充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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145.2007年10月6日(土) 山口洋一・元ミャンマー大使は、何を主張したいのか?
今週発売の「週刊新潮」(10月11日付)に、山口洋一・元ミャンマー大使が、「スー・チー女史が『希望の星』という『ミャンマー報道』は間違っている」と題する特別手記で持論を述べている。高校の2年先輩である外交官の、失礼ながら的外れの内容にいたく衝撃を受けた。山口氏には、昨年山口氏の同級生、西宮市在住の井上篤太郎氏のご実家でお話しを伺って、その時は珍しく骨太い外交官だと敬服していただけに、記事を読んで唖然とした。偉大な先輩のお説に反論することは潔しとはしないが、失礼を承知のうえで誤解と事実誤認だけは指摘しておきたい。
山口氏は軍政の為政者を悪玉、スー・チー女史を善玉とする日本のマス・メディアを偏向報道と指摘し、植民地化とか独裁の歴史を有するビルマは、現在民主主義の準備期間にあり、国づくりは他国が介入すべきでなく、側面的な支援だけに留めるべきであると自説を披露し、スー・チー女史はアメリカと結託していて、ビルマ人にとっていまや「希望の星」ではないとまで切り捨てる。
ビルマ軍事政権に関する記述も思い入れがあるようで、「軍政」と批判されるが、ポル・ポト政権下のカンボジアや、マルコス政権時のフィリッピンとは違うと言い切り、今度のデモでも10万人が参加したといわれているが、明らかに誇大な数字だと異議を唱えている。スー・チー女史の自宅軟禁説についても、単なる「軟禁」ではなく、外部に対する警護の側面もあると仰る。
山口氏のお説は、どう考えても軍政側に立つ人のこじつけの論理としか思えない。タン・シュェ国家平和発展評議会議長ら軍政首脳陣が考えている「新憲法の基本原則」は、1)議会の1/4は軍人、2)元首は議会から選出される大統領、3)大統領は軍関係者で、外国の影響下にない人、4)主要閣僚は軍司令官が任命、等々で、これでは独裁国家体質丸出しで、明らかに対抗者であるアウン・サン・スー・チーさんを締め出す露骨な案である。これでも軍政は悪玉ではなく、スー・チーさんは善玉でもないと主張されるお考えなのか。
しかも一国を代表する特命全権大使ともあろう人が、軍政のデモ鎮圧、違法者検挙について、「違法デモを行った者を逮捕するのは、法治国家としては当たり前」とまで言い切っている。違法デモというが、「公共の場所で5人以上の政治目的の集まりは禁止」や、「屋内における50名を超える政治集会は許可制」の無視を、大げさに違法と非難しているが、民主国家として当然容認される行為を違法ということの方が、むしろおかしいのではないか。こんな分りきったことを、当然のごとく述べる外交官としての見識を疑いたくなる。
こんな穿った自己主張と論理で、はたして世界中の世論が納得するだろうか。ご自分は軍政側に立っているのではなく、軍政とスー・チーさんの中間の立場にいると述べている。しかし、これはもう完全にビルマ軍政側に取り込まれた人間の論理である。
これ以上は、追求しようという気にもならないが、3年間も現地で大使を務めてきた人の、とても人を納得させるような話でもないし、成熟した論理とも思えない。
ひとつ申し上げるなら、山口氏が得たニュースソースはほとんど、軍政内部か、その関係者からもたらされた「軍政の基本方針」ではないだろうか。とかく海外大使クラスの人たちの赴任地におけるコミュニケーションは、意外に限られていて、相手国のごく一部の政府関係者、及び他国の外交官であると言われ、積極的に相手国の一般市民と親しく交流し、社会の中から本音とか実情を探るという努力はあまりしていない。当然入手出来る情報も限られることは、最近でも外務省休職中の佐藤優氏が著書に書いている。
今日午後、グッドタイミングというべきか、私を山口氏とつないでくれた井上さんが、前記週刊誌記事のコピーを郵送してくれた。井上先輩は山口さんの考えをどう思っているだろうか。
144.2007年10月5日(金) 元全学連書記長・清水丈夫さんの思い出
今朝日経紙に連載中の「私の履歴書」を読んでいて、筆者、青木昌彦・米スタンフォード大名誉教授が書かれた執筆内容に目を惹かれた。60年安保闘争前後の全学連内部の様子とスタッフについて書かれていたからである。あの時代は、国をあげてマグマのような熱気が溢れ、若い学生、労働者は真剣に日本の将来を心配して安保条約改定に反対していた。いまの若い人たちには、情けないことにこういうエネルギーはないように思う。私自身あまり主体的に活動するということはなかったが、何度か討論会、集会やデモに参加した。青木氏も運動の過程で逮捕されたという。
青木氏は56年東大現役入学というから、年代が清水丈夫さんとぴったり合う。その清水さんについて今日若干書かれていた。清水さんは、学生運動の元闘士で全学連では書記長を務めておられた。湘南高校ラグビー部の一年先輩だった清水さんとは、同じフォワードの一員として一緒にスクラムを組んでいた。私が浪人生活を送っていたころ、すでに全学連内で頭角を表し、詳しくは分らないままに先輩として一種畏敬の念を抱いていたものである。先鋭的な活動で、当時の学生運動の先頭に立ち、学生同志や仲間から敬われカリスマ性も漂っていた。
私が2年浪人した後に慶應へ入ると、どこで知ったのか、同じ経済学部のクラスメートだった福島県出身のW君を通して、慶應日吉キャンパス内にオルグを作れとのメッセージを受け取った。長い浪人生活を終えたばかりでぼっ~としていたころだったので、その当時運動に積極的に関わることはなかったが、あれ以来清水先輩と直接接触はない。その後、先鋭的な活動面においてひた走りに走った清水さんは、東大籠城事件の際、官憲と和合した東大当局の学外排除により、東大構内から出たところを警視庁機動隊に、寄ってたかって押さえ込まれ逮捕連行された。それ以降清水さんの消息は杳として伝わってこない。
私が多少なりとも、社会主義や、社会問題に関心を抱くようになったのは、大学ゼミの飯田鼎教授の指導に拠るところが大きいが、最初に社会主義に関心を持ったのは、清水さんを知っていたことが大きかったと思っている。
断片的に伝えられる情報では、拘置所内で一心不乱に「資本論」を読み耽り、取調官や看守もいたく感心していたと聞く。妥協することは決してしなかった清水さんだが、あの優秀な才能と温かい人柄を考えると、あのままわれわれの前から姿を消してしまったことが残念でならない。
清水さんの消息はいまもって分らない。ただ、ご実家が農家であったことから、私が長らく会長を務めていた高校ラグビー部OB会から各種の案内状を差し上げても、宛名不明で返送されてきたことがないので、ご実家にご家族、ご親戚がおられることは推察出来る。でも、どこかにおられるのであれば、何とか一度会って直接話してみたいという気持ちがある。
清水さんと中学、高校で同級だった、近所に住むラグビー部の和田正温さんにも連絡をとったところ、懐かしがっておられた。やはりお会いしたいようだ。
清水さんが強く反対していた60年安保条約改定の首謀者、岸信介元首相は機動隊を国会議場へ入れて法案を通過させた後に、所期の目的を果たしたとして職を辞した。その孫で「安保に反対する人は胡散臭い」とたわけたことまで言っていた、憲政史上最低の首相、安部晋三氏は、お坊っちゃま流に「ぼく、や~めた」と呆れた自己消去法で消えていった。
それに引き換え、清水さんのフェイドアウトは、限りなく有能で温かく愛すべき人柄だっただけに、余計惜しい気がしてならない。
143.2007年10月4日(木) 帝国主義国家・中国の拡大路線
今年度の読売・吉野作造賞は、山本吉宣・青山学院大教授著「『帝国』の国際政治学」に授与された。いまグローバル化が進んだ世界で、「帝国」論が再び注目されている。著者はこの著書の中で、他国に及ぼす圧倒的な影響力が内政までかかわる場合を『帝国』と定義し、外交のみの『覇権』と区別していると朝日新聞・藤生京子記者は分析している。
翻ってわれわれの学生時代には、目覚めた中華人民共和国は「中共」と呼ばれ、国民は毛沢東主義の旗の下に、ひたすら社会主義革命完全成就、帝国主義打倒のため前進あるのみとのスローガンを掲げ、アメリカ帝国主義は日中共同の敵と広言し、当時威勢の良かった日本社会党や共産党と組んで、過激なデモやプロパガンダを行っていた。
その中国はいまどうだろう? ソ連のように社会主義体制が崩壊したのではなく、共産党が背後で操りながら毛思想を継承しつつ、徐々に資本主義的要素を採り入れ、行政府と党を並立させながら二頭制によって帝国主義国家体制を維持している。
では、あれほどまでに毛嫌いしていた「資本主義」や「帝国主義」については、どういうスタンスで対応しているかというと、それがいまや中国自体が、帝国主義の甘い汁に毒され、資源豊富なアフリカやアジアへ進出し、資本主義の原理の赴くままに帝国主義的版図を拡大させているのだ。地下に眠る毛沢東は、この後裔たちの変革と所業をどう見ているだろうか。
ビルマで殺害されたジャーナリスト、長井健司さんの遺体が今日帰還した。日本政府もビルマへの経済支援を削減すると公表した。ビルマ軍政の強圧的な統治には怒りを覚えるが、背後で糸を引いているのは、変身した帝国主義国家・中国であることは間違いない。
142.2007年10月3日(水) ビルマ北部戦線の激戦を語る元日本軍兵士
NHKが終戦記念日直前に放映した、ドキュメント番組を深夜(今早朝)再放送した。「兵士たちの戦争―密林に倒れた最強部隊・北部ビルマ」と題して、菊部隊生還者の証言と、当時及び最近の現地フィルムを編集した貴重なものだ。大東亜戦争の中でも、最も悲惨な犠牲者を生んだインパール作戦展開のため、中国から投入された陸軍第18師団(菊部隊)元兵士の証言は、赤裸々で胸を突かれる思いである。「殺されに行かされたようなものだ」「武器、弾薬、食料、医療品はなく、戦死者は道端に放っておかれた」「いまの若者は自由で何でも贅沢ができるが、われわれ世代はそんなことは出来なかった」「戦争が終わったとき、ほっとして助かったと思ったが、後方配置の人間(上官)は残念と言っていた。最前線の現場から遠ざかれば遠ざかるほど、そういう声が聞こえてきた」
いまの世でもまさに当てはまる言葉ではないか。
第18師団・菊部隊は、福岡県久留米で編成された部隊で勇猛果敢で知られていた。唯一菊のご紋章を使用されることが許された部隊である。4千人以上の兵士が戦い、そのうち3千人以上が戦死した。かつて、ビルマ戦跡巡拝団で菊部隊の人たちともご一緒したことがある。いまもインパール、コヒマ、フーコンなどの激戦地は山懐深く、少数山岳民族のゲリラが出没するという理由から訪問許可がもらえず、行けるところまで行って最短距離の地で跪いて、遥かインパール方面を遥拝して追悼していたことを思い出す。
実は、このTV番組を通して証言していた5~6人の方の内、古瀬正行さんと大西清さんとは35年ほど前にビルマへの慰霊巡拝でご一緒した。その中で世田谷に住んでおられる古瀬さんは、上官から部下を13人連れていって戦えと言われたが、持たされた武器はたった6丁の三八銃だけで、死ねと言われたようなものであり、実際に13人全員が戦死されたと仰っていた。ご一緒したときにも伺った話だったが、この人たちにとっては、生涯憑いて回る辛い過去である。この世に生れて何の楽しみも知らずに死んだ、戦友が気の毒でならないと怒りを込めて声を詰まらせていた。
ビルマに纏わる話はキリがないほどである。騒がれた国内のデモは軍隊の武力弾圧により封じ込められ、結果的に軍政の思い通りとなった。市民側に武器も組織力もないのが致命的で、現体制を脅かす要素は反って失われた。ビルマ人にとっては、前途にまったく希望の灯が見えない。いつまでビルマの軍事政権が継続し、国民は痛めつけられるのだろう。国内から民主勢力が立ち上がってくるのを待つのは、現時点では絶望的である。やはり国際社会の圧力がビルマの民主化を助ける唯一の方法である。その点では、中国を中心とするビルマ支援国が、国際社会と連携して軍事政権に圧力をかけないとビルマの民主化は期待出来ないだろう。国連特使ガンバリ氏にはもうちょっとガンバって欲しかった。首都ピンマナ(現ネピドー)から、ラングーンへ戻ってきたガンバリ特使は、幽閉中のアウン・サン・スー・チーさんと再び会ったようだが、公表された写真を見ていて、笑顔のガンバリ氏に並び、浮かぬ顔のスー・チーさんの表情が少々気になった。
141.2007年10月2日(火) 盧大統領北朝鮮訪問。見事な月写真。巨人5年ぶり優勝
韓国の盧武鉉大統領が陸路北朝鮮入りした。金大中大統領の訪問以来7年ぶりである。前回は南北双方ともに熱狂的なムードの中で行われた首脳会談だが、今回は双方ともに思惑があって、必ずしも全面的に拍手喝采というわけでもなさそうだ。しかし、前回の金大中氏の北訪問とは異なり、盧氏が陸路国境を越えた点に融和的な空気を盛り上げようとするプロパガンダ的な要素が窺える。
小学生のころ朝鮮戦争が勃発して、当時の国境線だった38度線を南下越境した北鮮軍を、国連軍が押し返した戦闘状況は、子ども心にも随分興味を抱き、毎日新聞やラジオに結構夢中になっていたものだ。あれからもう60年近くなって、朝鮮戦争も遠くなりにけりである。
残念ながら、北のボスがあの金正日総書記のうちは、何も問題は解決しないだろう。日本の拉致問題でもそうだ。一刻も早く金正日が政治の表舞台から消え去ることを望むのみである。
今朝の朝日第一面の写真を見てうっとりしてしまった。先月1日に打ち上げた月探査機「かぐや」が撮影したハイビジョンカメラによる地球の画像である。いままでこれほどはっきりとした月の写真を見たことがない。上弦の地球というのだそうだが、天候も良かったせいか地球の半分近く、アメリカ南北大陸をきれいに捉えている。特に、南米大陸の西海岸線と太平洋の境界が鮮明に映し出されており、科学の進歩を目の当たりにした感じである。地球から約11万㎞の距離から撮影したのは初めてとのことだ。アポロ14号の月面着陸にも驚かされたが、今回駆使された科学技術の粋は、改めて日本の科学技術水準の高さを世界に証明したことになるのではないだろうか。世界的に大きく遅れをとっている、政治力と外交力も科学分野に負けず、もっと力を発揮してもらいたいものである。
プロ野球セ・リーグで、巨人軍が5年ぶりの優勝を遂げた。子どものころからの巨人ファンとして嬉しさも一入であるが、最近では実戦はもちろん、TVでも観ることが少なくなった。優勝までマジック1になっていたので、今夜は偶々断片的に見ていたところ、9回裏に見事逆転勝ちで優勝した。めでたい、めでたい。ゼミの仲間、滝鼻卓雄くんが巨人軍オーナーになってから、一度も優勝してなかったが、まあこれでやっと彼も肩の荷が下りただろう。今度会ったらお祝いを言ってあげて、ともに喜びあいたい。