充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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568.2008年12月2日(火) バンコック空港占拠解放へ
まさにどんでん返しの決着である。膠着状態だった反政府デモ隊によるバンコック空港占拠問題が急転直下解決の様相を見せてきた。軍部や警察が2つの空港を占拠していたデモ隊を力で排除したわけではない。また、デモ隊側に含むところがあって、自発的に身を引いたわけでもない。思わぬところから「神の手」が飛び出してきた。
現在チェンマイに滞在中のソムチャイ首相と「国民の力党」を含む与党3党が前の選挙で犯した違反が憲法裁判所から断罪され、党は解党を、また首相は5年間の被選挙権停止を命じられた。これによってソムチャイ政権は空中分解して崩壊した。意外な結果でソムチャイ首相退陣を要求していた民主市民連合(PAD)の要求が通った形になり、デモ隊は首相府、2つの空港から退去することになった。
詳細は実際のところよくは分らないが、双方とも憲法裁判所の考え方や、この事態を想定できなかったのだろうか。ところが、現地筋の伝えるところでは、ソムチャイ首相は失脚することになっても、政党解党は別の時点で新党を結党して解党された与党議員が新党に加入すれば実態は変わらないことになる。実際どうも政府側にはタクシン元首相派が裏で暗躍している節がある。また、タクシン派と反タクシン派の駆け引きやら、政争が繰り返されるのだろう。取りあえず空港占拠は解放されるであろうが、次期首相をどう選出するのか、しばらくは目を離せない。タイ政界は一寸先は闇との感じがしてきた。
闇と言えば、日本経済の先行きも闇である。今日の東証株価は533円も下がり、日経平均でまた7,000円台(7,862円)まで下がった。日銀が中小企業融資として3兆円も支援しようと決断したのに、本家本元の政治がガタガタだから一向に足場が固まらない。3月に福田前首相が道路確定財源は、一般会計へ繰り込むと明言したにもかかわらず、道路族が抵抗して元の木阿弥、福田発言を反故にしようとしている。自分に有利な利得だけを考えて行動する国会議員なんて、どだい話にならない。
先週の血液検査の結果、CRPが3.33まで低下したのがせめてもの慰めである。3月に2.22だったのだが、その後上がりっ放しで8月には8.01まで達した。松本先生と相談しながら、0.3以下まで下げる努力を続けている。このままの状態が継続されるようだと血圧を上げる結果につながる薬剤を飲み続けなければならない。
567.2008年12月1日(月) ベテラン・ジャーナリストによる岩波市民セミナー
今日から毎週月曜日に岩波市民セミナーを神田神保町の岩波アネックスビルで連続4回受講する。講師は原寿雄・元共同通信社長で、駒沢大片山正彦講師から絶対に役立つからぜひ聴講されると良いと勧められたものだ。
第1回は「軍国少年からジャーナリスト」と題して生い立ちからジャーナリストとしての考え方まで淡々と、しかし分りやすく説明してくれた。驚いたのは、大正14年(1925年)生まれで、今年83歳になられるが、お年には見えないほど、顔の色艶もよく内容的にも興味の沸く話で2時間の予定が質問を交えて2時間半になってしまった。そつのない受け答えは相当ジャーナリストとして自信をお持ちであることを窺わせてくれた。
原講師の生まれた大正14年は、普通選挙法が生まれる一方で、治安維持法も施行された。民主的な法律と非民主的な法律が同時に実行された。大正デモクラシーの終わりであった。小学校に上がったのは、満州事変の年であった。貧しい農家に生まれたので、子どものころから農業の手伝いをやらされた。東京に近いとはいえ、小作人の家では軍国少年になるのは自然の流れであった。
ジャーナリストとして感じたのは、「良い答えは良い質問からしか生まれない」ということだ。また、新聞記者で名文家は従軍記者となったが、従軍記者は戦争犯罪人ではないかと思った。
原講師の話の中で2つの点が特に印象に残った。1つは、日本では戦争責任をきちんとつけていない。特に天皇の戦争責任があいまいで、昭和天皇が亡くなったことによって決着をつけずにうやむやにしている。もう一点は、国家の発展とともにジャーナリズムも大きくなる。ジャーナリズムは頭の中では国籍をも超える。しかし、果たしてジャーナリズムは戦争を抑えきれるか。そうだと言いきれるか。例として、朝日新聞の「新聞と戦争」プロジェクトについて、この執筆記者たちが、満州事変当時にいたら、果たして関東軍の謀略を暴露できたか、という点で疑問である。ジャーナリズムも既成事実には弱い。満州事変のように再び朝日が「一歩遅れて転向する」ことはないか。以上の仮題を、実際朝日の出版記念会で話したそうである。中々骨のある話で面白かった。流石に記者としても、新聞連盟の専任労組幹部としても、また経営者としても実績のある方だけに、淡々と話される自分史は期せずして昭和史を語り、ジャーナリズムの歴史をも語っていると感じた。残りの3回が待ち遠しいほどである。
566.2008年11月30日(日) テロとサルコジ人形、世界もいろいろ
ムンバイのタージ・マハール・ホテルを占拠して最後まで抵抗していたテロリストたちは、発生から3日経って完全に制圧された。明らかになった死者は195人を数えるという。まだ真相は解明されていないが、犯人たちは相当訓練されていたらしい。タージ・マハール内部は爆弾が爆発し、激しい銃撃戦の跡もあり、入店テナントは完膚なきまでに破壊されていた。外からは分らないが、内部の破壊は度を超しており、元の姿に戻るには相当の時間がかかるようだ。とにかくたった一度きりではあるが、ホテル内の格調高い雰囲気を味わった者としては残念でならない。インド人もムンバイの名所のひとつと考えていた1903年建造の名門ホテルが無残な姿を晒しているのを残念がっている。
犯人は10人ほどが射殺された中で、1人が身柄を拘束されている。パキスタンを拠点とするイスラム過激派「ラシュカレトイバ」ではないかとの疑いが強まっている。この組織は同じムンバイで2年前に連続列車爆破テロを引き起こし、200人の死者を出している。インド・パキスタンの外交関係や、カシミール帰属問題、イスラム系地区独立問題もからみ、問題の複雑化がネックになっている。しかし、インド政府としてはパキスタン政府が何と言い逃れようと、自国のメンツを賭けて原因を突き止めねばなるまい。
一方、ムンバイ・テロより一足早く事態を混乱させていた二つのバンコック空港占拠事件は、今日も解決されず、昨日からついにウタパオ空軍基地内の滑走路を使用してチャーター機を飛ばすことになり、日航も直行便で日本人旅客を帰国させている。それにしても反政府団体・民主主義市民連合(PAD)が、完全に空港内を管理している今回のデモの様子には驚きを禁じえない。空港内への立ち入りは、PADのチェックを受けるという本末転倒の事態になっている。今のところ軍によるクーデターの危険はなさそうだが、いつまでこんな異常事態がもつのか。ソムチャイ首相の意向を受けた警察がPAD代表と話し合いを始めたが、どうも決裂したらしい。観光客が敬遠し、経済活動も制約され、国際的な信頼も失いつつあるタイは、そろそろ目覚めないと折角の経済上げ潮ムードが反転、急降下しかねない。こういう世界の注目を集め、その難題を解決しなければならないリーダーは大変だが、その点では日本の首相なんて、これらの国々に比べれば経済は安定しているし、国家的なテロ事件は起こらないし、気楽なことである。この気楽さが、放言、失言の大連発になるのかも知れない。
今朝の朝日に面白い記事が載っていた。「呪いのサルコジ人形」が売り出され、大統領が発売元に回収を求めた訴訟で、パリ控訴院は大統領主張の一部を認め、発売元に対して人形が違法だと掲示することを求めた。そもそもこの人形が裁判沙汰になったのは、サルコジ大統領の布製人形に針を刺すというサド的で、大統領個人を侮辱したものだったからである。しかし、裁判の過程で大統領が発売元に回収を求めたことに対して、一審では「表現の自由とユーモアの範囲内」とした。それに対して大統領側が上訴して、今回控訴院は、人形が大統領の尊厳を損なうと判断した。だが、商品回収までは行過ぎとしている。この流れの中にはフランス人のサルコジ大統領への気持ちや考えが表れている。昨日山崎さんはサルコジがフランス人の間で不人気だと言って「猿誇示」と読んでいたが、なるほどと思う。あれだけ外交分野で活躍して実績を挙げても、即人気とは行かないものだ。その点でも日本の首相は楽なもんだ。
565.2008年11月29日(土) ブケリッチ家(武家利一家)のお墓参り
セルビアの友人、山崎洋さんと富士霊園へ彼のご母堂の墓参に行った。今日は偶々明治大学でもゾルゲ事件のセミナーが開かれることになっている。山崎さんはそちらからも講演依頼をいただいたようだが、当初の予定通り母上のお墓参りに行くことになった。私とは自由が丘駅前で待ち合わせて車で出かけ、富士霊園までちょうど2時間だった。
行く道すがら車内でいろいろ話をしたが、やはり昨日の麻生・小沢党首会談について内容的に情けないという点で意見の一致をみた。また、彼が母上の強い希望で学んだ玉川学園小学校時代の自由な校風について語ってくれた。玉川学園と言えば、玉川学園駅が社会人としての最初の仕事場だったところで、その後業務上も玉川学園と関係を持つことが出来た奇しき因縁がある。何でも母上は山崎さんが苛められないような教育環境の良い学校を選んだそうで、その意味では確かに玉川学園は贅沢なくらい、自由で立地も自然に恵まれ初等教育の教育環境としては理想的だったかも知れない。ただ、あまりにも自由な教育に、母上が今度は進級・進学について心配され、中学は玉川学園には進学しなかった。終戦直後の貧しい生活の中で母上のしっかりした教育観には敬服せざるを得ない。
富士霊園は季節的に紅葉もまだ残っておりシーニックビューという点では申し分のない環境だが、近くの富士スピードウェイから時折聞こえてくるレーシングカーの轟音が、折角晩秋の季節感を匂わせてくれる雰囲気をぶち壊しているのが惜しい気がする。
墓地は山崎家と親戚のお墓がサイド・バイ・サイドで3つ並んでいる。2つのお墓はご親戚のものである。山崎家の墓石には、「武家利一家の墓」と刻字してある。父上ブランコ・ド・ブケリッチ氏が存命中から使用していた日本名だそうだ。名前の下に床しそうな紋章がある。聞いてみると父上の親戚が得たオーストリア貴族の称号だそうだ。あの恐れ多いハプスブルグ家の紋章である。一昨年五月にご母堂が亡くなられ納骨する際、かつて夫であったブケリッチ氏から多量のラブレターをもらい、それを大切に保管し、一緒に埋めて欲しいとの遺言があったので墓石の下に母上の遺骨と一緒に埋めてあるそうである。生前母上は私にもそんな話をされておられた。ともに生活した期間は短かかったが、お2人は深い愛情によって結ばれていたのだろう。それが死後の世界でも一緒にいたいという気持ちにさせるのだろう。心打たれる愛情物語である。私も母上の墓前に額づき心からお参りさせていただいた。
その後少々早かったが昼食をしようと近くの富士小山ゴルフクラブのレストランへ立ち寄ったところが、ゴルフクラブのメンバーでないからと断られてしまった。仕方がないので、御殿場へ向かった田舎風のレストランへ立ち寄ったが、ここで「麦とろ」をいただき、久しぶりに珍しい昼食にありついた。権威主義のゴルフ場のレストランから拒絶されて反って日本的なものを、山崎さんにご馳走することが出来てむしろ良かった。
オバマ次期大統領、グルジアとロシアの関係、コソボ問題、北オセチアと南オセチアの帰属権、等々について山崎さんの考えを聞かせてもらった。やはりグルジアや、オセチア問題については私がとても知ることが出来ないくらい情勢を深く把握しており、こういう民族問題はやはり近くにいないと真実を知ることは難しいということを実感した。彼は相変わらずよく勉強している。
先日山崎さんがセルビアから書いてくれた手紙に、「古事記」のセルビア語訳が完成直前に、約束の資金を外務省外郭団体が支出してくれないことになったことを嘆いていたが、そのセルビア語訳版が完成して、その実物を見せてもらった。ベオグラード大学セルビア人大学院生3人の協力を得て、山崎さんが責任監修された。ハードカバーの中々立派なものである。表紙の絵は、わざわざ伊勢神宮所蔵の大きな屏風絵を撮影した。天照大神が背後に金鵄を従えた、よく知る絵である。外務省があまり乗り気でない日本文化の紹介をバルカン半島のセルビアでしようという、一種の草の根運動が挫折しないよう願うばかりである。
それにしても外務省というのは、本業でも充分国民の期待に応えていないが、こういう地道な文化事業にもあまり熱心でない。それに対して地道に活動している友人を誇りに思う。山崎さんは奥さんのお里である静岡へ向かうので、御殿場駅へ送ってからいろいろ考えながら東名道を帰宅した。深く考えさせられた思い出深い一日だった。
564.2008年11月28日(金) 実りのない党首討論
ムンバイの同時テロが漸く終息に向かい出した。少しずつホテル内に閉じ込められていた人質が解放されている。不思議なのはテロ標的のひとつ、トライデント・ホテルを下からも、屋上からも軍の特殊部隊が1部屋1部屋調べていったところ、テロリストはすでに姿を消しホテルはもぬけの殻だった。こんな間の抜けたマンガチックなシーンがこの緊迫した場面で現出されるとは思いも寄らなかった。タージ・マハール・ホテルはまだ銃弾戦をやっていて死者は150人をすでに超えた。日本人は勃発直後1人の犠牲者を出したものの、その後は死傷者がなくまずまずよかった。ただ、完全にテロリスト集団が制圧されたわけではなく、余燼が燻っている。
午後麻生首相と民主党小沢一郎代表との党首討論が行われテレビで中継された。僅か45分程度ではさほど突っ込んだ討論にはならないと思っていたが、案の定衆議院解散問題、補正予算、首相の言葉の軽さぐらいしか話題にならなかった。肝心な外交問題、防衛問題にまで触れなかったのは、時間不足だけではなく、お互いに勉強不足だったからに違いないが、折角のチャンスなのに実に惜しいことをした。結論的に言えば、どちらもどちらという印象で、小沢代表も張り切っていた割りには内容に鋭さがなかった。どうも小沢氏は話が下手で、考えていることの半分も言えないのではないか。いずれにしろお互いにメリハリの利かない、つまらない、実りの少ない討論だった。回数を重ねていけば、徐々に良くなってくるのだろうが、時間の無駄という感じもする。
しかし、政治家なんていうのは丁々発止の議論ができなくては政治家とは言えまい。2人ともどうも要領がよくない。平素の政治活動は何のためにやっているのか。いつも狭い部屋の中で仲間内の政局論争ばかりやっているからではないか。がっかりした。
来年2月に出版記念会を開催するが、その案内状を送り終えた。昨日と今日で330通ばかりお送りしたが、何人の方にご出席いただけるだろうか。その拙著の発行に際して、友人たちから書店で購入してくれたとか、書店で逆にPRしてくれたとか、友情はいつもながら有難いことである。