ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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260.2008年1月29日(火) ふるさとテレビ・セミナーと椎名誠関連記事

 ふるさとテレビの顧問を対象に、第1回セミナーが開催されると連絡をもらった時は偶々チベット旅行中だったが、すぐにチベットからメールで連絡し出席するつもりだった。ゲストスピーカーは軽妙なトークで人気の塩川正十郎元財務相である。実は塩川氏は挨拶されなかったが、昨夕の構想日本にも出席されていた。かつて文部大臣を務めておられたころ、大臣室でお会いしたことがある。

 塩川氏の話を楽しみにしていたが、今朝起きたら喉が痛く食べ物を呑み込むと違和感があるので、事務局へキャンセルの連絡をしてかかりつけの森医院で診てもらった。大したことはないとのことで3日分の薬をもらって、血圧も診てもらった。血圧は大分安定してきたが、ここ数日外出し酒が入っただけで、簡単に風邪らしいものにとりつかれるとはいささか情ない。

 昨日から作家・椎名誠へのインタビュー記事「人生の贈りもの」が朝日夕刊に連載されている。ところどころに思い当たることがあって興味深い。椎名家は私たちと同じころ千葉・幕張へ引っ越してきて、兄の研二くんが同じクラスに編入した。とはいっても研二くんの方が若干早かったので、彼の方が席順は前だった。野球好きで何となく家庭環境が似ているせいもあり親しくなった。

 3年前のペンクラブ総会で誠さんと幕張について懐かしい話になり、共通の話題に笑ったものだ。あの当時度々椎名くんの家に遊びに行ったが、確かに彼の家にチビがいた。考えてみるとそのチビか椎名誠だったことになる。6歳年下である。誠さんも随分有名人になって、いまや売れっ子作家になった。研二くんは、26日のクラス会にも来なかった。以前はよく出席したのにどういうわけか最近はほとんど顔を見せない。60年前は私立ブームのはしりで、家庭的に余裕があれば誰も彼もが幕張小学校を卒業すると地元の幕張中学校(遠くて電車でなければ通学出来なかった)を敬遠して、私立中へ進学するのが流行りだった。クラスから市川学園へ進学したのが自分を含めて4人いた。研二くんは、どういうわけか千葉の先の四街道にある聖書農学園中学へ進学した。その後中央大学へ進み、今ではアパートを持って割合気楽な生活を送っているようだ。弟があれだけ世界中を旅行して冒険作家として名を売っているのに、兄は飛行機がまるきしダメだと言って遠方へは旅行しないと面白いことを言っていた。みんな懐かしい連中だが、もうあまり会うこともないのが寂しい。「人生の贈りもの」の続きを楽しみにしている。

2008年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

259.2008年1月28日(月) 高島市長と話す。スハルト元大統領死去

 「構想日本」の懇親会が帝国ホテル系のグランドアーク半蔵門であり、予定より早めに出かけた。「構想日本」は、1997年に現代表の加藤秀樹慶大教授を中心に設立され、各界へ積極的に意見を発信して政界、地方自治体に少しずつ影響力を強めている。ニュートラルな立場から問題点に切り込んでいくので、好意的な意見が多かったり、事業仕分け等で効果の表れた分野では評価される半面、反対派の人からは抵抗も多いのではないかと思う。加藤代表には新年の挨拶をした。代表は細い身体にも関わらず、日ごろからかなりエネルギッシュに活動されておられるので、そのパワーには敬服する。存じ上げなかったが、昨年から財団法人・東京財団会長もされておられるという。日本財団の下部組織である。

 着席スタイルでブッフェ形式の会場だったが、右隣は沖縄4区選出の西銘恒三郎自民党代議士、左隣は48歳の若い海東英和・滋賀県高島市長だった。琵琶湖畔の高島市は「構想日本」の事業仕分けに熱心に取り組んでおり、大分成果も出ているようだ。東海道沿線ではないので、一般にはあまり馴染みのある都市ではないが、合併当初は歳入50億円、歳出300億円で完全に再建団体間違いなしだったが、歳出削減に努め、近年ようやく光が見えてきたとの話だった。江戸時代の陽明学者・中江藤樹の出身地で、今年は生誕400年を迎え、記念行事が開催されるという。小学5年の学芸会で幼少期の中江藤樹に母親からの手紙を届ける飛脚役を演じたことがあり、その話で盛り上がった。前滋賀県知事の国松氏とは遺骨収集で出かけるときに度々お会いしたが、市長も国松氏にはお世話になったと話していた。市長とは、少々時間はかかるが高島市の紹介PR図を作成すると約束した。その他にも大勢の方々とお話出来て、中々実りのある懇親会だった。

 さて、インドネシアのスハルト元大統領が亡くなった。86歳である。もちろん実際にお会いしたことはないが、印象に残る世界的な政治家のひとりである。

 初めてインドネシアを訪れた1966年、スハルト氏はインドネシア国軍の最高位にあった。しかし、その前年9月国軍による当時のスカルノ政権に対するクーデターを計画したのは、別人ウントン中佐だった。一時は流れがウントン氏へ傾きかけたが、軍を掌握していたスハルト氏が巻き返しスカルノを傀儡大統領の座へ追いやり、68年3月自ら大統領の実権を握った。私自身インドネシアで随分危ない経験もしたこともあり、その後インドネシア政界の動きから目を逸らさず注視していた。ついに戦後一貫して長期政権を維持していたスカルノ大統領は、まもなく失脚した。汚職と不正蓄財の代名詞だった「建国の父」スカルノ大統領の晩年は惨めなものだった。清廉潔白を謳い汚職の追放を旗印にスカルノ大統領を追放した軍人スハルト氏が、いままた同じような道を辿った。共産党員を含め相当数の虐殺の罪でも、世界中から糾弾されていた。ついにスハルト氏の罪が裁かれることはなかった。発展途上国にありがちな典型的な権力者交代の構図である。

 初めての海外旅行でまだ若かった当時、スカルノ贔屓のマスコミ報道に乗せられ、一時スカルノ大統領をインドネシア独立の功労者として尊敬すらしていたが、現地でその評判と実態を見聞すると、大違いであることを悟らされ、少なからずショックを受けたことがある。あれが、現地で「YK」=空気が読めないとダメ、つまり臨場感が分からないと実態も分からないと悟ったきっかけとなった。その意味では、スカルノとインドネシアは臨場感の大切さを教えてくれた反面教師と言えるのかもしれない。

2008年1月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

258.2008年1月27日(日) 小田実の最期の姿と葬儀を収めたDVD

 昨日は、幕張小学校の新年クラス会、今日は小田急山岳部OB会新年会で飲酒の機会が続いている。もっとも以前は、ほとんど毎日飲んでいたことを考えると、最近は飲む機会も、飲む量もぐっと減った。因みに昨年1年間で飲酒した日数は59日だったから、6日に1回飲んでいた計算になる。この程度なら年齢的に考えてもそれほど多いということはない。実際かかっている森内科医も、松本整形外科医も飲酒量をこれだけ減らしたことに、感心していただいているほどだ。そのお陰で検査のたびに数値はよくなっている。まああまり気を抜かず、この週一ペースを崩さずにやっていければと思う。

 昨日、丁重な書面に添えて1枚のDVDが配達されてきた。小田実さんの玄順恵夫人から郵送されてきたもので、書簡では小田さんのことを「人生の同行者」といい、小田さんが大切にしてきたものは、古代ギリシャ文学と思想、哲学だったと書いてあった。DVDは小田さんの葬儀を記録したものだった。葬儀の一部始終とワシントンにあるベトナム戦争戦死者記念碑が建立された際に、小田さんが訪れた時の回想シーンや、胃癌で聖路加病院へ入院していた時の映像をコンパクトに1時間分をまとめたもので、葬儀の最後の感動的なシーンも入っていた。小田さんを乗せた車が葬儀所を出る時、期せずして参列者から湧き上がった拍手である。また、最後の力を振り絞るようにベッドから、日本は「自由」「民主主義」「平和憲法」の三つを結んだ唯一の国であると強い口調で話し、当時の安倍首相の進める憲法改正の動きを強く警戒していた。実に小田さんらしい最期であったと思う。市販のDVDではないので、小田実さんの良い思い出になり、私にとってもお宝になる。

2008年1月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

257.2008年1月26日(土) 新風舎倒産にショック!

 新風舎が倒産して少々がっかりしている。一旦は民事再生法を申請して再建を模索していたが、結局申請を取り下げ再建は叶わなくなった。拙著「現代・海外武者修行のすすめ」は、知人の紹介で新風舎にお願いした経緯もあるが、幸い増刷して次に第三刷をしようというところまで来ていた。次の作品「停年オヤジの海外武者修行」にしても、前著とセットでシリーズ物として共同の販促を考えていた。前著は、手前味噌だが内容的に割合高い評価をいただき、帯表紙には小中陽太郎氏の推薦文をいただいた。新宿三省堂書店では長い間平積み2段にして、著者紹介まで表に出して販売に協力してくれた。冒険作家・椎名誠氏はわざわざ丁重な書簡をくれ、「・・・いやはや本当に面白い!! ものすごい冒険家ですね。映画を見ているようですっかり没入しました。いまの日本の若者すべてに読ませたいと思いました。私もハップンしております」とまで言っていただいた。新風舎でも次回作品を期待してくれていただけに残念で、無念やるかたない気持ちである。

 そもそも今回の倒産劇は、自費出版した人とのトラブルによる裁判沙汰が大きく報道され、信用を失墜し急激に営業不振に陥ったのが最大の原因である。しかし、経営者側もただ漫然としているだけで他に落ち度はなかったか。経営面でせっかく発売した売れ筋の良書の販促に全力を傾けなかった、営業会社としての怠惰な体質があったように思う。絵本や、詩集等で数々の良書を出版していただけに、実に惜しまれてならない。特に、力を入れて協力してくれた詩人の谷川俊太郎氏や、江川紹子氏は失望していると思う。

 残念だが、次の拙著上梓のために、改めて別の出版社に当たらなければならない。前著は絶版となるので、若干手元にキープしておきたいと考えていたところ、過日新風舎から連絡があり、在庫処分のため、定価の四掛けで販売するという。これが、民事再生法を申請していたころの話である。在庫は残り199冊しかないとのことだったので、全部引き取ることにした。そして、数日後民事再生法を取り下げた時点で破産となり、新風舎では四掛けから二掛けへプライスダウンしたと連絡をもらった。結局定価1,600円(税別)を、320円で引き取ることで合意した。そして、今日199冊を送り届けてきた。安く引き取れたのは有難いが、自著の価値も下がったような気がして、いささか複雑な気持ちである。

 今朝の日経紙の最終頁「文化」欄に、日経文化部多田明記者の「自費出版拡大のひずみ」-大手相次ぎ破綻、問われる信用-と題して、書籍販売数減少下にも関わらず自費出版ブームは過熱気味で、今後も同種のトラブル発生に注意するよう警告を発している。

 今回の破産騒ぎで私自身に物質的な損害は一切ない。しかし、気持ちよく新風舎とコミュニケーションを保持していただけに、降って沸いたようなハップニングはショックだった。気持ちを切り替えてそろそろ次の上梓に向けて動こうと思っている。

2008年1月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

256.2008年1月25日(金) 深海のロマン

 不思議なことが起こるものだなあと感じた。今日新聞やテレビでも好感を持って伝えられたニュースである。今から15年前に川崎市内の小学校開校120周年記念として全校児童1,000名が手紙を風船につけて空へ飛ばした。そのうち1通の手紙が、驚いたことに海底1,000mから見つかった。しかも千葉県銚子市の漁船が底引き網で体調50cmほどのサメガレイを引き上げた時に、その背に針と糸が引っかかって付着していたというから手が込んでいる。

 まれに見る珍事で、釣り上げた漁師も、手紙を書いた当時1年生だった女児も驚いていた。女児は今や大学生に成長していて、自分の手紙がこういう形で戻ってきたことに感激していた。ちょっと好いニュースで各テレビ局でも再三繰り返して報道していた。

 それにしても15年前の手紙がほとんど劣化することもなく、文字もはっきり判読出来て書き手の元へ戻ってくるような奇跡が起きるとは想像出来ない。いろいろ想像するとイメージは止め処もなく広がっていく。専門家が解説していたが、獲れた魚の種類がよかったそうだ。鱗が粘着質であることが幸いしたらしい。見つかった場所が何と川崎市から遥かに離れた、銚子市の犬吠埼南東45km沖の水深1,000mというのだから、幸運に幸運が重なったとしか思えない。中々好い話である。

 一方、NHKの夜のニュースで、東京湾の深海の映像を見せてくれた。東京湾出入り口の深いところに約1,000mの深海があり、そこに生息する珍しい魚介類を紹介していた。偶々女子児童の手紙と関連づけて何となく海のどこまでも広がる青い海のイメージが甦ってくる。NHKは今日から新しい会長が就任したが、こういう海や、先日放送された月から見た地球の映像のような、夢を抱かせる素晴らしい番組を放映してくれるよう望みたい。

2008年1月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com