充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
225.2007年12月25日(火) 年賀状を書く気持ち
15日から年賀状を受け付けている。今日第一弾として535枚の年賀状を近くの郵便局へ持参した。15日の朝日「天声人語」によると、最近は文面デザインはおろか、宛名も印刷された年賀状が増えたようで、「天声人語」氏に今年届いた年賀状の約6割が宛名は印刷され、そのうち半数はまったく肉筆がないと慨嘆していた。相手を思い浮かべながら名前と住所を書いて一言添える旧来の年賀状が徒に機械化され、情緒や通い合う温もりが薄れつつある。年賀状も本来の意味を失い、形式的になりつつある。
私自身文書については、こだわりを持っていて宛名書きは万年筆を使って手書きで書けるなら、出来るだけ万年筆で仕上げることに固執している。時間もかかるし、時には書き損なうこともあるが、やはり書簡の類は、数百枚程度なら手書きに限る。
これは幕張小学校時代の恩師・湯浅和先生の「三つ子の魂」の教えである。小学生に手紙の書き方、年賀状の書き方、手紙を書くことの心構えを丁寧に教えてくれた。湯浅先生が、手紙ばかりでなく、工作、絵画、俳句のほかにも賞状のいただき方や、朝鮮戦争に国連軍を投入した理由等も情熱的に教えてくれた。そのおかげで、授業も楽しく先生との絆が深められた。いまでもクラス会を和(やわら)会と称して先生を偲びながら、毎年2回教え子が集まり交流を図っている。あんな素晴らしい先生は、あまりいないのではないかと思う。時代性もあるが、いまの学校教育の現場では中々こうはいかないだろう。
湯浅先生のおかげで、今でも手紙やハガキは必ず万年筆で認める習慣が身についている。筆で書くことはよほどのケースでなければしないが、万年筆による直筆だと巧拙、性格、感情もある程度推し量ることが出来るように思う。今日投函した年賀状も手書きなので、かなり時間がかかったが、少しでも自分の気持ちを相手に伝えたいとの心配りのつもりである。
会社勤めのころ、お客様への便りとか礼状は書式に則って必ず万年筆で丁寧に書くよう若い社員に指導していたが、万年筆は使えない、理由は持っていないからと聞いて愕然としたことがある。いまの若い人たちもきっとそうなのかなあと考えてしまう。大体万年筆を英語で‘fountain pen’というのがいい。泉の如く知恵も流麗な文もあふれ出てくることを象徴しているようだ。
他人のことはともかく、やはり丁寧に書かれた書状をいただいた時は、相手の気持ちを考えて気持ちが爽やかになる思いである。
年賀状ではないが、今日ニューヨークとブリュッセルの知人からクリスマス・カードを受け取った。これだって近況報告が沢山書いてあって、彼らの日常生活を想像するだけで楽しい。ニューヨークの知り合いはマ・テン・チさんというビルマ人の女性で、ビルマ航空のスチューワデスだった。最近カレッジを卒業した娘を連れて、30年ぶりに母国ビルマへ帰ったと書いてあった。海外に生活するビルマ人は、軍政下のビルマ社会がどうなっているか情報がなく、とても心配している。
ブリュッセルの知人、安原久雄さんとはもう30年以上のお付き合いになる。長い間ブリュッセルに住んで、マクロビオテックという有機農業や、自然食の分野で普及活動を続けておられる。今月80歳になったという。健康状態は良好だが、最近はトイレで用足ししてもペーパーは要らないと言っている。彼曰く「野生動物に近づいた」が、読書オタクになったというから、やはり野生動物とは決定的に違うインテリ人間だ。彼もコーヒーの飲みすぎとヘビースモーカーという活動の主旨に反する生活をもっと抑制すれば、さらに快適な生活を送れるだろうに。こういうプライベートな手紙のやりとりも手書きだから伝え合うことが出来ると思う。
224.2007年12月24日(月) 政治家の見識と責任、アクセス5,000件突破
一旦は政府の対応を「線引き救済」として批判し、決裂していた薬害C型肝炎訴訟問題は福田首相が検討を指示した議員立法によって、「一律救済」を目指し、急転直下解決へ向かい出した。まだまだ前途にハードルはあるが、それでも解決への道を政府が模索し出した点は評価しても良いだろう。罪のない被害者が、やがて自分たちを襲ってくる肝硬変、がん等の恐怖に怯える一方で、これまで無責任な対応で問題を放置してきた行政側の責任が問われてきた。大阪高裁の政府と患者原告団に対する和解勧告により、解決が期待されたが、原告団が最後まで譲らなかった「患者一律救済」が、結局ネックとなり首相裁断の「政治決着」とはならなかった。
この問題の一連の動きをみていると、改めて解決へ踏み出そうと政府が考え直したのは、次の総選挙に対する危機感からにほかならない。ねじれ国会で法案はひとつも通らず、新テロ特措法は一向に前進せず、年金問題の不始末から自民党の人気は下がりっぱなしで、総選挙では相当苦戦することが目に見えている。それが証拠に、原告団に対する政府の回答を出した直後の伊吹自民党幹事長は会見で、最善の策を目指したが、何でもかんでもやったら日本の法律はどうなるのか、資金はどうなるのか、と原告団の神経を逆なでするようなことを話していた。国民のためを考え、国民に奉仕する政治家の言うことだろうか。それを考えるのが政治家の見識であり、責任というものではないのか。それが前向きになったとはいえ舌の根もかわかぬうちに方針転換である。偉そうにポリシーだとか、信念とか、聞こえの良いことばかり言っていた政治家は、都合が悪くなると急に口が重くなる。
もっとも政治家が決断しようにも役所が反対しているのでは、政治家も手の打ちようがないということだろうか。大阪高裁の和解勧告は、一律救済を容認していない。司法の判断を立法、行政が冒してもよいのかという正論で反対したらしい。さらに財政面の手当てをこの厳しい財政事情の中でどう折り合いをつけるのかという深刻な問題もある。だが、その正論を受けた政治家が官僚に対応出来ないのでは、いつまで経っても官僚の言いなりだし、政治家の存在理由も出番もない。
予算がないと言うが、救済原資は考えれば、いくらでも考え出すことが出来る。以前から主張している公務員のボーナス支給カットも然りである。これなら、国民から大うけすること必定である。そして、薬害患者を救済することも出来る。思い切って議員数を減らそうというのもこの際検討してみたらよい。議員側から国民誰もが歓迎するような提言もひとつぐらい提案されないものだろうか。いつものことながら政治家は自分たちの利益を国民から奪おうというケチな考えなんか捨てて、もっと国民が感動し喜ぶことは考えられないのか。
今日このホームページへのアクセス数が開設以来大台5,000件を超えた。ありがたいことである。アクセス数自体が多いか、少ないかは分からないが、少なくとも開設7ヶ月余で5,000件に達した。来年はいろいろ工夫を重ねて、さらにコンテンツを充実させ、楽しいホームページに仕上げていきたい。
223.2007年12月23日(日) またやった!懲りない講談社
ケチがつきはじめた大手出版社・講談社がまたまたヘマをやらかした。同社発行のマンガ雑誌「週刊少年マガジン増刊マガジンドラゴン」に掲載された作品に盗用があったと講談社はしぶしぶ謝罪した(本日付朝日朝刊)。新人マンガ家・豪村中氏の作品に複数の作品からの盗用があったと外部から指摘があり、本人も盗用を認めた。講談社の言い分はありきたりで、「二度とこのようなことが起こらぬよう指導を厳にする」というものである。だが、この大失態はそもそも講談社の体質自体に起因しているとみている。指導すべきは、自分たちが選んだ執筆者に対してではなく、講談社内部に対してではないだろうか。すでに落着したが、私自身も今夏講談社と一戦を交え、誤りを訂正するとの言質を得た。この会社は、自分たちの誤りに気がついても、素直に自分たちの誤りを認めようとしない。傲慢不遜で謙虚さに欠けるのだ。この体質を変えない限り、このところトラブル続きで懲りない講談社には、また同じような失態が跳ね返ってくるのではないか。
出版界のトップ企業であるという野間家世襲一族、および社員の思い上がり、オピニオンリーダーとしての自覚の欠如、世襲企業特有の隠蔽体質、外部の意見を傾聴しない傲慢さ等々、誤ったプライドを抱く講談社には、多くの問題が沈潜している。今度の件でも、多分外部から相当数の指摘があったと思われる。当初はこれを無視していたが、あまりの苦情に腰をあげて調査した結果、盗用と判明し、逃げられなくなって盗用を認めたというのが、実際の経緯だと思う。
どうしてこうもマス・メディアの最前線にある講談社は、トラブルを頻発させるくせに性懲りもなく反省がないのだろうか。結局のところ企業ガバナンスがしっかり確立されておらず、世間知らずで、名門企業の名に甘えた妙なプライドで固まっている連中が、自分たちの論理だけでことを進め、自分の世界を作っているだけだからだろう。
222.2007年12月22日(土) 吉田修一著「悪人」の価値と評価
18日の本ブログで吉田修一の新聞連載小説「悪人」が、いかにつまらない作品であるかと指摘したが、それが「毎日出版文化賞」に続き、また別の賞を受賞した。第34回「大佛次郎賞」である。同賞は「ジャンルを問わず優れた散文を対象とする」と謳った、数多くある文芸賞の中でも大賞のひとつである。「悪人」のどこが良いのか、その評価の基準がよく分からない。作者は「いろんな登場人物を描きたかったので、場面を短い区切りでどうにか収めようとしたのがよかった。突然、別の人物の声がモノローグとして入る手法がリズムを生み出し、結果的にうまくいった」。どうも自画自賛に過ぎるのではないかと思えてしようがない。前半のコメントは確かにその通りだが、だからといって「リズムを生み出し、結果的にうまくいった」となったかどうか。私にはどうもよく分からない。
5人の選考委員がそれぞれ異なった視点からコメントを出されているのも興味深い。哲学者の山折哲雄氏は「一つひとつの情景をつみ重ねてクライマックスにもっていく構成的な作劇法が鮮やかである」。解剖学者の養老孟司氏は「なにを書こうとしたのか、そのあたりのわからなさがいちばん面白かった。著者は筆力があって、いったん読み始めたら、最後まで一気に読まされてしまう。そういう作品は決して多くない。そこを評価した」と必ずしも内容自体を賞賛していないコメントだった。多分私のように表層的に、平板的に受け取る読者がいることもお見通しの上で、論評しているのだと思う。
それにしても、小説の評価について、文芸評論家と称される人たちと自分の考えにこれほどギャップがあるとは少しショックでもある。これで、4年ほど前の130回芥川賞同時受賞の綿矢りさ、金原ひとみ、ら若手女流作家が描いたセックスとマゾ表現が評価された時から、改めて文壇は純文学路線から外れ、何でもありのエロ・グロ路線へ走り出したように思える。
221.2007年12月21日(金) 先行きの見えない福田内閣
福田内閣の支持率が急落している。朝日の世論調査に依れば、発足当初53%だったものが、今や31%にまで下がった。不支持率は48%とほぼ半数近くの人が信頼していないことになる。福田首相就任当初は、「背水の陣」内閣として、もう少しやってくれるのではないかと期待されたが、ダメ安倍とそれほど変わらない。
原因はいろいろあるだろうが、期待感ばかり抱かせて結果が思うように出ない。つまり成果として何も残らないことが、この不人気の最大の原因だと思う。その最たるものが、社会保険庁の無様な年金対策、厚労省のC型肝炎訴訟と防衛省の贈収賄にからむ規律の乱れだろう。朝日も少々人が悪い。いま衆議院比例区で投票するとしたら、どの政党へ票を投じるかとの質問を呈している。今月初めの調査では、自民と民主がそれぞれ32%とまったく互角だったが、現在は民主の38%に対して、自民はたったの23%だそうである。今日の「JAPAN NOW観光情報協会」12月飲み会でも、一度民主党に政権を渡した方が、お互いに緊張感が出て、真面目な政策論争と具体的施策をやって良いのではないかとの意見が聞かれた。みんな同じような考えを持っている。自民も今のまま何も成果を出せないような政権政党では、益々地盤沈下するに違いない。
こんなムードの中で、来年度予算原案が発表された。近づく衆議院選挙を意識して、財政健全化は帳尻あわせに追われ、財布のヒモが緩みそうである。一般会計予算がざっと83兆円である。これは、私が経済学を習い始めた半世紀前の予算1兆4千億円に比べて、何と60倍である。これだけ大型の予算を組んで、どれだけ国民のためになり、国民が幸せになることが出来るのか。気になるのは、税収がまだとても足りず、消費税値上げの足音が聞こえてくることである。