充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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175.2007年 11月5日(月)環境チャリティ・コンサートを聴く。
日暮里で環境チャリティ・コンサートと銘打ち、ソプラノ歌手・雨谷麻世さんのコンサートが行われたので、妻を伴い鑑賞に出かけた。雨谷さんとは以前に2度ばかりお会いしたとき、北鎌倉女学院から東京芸大へ進まれたと伺った。先日もNHK・BS番組に出演しておられた。
「江戸城築城550年記念」を謳い、「江戸城再建を目指す会」も協力しているので、コラボレーションとして太田道灌公18代目の子孫、太田資暁氏が出演されたので、ロビー内でご挨拶した。太田氏は約30分ほど江戸城と太田道灌との関係について時代考証を交えて、パワーポイントを使いながら分りやすく丁寧に説明された。
休憩時間に、「江戸城~」会長・丹羽晟さんご夫妻がおられたので、ご挨拶したところ、先日差し上げた「知研フォーラム」の拙いエッセイに対して、お手紙とお話でお褒めの言葉をいただき恐縮している。丹羽さんのお話では岡本太郎、藤山一郎、野口富士男さんらと岳父川手一郎の親しい交際ぶりは、いわゆる水魚の交わりではないかと仰っていただき、ご自分も東大が駄目なら慶應に入るつもりだったと言われ、慶應の自由な校風を羨んでおられた。エッセイの出来はともかく、嬉しいお話だった。
雨谷さんは歌唱力があり得意の高音が素晴しく、日本の歌より、むしろプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の名曲「誰も寝てはならぬ」のように高音発声の曲の方が、雨谷さんの良さが表現出来るのではないかと思った。また、西山まりえさんが二つのハープを交互に使って伴奏された。所詮シティーホテル内の舞台会場なので、音響効果や、マイクのボリュームの点で、一流劇場のようには行かなかったと思うが、音楽素人の私には、一昨日のYAEさんの洞窟コンサートともども心安らぐ催しだった。
昨日、パキスタンではムシャラフ大統領が戒厳令を布告して、国内の治安はぴりぴりしているようだ。隣のアフガニスタン、イランも混沌としてきた。いよいよアメリカも正念場である。ますますアメリカの威信と影響力が低下しそうだ。
174.2007年11月4日(日) 湘南高ラグビー部、慶応に敗れベスト8止まり
母校ラグビー部が慶應高に完敗して今回もベスト8に留まった。先週の母校と慶應の試合ぶりから見て、ひょっとするとひょっとするかも知れないと邪心がよぎったが、やはり実力以上のものは出せなかった。慶應に縦横無尽に走り回られ、前後半合わせて14本のトライを奪われてしまった。まさに完敗である。1月の新人戦の準々決勝で同じく慶應と戦い5-63で敗れたが、今回のスコア0-79は、その差がさらに広がった感じで、われわれの見方が甘かったのではないかと反省することしきりである。主将が怪我で欠場したことも痛かったが、慶應の戦力分析が甘かったことに加え、戦術面は反省することばかりである。3回戦では、ボロが出なかったが、かねてよりBK,特にセンターとウィングのディフェンスの弱さが気になっていた。案の定慶應に走られて甘いタックルで止められず、ズタズタに防御ラインを切り裂かれ、一方的な試合展開となってしまった。3年生にとっては最後の試合となり、やや心残りだと思うが、新人戦、春季大会、そしてこの全国大会県予選で、いずれもベスト8まで勝ち上がり、結果は残すことは出来たと思う。今日の秋葉台グランドには、OB、家族ら大勢の応援団が駆けつけ意気は大いに上がっていた。われわれOBにも力と夢を与えてくれた好チームだった。3年生が去って心機一転、1~2年生で次の新人戦に備えて、強いチームを作り上げて欲しいと願っている。
夕方になって、政界をあっと言わせるニュースが流れた。民主党の小沢一郎代表が辞任するという。この一週間福田総理と小沢代表の2回に亘る会談が憶測を呼び、挙句の果ては自民・民主の大連立を画策したところが、民主党役員会で全面拒否され、小沢代表が責任をとった形となった。しかし、この小沢という人物は何を考えているのか、想像出来ないことが多い。次の衆議院選挙を待てばこんな野合をやらずとも確実に主導権は取れ、民主は自民を上回ったのにと、その拙速ぶりが悔やまれる。この先政界はどうなるのか、一寸先は闇だが、小沢のフィクサー的な役割はそろそろ寿命が尽きてきたのではないか。それにしても、しばらく政界から目が離せなくなってきた。
173.2007年11月3日(土) 誕生日に洞窟コンサートを楽しむ。
今日文化の日は、69回目の誕生日である。この先あと10年生きられるだろうか。これまで通り自由気ままに好きなことをやっていきたい。このブログを毎日書き込むのも少々きついと思うことはあるが、これも精一杯生きていることの証でもある。
今日は小中陽太郎さんからお誘いをうけ、栃木県那須烏山市で素晴しい洞窟コンサートを鑑賞してきた。会場は、戦時中防空壕として使用された洞窟を、「東力士」という銘酒を醸造している地元の島崎酒造会社が借り受け、普段は醸造酒の貯蔵倉庫として使用している。その一隅で「光と音楽とお酒のコラボレーション」を謳い、幻想的なイベントを催したわけである。洞窟入り口前で、おにぎりと豚汁、多種のお酒をご馳走になってから開演となった。舞台は洞窟入り口から真っ直ぐに進むと右足元床面に、地元の和紙照明作家・鎌田泰二氏の芸術的な作品が点々と置いてある。途中二箇所ほど横坑を交差すると左右は酒壜の保管庫になっている。突き当たりを右折した場所がコンサートホールに使われていた。細長のホールで天井もそれほど高くなく、音響が逃げない。適度なエコーもあって心地よい。
先日テレビでもこの洞窟を報道していたが、聞けば近日公開の映画でもロケに使われたとか。
出演は加藤登紀子の娘のYAEさんとフォルクローレ・ギタリストの木下尊惇さんで、YAEさんは伸びのある声で洞窟一杯に歌われた。木下さんはチャランゴというアルマジロの皮を貼った、ボリビアの民族楽器を演奏してくれた。2人ともこのような洞窟で歌うのは初めてで、とても印象に残り、多分今日のコンサートは一生忘れないだろうと言っていた。
今から9年前、ショパン所縁のスペインのマヨルカ島の鍾乳洞の中にいた。そこの広場のような場所でコバルトブルーに映える神秘的な湖上をボートに乗った楽士、多分バイオリンとチェロだったと思うが、ショパンの名曲を奏でてくれた情景を思い出した。あれは心の奥に残る、海外旅行の印象的なシーンだったが、スケールにおいて彼我の差はあるにせよ、似たような雰囲気が幻想的に醸し出されていた。
主催者の島崎利雄社長に伺ったら、聴衆は約170名、収支はトントンとのことだった。
帰りに社長ご夫妻の案内で、醸造元を訪れお話を伺いながら年代物の試飲をさせていただいて、みんなほろ酔い機嫌で、そのままJR烏山駅から上野経由浅草へ出て、小中さんお薦めの釜飯屋さんへ寄り、美味しい釜飯をご馳走になって帰宅した。小中さんご夫妻、日経の西山貢さんご夫妻、建築家の勝野定典さんと一緒に珍しい音楽とお酒をともども味わえて格別だった。文化の日らしい好天にも恵まれ、ローカル線で日本の田園風景を眺め、エンターテイメントも心から楽しむことが出来て、感銘深い誕生日となった。
172.2007年11月2日(金) 「エノラ・ゲイ」機長の死に想う。
広島へ原爆投下した「エノラ・ゲイ」の機長だった、ポール・ティベッツ氏が亡くなった。92歳だった。生前「原爆投下は戦争を早期に終結させるために必要だった。結果的に被爆者を多数発生させたが、早期終結によりそれ以上の戦争犠牲者が救われた」という主旨の発言をして物議を醸した。その信念は終生変わらず、被爆者に対するお詫びの言葉はついぞ聞かれなかった。あれだけ多数の犠牲者を自分が投下した原爆「リトル・ボーイ」一発によって生じさせたにも関わらず、罪の意識は皆無であった。この人は軍人魂一徹の人物と言えば聞こえはよいが、所詮自分のことだけしか考えない無慈悲な人間だったのだろう。一般論として、戦争は戦場の兵士には大きな責任と罪はなく、あくまで戦争を主導した上層部にあることは明白である。それゆえ、ティベッツ氏の発言はある意味では止むを得ないという見方もある。日米戦争の罪と罰は、アメリカでは、ルーズベルト大統領以下の政治、外交、国防の責任者が、日本では東条首相以下軍部首脳陣らが負うべきは当然である。
しかしながら、広島や長崎の原爆投下は、あれだけ罪のない無抵抗の市民を情け容赦なく殺戮した残虐さという点で、少なくとも機長には犠牲者への贖罪の気持ちを示して欲しかった。実際彼は戦後長崎を訪れ、その被害の大きさに改めて驚愕した。にも関わらず、ついぞ犠牲者に対して真摯にお詫びの気持ちを示すことはなかった。
30年ほど前に「エノラ・ゲイ」が原爆投下のために飛び立った、テニアン空港傍に小さな石造の記念碑を見つけた。こんな小さな島の小さな飛行場の侘しいところから、あの世界中を震撼させた原爆投下機が飛び立ったのかと思い、感慨無量の気持ちに捉われたことがある。テニアン空港は、今も小さなプロペラ機の定期便以外は運航されていないのではないだろうか。
あの当時、毎年のように厚生省の戦没者遺骨収集事業を請け負い、一ヶ月近くサイパン島のホテルに滞在しながら遺骨収集団のお世話をしていたことを懐かしく思い出す。サイパンからテニアンへは、一度だけプロペラ機で行ったが、いつもはチャーターした上陸用舟艇で波荒い中を向かったものだった。
激戦や戦没者の話になると、ついセンチメンタルな気持ちになり、20年以上に亘って携わった遺骨収集事業のことが走馬灯のように甦ってくる。
それにしても、ティベッツ氏はなぜ心の底から犠牲者へお詫びしようとの気持ちになれなかったのだろうか。彼は自分のお墓も記念碑も要らないという。その理由が、ラジカルな原爆反対者によってそれらが破壊されることを恐れているからだという。こういうのを、凝り固まった信念の持ち主の偏屈な自己主張とでも呼ぶのだろうか。
愚かな軍人よ! それなら心から犠牲者にお詫びを述べ、追悼の気持ちを表せば済む話ではないか。
171.2007年11月1日(木) テロ特措法期限切れ
今日テロ対策特別措置法の期限切れにより、6年間インド洋で給油活動を行っていた海上自衛艦の活動が停止されることになった。給油活動については、与野党間で考え方が完全に対立しており、延長するにしろ、新法で対応するにしろ、ここまでくるまでにもっと早くからお互いに国民の理解を得られるような公開討論を行うべきだった。残念ながらテロ特措法については、これまでそのような動きはまったくなかった。自民党は多少高を括っていたようだが、参議院議員選挙敗北で俄に状況が変わり、慌てて真剣に向き直ったところが間に合わなかったというところだ。
いまや当然と思われている情報公開を極力避け、すべて秘密裏にことを進めようとするのが、政府や霞ヶ関のやり方で、よほど立場が悪くならない限り、何としてでも表に出さないように考える。その病根が形となって顕在化したのが、今回のテロ特措法である。だが、もうすでに遅い。こうなったら一旦給油活動を停止するのも止むを得ない。与野党で議論を尽くすだけ尽くして、国民がその是非を判断する材料を提供して欲しい。そのうえで、世論を受けた結論を出してもらいたい。6年経過して状況も変わった。6年間の結果をあらゆる角度から精査して、総括したうえで、日本にとってどう対処するのがテロ防止対策に有効なのか。人件費も加えると6年間の公費は約600億円に達するという。いままでのように公にされないまま、右から左へ片付けられたのでは納税者たる国民はたまったものではない。
民主党も反対のための反対ではなく、自分たちの意見を主張、展開すべきだし、自民党はひねくれっ子のような、国家のためになって国際社会に貢献する活動を、民主党が反対するから活動が出来ないという、他に責任を転嫁するような主張を繰り返しているようでは、無責任でこの先が思いやられる。
やるべきことをやらずに、後になって非難の応酬ばかりしていてもしようがない。相変わらず議員先生というのは、その発想と行動において自分たちの都合だけで考え、これでは村の祭礼の顔役と何ら変わるところがない。