充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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155.2007年10月16日(火) やはり高血圧の兆候がある。
どうも血圧が高いのではないかということを感じ出したのは、度々人間ドックや、通院した時の検査で、異常に高いのに自分自身で驚いて、会社勤めの頃には、上はいつも140止まりだったのに変だと気づきだしてからである。9月に東京医療センターの先生から毎日計測した方がよいとアドバイスをいただき、先週から毎日血圧計で計測するようにしている。
上が160ぐらいなので、やはり高めだと自覚して、今日近所の森内科でインフルエンザの予防接種を受けた序でに、それとなく先生に相談してみた。持参した10日間の数値表をご覧になったうえで、改めて血圧を測ってくれたが、やはり高いとの診察で、弱い血圧降下剤を服用しますかということになり、一週間分の薬をいただいてきた。先生の話では、私のように会社勤めのときは平常で、辞めてから高くなる人より、会社を辞めた途端血圧が下がったという人の方が多いそうだ。早速服用したが、ついに高血圧患者の仲間入りかと思うと、一種の老人病でもあり、いささか寂しい気がする。まあ、検査は早めに受け、専門医の指導を受けながら健康管理を怠らないことが大切であることは当然であるので、これからはあまり無理をせずに、一層健康に気をつけようと思っている。
まあそれにしても3年半もずっと服用している炎症止めのプレドニゾロン錠剤に、胃腸薬ムコスタ錠剤、それに併せて明朝食後から、毎日血圧降下剤をそれぞれ1錠飲むことになった。かつての健康優良児も、一日3錠も薬剤のお世話になるようになり、情けない気分である。
試しに夜11時半に血圧を測ってみたところ、160を表示しており昨晩、一昨晩に比べてもむしろ高くなっている。まあ、これはインフルエンザの予防接種の影響もあるのかも知れない。とにかく早く低めに安定させるようにしないといけない。来月26日から列車で海抜5,000mを超えて念願のチベットへ行くが、高血圧にはあまり良くないところなので、これからは一日一日慎重に計測しながら、先生のご指示に従おうと思っている。
154.2007年10月15日(月) 箱根地区ホテルのインバウンド・ビジネスのお手伝い
高校同級生の大塚武夫さんが、携帯電話を外国人観光ガイド用のひとつのツールとして、インバウンド客に利用してもらうことで実効を上げようと考え、ソフトバンク社とアジア系旅行会社、総合ワールドトラベル社の両者のメリットを繋ぎ、ただ外人旅行客を増やすだけではなく、相互のメリットを利用して相乗効果を高め、トータル的に取り扱い旅客数を伸ばしていこうと考えている。相変わらずアグレッシブだ。同級生の誼で出来る範囲内で、お手伝いしてあげたいと考えている。
総合ワールドトラベル社は、アジア系インバウンド客取扱では高い実績を誇っている。都内宿泊のインバウンド客が、近郊の観光地へ旅行する場合の宿泊ホテルを、箱根地区で探しているとの話だったので、ご紹介することになり、先日箱根でホテル経営をしている小田急グループの国際観光㈱伊藤幸夫社長と阿部明光常務に、主旨を直接説明する機会をいただいた。今日その大塚さんと総合ワールドトラベル社の王一仁社長に、国際観光本社所在地の相模大野までご足労いただき、伊藤社長、阿部常務、担当の小澤良孝セールス課長にお引き合わせした。
三者三様にメリットがあると思うので、お互いに実利的なビジネストークになると考えている。王社長の要望に対して、早速国際観光側が箱根に経営している4つのホテルの条件を提示することになった。このままうまく行けば王社長にとって、最も人気の高い箱根に良いリゾートホテルを確保出来て、顧客にクオリティーの高いツアーを提供することが出来る。大塚さんにとっては、将来的にソフトバンク社の携帯電話利用の可能性が見込める。国際観光にとっては、シーズンを問わずホテル宿泊客の増加を期待出来る。いずれも現段階で先行き展望が開ける話をすることが出来たのではないかと思っている。
私にとっては単なる繋ぎ役であるが、久しぶりに商談らしい話のお手伝いが出来て、気分はすっきりした。ボランティアではあるが、取り掛かった以上、アジアから箱根を訪れる旅行者が、国際観光の経営する、4つのホテル、「山のホテル」、「箱根ハイランドホテル」、「ホテルはつはな」、「箱根路開運」に宿泊してくれ、このプロジェクトが順調に発展することを期待し、注目して行きたい。
153.2007年10月14日(日) 恒例の大学ゼミ同窓会
今日はゼミの同窓会である飯田会が、いつも通り九段会館で開かれ約40人が出席された。恩師である飯田鼎先生は今年83歳のご高齢で、慶應ももう20年近く前にお辞めになり、それ以来ゼミはお持ちではない。従って会としては新入会員があるわけではなく、年々歳々ジリ貧となり寂しくなる一方である。しかし、こればかりは致し方がない。まだ現役で活躍している同輩、後輩もかなり多く、幅広い分野で活動している若い人の話を聞くのも興味があるし、経験豊富なOBの話もヒントになる。私立の女子学園校長である伊藤さんが、永年に亘って幹事にして司会進行を務めているくらいだから、明らかに組織が高齢化、硬直化しているとはいえる。しかし、これも以心伝心お互い認めあった仲間同士だから、トラブルなんかにはならない。
それにしても、気になるのは飯田先生のご健康状態である。今日の日を楽しみにされていたが、一昨日発熱されて今日は無理を押してご子息が奥様ともども会場まで車で送ってこられた。
かつては、熱弁を揮われた先生も最近はお年のせいで、さすがにやはり元気がない。4月に小松、島田、青木、利光さんらとお宅へお邪魔したときは、寛いでおられたせいか、ご健康状態はあまり気にならなかったが、やはり発熱となると心なしか、お疲れのご様子がありありである。冒頭のご挨拶も短く、最後のご挨拶の代わりに塾歌と応援歌を唄われ、途中でお帰りになられた。多感な時代にゼミで教えを受け、いまも親しくご厚誼をいただいているのは、飯田先生ただおひとりなので、いつまでもわれわれにとっては心強い道しるべであり、お元気であって欲しいと願っている。心からご健康をお祈りするばかりである。
学生時代に素晴しい恩師に巡り会えて、いまも同じ学問を学んだ仲間が、時々自由に話し合える場は貴重であり、宝でもある。遠慮なく話し合って、相談にも乗ってもらえる。学生時代の裃を脱いだ、こういう付き合いはいつまでも大切にしたいと改めて思う。
小田急グループのCEOを辞められた利光さんも、割合こういう機会には参加してくれるようになった。しかし、同期生の読売新聞社社長・滝鼻卓雄くんは多忙な日程をやりくりしてくれたようだが、やはり来られなかった。本業以外にも巨人軍が久しぶりにセ・リーグ優勝したので、予定が立て込んでいるのだろう。まだ、元気に活躍してくれることは同期生として嬉しく思っている。
常連の小松隆二・東北文科大学長は、時間を作っていつも酒田市から駆けつけてくれる。小松先生は、来年3月には、学長をお辞めになるということでもあり、同期の島田さんや青木さん、利光さん、われわれの同期生と下級学年の仲間も誘い合わせて、5年前に楽しんだ東北旅行に続き、再び大学を見学旁々東北地方の旅行を計画しようと考えている。
152.2007年10月13日(土) ビルマ民主化への草の根の支援活動
ビルマのデモが鎮圧されてから2週間になる。軍事政権の厳しい取締りで完全に民主化勢力は押さえ込まれてしまった。軍政は国連の遺憾声明や、海外メディアの非難声明にも関わらず、わが道を往くのスタンスを貫き通し一歩も後へ引かぬ姿勢である。海外のマス・メディアを追放し、インターネットを制限して頑なに自己主張している。哀れなのはビルマ国民である。あの優しく温和な人々が、いまだに貧しい生活を強いられているのかと思うと気の毒でならない。悲しいかな、民主化運動をまとめてリードする組織やリーダーが押さえ込まれ、いないのが現実である。しばらくはビルマの民主化は期待出来ないとつい絶望的になるところだが、どっこい民主化の芽はなくなってしまったわけではない。
一時は一過性と見られたデモであるが、ビルマ国内外に抵抗の火種は燻ぶっていることを知り、頼もしく、嬉しく思っている。軍事政権に肩入れしている中国に対するビルマ国内における反中国デモも顕在化した。昨夜もNHK・BSの解説番組で、20分ほどビルマに詳しく、著書もある田辺寿夫氏がゲスト出演していた。30年ほど前に当時NHK記者だったころ何度かお話したことがあるが、田辺氏もまったく悲観的というのでもなかった。
最近も新聞ニュース面の露出度は落ちたが、引き続き関連記事は掲載されている。中でも、今日は日経の社説に「ミャンマーへ国際圧力続けよ」と題して、国連安保理事会の議長声明と、日本政府の積極的な発言を促す意見、そして射殺された長井氏の持っていたビデオの返還要求等について書いてあった。また、朝日は、「Media Times」欄に、大きくスペースを割いて、オスロ市郊外にあるラジオ局「ビルマ民主の声」や、ワシントンのVOAビルマ語サービスの地道な活動に関する記事を掲載していた。先月末以来、ビルマ関連のニュース、ドキュメントが断続的に報道されるのを見ては、個人的にDVD録画しているが、それもトータルで5時間分を超えた。
こういう風にぺしゃんと潰れるのではなく、ビルマを支援する報道が世界的にリンクされて取り上げられるところが、他国とは違うビルマの特殊なところだと思う。ビルマ人は温和ではあるが、案外したたかな一面がある。決して国民が体制側に完全に制圧されることはないと確信している。ビルマ人はもちろんであるが、世界中のビルマ民主化の火種が消えないようサポートしていければ、いずれ遠からずビルマの民主化は実現されると信じている。
151.2007年10月12日(金) 青木昌彦氏の清水丈夫・元全学連書記長への評価
今朝の日経「私の履歴書」を読んでいて、やっと分った。筆者の青木昌彦氏が60年安保当時の全学連組織内で、当時の委員長唐牛健太郎について詳しく書き、今日の記事でも仲間の西部邁についても触れていながら、先鋭的で全学連の実質的なリーダーであり、理論闘争をリードしていた書記長の清水丈夫さんについてあまり詳しく書いていない理由が何となく理解できた。多分清水さんとは相性がよくなかったと思う。北大生だった唐牛は委員長としての指導力や、理論構築などより、むしろアジテーターとして服装などの派手な一面ばかりが目立ち、当時のマスコミに取り上げられ、全学生からさほど信頼されているようには見えなかった。青木氏は唐牛と付き合っていたことを得意になって書いている。行動をともにした西部は、最後まで社会主義革命を信奉する気はなく、まもなく転向して、あろうことか、いまや自民党の手先となり右翼の急先鋒となっている男である。
一方で、清水さんは純粋に社会主義を突き詰めて、安易に妥協することなく最も厳しい刑期を終えた末に、多分収監された最後のひとりとして出獄したと思う。その清水書記長が、戦線の建て直しを提案したとき、青木氏を含め主力はみな脱落していった。この辺りに何があったかは分らないが、大衆運動に対する見解の相違や底辺の労働者を観る目が根本的に違うことが2人の間にあったようだし、青木氏らが清水さんをあまり好意的に見ていないことが随所に感じられる。あの時代に安保闘争からベトナム反戦、沖縄返還闘争を含めて、全体の学生運動において、節目に臨んで学生を鼓舞し、力強く運動を引っ張っていったのは、ほかならぬ清水さんと、故今井澄氏(東大医学部学生、諏訪中央病院医師、後に社会党参議院議員)の2人だったと思っている。
本来なら清水さんと青木氏は、青木氏が受験に失敗(健康診断のせいであるが)さえしなければ、湘南高校からずっと同級生となる筈だった。その青木氏は比較的恵まれた家庭に育ち、清水さんは農家に生まれ育った。青木氏の深層には、逞しく指導力のあった清水さんに対する妙なライバル意識があったかも知れない。安保闘争以後の2人の人生は、両極端に乖離していった。成長過程における2人の生活環境の相違も影響していたようだ。青木氏には、成功した者の自慢話として、かつてともに闘った仲間について語るに際して、その仲間が最後まで意志を貫いて、結果的にいまも社会の表に出てこない生活を送っているだけに、得意然として自身の脛に持つ傷を、勲章としてひけらかすのは少々控えてもらいたいものである。
青木氏の全学連における行動は、もちろん評価されるべきであるが、青木氏のひとりよがりで自己中心的な紹介の仕方は公平ではなく、また的を射た説明にもなっていないような気がする。