充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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419.2008年7月6日(日) チベットについて話をする。
NPO法人・吉祥寺村立雑学大学で「チベットの旅とデモ騒乱事件」と題して1時間半程度、パワーポイントを使いながらお話をした。テーマは後になってデモ事件を加えたのだが、あまりそちらに傾くと時間的に本来の狙いである旅行へ深く入れないので、力点はチベットの旅に置いた。印象としては、受講者の皆さんがかなりチベットに関心を抱いているように見受けられた。しかし、いま外国人がチベットへの立ち入りを制限されていることは事実であり、チベットの旅は、異色の旅で中々興味のあるツアーだと話しても、現状で入国出来ないチベットへの旅を推薦することは何となく心苦しい。だが、そうは言ってもチベットの自然や国民性の素朴な良さという点について、あるがままのチベットの素晴らしさを話したつもりである。パワーポイントのスライド作成について、何人かの受講者からお褒めの言葉をいただいたが、思いもよらないことだった。それでもやはり嬉しい。これでパワーポイントの画面作成について一層モチベーションが高まる。
さて、明日から洞爺湖サミットG8が開催される。東京でもここ数日来鉄道駅周辺の警戒がかなり厳しいが、いよいよ成田空港や札幌へ各国の首脳がやって来た。主要議題がいくつかあるが、今年は特に地球温暖化、原油高騰による物価の値上げと貧富の格差問題が最重要議題と見られている。直ぐに方向性とか解決の糸口を見出さなければならないのは、やはり環境問題だろう。これを日本の福田首相が議長国として仕切るわけだが、こういう場面に最も不得手とみられる日本人にとって果たして福田首相が面目を施すことができるか。
かつて東京で開かれたサミットで、当時の大平首相が「自分は議長としてあまり得意でないが」と言った途端西独のブラント首相が、「それは分かったから早く議事を進行してくれ」とまぜっかえしたことが強く印象に残っている。そのくらい世界の首脳から日本のトップは話や議事進行が下手くそだと見られている。
福田首相には、どうか恥を晒さないように、そしてかつての官房長官時代のしたたかで日本の主張をしてもらいたいと願うだけだ。
国際通貨基金(IMF)による2007年の一人当たりGDPは、シンガポールが日本を追い抜いたことが確実という。シンガポールの35,162$に比べ、日本は34,312$なので、その差は僅か800$程度ではある。この程度の差は為替レートによって変わりうるので、実態と実感はどうなのか分からないが、シンガポールが日本に追いつこうとしているのは事実だと思う。ただ、シンガポールが経済的に発展した理由のひとつは、外資導入と外国人の誘致によるものである。実際シンガポール人の人口も前年に比べ1.6%増えているが、他方で外国人が15%も増加したことは、確かにGDP増加に大きく貢献した。これを以て同じように資源が不足している日本も外国資本や外国人の導入にもっと積極的に取り組むべきであるというのとは少し事情が違うと思う。
まあそれにしても日本にとってシンガポールの行き方は良い指針となる。
418.2008年7月5日(土) 小中陽太郎さんを囲む会
赤坂にある中華の老舗、楼外楼飯店で小中陽太郎さんを囲む「知的生産の技術研究会」の懇親会があった。この飯店を紹介されたのは、小中さんである。出席者は、主賓の小中さんのほかに、知研理事長・久恒啓一多摩大教授、知研・八木哲郎会長、「小論文の神様」と言われているベストセラー作家・樋口裕一多摩大教授、浅沼ひろしさん、和泉育子さん、三輪敏子さん、知研・秋田英澪子事務局長に私を含めて9名。皆さんそれぞれ個性的にそれぞれの分野で実力を発揮されている。大体著書をお持ちである。樋口教授は、「小論文の神様」のように「頭がいい人、悪い人の話し方」(PHP新書)が250万部も売れたというから、とても人間業とは思えない。神様と言われる所以であろう。
小中さんのお話を聞くことを中心に各人が自己紹介をした。小中さんもPCを持参して説明する予定だったが、うまく画面を呼び込めず、楼外楼のPCを拝借しても駄目で、どうもPC自体よりもCDに問題があるのではないかということになった。結局PCを使用せずに語り部に徹していただいた。「テレビは記録より記憶として残る」ことをご自身のNHKを辞めたいきさつをからめて話された。そのほかにも梨元勝氏の文章を書いていた話、キリスト教等々、幅広いジャンルについて話された。初めてお会いした樋口教授が高校時代に哲学へのめりこんでいた話とか、クラシック音楽に詳しい話、浅野さんが昭和30年代に過ごされた北海道のランプ生活、久恒教授の梅棹忠夫先生とのやりとり話等、大変参考になる内容だった。
結論的にまた改めてこのような集まりを持ち、これからは「知的」ではなく、「非知的」を目指そうということになった。
帰途は小中さんといつも通り都立大学駅で降り、行きつけの「コーナーポケット」のママさんに挨拶を兼ねて立ち寄り、ビールを一杯いただいてタクシーで帰った。
417.2008年7月4日(金) 小中陽太郎さんの上海時代
今年から税金の申告について、個人事業主の申請をすることになっているので、領収証は正月から一枚一枚すべて保管しているが、青色申告書の細かい書き込み方法や手順が分からない。また、帳簿の記入方法も実質的なやり方がよく分からない。今日玉川青色申告会で新規帳簿記入者を対象に、講習会を開いてくれたので、午後神妙な顔で出かけた。2時間の講義に初心者約25名が出席した。青色申告会の担当者が手馴れた説明をされたが、講師経験から余計なアドバイスをするなら、パワーポイントを使って説明するともっと効率的に、かつ分かりやすく説明できるのではないかと思った。
やはり個人個人で申告の仕方が異なるので、結論的には青色申告会などで個別に教えを請うことが一番手っ取り早いと感じた。できるだけ早い機会に、玉川青色申告会に出かけ、一度自分の申請に見合った記入方法を相談したいと思っている。
青山の草月会館草月ホールで上演のミュージカル「上海夜想曲」を妻と観劇に出かけた。このホールには、以前にも小中陽太郎さんの自伝的ドキュメント「ラ・メール母」をミュージカル化した時に観に来たことはあるが、観客500人規模の劇場で割合見やすい。主演は前回同様碧川るり子が、日本のマタ・ハリと言われたスパイ・川島芳子を演じ、日中戦争から戦後へかけての上海・租界時代の思い出と、戦後になって生存者が川島芳子周辺の人々を偲ぶあらすじである。懐かしい歌も数多く唄われ、それなりに楽しめるものであった。もちろん今日のミュージカルも小中さんのお勧めによるもので、会場でもご夫妻にご挨拶した。上海における小中さんの幼少時代のご友人も数多く駆けつけてくれたのは、小中さんのお勧めもあるが、上海ノスタルジアも強いのだと思う。ご紹介された方の中に慶応大教授を辞めた方が、上海でこどもの頃に「陽太郎ちゃん」とよく遊んだと言っておられたから、ちょっとわれわれのような国内派にはその気持ちは分からないが、相当上海時代がよい思い出となって焼きついているのだろう。それにしても、戦前外地で同じような生活をしていた日本人家族同士が、親しくお付き合いして、戦後も親しい関係を続けていることは想像もできない。小中さんも後世にまで思い出の残る素晴らしい幼少時代を過ごされたのだなあと羨ましく思う。
416.2008年7月3日(木) 堀田力氏提唱の「日本の少子高齢化対策」
今日の多摩大学講座では、弁護士であり、財団法人さわやか福祉財団理事長でもある堀田力講師が、「地球規模で日本の少子高齢化を解析する」と題して持論を展開された。
ベテラン講師らしく、全体の話のまとめ方や入口から結論までの流れをユニークな論旨に合せて、よどみなく話された。時にはジョークも交えて分かりやすく、愉しく聞くことができた。
堀田講師の主張は、次のように要約されるのではないかと思う。
①昔は動物の中で人間だけは平均10人前後の子どもを産んだ。しかし、成人までは中々育たない。
②産業革命以後、技術の進歩もあり産児制限を含めて全体的に少子化となり、高齢化社会となった。先進諸国はほとんど同じ道を辿った。
③国家は国民を養い守るために領土を拡大したが、それが戦争である。
④少子化→領土侵略の動機消滅→戦争なくなる。
⑤民主主義国の勃興→国家間に壁がなくなる。→EU発足・米加の国境
⑥アジア・アフリカ諸国は医学、技術の進歩にも関わらず、多産の傾向は続いている。
⑦地球上に人類を養える限界は、70~90億人
⑧日本には急激に少子化がやってきた。
⑨人口構成上現在の逆ピラミッド型をせめて筒型にする。
以上から、日本の人口構成のゆがみを筒型にするためには、日本人に偏見はあるが、アジア諸国から移民の受け入れを検討すべきであり、その際アジア人の受け入れに際して、日本人になることを希望する人を「差別=選択」化して受け入れる。受け入れ後は、「差別」は許されない。
概略以上のような話をされた。外国人を「差別」して受け入れるという点については、反論もあろうし、講師自身も多少ひっかかるようで、欧米では受け入れに差別化せず、受け入れ後に差別化してそれこそが問題になっているといい、受け入れ後の差別は絶対許されないと力説していた。
それにしても中々斬新な発想で、移民受け入れには「差別」を考慮すべきとの大胆な発想には戸惑いもあり、若干消化不良気味だったが、有力な提言として今後検討されるべきであると思う。今日の講座では、多くのことを考えさせられた。それにしても堀田先生はユニークな方である。
415.2008年7月2日(水) トップが駄目だと下が苦労する。
ビルマをサイクロンが襲ってから今日で2ヶ月になる。相変わらずビルマ軍政ののろまで不見識な対応によって充分被災者へ援助の手は差し伸べられていない。家屋を損壊され家族を失った人々は、軍政の無能、無策によりこれからどうやって生活していくのか途方に暮れている。当初からビルマ軍政は外国からの支援を一切受けようとせず、一旦受け入れを表明したが、実際には自分たちで処理しようとしている。
しかし、とてもこの国の現在の力ではすべての被災者を助けることなんか出来っこない。外国からの支援なしに、この国はこれから一体どう国民を守り、どうやって国を統治していくのだろう。外国人旅行者もほとんど訪れなくなって、ビルマの観光業者、特に新しいホテルはどうやって経営の帳尻を合わせているのだろう。
30年ほど前なら外国人を対象にしたホテルや観光施設も数少なかったので、大きな影響はなかったが、8年前7年ぶりに訪れた時は、ラングーン市内に新築ホテルが群立し、観光都市・マンダレーや遺跡の町・パガンにも新しいホテルが建設され、多くの外国人旅行者が滞在していた。外国人の入国を制約するような国策では、外国人に頼っているそれらのホテルはこれからどうやって経営していくのだろうか。外国政府がビルマ政府に対して、まったく手を出せないのもじれったい。
同じように国家の運営に対して、世界中の国から忠告や方針変更のサインを送られているのに、無視している国としてアフリカのジンバブエがある。自宅の近くにセミ・デタッチド・ハウスのジンバブエ大使館がある。お隣さんはザイール大使館だが、最近財政が苦しいと言われていたジンバブエではなく、ザイール大使館が先に立ち退いて、いまや空き家となっている。ジンバブエも遠からず立ち退くのだろう。
旧ローデシアだったジンバブエは、1980年に独立して以来、ロバート・ムガベ大統領が独裁的な権力を行使して政権を担ってきた。先日の大統領選挙でも、予備選挙では最大野党、民主変革運動のツアンギライ議長に敗れた。しかし、ツアンギライ議長が過半数は獲れなかったために、次の決戦投票で雌雄を決する筈だった。その直前になってツアンギライ議長は支持者周辺への迫害と恐喝をおそれ、オランダ大使館内に逃げ込み立候補を取り下げた。この不思議な流れの中で、選挙はムガベ大統領の信任投票のような形となり、ムガベ氏は圧倒的多数を得て大統領に選任された。
この国の経済はすでに破綻している。インフレ率はこの3月には35万%という天文学的数字で、6月には120万%になると予想され、失業率も80%に達している。ジンバブエ・ドル(Z$)は昨年度世界の通貨の中で最も低価値のワースト5に入っている。この5月には、5億Z$札が発行され、とても現実社会で通用する話ではない。長年にわたり国家経済を疲弊させた、その責任は重い。このムガベ大統領に対して、藩基文(パン・ギムン)国連事務総長以下アメリカ、EUが忠告しているにも関わらず、ムガベ大統領には一向にアドバイスに耳を傾けようとしない。各国が連携して忠告しようとしても、例によって中国が反対する。ビルマ軍政の背後にも中国が見え隠れしている。ソ連時代のロシアも共産党幹部が随分正論を述べつつ、やっていることは国民の利益に逆行するような正反対ばっかりだったが、いまの中国も、かつて毛沢東主席以下共産党幹部が貧しいころの中国から国を救うときれいごとばかり主張していたが、戦後の歴史と中国の現状を見ているとデタラメばかりという感じである。
こういうジンバブエと軍政下のビルマ、またスタイルは違えども、国家権力の強い影響を受ける中国、ロシアに生活する人々に同情せざるを得ない。