充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
345.2008年4月23日(水) 慶応義塾創立150周年行事に参加
今年は母校・慶応義塾創立150周年に当るが、その記念行事の一環として、今日イベント「社中の絆」が東京ディズニーシー(TDS)で開かれた。妻とともに初めて車でTDSへ出かけた。車で行けば割合簡単に、しかも大分早く着くことが出来る。TDSは、東京ディズニーランド(TDL)とは似て非なるもので、入場者の年齢層もやや上だろうか。遊戯施設もTDLに比べれば少ないように見受けられた。幸い平日のせいか、いろんな乗り物に乗ることが出来た。その点ではテーマパークを充分堪能することが出来た。
TDLは、オリエンタルランド初代社長が義父と学生時代から親しかったご縁もあり、オープンの前後にそれぞれ1度家族連れで訪れたことがある。しかし、それ以後行ったことはなかったし、TDSに至ってはオープン以来今日までついぞ訪れる機会がなかった。
TDLもオープンしてから25周年記念ということだが、もうそんなに経ったのかと感慨も一入である。今日4月23日が慶応義塾創立記念日でシェークスピアの誕生日というのも不思議な縁を感じる。
一般客と一緒に入場していたが、夜7時を迎え暗くなってから正面前の大きな池の周囲を懐中電灯のトーチをもったOB、塾生が取り囲み、慶応だけのイベントが行われた。船の乗ったフリーの内田恭子アナの司会により、安西祐一郎塾長の挨拶、続いてOB代表と応援団長の挨拶、幼いう間にセレモニーは終了した。時間にして30分もかからなかった。なんともあっけない。それでも参加者が2万人だというから慶応義塾社中としての連帯感は幾分かでも味わえたし、その動員力とエネルギーには脱帽である。ほんの僅かな時間ではあったが、仮にも学問の府の創立記念行事であり、アカデミック色を失くしては本末転倒である。よくタレントを呼んで派手なエンターテイメントなんかを企画するケースがあるようだが、はっきり言って邪道である。静かで上品な中にきれいに切り上げる方がむしろスマートではないかと思う。なんだか物足りないと思った参加者がいたと思うが、個人的にはデコデコしさを控えて、さっと切り上げた今日の「社中の絆」は、慶応らしくて良かったと思う。
344.2008年4月22日(火) 狭窄な中国ナショナリズム
相変わらず北京五輪聖火リレーに関する無粋な話題が後を絶たない。聖火は昨日マレーシア、今日はインドネシアを走っている。チベットに対する中国の非民主的統治に対してチベット人や、世界中の人権団体から反発の声が挙がり、それが今日の中国への非難の集大成となっている。それにも関わらず中国が、チベットは中国の一部でチベット問題は内政問題であるとか、タライ・ラマ14世がチベットの独立を煽っているとか同じ主張を繰り返しては、自国の一方的な立場を広言しているだけである。それが、北京五輪開催への懸念となり、聖火リレー反対・妨害の動きを招いている。
今朝の共同通信によれば、チベット自治区当局はラサ郊外のセラ寺の僧侶400人の身柄を拘束したという。3月14日の最初のデモ直前に反政府抗議デモを計画したことが拘束の理由だそうだが、チベット人民から敬愛されている僧侶を、しかもチベット仏教徒修行の場、セラ寺にいた僧侶を力づくで連行して、弾圧のイメージを与えたら中国政府の主張も信用されなくなり、中国にとっても不利なのではないか。先日も中国政府は今後チベット僧に対する愛国教育を徹底すると公表したが、お坊さんに教育を施すなんてこと自体、中国政府は思い上がってはいないだろうか。それに、僧侶に対して愛国教育をできるような人材が充分いるのだろうか。
昨年セラ寺を訪れた時、さほど多くの僧侶はいなかったが、信心深いチベット仏教徒がマニ棒を回しながらお念仏を唱えて、寺の周囲をぐるぐる歩いていた素朴な光景を思い出す。
フランスでは、スーパー・カルフールの不買運動にまで発展した中国人の反仏デモに対して手を焼いているようだ。中国政府もこのままでは国家の評判を落としかねないと認識したのか、メディアを通じてようやく国民に自制を求めるようになった。
日本では長野で聖火リレーが行われる今月26日には、出発地を辞退した善光寺が今回のデモ騒ぎで亡くなった住民の追悼法要を営むことを決めた。これに対して中国政府、或いは中国人は反発するだろうか。自分たちだけの都合だけを主張する中国ナショナリズムの勃興には、いささか興ざめであるし、自国のことしか念頭にない短絡的な狭窄志向を何とか冷却させる方法はないものか。
343.2008年4月21日(月) 食糧は大丈夫か? 日本の農政
福田首相の支持率が急低下している。最近の言動を見ていれば、ある程度予測出来るが、朝日新聞の世論調査によれば、支持率はついに25%となり安倍前首相退任前の26%をも下回ってしまった。
支持率下降の最大の理由はお粗末な国会運営であり、後期高齢者医療制度に見る通り思いやりのない政策がマイナスに効いている。お年寄りの受けが意外に良かった福田首相だが、ついにお年寄りからも見放されてしまった。このほかにもガソリン税の暫定税率を思う通りに延長出来ず、法案が悉く国会を通過しない。福田首相は就任以来何ひとつとして国の進展に貢献しなかったことになる。こういう無能な首相を総裁に選んだ自民党と、同じように政局で妥協しようとしない民主党への不信感が一緒になって福田首相の足を引っ張ったと思われる。
これから再び暫定税率の復活と、特定財源の一般財源化という難問が浮上する。この2つとも国民は支持しないので、果たして腰の弱い福田首相がこの厳しいハードルを越えることが出来るのかどうか。
国会が停滞し、医療問題を含めて国家事業に混乱が生じている間に、食糧不足問題がクローズアップされてきた。元々日本の食糧自給率は39%で自然災害や、世界の景気次第で食糧が不足する可能性が指摘されていた。シンクネット「構想日本」でも食糧についてセミナーを行った折り、出席したことがある。その時出席した三国某有名シェフが「日本人は自給率39%の深刻さが分かっていない。それは、仮に世界的な災害が発生して外国との物資の交流が止まった場合、日本国民の39%しか生き残れず、他の61%は餓死するという意味だ」と述べて、受講者を納得させてくれた。その餓死しそうな状態が訪れるかも知れない。
今日のTV報道番組で、食糧生産国が収穫物の囲い込みと称して、各国が自国内に食糧の備蓄を始めて他国へ輸出しなくなったそうだ。ヴェトナムで主力生産物の米の輸出を手控え出した。こうなると日本は弱い。6割以上の食糧をどうやって手に入れるのか。田んぼや畑は、長い間休耕地となってすぐには生産を再開することが出来ない。今になって国の米の減反政策の失敗が俎上に上がってきた。役人からは気の利いた知恵は出て来ないだろう。
国家に農政がないとは言われてきたが、ことここに至って国家政策の大きな失敗が問題になりかねない事態となってきた。いつもツケを払わされるのは国民である。何も解決出来ない福田首相に果たしてこの大問題を解決することが出来るだろうか。
342.2008年4月20日(日) 増長する中国人の独りよがりな言行
一昨日長野市の善光寺が、北京五輪聖火リレーのスタート地点となることを辞退した。偉いお坊さんが記者会見でその理由について、①混乱の未然防止と、②同じ仏教徒としてのチベットに対する配慮があると述べた。長野市聖火リレー実行委員会はこれを受け入れ、リレーコースは変更されることになった。理由はいろいろ考えられるが、善光寺としては当初はこれほど大きな騒ぎにならず、むしろスタート地点に推されたことを名誉に思い、観光宣伝になるぐらいに思っただろうが、昨今の騒ぎで、万が一のハップニングを恐れて辞退を決めたのだろう。
いま世界各地で行われている聖火リレーはオリンピック精神にもとるもので、本来の主旨からかなり逸脱している。厳重な警備体制の中、沿道の人々から声援を受けることもなく、サンフランシスコのように忽然と聖火隊が姿を隠すなんてのは、もう聖火リレーの邪道でしかない。これではリレーを行う意味がない。今回の聖火リレーは、中国のメンツもあるだろうから、本来の姿から外れて安全第一に実行するにしても、次回ロンドン大会ではその前に祝福されない行事を行う是非を考えてもらいたい。
それにしても善光寺の辞退の理由のひとつ、同じ仏教徒としてのチベットに対する配慮というのは、中国に対する強いインパクトになると思う。具体的に仏教徒に対する弾圧であるということを初めて世論に訴えたからだ。
一方中国側は、近日予定される胡錦濤・国家主席の訪日に傷をつけぬようことを荒立てることはしないが、胸にずしんと来ている筈である。だが、すでにリレーの終わったフランスとアメリカに対しては、中国国内で中国国民を巻き込んだ全国的なデモにまで発展させている。
中国に展開しているフランス系スーパー、カルフールに対して不買運動を働きかけたり、アメリカではCNNのコメンテーターによる中国非難の発言に対して、謝罪を要求したり、いまの中国ナショナリズムはまるで恐れを知らない駄々っ子のようだ。私の知っている中国の友人たちは、みな穏やかで優しい人たちばかりだった。中国人はいつの間に他人の言い分は聞かず、激しく自己主張だけを繰り返す、傲慢な国民になってしまったのだろうか。
341.2008年4月19日(土) 温故知新の意味
昨日小田実の傑作「何でも見てやろう」の5度目を読み終わって、改めて小田の好奇心と行動力に感嘆する。40年前に書かれたものなので、時代の空気や背景も変わり現状認識からすればかなりずれている点も見られるが、見方と視点は相変わらず瑞々しい。いまも変わらず私の怠惰と無気力を鼓舞してくれる大きなエネルギー源である。
今日は阿川弘之の新潮新書「大人の見識」を読んだが、最後のトピック「温故知新」について阿川流の解説を読み、改めてそういう意味だったのかとひとり納得した。孔子の言葉である「温故知新」の書が、幕張小学校の校長室に掲額されていて、当時の担任教師の湯浅和先生がその意味を分かりやすく説明してくれ、それ以来度々口誦んでいた。当時から「古きを尋ね、新しきを知る」という意味だと教えられたが、この「尋ねる」の言葉を「温ねる」と書き換えたのは、ただ尋ねるのではなく、温めて尋ねる、つまり伝えるような気持ちが篭っているということのようだ。何でも吉川幸次郎の師、狩野直喜の「論語」に次のように書かれているそうだ。
「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮つめたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以て新しきを知る」
「温故知新」は私の好きな言葉のひとつであるが、何となく温かい感じのする言葉であり、教訓的な言葉でもある。いままで何となく「古いものを辿って行けば、新しいものが見えてくる」程度にしか考えていなくて、それでも意味にそれほど差はなかったが、やはり本当の意味を知ると言葉にも説得力が出てくるような気がする。今日は阿川弘之先生のおかげで得をしたような気がしている。