充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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220.2007年12月20日(木) 甘い公務員の待遇
今朝の朝日新聞を見ると「観光庁、来秋に新設」とあった。国土交通省は、同省外局として同省内の観光関連局をまとめて「観光庁」を新設する方針を決めた。観光立国推進基本法に基づき、海外からの観光客誘致を推進するとしている。漸く観光が堂々国の施策として一歩踏み出したと言うことが出来る。観光が国によって公に認められたひとつの形である。しかし、これはあくまで外人客を誘致しようということが中心で、外貨を消費する日本人海外旅行客が増加することを支援しようというのではない。だが、観光客の片道交通というのはいびつで、往復交通、表裏一体ということがともども発展する基本である。われわれが海外旅行業を行っていた海外旅行黎明期は、海外旅行は外貨の浪費ぐらいにしか思われていなかった。国の外貨準備高の多寡によって、海外持ち出し認可額が変動したものである。それにしても時代が変わったことをつくづく思い知らされる。
もうひとつ朝日に掲載されたトピックに「議員報酬、日当制に」として、福島県矢祭町が議員報酬を現行の月額制から、議会に出席するごとに一定額を支給する日当制に変える方針を固めたという。いろいろ事情はあるにせよ、矢祭町のようなケースは全国でも初めてだという。地方財政が逼迫している折り、ひとつの方向性を示していると思う。この議員報酬に限らず、いまの公務員の給与にも個人的に疑問を持っている。公務員は民間会社とは違い、収入面で予算を抱えた業務をやり、収入予算をクリアしたという実績を評価されるような仕事に携わっているわけではない。従って、実績の評価として支給されるボーナスを公務員が受け取るのはおかしい。日常働いた対価として受け取る月額給与は、権利として当然認められるが、住民のために尽くす業務を当たり前にやって、当たり前の月給をいただき、退職後は安定した恩給、年金を受け取れる公務員が、数字的な実績を残したわけでもないのに、全公務員が民間会社より多く支給されるボーナスという摩訶不思議なお小遣いは、筋が通らないし、役人に対して甘い処遇だと思う。
その意味でも、矢祭町の例をきっかけに、全国で公務員に対する甘い待遇を考えさせるきっかけにしてもらいたいものだ。そうすれば、少しは役人も真面目に仕事をする気になるのではないか。
219.2007年12月19日(水) 韓国次期大統領にイ・ミョンバク(李明博)氏
今日韓国で大統領選挙が行われ、即日開票の結果、野党ハンナラ党イ・ミョンバク(李明博)氏が大差で他の二人の候補を圧倒し、勝利宣言をした。韓国は10年ぶりに保守勢力が大統領の座を取り返した。キム・デジュン(金大中)氏、ノ・ムヒョン氏が政権を担った10年間は経済がやや停滞し、失業者の増大、大学生の就職難等で経済復活の声が強かった。大阪に生まれ四歳まで日本で育ったイ氏は、貧しい生活の中で若くして現代建設の会長にまで上り詰めた。ソウル市長として実績を重ね、今年大統領選へ立候補した。
それにつけても進歩、革新政治と言われもてはやされながら、反って経済格差を生んで国民の間に失望感を与え、ノーベル平和賞受賞者でもあるキム・デジュン氏のカリスマ性を継承出来なかった、ノ・ムヒョン氏が作り出した倦怠感は一体どこに失敗の真因があったのか。
15日に小中陽太郎さんから11月12日、13日付中日新聞夕刊のコピーをいただいた。「いま甦る二つの真実」と題して金大中事件とハンガリー事件について書かれたものだ。金大中氏がKCIAによって滞在中の日本で拉致され、韓国へ連れ去られ自宅軟禁から解放された直後に、小中さんは金氏のソウル市内の自宅を訪ね会見されておられる。光州事件連座で死刑まで求刑されながら、金氏はアメリカの圧力でアメリカへ出国した。小中さんはアメリカでも金氏と連絡をとっていた。
アメリカがこれほどまでに金氏を保護しているのに、日本政府は保護しようとせず、謝罪もせず、韓国政府に抗議もしていない。ファジーな政治解決は、10月に韓国の国家情報院が「金大中事件」の報告書を公表したことで、一件落着とした。
小中さんは、ベトナム戦争中に米空母「イントレピッド」の4人の水兵が脱走し、べ兵連が彼らを匿っていると記者会見を開いたが、小中さんはその内の水兵のひとりを1年間自宅に匿っていたというからすごい。
話が脱線したが、金大中氏は良識の人であった。ノ・ムヒョン氏もそうであろう。しかし、世間は良識だけではだめだ。選挙の質が落ちたことも遠因としてあるのではないか。5年前の投票率は過去最低の70.8%だったという。だが、若者が期待され、今回選挙権が20歳から19歳にまで引き下げられながら、更に投票率が低下するらしい。若者が期待するイ・ミョンバク氏だが、獲得率は上がっても絶対数は必ずしも上がっていないのではないだろうか。専門家の論評を知りたい。
218.2007年12月18日(火) 小説の価値判断は?
日本の新聞に特有の連載小説は、案外面白いと思って大体読むようにしている。いま購読紙の朝日、日経の朝刊、夕刊を併せて5つの連載物を読んでいる。喩え大新聞であっても連載小説は玉石混交で、面白かったり、そうでなかったりで、とりあえず読んでみないと分からない。
まだあまり時間が経過していないが、先日朝日の夕刊紙上の小説「悪人」の連載が終わった。吉田修一の力作という触れ込みである。本人もこれこそ渾身の自信作と思える力作だと述べていた。そのコメントを聞いた時、意外な感がした。私にはそんなに良い作品とも思えないし、ストーリーだって今風の若者の無軌道を描いたもので、とりたててトリックを使ったとか、どんでん返しがあったとか、あっと言わせるような結末というのでもない。社会性もなし、訴えるものもなかった。それが、今日の新聞広告によれば、9刷を重ねて、「毎日出版文化賞」を受賞したという。加えて、「週刊文春」がミステリーベスト8位、「ダ・ヴィンチ」がプラチナ本年度1位、「ダ・カーポ」は今年最高!の本第1位とある。いささか首を傾げざるを得ない。
福岡市内に住む金持ちのプレイボーイ大学生と、彼に惚れている保険会社勤務の女性社員が車で夜中にデートして、峠で女性は捨てられ、それを偶々通りかかった主人公(悪人?)が、車に乗っけてやったが散々悪口を叩かれののしられ、ついに逆上して絞殺してしまう。男が自暴自棄になった時、背広販売店の女店員と知り合い愛し合う。しかし、一旦は自殺を思った男は女を騙すことが出来ずに別れ、自首して出る。ざっとこんなストーリーだが、陳腐な舞台設定と暗いイメージは、何をしてこの程度の小説に賞を与えるほどの価値があるのかと、そのギャップに戸惑うほどである。読んでいて何の面白みも、感傷もなかった。現代はこういう性質の悪い大学生もいるのかと思った程度である。
近年の芥川賞や、直木賞ですら受賞者の作品には、社会性や、時代性を描くよりセックスばかり強調している小説が多くなった。現代は、小説の価値も分かりにくくなった。
217.2007年12月17日(月) 芳野満彦さんに再び会う。
かつての山男としては、昨日せっかく高名なアルピニスト・芳野満彦さんにお会いして、親しくお話をさせていただいたのに、そのビジュアルな証拠となるツーショット写真を撮らなかったことが悔やまれた。ぜひ一緒に写真を撮っておきたかった。そんなことを子どものように考えているうちに、今日展示会場をもう一度訪ねて写真を撮らせてもらおうと闇雲に考えた。
小田急百貨店の展示場に電話して聞いてみると、芳野さんはまだ会場に来られていないが、よほど体調が悪くなければ11時ごろにお見えになると思います、とのことであった。芳野さんが来られたら、こちらの意向と趣旨をお話して、写真を撮らせてもらいたいと言付けを頼み、お出になったら電話で知らせてくれるようお願いした。
11時きっかりに展示係の方から電話をいただいた。芳野さんは私の申し出を快くお引き受け下さって、会場でお待ちしているというメッセージだった。
芳野さんは、約束通り会場で待ってくれていた。早速係の方にお願いしてツーショットを3枚、それに何枚か撮って、僭越だったが、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」に署名して差し上げた。反って恐縮されていた。ことの序に祖父が川合玉堂画伯の一番弟子だったとお話したところ、興味を持たれて暫し玉堂談義となった。昨日購入した絵画をバックに写真に納まった。これでやっと気分も落ち着いた。購入した絵画は、明日展示会が終わったら送ってくれるとのことだったが、自宅のリビングにきっと合うと思う。いまは妻の親から譲ってもらった中川一政画伯のバラの絵が架けてあるが、6年も経過したし、静物画だったので、気分転換に一度動的な絵に差し替えて部屋の雰囲気を変えてみたいと思っていた。どんな雰囲気になるだろうか、想像してみるだけでも楽しい。
216.2007年12月16日(日) 登山家・芳野満彦さんの山岳画を入手
小田急百貨店で登山家、兼画家である芳野満彦氏の山岳画展「冬の訪れ」をやっていて、妻の手術傷跡目隠し用サングラスが出来上がったので、受け取りがてら覗いてみた。3日前の日経新聞「春秋」欄に分かりやすく芳野さんのお人柄と経歴、並びに業績が紹介されていた。会場はあまり広くないスペースに30枚程度の画が展示されていて、その一隅に芳野さん専用の登山用具が置かれていた。そこにアレッ?と思うくらいの小さな登山靴があった。凍傷で両足の土踏まずから切断したために、わずか12㎝の寸法になってしまったのだ。
芳野さんと言えば、新田次郎の小説「栄光の岸壁」のモデルとして描かれ、登山界では伝説的なヒーローである。脳梗塞で倒れ、胃も3分の2を切除され、今では登山から遠ざかっていると伺った。日本人として、初めてマッターホルンの北壁を登ったことでも知られている。長い間私にとっても憧れの登山家であった。展示された画の中には、興味を惹かれた画がいくつかあり、見つめているとつい一幅欲しいという気になる。偶々展覧会ポスターに使用された、快晴下のマッターホルンの画「マッターホルン快晴」8号が展示されていて、それが頗る気に入った。まったく計算外だったが、値も手頃だったのでその名画を思い切って買い求めることにした。購入の話をしていた時に、係員が芳野さんはそこに居られますよとお引き合わせしてくれた。まさに感激ものである。今年75歳の芳野さんは、考えていた通り腰が低く丁重に話に応じてくれた。購入した画と、画集「山靴の音」、画展ポスター、それぞれに丁寧に妻と私の名、日時を書き入れて、署名と篆刻をしてくれ、画の裏には、マッターホルンにまつわるご自分の思いを、
「快晴のマッターホルンこそ美しい眺めはないかも知れません・・・。この絵はツェルマットから描いたもので、私にとって日本人として初めて登った北壁、特に目にシミます。思い出は永遠に尽きることなく、そして遠くに新たにあることを」と書いて下さった。
私自身ツェルマットに何度か泊まり、マッターホルン展望のためにゴルナー・グラードまで行ったことがあり、その画は私のマッターホルンへの思いにも通じるところがある。暫くマッターホルン談義となったが、芳野さんは、マッターホルンは近くで見るのが一番いいですよ、と仰っていた。ひけらかすような素振りは微塵もなく、控えめなお人柄である。「マッターホルンへ初めて登った日本人」という私の説明に対して、「いいえ、マッターホルン《の北壁》を初めて登った日本人です」とはっきり訂正された。そして、画の裏にはマッターホルンの「北壁」ということを注記してくれた。とても正直で静かな方である。
それにしても今日は思いがけず、憧れのアルピニスト・芳野満彦さんとお話出来て、その上素晴らしい買い物(衝動買い?)をした。いずれ我が家の家宝になる?