充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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330.2008年4月8日(火) お釈迦様の誕生日は大荒れの1日
今日はお釈迦さまの誕生日だが、最近はそんなことを知っている人も少なくなったようだ。知ったのは小学校低学年の教科書だったが、いつのころからか教科書から消えてしまったらしい。お釈迦様については、確か「今日は楽しい花祭り 天上天下を指差してお立ちになっていらっしゃる」なんて文言だったと思う。
生憎お釈迦様にあやかった穏やかな1日とはならず、朝から雨が降り続き、時折強風も吹きつけたり、雷が鳴ったり寒くて気象も荒れた1日だった。全国各地でも相当被害が出た。春の嵐と呼ばれたが、日本の気候も穏やかではなくなり、日本人の性格も穏やかではなくなりつつある。おまけに鹿児島では桜島が噴火したり、大阪ではイノシシが出没して女性を傷つけた挙句に幼稚園で暴れ、近くの川で死んでいたという珍事件があった。そう言えば、今から54年前の中学卒業時に京都の松尾山で手負いのイノシシに追っかけられたことを思い出す。
渋谷駅のハチ公の像が出来て60周年の儀式をやったようだ。最初の銅像は昭和9年に軍に徴用され処分され、昭和23年に2代目が作られた。初代、2代目を親子で制作したという。私の母は渋谷駅前でまだ生きていたハチ公がいつも同じ場所で待ち続けている姿をよく見たと生前言っていた。
大揺れの北京五輪聖火リレーは、昨日のパリ市内では途中で消火してはバスに乗る異常な形でうやむやの内にパリの式典は終わった。最後は聖火リレーを打ち切りバスでトーチを運びゴールで受け取ることになったが、世界の報道通信は、これを最終的に打ち切りと伝え、中国のテレビでは無事に引き継いだと放送した。これから舞台はサンフランシスコへ移るが、すでにゴールデンゲート・ブリッジによじ登って反対をアッピールしている反対派がいる。そして、うかうかしていると26日には長野へやってくる。警察庁では漸く対策を練り始めたようだ。
329.2008年4月7日(月) 飯田ゼミお祝い会に出席
飯田ゼミのお祝い会と称して、飯田鼎先生ご夫妻と小松隆二先生ご夫妻を中心に、ゼミ会員の個人的な慶事を祝うパーティを「飯田ゼミお祝い会」と称して、新宿のハイアット・リージェンシー東京で行った。妻を同伴して出かけ、5人の世話人の1人として、アイディア、会場手配、通信連絡等の裏方的な役割を務めた。肝心の飯田先生が疲労と31日に転倒された怪我の後遺症で欠席されると3日前にお電話をいただいた。遠路大阪から日帰りで出席された第1回生・佐竹正彬さんや同伴者を含め、出席者は42人に達したが、みんな飯田先生の欠席を残念に思いながらもご健康を心配しておられた。しかし、開学以来東北公益文科大学学長を7年間も勤めて、先月辞められた小松隆二先生の退職慰労会も兼ねているし、古希の会員がずらっと揃っていたので、慶事という主旨には適っていたのではないかと思う。初めてお会いした方もおられて、実に和気藹々で全体の雰囲気もよく楽しい2時間だった。まずは成功と言っても良いと思う。夜飯田先生へ報告がてらお電話したが、すでにお休みになっておられた。
世界中の北京五輪参加問題へ波及したチベット騒乱事件は、開会式参加・不参加と聖火リレー妨害問題が重なって、ここ数日世界の耳目を集めている。昨日はロンドンで聖火ランナーが、多くの警官隊に厳重に守られながらも特攻隊的なゲリラ戦法で行進をストップさせられたり、神出鬼没のデモ隊に手を焼いているのが分かる。その聖火リレーが今日は、海を渡りパリ市内を走った。案の定パリ市内でも過激な妨害行為に行く手を遮られ、ついに一部では聖火の火を消して聖火隊はバスに乗ってトーチを運ぶ有様である。妨害行為それ自体は、やり過ぎだと思うが、確かに効果的でこの後アメリカへ渡りサンフランシスコでも前途多難を予想されている。この先どうなるのか予断を許さなくなってきた。中国政府は自分たちの立場に正当性ありと主張するだけで、妥協の姿勢はまったく見られず、このままでは混乱した事態は収まりそうもない。
328.2008年4月6日(日) 小金井雑学大学へ出講
都内の小金井雑学大学で初めてお話した。テーマは昨夏の宇都宮市民大学と同じ「中高年のための海外旅行の愉しみかた」と題するもので、50~60人ぐらいの熱心な中高年の人たちが受講してくれただろうか。会場は都立小金井工業高校で、JR武蔵小金井駅から徒歩で10 分程度の場所にある。熱心なボランティアの方々が受付から万事お世話をしている。聞けば、先月の講演が丁度10周年に当り、今日は11年目最初の講演で、通算321回目だそうだ。実に光栄である。
こういうボランティア団体は、事務局によほど人を得ないとうまく運営出来ないと思う。その意味でもこれだけ長い間開催されてきたということは、縁の下の力持ちの人たちの地道な努力が実を結んだ成果だと思う。学長の富永一矢さんは長い間俳優座の支配人を務めてこられた芝居に詳しい方で、事務局長の五十嵐京子さんは市会議員4期目でいただいた名刺に「小金井で元気に!」と訴えている。ほかに多くのスタッフ的な方々が協力して雑大を運営しておられる。
最近の講演では、当たり前のようにパワーポイントを使用して分かりやすく話しているつもりだが、事前にスライド編集に少々凝って余計な時間をかけ過ぎている場合もあるかもしれない。大体70枚程度のスライドを編集し、これにイラストレーション効果設定などでスクリーン効果アップを狙って、内容の展開を進めている。自慢というわけではないが、私の場合はかなり珍しい写真もあるので、それを効果的に活用している。今日は時間の使い方に少々しくじって、時間が足りなくなってしまった。大体2時間分の内容を1時間10分程度にまとめなければいけなかったのに、欲張りすぎて最後には肝心な箇所をカットする羽目になってしまった。
同じ内容で来週月曜日に市川市で行うので、もう少し工夫してみたいと考えている。
終わってから西八王寺へ行き、八王子市内に住む近藤幸一さんに八王子名物の「釜飯」をご馳走になりながら、久しぶりに「近藤節」を聞いた。近藤さんも今年傘寿になるというのに元気で、こちらが嬉しくなる。相変わらず八王子市内の行事に参加しながら、活動している。益々のご活躍を祈念してやまない。
327.2008年4月5日(土) 韓国「済州4・3事件」発生60周年
一昨日4月3日は、韓国では軍や警察による住民虐殺があった「済州4・3事件」発生から満60年に当る記念日だったそうだ。式典には1万人が集まった。この事件のことは寡聞にして知らなかった。今朝の朝日新聞によれば、犠牲者数が2万5千~3万人と推計される大虐殺事件である。ひとつの都市が地上から消された暗黒事件だ。難を逃れて日本へ脱出した人々も多く、約3千人が日本へ逃れ生活した。戦後間もない昭和23年当時のことで、日本も韓国も終戦直後の混乱状態の中で事件を注視する余裕はなかっただろう。自分自身まだ南房総の小学4年生へ進級したばかりのころで、両親の苦労も知らずに近所の同級生と山野を駆け巡っていたころである。
米ソの対立が徐々に激しくなり、韓国内でも共産ゲリラによる宣撫工作が左右両勢力のしのぎを削るスパイ活動へ発展させ、2年後の朝鮮戦争勃発へと突き進んで行く。日本でも共産党の息がかかった労働組合の強大化により、右翼勢力や警察が共産勢力や労働組合幹部らを追い回していた時代だった。ちょうどその頃相次いで社会的事件が発生した。昭和24年に連続的に起きた、下山事件、松川事件、三鷹事件等一応の決着を迎えたと言われているが、現在でもその裁判に問題ありと言われ、最終的な決着はついていないように思う。子ども心にもそれらの大事件は強く印象に残った。
それが、韓国ではこの「済州4・3事件」は風化していない。ことの始まりは、左翼勢力、南朝鮮労働党党員らが、アメリカ軍政が進める南朝鮮だけの総選挙に反対して深夜武装蜂起し、警察などを襲撃した。鎮圧のため朝鮮本土から警察や右翼団体が増派され、対立が激化して無関係の住民らが軍や警察に捕らえられ、激しい拷問を受けたり、処刑されたりした。
金大中大統領、ノ・ム・ヒョン大統領の時代になって、やっと韓国政府は調査を始め、犠牲者遺族に公式謝罪した。長い間に亘ってベールに包まれていたのは、韓国では軍事政権が長期に亘って続いていたからである。歴史の汚点が解明されるのは、これからだろう。それにしても多くの犠牲者を生んだ、このような残虐な事件が戦後の混乱期の日本にはなかっただけでも救われる思いがする。
326.2008年4月4日(金) 今のままでは年金問題は解決しない。
福田政府が機能不全に陥っている。やること成すことすべてにおいて頓挫したり、停滞している。日銀総裁人事、暫定税率期限切れ、年金問題、等々に成果が見られない。ここまで酷い政権になるとは思いもよらなかった。
今月から始まった高齢者国民健康保険のうち、後期高齢者と称する高齢者を対象にした健康保険は批判が強く、手順とやり方を変えるようだ。それにしても、「後期高齢者」という名前が75歳以上の対象者に対して冷淡過ぎやしないかとの声が挙がっている。「後期高齢者保険」という呼び名が、あまりにも冷たいというので、急遽「長寿医療保険」と名前を変えたが、法律は一義的にはあくまで前者が正式な呼び名だという。役所のやることは、相手のことを考えていないというひとつの典型である。
なぜこういう思いやりのない名前を思慮分別なくつけるかと考えると、つまるところ役人は現場で苦労した経験がないから、相手の気持ちが理解出来ないからだという基本に行き着く。情けなくも彼らには人の心、ハートがない。年金がらみの厚労省、社保庁の熱の入らない好い加減な対応ぶりを散々見せられると、もうこの役所と役人どもに任せては、今日まで未解決の問題は今後も解決しないだろうし、新たな手抜きをやって、国民をまた騙すのではないかと疑心暗鬼になり、本当に心配になってくる。公僕なんて言葉はついぞ眼にしなくなったが、せめて国民の税金で自分たちだけは世の中を楽しもう、なんて愚かな考えだけは持たないようにしてもらいたいものである。
それにしても役人は自分たちが犯した大失態、しかも国民に相当な負担を強いた大罪に対して、なぜ責任をとろうとしないのか。可笑しいではないか。これは何も年金だけの問題ではない。退職した一般役人に、彼らのせいで追い詰められた旧職場でボランティアとして働かすべきである。また、高級役人に対しては、退職金の返還を求めるべきである。