充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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265.2008年2月3日(日) 千の風になって
天気予報通り今朝からしんしんと雪が降っている。昼ごろには雨になるとの予報だったが、ついに降りやまず一日中降り続いていた。都内の積雪は3㎝だという。一昨年にこんな大量の積雪があったかなあと思うが、とにかく最近では珍しい。幸い日曜日というせいもあり、外を歩く人もあまり見かけないし、車もあまり通らない。我が家の庭に降り積もった雪景色も中々風情がある。やはり、日本庭園の引き立て役は松ノ木と灯篭、そして築地だろうか。
さて、毎日曜朝に放映されるテレビ朝日の「題名のない音楽会」を機会があれば結構楽しんで見ている。昨年司会者だった羽田健太郎氏が亡くなってから、臨時にいろいろな著名人が司会進行役を務めている。この番組は中々良い企画で内容自体も素晴らしいが、毎回司会者が代わっていて、視聴者常連としてはどうも気持ちが落ち着かず安定感がないような気がする。それが漸く4月から指揮者の佐渡裕氏が正司会者を務めることに決まりほっとしている。やはりこういうムード番組は、ある面で視聴者が聞きやすい番組構成と演出にはめることが大切で、それに視聴者が合わせて楽しむというスタイルを作り上げ、踏襲した方がよいように思う。佐渡裕も時折派出なパフォーマンスをやるので、今度はレギュラーとしてどういうショーを見せてくれるか、4月から楽しみにしている。
今日の企画は「千の風になって」バージョンで、ミリオンセラーとなった「千の風になって」を、日本語作詞並びに作曲、そして最初の吹込みをやった作家・新井満、この曲を歌い一躍ブレークしたクラシック歌手・秋川雅史、ギタリストでギター曲に編曲した渡辺香津美、そして作曲家で千住式編曲をした臨時司会者・千住明がそれぞれ持ち味を出して名曲を披露した。
作詞作曲された新井満氏が言っていたが、死とか墓とか、とかくタブーとされる言葉を取り入れて歌っているので、イメージが暗くなりがちであるが、この曲にはいろんな歌い方があっていい、秋川の歌は、日本晴れの歌だと言っていた。なるほどと思っていると、確かに秋川の歌はテノール歌手らしく声量たっぷりに高音で歌っている。新井本人はと言うと、一番と二番を朗読して、それからじっくり落ち着いて歌っていた。3年前のペンクラブ総会だったと記憶しているが、その前座で新井氏がこの曲を披露され、歌ったときあまりにも上手なので驚いたことがある。それがこの名曲を生で聴いた最初である。その場でCDを購入し署名してもらったとき、新井氏に上手ですねと言ったら笑っておられた。中々聞かせる。個人的には、秋川より新井氏の方が歌い方としては曲に合っているし、上手なような気がする。
あまり知られていない話だが、その時の新井満氏の説明によると、新潟の親しかった友人が奥さんを亡くされて、友人と子どもを励ますために作った曲だと言っておられた。歌には、ひとつひとつ歴史とか秘話があるものである。
264.2008年2月2日(土) 小田実を追想する。
いま小田実さんについてエッセイを書いている。小田さんには、著書「何でも見てやろう」の通読以来、考え方、行動、文章表現等々の面で大きな影響を受けた。特に、ついぞ参加しなかったが、べ平連を結成し、中心的存在となった活動で周囲をぐんぐん引っ張っていく、あの情熱と行動力には脱帽だった。あれだけ、利他的なパフォーマンスをやれるということは、能力もさりながら精神的、宗教的に一途なものがないと難しいのではないかとさえ考えてしまう。敬服するのは、自らの行動が利己的な目的のために実行するのではなく、社会のため、一般市民のためという広い度量から生まれている純粋さである。それにしても実に惜しい人を失ったものである。
先日玄順恵夫人からDVDを送っていただいたが、その1時間もののDVDを見ても、誠実な人柄が滲み出ている。若かったころ、そしてベトナム反戦運動をやっておられたころは、当時の政治家ともかなりやりあっていたが、近年表面的には、かつてのように政治的な運動面で目立つような活動はしていなかった。多分政治家と話し合っても時間の無駄以外の何物でもないということをしっかり悟ったのであろう。
小田さんの文はいくつも読んだが、やはり「何でも見てやろう」が一番面白い。その中で、こういう文言がある。
「ギリシャで、いやヨーロッパで、私がもっとも感動したものと言えば、私はためらわずにアテネのアクロポリスの丘をあげるだろう。私にとって、それがギリシャであり、またヨーロッパの、もっと大きく言えば『西洋』というものの、すくなくとも一つの根源であった・・・」
この言葉に魅了され、私にとってもアクロポリスは憧れの地となった。初めてアクロポリスの丘を仰ぎ見た時は、小田さんに負けず劣らず感動した。その印象をエッセイにも書いた。以来、私はベトナム反戦運動ではいつも「ベ平連」の後ろを追うような活動だったが、その中心には常に小田さんがいた。
いま憲法が改正されようという流れの中で小田さんのように、身を賭して「九条の会」を立ち上げ活動するような人はもう出てこないのではないか。惜しみても余りある、小田さんの死である。
263.2008年2月1日(金) 公務員にボーナス支給はおかしい。
また、中国食品の不衛生ぶりが炙り出された。ここ数日、中国企業が生産した餃子を主とする冷凍食品を、日本のスーパーで購入した消費者が食中毒になったというニュースでマス・メディアの話題は持ちきりである。中国製食品の安全管理、衛生管理の杜撰さについては、いまに始まったことではない。中国では品質管理が好い加減過ぎる。ただ、これだけ大きな事件になった過程で、日本の行政が手を拱いていたケースもあった。最初の食中毒が役所に報告されてから、発覚するまでに時間がかかり過ぎている点は、いわゆるお役所仕事の典型である。その他にも何枚かのFAXを送信したら、肝心なペーパーだけ送られていなかったなどというチョンボも公になった。これでもお役人は決められた給料をもらう権利があるのかと問いたい。間違った仕事をして広く国民に迷惑をかけた。
この一事をもってしても、公務員に対する給与はもっと厳格に審査して、支払う必要のないものはカットすべきだと思う。以下に日ごろ思っている公務員の待遇に関する自論(持論)を書いてみた。
給料とは違うボーナスは公務員に必要だろうか。どうも納得出来ない。ボーナスは公務員制度のありようから考えると馴染まないし、国民感情から考えても理解し難い。公務員が成績実績報酬であるボーナスを受け取るということは、公僕としての立場と職責を考えればどう考えてもおかしい。とても国民からは理解を得られないと思う。これまで慣例でボーナスが容認されてきただけに過ぎない。本来民間企業で事業が繁栄し、予想収益を上回る利益を上げた場合に、経営者側が労働者に対して、その労働の成果に報いて、利益の一部を臨時給与として労働者に還元するのが本来の目的である。予定の収益が得られなかったり、赤字の場合当然企業は従業員にボーナスを支給しない。それを考えると決められた業務を実行し、お役目を果たして住民サービスが充分に行き届いたからといって、それは当然の行為であり、民間企業が汗水たらして働いて目標額を上回る利益を生んだこと以上に評価されるものだろうか。決められた業務を行うことによって役所へ臨時収入があるわけではなし、営利目的の民間会社とは存在目的と意味が異なる役所が、ボーナスを公務員に支払うことは役所存在の精神と主旨に反していると思う。それが今まで役人にボーナスを支給することが当然のような理解のされ方は、少し歪んではいやしないか。それに最近のお役所仕事を見てみると、好待遇を受けている割に、責任を果たしていない。失敗して費用がかかると税金で補う。役人には羞恥心がないから、悪事を冒しても開き直る。話にならない。ボーナスがないと給与が減るという主張に対しては、年収額で民間企業の年収と比較調整して、それなりに見合う水準に修正して、月額給与以外支払わないということにすればよい。さらに役人の待遇はボーナスだけに限らず、民間に比べて断然良い。もろもろの付帯給与、好条件、退職後に得る各種の厚遇、すべて民間企業に比べて遥かに恵まれている。こういう国民からむしりとる福利は、断固取り上げるべきである。
一番納得のいかない点は、役人が取り得、もらい得の卑しい考えが骨の髄まで浸み込んでいることだ。もらい損なうと文句を言い、働かない。だから、収賄事件を引き起こすのではないか。いずれにしても、友人の間でも役人に対する不満が溢れている。どうして、マス・メディアは給与を筆頭に、公務員の恵まれた待遇を追及の槍玉に挙げないのか不思議である。
262.2008年1月31日(木) コンテナ・ターミナル見学
「JAPAN NOW観光情報協会」による東京コンテナ・ターミナルの見学会が行われた。一般人が簡単に入れる場所でないので、出来れば一度見学してみたいと思っていた。
品川駅港南口からバスで20分程度の大井埠頭にある日本郵船東京コンテナ・ターミナルで、ビデオ観賞による概略を知ったうえで、ビル屋上から目前に広がる日本郵船専用のコンテナ専用船のヤードを見下ろしながら、担当者の説明を受けた。丁度ヨーロッパ航路のアクエリエス号が入港するところで、しばらく見ていたが、ガントリー・クレーンは活躍すれど、ほとんど人影が見えない。
作業の大部分は徹底してコンピューター化されている。船舶自体は完全にIT化され、極端にマンパワーが省力化されている。
早速白沢事務局長よりJN情報紙に見学記を書くよう厳命されたが、500字以内というのはとても無理だ。もう少し字数を増やすよう頼んだら、700字以内という。これとて無理な話。まあ、とにかく書いてみた。これでも800字になった。以下は推敲前の初稿である。
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コンテナ・ターミナルなんて、刑事ものか、ヤクザもののテレビ場面でしか見たことがない。しかし、今や海外との物流取引の一大拠点となったコンテナ・ターミナルをぜひ見てみたいものだと思っていた矢先、1月31日午後JN協会による見学会が実施され、松尾理事長以下27名の会員が参加した。
JR品川駅から貸切バスに乗って約20分で、日本郵船・東京コンテナ・ターミナルビルへ到着。会議室で20分間のビデオ観賞によって事前研修をすませる。日本コンテナ・ターミナル社の文谷嘉宏課長の案内で4階レベルの屋上へ出て説明を受けた。その後質疑があった。目の前に広がるコンテナ船専用コンテナ・ヤード(総面積275,400㎡)と二つのバース(停泊場所)を見下ろすと、かなりの数のコンテナが整然と置かれている。丁度ヨーロッパ航路7万トン級のコンテナ船アクエリエス号が7号バースに接岸する瞬間だった。
波止場で立ち働く港湾労働者の姿は見えず、本船荷役とヤード・オペレーションはすべてターミナル内のTOPSシステムによりオペレートされている。船上のコンテナは現場労働者の手を煩わすことなく、コンピューター制御によりトラックまで運ばれる。極力マンパワーを排除している。聞けば、入港したあの巨大な船舶にも僅か20名程度の船員しか乗船せず、3交代制で徹底した省力化により人手はほとんど要しないそうだ。
かつては、埠頭も国が管理して入港順に各バースに接岸していたようだが、今では船会社別に固有のバースを管理しながら、自社船舶の荷役業務を行っている。
見学後の質疑応答を通して推測されたことだが、海運会社にとっては長い冬の時代を潜り抜け、近年は中国貿易の拡大発展に伴い飛躍的に物流量が増え、コンテナ・ターミナルの需要も増大している。その地道な仕事場に光を当てる、有意義な見学会だった。
261.2008年1月30日(水) ふざけた話3つ
その第1は、ハンドボールの北京オリンピック決定戦の対韓国戦再選である。昨日女子チームが34-21で敗れ、今日男子チームも28-25で破れ、5月の最終戦で五輪出場最後のチャンスを賭けることになった。大騒ぎで再選が実現したが、そのあおりを食ってサッカーの国際試合、対ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦にはマス・メディアの目が注がれなかった。
そもそも今回のハンドボールの紛糾原因は、中東の笛と称される中東チームに贔屓するレフェリーの八百長によって、日本と韓国が試合をメチャクチャにされ、国際ハンドボール協会に提訴して再戦決定を得たものだ。しかし、アジア連盟の役員がほとんど中東諸国出身者で占められ、思うように意見が通らない。ここに問題の病根がある。なぜ各国が平等の権限を持てる連盟に出来なかったのか。いままで抱いていた不満や不信をそのまま放置していたから、今回のような茶番劇になる。とばっちりを食らうのは、プレイする選手たちである。日本の協会役員ももっと毅然とした態度をとるべきである。
第2は、相変わらず国会の猿芝居である。今日ミエミエの「つなぎ法案」を委員会で可決して、国会で決議するかと思ったら、あっという間に与野党が衆参両議長斡旋案を呑み、自民党提出のはずの「つなぎ法案」を取り下げるという。えらく時間をとり、国会の審議をストップさせ、法案を可決して取り下げるという滅多に見られない芸当を演じることによって、また先行きが不透明になった。いつまでこんな政局がらみの田舎芝居をやっているのか。政治家は口では、国民のためと言いながら、自分たちだけのためにしか動かない。
昨年9月に安倍首相が、辞表を提出した際政治が空転し、副首相が代行者としていれば政治が動いたことを自覚していながら、いまも副首相を置いていないのが良い例だ。「喉元過ぎれば暑さを忘れる」の類で一向に反省が反省になっていない。こういう馬鹿な政治家たちは、もう必要ない。一気に半減させれば、真面目に仕事をするようになり財政削減にも効果がある。政治家の数が多すぎるのが、政治が停滞する原因だ。政治家の数を減らそう。
第三に、また中国からの輸入食品で食中毒者が出た。複数個所で複数の家族が災難に遭った。中国がすべていけないということではないが、あまりにも国家として甘い。国が甘いから、関係者の反応も感覚も鈍い。惚けたり、見当違いの言い訳をしている。日本政府が中国政府にきちんと食の安全管理について、注文をつけるべきである。