ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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240.2008年1月9日(水) あれっ!韓国の大火災事件はどうなった?

 一昨日夜韓国のソウル近郊利川?で倉庫が火災を起こし、有毒ガスが発生して30人が死亡し、倉庫内に閉じ込められている人が10人、行方不明者が10人という、大惨事が発生した。最終的に死者は50人を超えそうだ。テレビは興奮した現場実況により大々的に、吹き上げる猛火と巻き上がる煙、慌しい消防団員の動きを映し出していた。テレビでこれだけ生々しい大惨事を放映し、かつて50人以上の死者を出した地下鉄駅構内火災に匹敵する大事故と報道していた。行方不明者はどうなっただろうと心配していたが、不思議なことに一夜明けて昨日のマス・メディア、つまり新聞とテレビニュースでは、一切その後の経過、被害は報道されなかった。そして、今日どこのテレビ局からも、このニュースの続報はまったく伝えられていない。

 一方同じころ国内では、北九州市で水道工事中に3人が酸欠により死亡したことを大きく伝えていた。

 今夜11時過ぎになってやっとTBSが、爆発した火災現場で取材していた記者のPCから、煙が噴出し慌てて外へ持ち出したら、電気系統から火を出し爆発した。関連性があるのかどうか、これも不思議な事件である。そしてPC爆発事件の映像も映し出された。

 事故発生当初あれだけ派手に報道し、相当の死者を出した大火災のニュース報道を、マスコミ各社はぷっつんと絶ったのだ。世にも不思議な物語である。火災が実際に起きたことは、あの混乱した現場と仰々しいニュースの伝え方を見れば隠しようがない。それが、世上から消えてしまったかのようなのである。まったく雲をつかむような話である。しかも今日火災現場近くのPC爆発だけが断片的なニュースとして伝わってきた。何かしら背後に意図的なものを感じる。とても尋常ではない。燃え出した火災がなくなってしまったのである。いや、事件が隠されている可能性が高い。死者は闇の中で処理されているのかも知れない。あれだけ世界中のマス・メディアが追っていた大火災が、ある時を境にまったく何事もなかったかのごときフォローなのである。亡くなった人たちはどうなったのだろう。現場では大騒ぎになっているはずである。

 どうも日本のマス・メディアが揃いも揃ってこの奇怪な事件を追及し、報道しようとしない姿勢もおかしい。各社とも取材活動を止めてしまったらしいのは、特別な理由があるに違いない。ことによると韓国公安当局による厳しい報道管制があったのではないのだろうか。それにしても仮に韓国政府から圧力や規制を受けたにしても、事実を正確に伝えなければならないマス・メディアが自ら矛を収め、その権利と義務を放棄してしまうのでは話にならない。ジャーナリズムが報道の自由と、公正に伝える権利を放棄したことになる。日本国内の事件ではないので、よく分からないが、それにしても不可解である。マス・メディアが一斉に取材から手を引いたように見えるのは、まず国家がらみの機密に関する不幸な事件であると考えざるを得ない。韓国政府にとって都合の悪い、機密に触れるようなアイテムだと思う。いずれ何らかの形で実情は暴露されると思うが、それにしても大火災発生と隠蔽事件は、予測出来ない怪しげな展開になってきた。

2008年1月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

239.2008年1月8日(火) 法の目をかいくぐる政治家の錬金術

 長い間お世話になった方がまた亡くなられた。北九州市小倉にお住まいの折田夫實子さまのご遺族から、昨年12月にお亡くなりになったとのご挨拶状をいただいた。旧蝋いつも通りお歳暮をお贈りしたところ、折田さまからもお返しをいただいた。しかし、いつも手紙のやりとりがあったのに、今回はそれがなかった。それからまもなくして亡くなられたことになる。今年確か米寿ではないかと思う。このところややお疲れ気味で文通も途絶え、いただいた手紙の文面も乱れがちだったので、もしかしたらと健康状態を心配していた矢先だった。

 折田さまは日赤病院のご出身で、大東亜戦争下にビルマへ従軍看護婦として派遣され、厳しい戦地の体験をお持ちである。戦時中折田さまが勤務しておられた、ラングーンの元兵站病院(現ヤンゴン大学)、同じくモールメンの兵站病院跡へも戦没者の慰霊でご一緒したことがある。何度も一緒にビルマへ行ったが、もう慰霊巡拝の役目は充分果たしたのでこれ以上は結構というところで、お気持ちを切り替えられ欧米への観光旅行へ行かれるようになった。折田さまの海外旅行にはいつもご一緒させていただいた。多分20回ほどお供したと思う。国立東京第2病院(現国立東京医療センター)看護部長のころにも、顧客の救急関係でしばしば助けていただいて、ご恩は尽きない。存じ上げている方々が段々亡くなって寂しくなるが、いままた一番親しくしていただいた折田さまも他界されて、一段と寂しさがこみ上げてくる。折田さまのご冥福を心よりお祈り致したい。

 さて、国から補助金を受けた企業・団体が、自民党の政治資金団体「国民政治協会」に巨額の献金をしている。どうしてこういうふざけたことが出来るのだろうか。政治家の腹黒さが見え見えではないか。勘ぐれば、自民党は企業にキックバック織り込み済みで関係省庁へ圧力をかけ補助金を出させ、一部を自らに還流させていることになる。

 政治資金規正法では、国から補助金交付決定通知を受けた法人が一年以内に政治献金することを「原則」禁止している。これは、献金は基本的に認めないということだ。政治家の悪賢いのは、これをどうやってカムフラージュしながら法律の網をかいくぐるかということに注力している。法律に「原則」条項を書き込み、原則外で法律をごまかそうとしている。さらに、「例外」規定を設け、常識的には当たり前のことを「例外」と見做そうとしている。もっと悪質なのは、期限付きのものに期限が過ぎたうえで運用しようとする巧妙な手口である。かくして、資金が枯渇すると与党自民党は、法律を作り、「原則」でごまかし、「例外」で処理し、「期限内」を期限外で運用して、法人経由で国民の税金を吸い取る。これに、政治家べったりの官僚が、規制を甘くして適法と言い、監督官庁の総務省は「例外の解釈が難しい」と逃げる。かくして、税金はどんどこどんどこ政治家へ還流されていく。

 これは何も与党自民党だけに留まらない。野党民主党だって12社から計1,039万円の献金を受けている。民主党は法律違反なら返金するなどとたわけたことを抜かしているが、所詮自民党と同じ穴のムジナであることを露呈したに過ぎない。どいつもこいつも根性が腐りきっている。

 6日付朝日朝刊によれば、抜け道はいくらでもあるようで、現金の献金に制約のあるJAのような団体のごときは、「寄付出来ないのでパーティ券を購入した」と広言している。06年には、補助金を受けた109の団体・企業から合計8億円近い献金があった。専門家は、強制力を持つ法整備やチェック機関の設置が必要とか、補助金を受けた企業は団体に対し、例外を設けず政治献金を禁止すべきだと述べているが、一の矢がダメなら二の矢を放つ、転んでもタダでは起きない政治家がこの程度の抵抗でおとなしくなるとも思えない。そもそも政治家なんて、もともと人間離れしているのだから。

2008年1月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

238.2008年1月7日(月) 新風舎民事再生法申請報道にギョッ!

 今朝の朝日を見てびっくりした。一面に4段抜きで「自費出版大手『新風舎』きょう再生法申請」とある。一瞬本当かな?との疑問が湧いた。しかし、日経夕刊でも、今日東京地裁に民事再生法の適用を申請したとある。確かに、昨夏「夕刊フジ」紙に自費出版した一部の著者が契約違反だとして新風舎を訴えて一部に波紋が広がった。信用を重視する出版業界にあって大きなイメージダウンである。にもかかわらず、その際も同社はきちんと訴訟の原因と経緯、そして経過を書面で連絡してくれた。対応は誠実で割合しっかりしていると思っていた。最大手とはいいながら、好い加減な対応しか出来ない講談社とは大違いである。実際、新風舎自体は、講談社を抑え2年続けて出版業界内で取扱高トップを維持し、評論家・江川詔子氏らはあまり問題視していなかった。強いて原因を探れば、この新興出版社の社長は作家であるだけに、あるいは経営全般を見る目に欠けていたか、目に見えないところで経理面にずさんな点があったのだろうか。負債総額は関連会社分を合せて25億円だそうだ。私自身は担当者とのコンタクトは切らさず、彼らもいろいろ情報を流してくれた。よいコミュニケーションを築いていたのに残念である。気になり午後になって新風舎へ電話したところ、明日債権者宛に説明会の案内状を郵送する手はずになっているとのことであった。ここはぜひ説明を聞いてみたいものである。

 それより何より、いま書き続けている「停年オヤジの海外武者修行」もまもなく脱稿して、近々前著「現代・海外武者修行のすすめ」に続いて、新風舎から上梓しようと思っていただけにショックだ。こればかりは、前著が正編、次回作品が続編となったセット書であり同一出版社でないと宣伝上もメリットが減殺される。幸い、印刷会社2社から支援を得たようでもあり、再生法は受理されるだろう。しかし、倒産企業と受け取られかねない民事再生法を申請したので、世間一般のイメージはあまり良くないと思う。すでに、今年上梓を予定している拙著の推薦文は旅行業界の大物氏にお願いしてご快諾をいただいている。知人の紹介で新風舎へ接触するようになったが、すっきりするためにも、ここは次の手を考えた方がよいのかも知れない。暫時思案のしどころである。

2008年1月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

237.2008年1月6日(日) 国会議員削減と世襲議員について提言

 今年は、少し政治的な意見を提言しようと考えている。取り敢えず、提言したいことは2点ある。ひとつは、制度として国会議員の数を減らすことである。これによって付帯経費、特に衆参両議院事務局の経費を大幅に節減することが出来る。数字はまだ検討段階だが、国会議員数を半分に減らすことを目標にすればよいと思う。無駄な経費の節約というより、国会議員が真剣に国民のために働いてもらうよう国民が監視するためには、少数の方が細かく目が行き届く。また、議員削減のような荒療治も必要であり、国民の理解も得やすいのではないか。実際、現状の国会議員数は多すぎる。いまの不真面目な議員たちの奪税ぶりには、もう国民はうんざりしている。

 第2点として、現行制度を大きくいじるのではないが、問題の「世襲議員」を失くすことを制度上考えるべきではないかということである。見渡してみると、近年の総理大臣はほとんど「世襲議員」であり、国会議員も半数が「世襲議員」である。「大臣」と呼ばれる閣僚もほとんど「世襲議員」である。世襲でなければ国会議員にはなれないくらいである。大臣、また首相になるためにも、早く箔をつける意味で大臣を経験することが重要であり、そのためにはより早く議員になる必要がある。それには、「世襲議員」になることが早道である。一方で、こういう反対意見もある。たとえ「世襲議員」であっても有権者が自分の意志で投票し、結果的に当選することが出来るなら、順法精神に適っているし、法的に「世襲議員」を止めることは、逆に「自由」「平等」であるべき憲法の精神に反するとの至極当然の反論である。

 わたしはこの反論に対して敢えて反論したい。まず、「世襲議員」、それ自体は法の精神に反したり、矛盾するものではない。ただし、法はあくまで、自由と平等の上に成り立っている。その自由と平等という名の下に保護された「世襲議員」には、自由と平等を他人から奪う自由が無条件に担保されているのである。「世襲議員」がなぜ選挙に強く、当選することが出来るのか。これがこの問題の根源である。「世襲議員」には通常の選挙で勝てるような仕組みが付与され、すでに完成されているからである。はっきり言って、政治のために大切な人物本位とか、資質、政策、理念や哲学、志等は2の次である。選挙に勝つためには3つの必要条件があると言われている。曰く「地盤」「看板」「カバン」である。この中で最も強力なものが、「地盤」なのである。この地盤こそが、候補者にとって最も重要であり、これなしには現行体制で勝つのは中々難しい。この「地盤」を先代からすんなり継承することが出来るかどうかが、今後政治家としてやっていけるかどうかを決めるのである。すでに、獲得票数まで予測できる強力なシステムを引き継いだ時、政治家として、ひょっとすると一国の総理大臣となる幻想と可能性も得ることになる。

 この仕組みはどこかおかしくないだろうか。あまりにも理不尽だと思ったことはないだろうか。親が政治家なら容易に総理大臣へのパスポートが得られる。一般の有権者ではとても考えられないことである。どうして政治家の家に生まれた人間と普通の家庭に育った人間との間に、こんなに不平等で大きな格差があるのだろうか。

 ここでは、持論を提起しておきたい。政治家の家庭に生まれた場合は、そのまま「地盤」を継承して立候補すれば、並外れた「有利性」を享受出来る恩恵に浴している。これは、完全に憲法が保証する「自由」と「平等」に反している。端的に言えば、「世襲議員」制度?は、憲法の精神に反しているのである。では、どうすればこれを防止出来るか。国民一律に平等に取り扱えばよいのである。世襲を継承する立候補者から、一定期間有利な「地盤」を預かればよい。つまり、肉親からそっくり「選挙地盤」を引き継ぐやり方から、「地盤」における立候補、被選挙権行使を一時封印し、その代わり「地盤」を行使出来ない他の選挙区から、自由に立候補を認める制度に法改正することが望ましいと考えるがいかがだろうか。

2008年1月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

236.2008年1月5日(土) アメリカ大統領選挙とパリ・ダカ中止

 一日明けて今朝の新聞は、米大統領選挙党員集会の結果を大々的に報じている。大統領選指名争いにおける緒戦で、ヒラリー・クリントンが敗れた衝撃はかなり大きいようだ。キーワードは「変化」「希望」「脱ブッシュ」「統合」であり、そこに見られるのはブッシュ政治に対する批判、新しい風への期待と流れ、そして実行力への信頼ではないだろうか。日本と異なるリーダー選出の過程で、市民が意見を戦わせ合意を形成していく流れは、談合と投票だけの日本のそれとは確かに違う。若いオバマ氏の考え、人柄、行動、弁舌等が徐々に受け入れられ、支持者の間に彼の考えが浸透していく。一方で、日本スタイルは本日付「天声人語」氏によれば、「福田首相の口ぶりは評論家を思わせ、『ひとごと感』さえ漂う」。アメリカは原色の自己主張を塗り重ねた油絵だが、日本の政治風景は水墨画的であるとまでいう。日米の政治風土やメディア観は違うが、少なくとも弁論で切り結ぶ覚悟がなければ、どの国の有権者もついて来ないと厳しく断じている。

 まだ、先行きは不透明だが、オバマ氏が一気に活路を開くのか、はたまたヒラリーが巻き返すのか予断を許さない。3日後にニューハンプシャー州予備選挙があり、これでオバマ氏が勝ちを制するようだとオバマ・ブームを巻き起こし、一気に突っ走るかもしれない。現在60歳のヒラリーはすでに既成候補者と見られ、NYタイムズ紙は「指名獲得は既定の流れだと示そうとする(クリントン陣営の)戦略はズタズタになった」とまで指摘している。失地回復を目指し、劇的な戦略の変更を考えざるを得ないヒラリー陣営にとっては、小さなつまずきであったかも知れないが、負けゲームへの大きな落とし穴になる可能性がある。

 60年代初めに若き無名?のJ・Fケネディが瞬く間に躍り出て指名を獲得し、そのまま米大統領まで上り詰めていったドラマが思い出されてくる。ニューハンプシャー州の予備選に続く、ニューヨーク州、カリフォルニア州など22州で予備選と党員集会が開催される、来月5日(火)の「スーパー・チューズデー」で、ある程度方向が決まるのではないか。世界の指導者を決めるイベントだけに、こればかりは単に他国の選挙と言って指をくわえて見ているわけにはいかない。当分の間、気がもめることである。

 さて、今日から開催の予定だった「パリ・ダカ」ラリーが昨日になって主催者側が急遽中止と発表した。だいぶ前からこんな環境破壊、住民虐待ラリーは中止すべきだと考えていたので当然だと納得したが、その中止の理由は「競技に対する直接的な危険がある」とテロを警戒するものだと苦渋を匂わせた。先月モーリタニア旅行中のフランス人家族4人が殺害され、容疑者がイスラム過激派と見られ、組織がラリーを妨害する恐れがあるからと初めて世界的ラリーの中止に踏み切った。

 日本人の間にも人気のあるラリーで、過去にも日本人レーサーが優勝し、そのひとりである増岡浩選手のごときは「残念でならない」と嘆いているが、自宅前でこんな埃っぽいラリーをやられる住民の気持ちを考えたことがあるだろうか。この凄まじいラリーの乱暴な走行ぶりを見て呆気にとられたことがある。言ってみれば、自動車の耐久レースであり、車メーカーの宣伝の場と化している。車を製造するメーカーの国で堂々とやるならともかく、貧しいアフリカにつけこんで大金をばらまき、特に今回問題になったモーリタニアを中心に何百台の車がガソリンを撒き散らし、埃を巻き上げ、砂塵をあげて、草木をなぎ倒し、道なき道を走りまわり、砂漠を壊し、住民を騒音と埃まみれ追いまくっている。ついに、パリで走れず、今年はリスボンからダカールまで走行する「リス・ダカ」計画だった。こんな気狂いじみた環境破壊で住民いじめのイベントは、「地球温暖化防止」、「地球環境保全」の今日、時代のテーマにそぐわない。もう止めるべきである。これを中止に追い込んだ「イスラム・マグレブ諸国のあるかいだ組織」(AQIM)に対して拍手、ハクシュ~、改めて拍手である。

2008年1月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com