところである。個人的な意見としては、あまりにも軌道修正が早過ぎると思っている。「総合学習」を採用したのは、2002年からで、まだその成果の善し悪しは現れていないと思う。あまりにも拙速過ぎるのではないか。「総合学習」を取り入れたことに対する評価、結果分析、反省等は公式にはなされていない。こんな中途半端でいい加減な感情論だけで、大事な教育の根幹が左右されるのでは、現場の教師や、保護者、こどもたちが戸惑うばかりでたまったものではない。「総合学習」時間数を減らすことの善し悪しを論ずるよりも、高々5年の実践で愛想尽かしをして「教育を短期的に考える」傾向を助長する関係者の見識を疑いたい。こういう人たちは、実は一番教育に関わってはならない人たちなのではないか。これに対して文部官僚の声はほとんど聞かれない。
さらに、私の見解は細部的には、小学校の英語導入は必要ないと考えている。早く外国語に接して慣れるのは、確かによいかも知れない。しかし、その代わりに国語や他の教科を犠牲にして、英語を2年早くスタートしたからといって、必ずしも一人前にならない英語を採用したことによって、将来的にどれほど教育面でプラスになることか。それに教える教師の養成も間に合わないのではないか。いつか知研のセミナーで、ベストセラー書「国家の品格」の著者・藤原正彦先生が、絶対反対と言っておられたが、私もその通りだと思う。日本語が満足に出来ない奴に限って、そういう無茶なことを言う。
昨日のシンポジウムで平松守彦・元大分県知事が、地方分権を力説しておられたが、私の経験上からいっても、教育行政だってアメリカやドイツでは、完全に地方に置かれ、州が変われば制度も異なる。その功罪までは承知していないが、教育は国が直接関わらない方が、スムーズだということを象徴しているのではないだろうか。
学習指導要綱の改正で全体的に増加する、時間数を1週間の日程の中でどう調整し収めるのか。すでに1週間5日制が定着してしまっただけに、いまさら6日制に戻すわけにもいくまい。聞けば、毎日早朝授業とか、放課後補習授業とか、或いは夏休み短縮とか、角を矯めて牛を殺すようなことばかりやって、大騒ぎさせ、教育現場を混乱させて、官僚はこれっぽちも責任をとらない。まさに日本は「役人大天国」である。
116.2007年9月7日(金) 「ふるさとテレビ」創立2周年記念
顧問を務めているNPO法人「ふるさとテレビ」の創立2周年記念行事の一環、シンポジウムと懇親会が永田町・憲政記念館で催された。著名な役員、顧問が綺羅星のごとく並ぶ中で面映い気がするが、中々面白そうな企画だったので出席した。
オリックス会長・宮内義彦氏の基調講演と同時に、小泉純一郎前首相も講演を行う予定だったが、どういう行き違いか、小泉前首相の予定がつかなかったのか、急遽中止になった。しかし、事前にこれだけ大勢の参加者(500名超)に呼びかけておいて、小泉氏周辺に取り立てて緊急の用件、事態が発生した情報も伝わっておらず、不参加が判明した時点で万難を排して参加者へ「小泉氏欠席」の連絡をとったのか、運営管理上些か無責任の謗りは免れないと思う。それを期待して参加された方もおられ、冒頭から日出英輔理事長のお礼を兼ねた、お詫びになったのはお愛嬌を通り越して、少々お粗末に過ぎたと思う。
それを救ったのが、この種の試みとしては予想外に有意義なシンポジウムであった。テーマは、「今、これから、ふるさとが面白い。ふるさとの元気を語ろう!」と題して、コーディネーターに練達の士、日本総合研究所会長・野田一夫氏、パネリストに元国土交通省事務次官・岩村敬氏、女優ジュディ・オングさん、ドトールコーヒー名誉会長・鳥羽博道氏、ANA総合研究所社長・浜田健一郎氏、前大分県知事・平松守彦氏、衆議院議員・藤井裕久氏らその道の錚々たるエキスパートばかりで、経験豊かな野田氏の巧みな誘導で中々興味のある味わい深い話、エピソードを聞くことが出来た。
話に説得力があり、なるほどと思わせる話をしてくれたのは、平松氏、藤井氏、ジュディさん、鳥羽氏の4人で、はっきり言って岩村氏と浜田氏の話は大して面白くなく参考にもならなかった。やはり現場経験の少ない人の話は深みがなくて興味を起こさせない。平松氏は官僚上がりではあるが知事を6期も務めただけに、従来の陳情行政では駄目で地方分権をとの思いを率直に訴え、地元大分のために一品一村運動を実践させた実績と、地域を活性化させるための住民の前向きな意欲について語られた。藤井氏は自分の幼少時の戦争体験から、「平和」と「緑」がいかに大切か、また、ある程度の社会的地位にある人が、こどもの頃に感じた大事なことは、「環境」「母」「勉強しなさいと一度も言われなかったこと」と話されたことは、なるほどと納得出来るものだった。ジュディさんの応答は、見事だった。失礼ながら、これほど頭脳明晰な方とは思っていなかった。日本で育って台湾人としての家庭教育、故郷台湾へのノスタルジア、そして若い時期に外国から日本を見ることが自分のふるさとに思いを募らせることにつながると分りやすく説明してくれた。芸能界に生きる人の中では、元々頭のよい人だと思っていたが、これほどとは感じていなかった。鳥羽氏の幼少時とブラジルでの体験から、いまの政治家への失望感などもよく理解できた。
隣のホールで行われた懇親会は、ごった返すような人ごみでそそくさとその場を後にしたが、野田氏の好リードで進行されたシンポジウムは、久しぶりに楽しく有意義で、印象深いものだった。