充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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190.2007年11月20日(火) 熱い隠岐古典相撲
今朝NHKの「生活ほっとモーニング」で、隠岐の古典相撲を放送していた。1時間近くに亘る現地取材と、スタジオ内のトーク構成から成る番組だったが、私自身若干隠岐に関わりかかった時期があっただけについ夢中になり、そのまま最後まで観てしまった。
史実を紐解けば、隠岐の古典相撲は、日本で一番古いという。少々変わっているのは、毎年開催されるというわけではなく、何かエポックメークな年に行われるとのことだった。偶々今年開催されたのは、島にたった一校ある高校、隠岐水産高校開校百周年行事に因んだ催しだということである。
実は昨年3月末、新年度まで残り1週間と切羽詰った時点で、次年度内定していた「隠岐国観光大使」委嘱をお断りした経緯がある。当初、旧五箇村役場観光課に勤めていた坂嘉文さんから、ぜひ隠岐の観光宣伝のために協力して欲しいと依頼された。仲介してくれていた慶應の後輩、西野正氏の勧めもあり、またかつて営業責任者として、隠岐へ約二千名を送客した実績と思い込みもあり、僭越だが一肌脱ごうとの気持ちに傾いた。2月になって本郷の東大で開催された隠岐の観光シンポジウムに参加した時、合併後発足した新「隠岐の島町」の観光担当者とも観光振興のための方法論やビジョン等についても話し合った。私の「観光大使」就任を歓迎してもくれた。これがきっかけで、隠岐観光振興と町の宣伝のために「隠岐の島町観光PR図」を図解作成し、今後も隠岐の島町の観光発展のために微力を注ぐ心づもりでいた。
ところが、新しい町の観光担当者の考えや行動と私の気持ちとの間に、大きなずれが感じられ、また、観光に対する視点がかなり違うことが分り、現状では引き受けることが双方に誤解を招く恐れがあると判断し、受諾直前であったが敢えて辞退を申し出た。西野氏や坂さんには今でもご迷惑をかけて申し訳ないとの気持ちがある。
そんな過去のトラブルはあったが、隠岐に対するノスタルジアは消えたわけではない。今でも相変わらずニュースには、耳を傾け、離れた場所から見守っている。そういう気持ちがあるから、今日の古典相撲に対する島の人々の熱い気持ちには、つい心を打たれた。ゲスト出演していた漫画家のやくみつる氏や、作家・川上健一氏が、現在開催中の九州場所大相撲で空席が目立っていることを引き合いに、隠岐相撲には地域の連帯、情、熱意、一体感、盛り上げようとの情熱、郷土愛があると、大相撲に対する皮肉も交えて、熱っぽく語ってくれた。
隠岐も人口流出が著しく過疎化しつつある。しかし、隠岐に住む人、一時的に隠岐を離れた人、すべてに言えることは、何とか島を活性化したいという強い気持ちである。こういう気持ちは都会人には中々分らないだろう。
189.2007年11月19日(月) 「清水丈夫選集」第5巻を漸く入手
一昨日の留守中に江戸川区松江の「大久保正」氏から封書が届いていた。住所と名前に思い当たる節がなかったが開けてみたら、先日元全学連書記長・清水丈夫さん著作の入手方法を、発行元・前進社へメールで問い合わせた質問に対する回答で、すでに別便で著作を送ったとの連絡だった。
公安当局がマークしている清水さんや、中核派、前進社らに連絡をつけるということが、実は尋常ではなく、接触することはかなり難しいということを改めて知らされた。「大久保正」は偽名のようだし、住所は前進社所在地である。公安は清水さんが議長を務めている革命的共産主義同盟(略称「革共同」)を「左翼暴力集団」と断定し、注意深く監視しているらしいからだ。
そういう状況下で、外部との接触には彼らも人一倍気を遣っているようで、私に対しても配慮らしき点が窺える。送金は現金書留で名前、住所ともに仮名でよいとの添え書きがしてあった。昨日この書状をゼミの友人に見せたところ、元毎日新聞編集委員氏は、それは「大久保正」の私への配慮かもしれないと言っていた。
今日希望していた清水さんの選集第5巻が郵送されてきた。「米帝の歴史的没落と闘いの任務」とかなり戦闘的なテーマで、1970年代中期に週刊「前進」に発表した6編の論文に、9・11テロ直後に、テロの正当性を訴え、読者に決起を促す150頁の序文を付け加えたものである。本文は、核マル派に対する政治・軍事論文と、カーター政権のアメリカ帝国主義の階級的本質とその政策の解明のための論文から成っていると説明されていた。
清水さんも相変わらず威勢がいい。いずれは世界革命を目指すというのだから、強固な信念はいささかも揺るぎなく、半世紀前と変わっていない。青木昌彦スタンフォード大名誉教授などと違って、まったく足場がぶれていない。しかし、暴力を肯定したり、失礼ながら世界革命などと事大主義的な目標を掲げたり、世間だって私自身にしたってとてもついていけそうもない。これからじっくり時間をかけて、550頁を超える論文を読んで、清水先輩の本心を読み取るのも楽しみではある。しかし、本文には厳しい言葉が溢れているが、文章が優しく書かれているのは清水さんらしいところであろうか。私と考えは一緒になることはまずないと思うが、まずは第5巻を味わい、その後に他の選集を通して少しずつ清水理論を読み解いていきたい。
188.2007年11月18日(日) 秋の日曜日、浅草界隈の賑わい
日曜日の浅草界隈の人ごみは尋常ではない。歩道に通行人が溢れ、歩くのも中々ままならない。特に、今日は外国人観光客が多かったようだ。
昨日鹿嶋市内に宿泊したが、午後浅草へ出かけるので、今朝早く車で帰ってきた。
ゼミの仲間である赤松晋さんのチェリスト・デビュー2回目に当る、上野浅草フィルハーモニー管弦楽団の公演が浅草公会堂であり、5組のご夫妻を含め、ゼミ仲間17人ほどが集まった。6月のデビュー時は、あまり知らない演奏曲目だったが、今日は①スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、②ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、③ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」で、みんな知っている曲目だったので、結構楽しめた。オーケストラの最年長者・赤松さんの日ごろの練習も大変なようだ。やはり好きで有能でないととてもついていけないと思う。自分の趣味の領域からあまり逸脱しないで、あくせくせずのんびりやって欲しいと思う。中には、評論家まがいの友人もいて、中々喧しいが、仲間の全体的な評価は、概ね良かった。やはり生演奏は迫力と臨場感があってよい。中でも、ピアノ協奏曲を演奏したピアニスト・中尾純の点数が高かった。
終わって浅草観音を参拝してから「神谷バー」に集まり、いつも通り楽しい食事会。中々気の利いた食事に、ここは何と言ってもアルコール「電気ブラン」である。「神谷バー」の特製品で、他のレストランでは味わえない。だが、いまだに「電気ブラン」とは何だかよく分らない。
今日は、小松隆二・東北文科大学長は出席されなかったが、奥様が公演だけ来られてすぐ酒田へ戻られた。聞くところでは、学長さんの後任者も漸く内定されたようで、来春には退職祝いをやろうと島田国生さんの発案が披露された。
また、伝統ある神田・玉川堂の斉藤さんから、野口英世や、文人墨客と玉川堂との交流を聞いて、せっかくそんな貴重な関係が判明しているなら何とか一文にしてでも、残すなり伝えるよう工夫したらよいのではないかと提案した。興味のありそうな話なので、一度じっくり斉藤さんから伺ってみたいと思っている。
187.2007 年11月17日(土) 旧官幣大社・鹿島神宮の荘厳な静けさに浸る。
1980年12月、茨城県教育視察団でヨーロッパの教育施設を見学した18名からなる「チボリ会」が、鹿嶋市で開かれた。毎年一回開かれる。出席者は私を含めて9人。午後車で出かけたが、自宅から120kmで丁度2時間、それほど遠い気がしない。あれから27年が経った。あの視察団では、マルセイユとローマで学校訪問を行ったほかに、マドリードとパリを観光して、視察と観光の両面で印象に残る視察団だった。マルセイユ滞在中にビートルズのジョン・レノンが亡くなったことがショックで、いまでも鮮烈に覚えている。この団もすでに2人の先生が亡くなられた。幸い団長の海野千秀先生が元気になられたのが嬉しい。
夕食前に鹿島神宮参拝が予定されており、過去において茨城県の仕事も何度かお世話させてもらったが、仕事の都合上時間が取れず、実際に鹿島神宮に参拝したことはなかった。神宮はホテルのすぐ近くで、剣豪塚原ト伝の記念碑に立ち寄ってから歩いて参道へ出た。幹事で土地に詳しい小橋隆三先生が先導して案内役を務めてくれた。小橋先生は、3月まで鉾田市助役を務めておられたが、かっては国語の先生だっただけに、鹿島神宮に因む故事来歴、芭蕉の俳句等すべてに詳しい。日が落ちて薄暗く、参拝客も少なくなって何となく寂しい感じだが、社を包む全体の荘厳な感じがやはりどことなく神々しい。鹿島の森が鬱蒼として、参道を奥へ進むと静寂の中にひんやりとした冷気のようなものを感じる。大鳥居から、楼門、そして右横に拝殿と本殿、御神木がある。さらに奥参道を歩いていくと、やはり右手に白木の奥宮がある。その昔大神が天降った「要石」という鯰の頭を抑えた伝説の石を、真っ暗な中で見学した。御手洗池を訪れ、参道に面した食事場所へ戻ってきた。ここ鹿島は鯰料理が知られているらしいが、謂れはこの「要石」にある。案の定、夕食に鯰の唐揚げが供された。
いままで出雲大社、伊勢神宮、厳島神社、明治神宮、阿夫利神社、平安神宮、靖国神社等の大きな神社を訪れているが、この鹿島神宮は鹿島ならではの大鳥居があり、極めて個性的である。格式の高さもあるのかも知れない。しかし、特定の日でなかったとは言え、参拝客が少ない気がしてやや寂れた感じがしたのは、思い過ごしであろうか。とにかく「チボリ会」のおかげで旧官幣大社を見学出来てラッキーだった。
夕食は参加者が思い思いに近況を話して、大変盛り上がったが、今日最高にヒートアップしたのは、吉成貢先生の「吹き矢」について語ってくれた薀蓄だった。来年は土浦で開催しようという話になったようだが、旅行で同じ釜の飯を食った人たちと、いつまでもこのような友好的な関係の集まりを続けていければと願う。
186.2007年11月16日(金) 慶應アルペンクラブOB会
恒例の慶應アルペンクラブOB会が銀座BRBで開かれ、事前に淀勇夫幹事より15分内で話をと依頼されていたので、「海外旅行のリスクマネジメントと臨場感」と題して、パワーポイントを使いお話をした。懐かしいOBにも会えて楽しいひと時を過ごすことが出来た。卒業以来初めてお会いした、2年上の近田幹男さん、1年上の永瀬英一さんとは、実に半世紀近くご無沙汰していたことになる。われわれの年度第3回生が一番参加者も多く、全出席者36名のうち、9名を占めた。昨年も出席された顧問の小長谷弥高先生が、昨年登られたマッターホルンの話をされたのにはびっくりした。昭和4年生れで御年78歳というからお元気なのには脱帽である。先生には、僭越であるが、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」と、慶應幼稚舎仲良し4人組(岡本太郎、藤山一郎、野口富士男、岳父)に関する拙いエッセイを掲載した「知研フォーラム」を差し上げた。
私は、15分という短い持ち時間ということもあり、レジュメと自己紹介図を配って、話とパワーポイント画面は、かなり割愛した。BRBが高級なプロジェクターを用意してくれたので、演出効果はまずまずだったし、気分よく15分を使いきった。淀幹事が毎度よく面倒をみてくれるので、何とかOB会は順調に運営されている。ただ、昨年より数名参加者が減少した。すでに大学内で活動を止めたアルペンクラブなので、これから参加者は減少する一方だろうが、それでも久しぶりに参加された元部員もいるくらいだから、やり方次第では、また増える可能性もある。永田祐二会長が、会の運営について意見を募ったら、会場を固定しないで別会場も考えたらとの声も出た。会えば楽しく、2回生市川勝俊さんのように、わざわざ豊橋から来られて、終了後とんぼ返りの熱心な人もいるわけだから、いまの雰囲気を壊さないでこのまま続けられたらと思う。
昔と違って2次会もなく帰宅すると、JITRA(ジャパン・イタリア・トラベルドットコム)からメールが入っていた。ミラノの大島さんへ送ってJITRAのWEBサイトに掲載してもらっている拙稿の最終回分を、同サイトにアップしたとの連絡だった。前3回と同じく、きれいに整理され掲載されている。今回が最終回に当たり、4年前に訪れたコルティーナ・ダンペッツォと3度乗ったベルニナ鉄道について書いた。僭越だが、明日友人らに連絡して、コメントをもらいたいと思っている。全4回分の掲載が終わったが、結構読んでくれた人も多く、楽しかった。また機会があれば、別の形で書いてみたいと思う。