充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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200.2007年11月30日(金) チベットの自然の素晴らしさ
今日もハードな一日だった。体調を壊す人がかなり出てきた。チベットでは、高山病、及び一歩手前の旅行者が多いせいか、一流ホテルの対応はしっかりしていて、24時間医師が待機して対応することが出来る。ほとんどが高山病患者で、注射とか点滴に、ほどほどの休養で治るようだ。われわれのグループにも点滴を受ける人が現れた。私自身もけだるい気分と鼻水が出るようなので、同行者から風邪薬3錠をいただき、体温を測ったら平熱だったので、取りあえず安堵した。
こちらへ来てから滞在したホテルには、ウォッシュレットが備わっていない。いまやわれわれはウォッシュレットが当たり前になっているが、これがないとやはりすっきりしない。自分自身いつもなら必ず準備する必需品をかなり忘れている。携帯ウォッシュレットしかり、体温計しかり、バンドエイドしかり、風邪薬も忘れてしまった。やはり、油断していて注意力が散漫になっているようだ。これから続く旅行も少し気を引き締めていかなければならないと思う。
今日の「セラ寺」も中々の圧巻だった。チベット仏教・ケルク派の学院で僧侶になるための研修所のような場所である。門前市場も中々興味があり、山をバックにした雰囲気も良かった。チベット仏教に関しては、これまでほとんど知識らしいものはなかったが、今回ガイドさんからいろいろ教えていただき、かなり新しい知識を仕入れることが出来た。
今日宿泊地ツェダンへ移動する途中で訪れた、ガンバラ峠(標高4,790m)から眺めるヒマラヤ連峰のニェンチンカンファン(標高7,160m)の雪景色と、眼下のヤムドク湖は、吹きすさぶ寒風の中に立ち尽くして見て、味わい深い風景と感じた。
妻から手術は予定より若干時間がかかったが、無事終わったとメールが入りホッとした。
199.2007年11月29日(木) 憧れのポタラ宮殿へ。感動と充実の1日
朝9時半にホテルを発ち、午後7時半に帰ってきた。いよいよ憧れのポタラ宮殿見学の当日となった。若干予定を変更して午前中にダライ・ラマの夏の離宮だった「ノルブリンカ」を見学して、午後からポタラ宮殿と同じく世界遺産の「大昭寺」、その後大昭寺を取り巻く繁華街バルコルを見学した。ほとんど歩き通しだったので、最後には疲労困憊で、だらだらバルコルを歩いている有様だった。
旅行前から懸念していた両膝炎症による歩行がどの程度持ちこたえられるか、不安の気持ちが先に立つ。しかし、他にも足や、膝に問題を抱える参加者がいて、彼らともどもゆっくり登ってダメなら諦めて降りてこようとの暗黙の了解が出来た。
中学時代にポタラ宮殿の写真を診た時の印象が強烈で、何とか訪れてみたいと今日まで夢を温めていた。幸いチベット鉄道の開通もあって、夢はぐっと現実味を帯びてきた。そして、今日夢が実現した。
グループ行動によるポタラ宮殿見学前に、ひとりで正面へ向かった歩道上で宮殿に向かって「五体投地」をやってみた。20年以上も前に成都のホテルの廊下でふざけ半分にやったことがあるが、今回は改めて真面目な気持ちでやった。正に念願叶ったとはこのことである。その後、参加者全員でゆっくり石段を登った。上から見下ろすラサの街がまるでパノラマのように見える。写真を撮りながら、蟻の歩みのようにして登った。石段を登った後に、内部へ入り狭い階段を上り下りしながら、ガイドの曾さんの説明を聞く。ダライ・ラマ歴代の物語と遺品に触れる。それにしても、これだけ広大な宮殿を17世紀に完成していたというから驚きである。こういう立派な遺跡を訪れる度に、昔の人々の叡智と努力には頭が下がる。壁や仏像から古の足音が聞こえてくるようだ。感激極まり、自分自身がこの場にいるのが不思議なくらいに気持ちは興奮している。写真も撮りまくった。やはり生で触れなければダメだ。本物に勝るものはない。いくら綺麗な写真を数多く見ても、一度でも本物に触れたとしたら、とても敵うものではない。これが、「臨場感」の強さと説得力である。
その後大昭寺を訪れて、その説得力のある存在に心を奪われた。しかし、やはり直前にポタラ宮殿を見学してしまっているので、些か拍子抜けの感がするのも事実である。
夕食はチベットの民芸舞踊を見せてくれた。歩きすぎて疲れ、ホテルにはほうほうの態で戻ってきたといったらよいだろう。それにしても充実した一日だった。これだから海外旅行は止められない。
今日は、妻が瞼の手術を受けている予定で、気になっていたので、ポタラ宮殿と大昭寺で何度も何度も無事をお祈りした。
198.2007年11月28日(水) 感激の青海チベット鉄道
どうもお尻の周りがじめじめしてぱっとしない。また、一日悩まされるのかと憂鬱になってきた。隣の相棒、郭忠良さんは目覚ましをかけていて、朝になるとさっと着替えて7:00にゴルムド駅で降りていった。日本語はもちろん、英語も理解しない人と意思を通じさせるのは大変だ。ぶらぶらひとり旅を気ままに楽しんでいた頃は、細かい目標や予定を立てずに歩いていて好い加減だったということもあったが、あまり気にも留めず平気で言葉の通じない人たちと交流していた。でも郭さんは、結構筆談とボディランゲージで仕事と家族のことを話してくれた。毎月1回ゴルムドへ出張すると言っていた。未知の人としばしの間一緒に過ごし、その人の人柄や、家族、文化・習慣の背景を知るのは中々興味があるものである。僅かの時間ではあったが、愉快なひとときを過ごせた。
朝食は弁当を配達してくれた。意外にもボリュームはあまりなく、あっさりしている。重湯がついていたのは、食欲がさほど進まない時だけにタイムリーだと思う。
どうも痔の具合がすっきりしなかったが、偶々覗いたトイレが便座式だったので、やれやれだった。一応問題解決。
車窓から眺める広大な景色は土の大地と高原というイメージである。荒々しく土一色で、雪を被った崑崙山脈が優雅な姿を見せると、雰囲気がぐっと上品に変わる。昨日標高2,200mの西寧を発ったがランチを食堂車で食べる頃には、早くも4,682mを超えた。自分自身にとっての到達最高標高である。食事中にトド川駅に停まる。トド川は長江の源流のひとつである。左右には一木一草もないといってもいい。所々野生の動物が草を食んでいるのが見える。
2時半前にタングラ駅を通過する。5,068mで世界最高峰の鉄道駅である。またまた自己最高記録達成である。この西蔵鉄道が完成するまでは、ペルーのアンデス中央鉄道の4,783mが最高だったというから、一気に5,000mのシーリングを越えた。左手に峠5,072mの石碑が建っている。列車はスピードを落とすでもなく、観光客にサービスをするわけでもなく、あっという間に過ぎ去って行った。流石にこの標高になると身体も異常を感じるらしく、今朝から図っている血圧は若干高めだが、脈拍がこんなに増加するとはこれまで考えたこともなかった。60を少々下回るのが平常値だったが、今朝になって103に、昼前には118で平常値の二倍になった。気圧の影響でハンドクリームのチューブが破裂しそうだったが、栓を抜いた途端に、内部のクリームが飛び出してきた。筆ペンもそうだ。黒インキがもれてきた。そう言えば、NHKの取材番組で、食堂車のコックが普段30分で済む料理が仕上がるまでに、3倍も余計にかかるとぼやいていた。
参加者の中には高山病だろうか、何人かが具合が悪くなったようだ。私も昨日高山病に効くという「紅景天」なる漢方薬30錠を購入(220元)して、昨夕から2錠服用(1回2錠、1日3回)している。中には、酸素吸入をする人も出てきた。やはり標高5,000mというのは、かなり人体にきついのだろう。
沿線風景は素朴で幽玄、また高地の自然の姿が如実に現れる。昼食後に硬座車を探検に行く。満員の座席にチベット人が民族衣装を纏って窮屈そうに黙って座っている。デッキに寝転んでいるお年寄り、デッキにしゃがみこんで赤ちゃんにお乳を上げている若い母親、無心にトランプに興じる大人たち、頑是無い子どもたちの笑顔、意外に子どもの姿が多い。ほっぺは赤く、あどけない表情が可愛い。やはり目立つのか、カメラを手に取っていろいろ話しかけてくる。彼らをカメラに収める。デジカメの画面を食い入るように見ている人たち。満席の人々はそれぞれに目的を持っていずこかへ向かうのだろう。
右手に最高位淡水湖、ツォナ湖が見える。沿岸は凍結して、その奥は透き通るようなコバルトブルーに輝いている。
私は郭さんが下車してから、ずっと個室になったので、楽々コンパートメント室を使い、このパソコンを打ったり、気が向くと他の参加者の部屋を訪れては、自由な時間を楽しんでいる。
ラサ駅へ21:50に到着した。予定より若干早めである。中国の鉄道駅はどこも暗い。建物はこの列車のために建設されたもので、真新しい。駅前は真っ暗である。ここで2日間ガイドを務めてくれた劉秦さんとお別れである。ホテルへ向かう途中でこれからガイドを務めてくれる曾さんが、早速全員に携帯用酸素とミネラルウォーターを配り、前者の使い方について説明してくれた。これも高地チベットならではの初歩滞在術か。明日までは高山病予防の見地から、湯船にとっぷり浸かるのは止めた方が賢明とのアドバイスもあった。「郷に入っては郷に従え」だから、風呂には入りたいが仕方がない。しかし、ツアーで酸素吸入の方法まで説明を受けるのは初めてだった。ラサの標高は3,650mである。
197.2007年11月27日(火) いよいよチベットの入り口へ
北京空港から国内線で西寧へ飛び、早速市内観光で東関清真大寺、タール寺と見学した。後者にはやたらに物乞いが多いのに辟易した。西寧空港もこの4月にオープンしたばかりだという。市内を歩いている人々も男は回教徒特有の白い帽子を被っている。イスラム教徒が多いせいか、どことなく町の雰囲気と佇まいが普通の中国の町とは違う。新しい空港や高速道路と市内の古い街頭風景にアンバランスが窺える。一昨日降雪があったために、日陰では雪が残っている。交通信号はあるのだが、数が少なくほとんどの通行人が車の往来を厭わず、強引に道路を横断する。われわれ19名のツアー参加者も隙を見て、車の洪水の中を命がけ?で突っ走る。
参加者は多彩で、19名のうち、男性は僅か3名で現在の世の実態を示しているようだ。中には仲間同士で参加した女性が多いが、中にはイギリス人のゲーリーさんや、シカゴ大学研究員で偶々参加された方もいる。
少々買い物、夕食で時間を取りすぎ慌しく西寧駅へ来た。駅構内で駅員と乗客がひと悶着起こしていた。出発時間も迫り、とに角指定列車の指定車両へ乗り込んだが、11号車には私ひとりだった。後になってガイドの劉秦さんが10号車を交渉してくれ、中国の実業家と相部屋となった。
一番困ったのはトイレである。痔主の私にとって厄介なのはしゃがむ便器である。今や慣れた便座がないと難しい。今夜と明朝は困ったことになりそうだ。
196.2007年11月26日(月) 20年ぶりの中国の変貌に驚く。
何もかも変わったというほどでもないが、多少面食らった。職業柄年に一度も海外へ出かけないということは、これまでなかった。会社を辞めてから両膝に炎症を抱えているせいもあり、いままで4年以上海外へ出かけていなかったので、結構戸惑う。今朝いつも通りコーラスの練習に行く妻を車で送ってから成田へ向かった。私の旅行中に妻が瞼の手術を受けるのが、少々気になる。しかし、手術の当日29日は丁度チベットのポタラ宮殿を参拝しているので、妻もやや心細そうだったが、ラマ教の神様に無事成功を祈っていると言っておいた。
成田空港も久しぶりだったので、来てみて空港ビル内の雰囲気が少し変わっていることに気づいた。今日搭乗するのは中国国際航空なので、第2空港ビルだ。ロビー内が工事中で落ち着かない。集合時間より1時間以上も前にやって来てしばらく探索をする。連休明けの日中で、大分空いている。搭乗まで時間があるので、出国手続きを終え、〔AVION〕なるカフェで目の前に滑走路を臨みながらひとりでビールを飲み、早速このPCを使っている。
それにしても今や日本の出国カードは不必要となった。先日取得した新旅券も小型で、ITチップが埋め込まれているらしい。段々海外旅行も簡便になっていく。
しばらくぶりの海外だ。多少膝の炎症が気になるが、あまり無理をしないようにしたい。ただ、どうしてもポタラ宮殿の階段は何とかして昇って、展望台からラサの市街を見てみたいものである。
北京へはほぼ予定通り到着した。20年ぶりであるが、その間中国経済の発展は目覚しい。成長率、GDPともに群を抜き世界中を驚かせている。今やあらゆる面で中国の存在を無視することは出来なくなった。発展の一方で、諸外国へ悪影響も与え出した。偽ブランド、公害等の害毒を流し顰蹙を買っている現実もある。経済成長と潤沢な手元資金をバックに少々手前勝手な点も多過ぎる。かつては中国人を思う時、中国の人々が有している謙譲とか奥ゆかしさを思ったものだが、今やそれもあまり感じられないのが残念である。金万能主義が蔓延りだした。ハリボテの羅列になった。北京空港は新しく近代設備がされているように思える一方で、綺麗な生け花が飾ってあるかと思いきや、造花だった。ターンテーブル近くにはトイレがなく、隅の方にやっと見つけた。建物から出ると床面はデコボコでトランクを運ぶのに苦労する。市内へ向かう道路の路面も凹凸が激しく、探せばきりがないくらい雑な点が見える。残念ながら、万事に魂が入っていないという気がした。特に、都市部において顕著なのだろう。でも、明日から出かける地方都市では、まだまだ中国固有の良さがたくさん残されているのではないかと期待している。何といっても中国は広大で、奥が深い。
今日宿泊する中旅大厦(CTS PLAZA)にインターネット接続サービスが準備されていて、送信出来てほっとした。