充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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444.2008年7月31日(木) 好漢・瀬下正幸さん逝く。
毎日暑い日が続いているが、これに加えて最近は天候の急変がよくある。突然風雨が強くなったり、それが竜巻になったり、雷雨になったり、とにかく昔はこんなに戸惑わせるようなはた迷惑な気象はなかったような気がする。
今日相武台で瀬下正幸さんの葬儀があり参列した。ご子息からメールでご連絡をいただいたものだが、父親とのご交誼をよく憶えていてくれて、わざわざ最後のお別れに立ち会わせてもらえた。葬儀前にご挨拶をしたが、案の定「癌」で亡くなられたとのお話だった。今年の年賀状に元気な言葉が書き連ねられていたが、奥様と2人のお孫さんと一緒に写っている写真を見て随分痩せたなと感じた。そのとき失礼ながら、「癌」に蝕まれているのではないかと秘かに心配していた。あまり詳しいことはお聞きできなかったが、瀬下さんなら思い切りのよい、悔いのない生涯を送られたのではないかと思っている。
そもそも瀬下さんと親しくなったのは、昭和44年夏の最初のツアー添乗のときだった。今では考えられないような北海道一周の大型ツアー・シリーズだった。なにしろ東北自動車道開通前で、新宿からバス5台を連ねて国道4号線を北上し、下北半島の大間からフェリーで函館へ渡り、北海道を一周して、同じ道を新宿まで帰る1週間の旅だった。思い出が沢山詰まったツアーとなった。私の担当バスには作詩家の内村直也さんがご友人とともに参加され、北海道へ渡ってから気を利かせたガイドさんが、内村さんの作詩された「雪の降る町」を何度も何度も歌ってくれたことが昨日のことのように思い出されてくる。このツアーを起点にプロ添乗員としてのスタートを切った。瀬下さんに多くのことを教えてもらい指導してもらった。元気の良さ、行動力、お客さま・運転士・ガイドへの気配り、ツアー回し等、その後の添乗員実務で随分参考になった。その意味では瀬下さんに教えてもらった、添乗員としての心構えが旅行業稼業の原点になったとも言える。
瀬下さんの添乗員としての存在感の大きさは、ずば抜けていた。少々普通の人とは違うなと感じたのが、小さな身体で元気よく1号車から5号車の間を、大きな声で叫びながら行ったり来たり走り回り、全体をまとめていた傑出した行動力が印象的である。
ああいうタイプの人は今やあまりいないのではないか。海外旅行の添乗としては、疑問もあるかもしれないが、心がお客さまに届くような添乗員ぶりだった。もう一度ゆっくりお話ししたかった。いつまでも忘れない人である。最後のお別れをしたときのお顔は、実に安らかだった。心よりご冥福をお祈り致したい。 合掌
443.2008年7月30日(水) イチロー3,000本安打、WTOは決裂
やった! マリナーズのイチロー選手が日米野球界で積み重ねたヒット数が、今日遂に大台3,000本に達した。どうあろうと素晴らしい記録であることに間違いなく、アメリカのファンも祝福し、イチロー選手の栄誉を称えている。
イチローは並みの選手とは違って別格官幣大社の天才である。日本人野手最初のメジャーリーガーで、日本で7年連続首位打者を獲得していたが、入団前はシアトルでそれほど期待されていたわけではなかった。怪我さえなければ、2割7~8分は打てるのではないか、程度のものだった。しかし、入団1年目から大活躍で、新人王とリーグMVPを獲得してアメリカ人ファンをあっと言わせた。
では、日米を通じて一番ヒットを打った選手は誰かというと、ピート・ローズ(元フィリーズ、レッズほか)選手で計4,256本を打った。
文部省教員海外派遣団の添乗員として、1980年9月にフィラデルフィアを訪れたとき、自由時間内に何人かの先生とともに、当時地元のフィリーズの有名なローズ選手を観に行った。そのころのローズは、特技のヘッドスライディングをセールスポイントにして人気があった。ローズ選手が塁上に出ると、周囲のファンが「ピー、ピー、ピー・・・」と叫ぶ大歓声が耳に煩かったのが、強く印象に残っている。その後ローズ選手は脱税とか、覚せい剤とかで社会的制裁を受け、名声も地に堕ちた。晩節を汚した格好になった。イチロー選手がこんな末路を辿ることはあるまいが、「好事魔多し」と言われるように油断と傲慢が忍び寄ることがないとは言えず、好漢なお一層の自重を望むこと切なるものがある。
さて、ジュネーブで開かれていた世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉は決裂した。前日までは何とか合意しそうな流れだったが、土壇場でインドとアメリカの対立が極度にこじれ、交渉決裂という最悪の結果になった。
究極の目標は世界の貿易の壁を取り払い、各国が自由に制限なしに取引をしようとの理念を実現することである。しかし、地球温暖化の二酸化炭素排出削減の駆け引きでも見られる通り、どうしても先進国と発展途上国との間には、考え方において大きな落差がある。インドの代表がアメリカは自国の農業利益のために奔走しているが、インドは国内農家を守らなければいけない現状であると主張している。ある程度話がつきそうな空気だったが、そうは問屋が卸さなかった。今回のドーハ・ラウンドでは、途上国を対象にした農産物輸入急増への「特別緊急輸入制限(セーフガード)措置」が議論された。インドに中国が後押しして、アメリカを孤立させ、日米欧が受け入れを考えていたWTO事務局長の裁定案を蹴ってしまった。7年間も揉んで揉んで漸く決着と考えていた事務局長は、怒り心頭である。これからアメリカ大統領が交代することから、具体的な目標を以て会議の再開は難しく、当分途上国は高い関税をかけ、いささか世界貿易の発展にブレーキをかけることになる。日本は事務局長裁定案に、失うものが多いが世界の流れから止むを得ず同調の考えだった。農業分野ではマイナス、工業分野ではプラスのスタンスだった。これが流れ、農家は喜んでいるが、一時的なもので、世界の目は日本農業に厳しい。日本農業の復活を今後どう考えるのか。暢気な父さん、若林正俊農水相にポジティブなアイディアや秘策ありや?
いかに超大国といえども、すさまじい勢いで発展してくる途上国を今や無視できず、かといって話がまとめられる可能性も高いわけではない。これから、世界の舞台で交渉する場合、よほどの知識、理論、哲学、交渉力がないとタフな交渉で筋を通して言い分を説得することはできないのではないか。難しい時代になったものである。
442.2008年7月29日(火) 徐々に崩壊する日本社会の秩序
明日30日は、小田実さんの一周忌である。早いものだ。今朝未明NHKのTV番組「小田実・遺す言葉」がリバイバル放映された。1時間半の番組だが、また最後まで観てしまった。昨年放映されたばかりなので、まだ生々しい記憶として頭の中に残っている。番組の冒頭8月4日告別式後の追悼デモ行進が写った。よく見てみたが、私自身はその画面に登場しなかった。朝日新聞社会面に掲載された私が写っている写真は、行進の中で前へ出てきたデモ後半のものなのだろう。
小田さんについては、一周忌が過ぎて小田さんを知る人から小田さんを取り上げた書物がかなり書かれるようだ。誰がどんなものを書かれるのか、楽しみに待ちたいと思う。
高校時代の同級生・呉忠士くんと自由が丘で昼食をともにした。彼はブラジルに11年間も駐在して、三井アルミニウムのブラジルにおけるアルミ事業のレール敷設のために頑張っていたようだ。ブラジル時代の話をいろいろ聞いたが、意外だったのはバブル当時の日本人のマナーは酷かったと感じたそうだ。それは本来日本人が持っているはずのエチケットを一時的に忘れているのではないかと、乗り物内の日本人の行動を見て思ったそうだ。われわれ日本国内に住んでいると気がつかない。また、日本人の他人を気遣う思いやりが、ブラジル人に比べてもとても足りないと感じた。特に、交差点で信号待ちの老人が横断するときに、誰も支えてあげようとする若い人を見ないことは、ブラジルだったら考えられないとも言っていた。
今やバブルを引き摺ったまま世の中が殺伐として、他人にお構いなし、傍若無人、他人迷惑などが当たり前のようになっている。もうどうにもならないと諦めの空気さえある。しかし、現実に突然何の縁も所縁もない他人からナイフを突きつけられる可能性がないわけではない。ならば、やはり対策を講じて、できるだけ未然にに悲惨な事件を防ぐように考えなければならない。
昨日JR平塚駅構内で、わめきながらナイフを振り回し、男性7人を怪我させた女性が捕まったと思ったら、今日は愛知県内の中学校内に卒業生がナイフを持って押しかけ、元担任教師を刺して重傷を負わせたという殺伐とした社会になってきた。連鎖反応であるかも知れないが、日本の社会としてどうすれば、こういう事件を防止することができるのかを、そろそろ国を挙げて、真剣に考えるべきときが来ているのではないだろうか。
441.2008年7月28日(月) 明るい笑顔のベトナムの子どもたち
NHK・月曜日のゴールデンアワーの定番「鶴瓶の家族に乾杯」を毎回楽しみにしている。今日は久しぶりの海外取材でベトナムのホイアンだった。ベトナムはベトナム戦争中に当時の首都サイゴン(現ホー・チ・ミン)を訪れてから、戦後33年ぶりに再びホー・チ・ミンを訪れたが、戦争中はいつ砲弾が飛んでくるか分らない状態でてんやわんやだったので、落ち着いた市民の姿というものにはお目にかかれなかった。今日元横綱・大乃国(現芝田山親方)とともに訪れたホイアンは、世界文化遺産の町で古い町並みが心を落ち着かせてくれる。
それより何より、一番印象的だったのは、人々の笑顔である。とりわけ子どもの笑顔が素敵だ。どうしてこうも明るい笑顔がいとも簡単に出てくるのだろう。ベトナムに限らず、発展途上国の人々、特に子どもたちの笑顔は無邪気で素朴、加えて簡単に顔に出てくることである。屈託がないというか、いつもニコニコしてじっと見ている。人懐こいこともある。
ところで日本の子どもたちはどうだろう? 日本の子どもだって笑顔を見せてくれる。しかし、やはりどこか違うような気がするのである。先入観があるかもしれない。特筆したいのは、アジアやアラブの子どもたちたちは、見知らぬ人に対しても全員が同じように屈託なく笑顔を見せてくれることである。日本の子どもたちは、見知らぬ人に対する警戒心が働くのか、全員が笑顔を見せるということはあまりないと思う。全員がニコニコするのと、半分がニコニコするのでは見た印象がまったく違う。アジアやアラブの子どもたちを見ると人懐こくみんな笑顔が素敵だと感じるのは、こういう点だと思うのだが、どうだろうか?
今晩の特別番組はベトナム人の素朴な心温まる人柄を引き出してくれたと思う。また、いつかベトナムへ行ってみようと思う。
TV朝日の「報道ステーション」で、最近のチベットの様子を特派員が10数分にわたって伝えていたが、ラサ市内は武装警官、軍隊、監視カメラによって完全に自由を規制している。加えて、特派員に私服監視員が附いているのでは真実が伝えられるわけがない。インタビューしたおばあさんも監視員を見ながら、遠慮しがちに応えてくれていた。特派員が語ってくれた現状の中で、ラサの人々に笑顔がなくなったことと、僧侶の姿が目につかなくなったことが異常に感じられたということが印象に残っている。あの素朴だったチベットの人々からも笑顔が消えつつあるのだ。
今日は、気象でも驚くような現象があった。関西と北陸地方に鉄砲水のような豪雨が降り、河川で犠牲者が出た。今年の特徴は、雲が細長く局地的に大雨をもたらすということになるようだ。特に、神戸市の都賀川と金沢市の浅野川が鉄砲水のような濁流がどっと溢れ、まるで氾濫に近い状態だった。東京には、いまのところ大きな自然災害は襲ってこないが、いつやってこないとも限らない。やってくるのは、避けられない。肝心なのは、災害に襲われたときにどう対応するかということだ。さぁ自分にできるかなぁ。
440.2008年7月27日(日) どうして危ない若者が多いのか?
小中学校の夏休みが短縮傾向にあるという。理由は授業数を増やすためだそうだ。普段から塾通いの子どもたちは、夏休みを削られ勉強、補習づけでストレスも溜るのではないだろうか。われわれのように、小中学校のころはほとんど勉強らしいことをやったことがなかった世代からすると、正に隔世の感がする。勉強し過ぎた子は、それは知識が身についてもちろん結構ではあるが、戸外での遊び方を忘れ、友だちとのコミュニケーションを忘れ、親から大事にされ、限られた時間の中でちまちまとゲームに勤しみ、目を悪くして人間らしい会話を忘れる。こういう子どもが成長していくと、いま流行のように冷めた無機質の若者になる。そして、彼らの何人かが無差別殺人予備軍入りする。
最近残酷な殺人鬼が生まれる背景とか、その理由について多くの精神医科学者ら専門家がコメントを述べているが、これといって具体的な予防対策を耳にしたことがない。偏見になるかも知れないが、社会全体で駄目なことは駄目だということをことあるごとに周囲が教えてやることが、不気味な殺人鬼を産まないことになる。もちろんそのためには山積する社会問題を少しでも解決していかなければいけないが、現状は善悪の判断、他人への迷惑を考えないまま大人になるために、自分の稚拙な善悪の判断力が他にも大きな影響を及ぼしている。他人のことはどうでもいいという手前勝手な考えは、自分の思い通りにやるということで、心理的に悪魔のささやきがあると、一気に人殺しでも何でもやってしまうということになる。
例えば、公共の場である電車内の若い人のお行儀の悪さは、もう行き着くところまで行ってしまったという感じがする。まったくお手上げである。個人的に注意すると今どきの若者にはすぐ逆上され、暴行され殺されかねないので、別の機関、例えば鉄道会社が注意する。社会の協力が必要なのである。電車内のエチケットには、車内放送で何度もアナウンスする。そして、シルバーシート脇に「このシートは65歳以下の人はご遠慮ください」と具体的に書く。若い人が何の躊躇もなくシルバーシートに一目散というのは、思いやりがないことと、シルバーシートの目的がまったく分っていないからだ。彼らに誰も教えないからであり、一方で彼らにはその理解力もないからである。言い出したらきりがないくらい、危ない症候群の若者は危険がいっぱいだ。社会全体で総合的に危ない若者を押さえつける方法を具体的に徹底して考えないと、これからも似たような事件は頻発し、悲しむ人が増えるだけだ。