充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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593.2008年12月27日(土) 数少ないまともな政治家・与謝野馨氏
政治家の中で与謝野馨・経済財政担当相は、周囲の雑音に煩わされることなく、筋の通った論理を展開する、その考え方と姿勢には以前から敬意を表している。今朝の日経新聞のインタビュー記事「次の世界」によれば、「世界同時不況を克服するためには、アメリカの貿易赤字と財政赤字、家計の過剰消費を止めることが必要」「日本経済の立ち直りには潜在的な成長力の高い新興国との協力が欠かせない」「機軸通貨のドルを支えることが我々の利益」「市場経済のメカニズムで決まる価格や資源配分が善であるという市場経済の原則は守る。(現在の経済不況は)バブル発生を阻止できなかった制度の欠陥を手直しすればいいだけの話で、自由主義経済の思想はきちんと守らなければならない」と自民党の政策通らしい主張をしている。
ただ、良い家柄に生まれ豊かな生活環境の中で育ったせいか、主張することは結構だが自らは動かないというのが弱点であり気に入らない。「民主党の言っていることもいいところがあると思う。連立とかではなくて、きちんと政策的な話し合いをしたらいいだろう」なんて、大臣という重要ポストにありながら、他人ごとのような発言はいただけない。この辺りがこの人の限界ではないかと残念に思う。与謝野氏は前々から消費税増税には積極的な立場に立ち、その論旨も理解されやすいし的を射ているので、この機会に堂々正論を戦わせて、もう少し存在感を訴えて欲しいものである。
このほかにも今朝の日経は中々歯ごたえのある記事が多く、小宮隆太郎・元東大教授に「私の履歴書」の中で、前川リポートの功罪について骨のある持論を開陳させている。
さて、忘年会シーズンも昨日辺りが最後だろうが、今日は小中陽太郎さんを囲む「ヨタロウ会」忘年会。神田の「樽平」に32名が集まった。こういう会合に出ると知り合いに会うことが多い。今日も服部さん父子、瀧澤洋子さんご家族、知研からは久恒啓一・理事長、八木哲郎・会長、秋田英澪子・事務局長、樋口裕一・多摩大教授、日本ペンクラブの西原健一さん、滞米27年の北岡和義さん、目黒区議の須藤甚一郎さんらである。驚いたのは、昨夏小田実さんの葬儀当日の追悼デモが朝日新聞社会面に大きく掲載されたが、その写真のド真ん中に私が映っていることを須藤さんが発見されたと語られたことである。あまたある新聞掲載写真の中で、特定の人物を見つけられるとは凄い目利きだと感心してしまった。恥じることをしているわけではないので、気にすることもないのだが、それにしても行動には充分気を配らなければいけないと自戒した次第である。
出席者が各人各様の話をされたが、小中さんが先日出版された「小田実と歩いた世界」(講談社刊)、及びべ平連の活動がどうしても中心になってしまう。事務局長だった吉川勇一さんの健康が優れないらしい。私も拙著を売り込んでおいた。小中さんご夫妻と自由が丘からタクシーで帰ったが、早や12時近くになっていた。
592.2008年12月26日(金) 早乙女貢氏の会津史観
昨日胃癌のため亡くなられた早乙女貢氏は享年82歳だった。髪は黒々としてとてもそんなお年には見えなかった。今朝の朝日によると「会津藩主と藩士の苦難を通じて、小藩に逆賊の汚名を着せた官製の正史に対する疑念を提示。敗者の視点に立って日本の近代化の歴史の再検証を試みた」と紹介されている。会津魂に対するこだわりと思いのたけは、早乙女作品に集約されている。とにかくライフワークとして書き上げた会津魂シリーズは、吉川英治文学賞を受賞した第一期幕末編「会津士魂」が全13巻、第二期明治編「続会津士魂」が全8巻である。早乙女氏の作品は、恥ずかしいことにほとんど読んでいないが、解説を読むと中々骨のある歴史文学のようなので、いずれ読んでみたいと思っている。阿刀田高・日本ペンクラブ会長は早乙女氏の推薦でペンクラブ会員になられたそうだが、小中陽太郎氏の推薦と併せて、その阿刀田高氏の推薦で同じくペンクラブ会員になった私は、早乙女氏にとってさしずめ孫弟子のようなものだろうか。謹んでご冥福をお祈りしたい。
内閣府が発表した2007年度国民経済計算によると昨年の日本人の一人当たり名目国内総生産(GDP)は、世界で19位だった。G7の中で最下位だそうだ。必ずしも経済力の実態を表しているわけではないが、凡その見当はつく。昨年はユーロ高傾向だったので、ヨーロッパ各国のGDPが膨らんだ一方で、日本は成長率が伸び悩んだせいでもある。イタリアに追い抜かれた。実際日本の上位18カ国のうち、アメリカとカナダを除く16カ国はすべてヨーロッパだった。今年が円高だったので、日本のポジションも来年度は昇格するのではないかとのコメントもある。さあどうなるか。
早稲田出版と拙著の重版について話し合っている。やや暗過ぎた写真をもっと明るい印刷にしてもらうということで落ち着いた。嬉しいことに出版社に拙著への電話注文が相次いでいるという。何となく黙っていても内心から嬉しさがこみ上げてくるものだ。この分だと気分よく年を越せそうだ。
591.2008年12月25日(木) クリスマスに年賀状を書く。
景気が芳しくない情報ばかりがマス・メディアを席捲している。期間労働者や契約社員がバタバタとクビを切られる厳しい雇用環境に直面して、地方自治体が積極的に彼らを臨時職員として雇用しようと乗り出した。これは明らかに政府が動いた結果ではない。自治体が地域内の企業が非正規社員を解雇する状況を見て、独自に対応した救済策のひとつである。まったく政府や中央官庁の機能不全状態に自治体が動くしかない状況となっている。極端であるが、これでは政府や中央官庁は必要ないのではないかと考えてしまう。それでいて政府や頭の良いとされる(実際にはプライドばかり高くて頭なんて良くない)中央官庁の役人が考える来年度予算は、過去最高の支出額である。短絡的にそう間単に考えるわけには行かないが、実際役人なんて要らないと考えたくなる流れと社会の構図になっている。鈍感な政治家と、国家観のない役人はこういう状況にぶち当たり、国というのは何が骨格であり、どう組み立てなおすのかというアイディアがまったくない。ポーズだけとって手を拱いているのだ。情けない。
年末となってこのところ年の瀬の恒例となった年賀状を書いている。この3日間で500枚近い宛名書きをした。あと100枚少々書くつもりだ。印刷はかつて本職の印刷屋に依頼していたが、今ではPCを使い自分で作成している。宛名だけは万年筆で気持ちを込めて書くよう努めている。これは子どもの頃から習慣となっている。やはりこだわりがある。どんな手紙でも相手の名前や、あて先は万年筆で丁寧に書きたい。書いているとふっと相手の顔が浮かんでくる。中にはほとんど連絡がなく、どんな生活をしているのか分らない友人もいる。でも、1年に1回の直接言葉を交わさない交流であり、相手が止めるならともかく当方から文通を止める気はない。まもなく今年も幕を下ろす。早いなぁというのが率直なところ。
また訃報である。直木賞作家の早乙女貢氏が今日亡くなられた。いつも日本ペンクラブの例会には和服姿で参加しておられたが、会津武士に格別のこだわりを持っておられた。例会後のパーティでも独特の存在感があったが、個性的な作風の作家がまたひとりいなくなった。
590.2008年12月24日(水) 「知研」編集の単行本発行へ向けて
「停年オヤジの海外武者修行」増刷につき、若干の課題を早稲田出版と打ち合わせた。来年1月に第2刷発行であるが、表紙帯の折り目部分の色落ち、写真の明るさ具合、1文字の誤植の修正についてお願いした。帯は角の折り目が色褪せるので、これにもうひとつ無色のコーティングをかけてもらうことにした。この点については同社社長が一般的に帯はコーティングしないと言って同意しなかったが、色褪せた実物を示し説得して納得してもらった。写真は1枚を除き、すべてもっと明るくしてもらう。文字の誤植は訂正してもらう。これですっきりすると思う。
終えてから紀伊国屋裏の喫茶店へ向かい、「知研」久恒啓一理事長、八木哲郎会長、秋田英澪子事務局長、小林尚衛氏に私も加わり、知研が編集する「知の現場」なる書の発行について、久恒理事長と東洋経済新報社が考えているアイディアの実行方法を話し合った。「知的生産の技術研究会」編集、発行とする魅力的な書を企画する予定である。
現在それぞれの分野で多岐に亘って活躍している人の知恵の現場で話を聞きながら取材して、1冊の書にまとめようというものである。リストアップされている人をさらっと見ても、興味を惹く魅力的な人ばかりであり、その泉のような知恵の源泉を知ることは、多分読者にとっても興味を掻きたてるのではないかと思っている。知研としても新しいプロジェクトを発足させることは、知研自体を刺激することになり、知研会員にとっても大きなモチベーションとなる。忙しくなるが、これはこれで結構面白い企画ではないかと期待が高まってくる。
さて、景気の悪化は金融危機ばかりでなく、大企業、中でも自動車産業をいろいろな分野で窮地に追い込んでいる。一昨日トヨタが発表した2008年度業績予想では、大幅に再下方修正した。雇用現場で非正規社員の削減が大きな話題を提供したばかりだが、各企業の業績がここまで悪くなるとは1年前には思いも及ばなかった。とりわけトヨタにおいておやである。というのも、昨年度の営業利益は2兆2,700億円を計上したが、それが今年度もそれに近い営業利益のはずが、一転して1,500億円もの大赤字に急降下したのである。トヨタの赤字決算への転落は連結決算開示以来初めてである。連結営業利益は95年度からうなぎ上りだった。昨年は新しい時代の夢を語っていたトヨタ首脳陣も、あまりのボディブローに、ついに来年4月には社長が交代する思わぬ事態に発展してしまった。これはトヨタ経営者の責任ばかりではない。円高という外的要因も影響している。経営者にとってもある面で不幸な時代に巡りあわせたと言えるのかも知れない。
まさに一寸先は闇である。それにしても今度の不況に際して、これほど多くの非正規社員がいるとは寡聞にして知らなかった。
589.2008年12月23日(火) 王鐵城先生を送る。
20日に亡くなられた王鐵城先生の葬儀に参列した。新宿2丁目の太宗寺前には警察官も出ていたが、驚いたのは大勢の取材陣が境内の指定場所に固まっていたことだ。さすがにスーパー有名人を弟に持つ名医の葬儀である。
しかし、ともすればマス・メディアの関心は「世界の王」の兄、しかも王選手の進路や、悩みに相談に乗っていた優しい兄と有名人の弟との関係に偏りがちであるが、葬儀の雰囲気は医師としての顔の方が強かった。弔事は新宿区医師会長だったし、読み上げられた弔電も母校・慶応義塾大医学部関係の方々からのものばかりだった。姿を確認したのは野球界ではOBの張本勲氏、国松彰氏、現役では福岡ソフトバンク・ホークスの斉藤和巳投手程度だった。
ついぞ知らなかったが、今年3月に医院を閉めて、10月に入院されていたという。ご焼香の後喪主である奥様にお悔やみの気持ちをお伝えした時、来年2月の拙著出版記念パーティにご案内をいただきながらご返事もしないで申し訳ありませんと頭を下げられ恐縮した。隣に介添えしていたご長男の康雅医師には、久しぶりにお会いした。王貞治・前監督と挨拶を交わすのは7年前母上の百賀のお祝いで世間話をして以来である。「大変お世話になりました」と言っていただいた。出棺をお見送りしたが、王家を代表してご長男の康雅医師がご挨拶されたが、中々感動させる内容のスピーチだった。「父は厳しかった。いろいろ教えてもくれた。優しい父でもあった。今日ご参列の皆さまに父がこの場でご挨拶されるとしたら、お礼とともに毎日どうか健康にはくれぐれも気をつけてほしいと言うと思います」と。
それにしても何となく寂しく侘しい。昨年の夏新宿御苑の催しに出かける折に、妻とともに医院へご無沙汰のご挨拶に伺った時がお目にかかった最後である。あの優しい笑顔が懐かしい。王先生、お世話になりました。
今日は天皇誕生日で祭日でもあるが、同時に「東京タワー」が完成した日でもある。満50歳である。私は2度ばかり昇った程度であるが、結構東京タワーファンという方々がいるようで、タワーに関して個人的な珍記録を持っている人も多いようだ。しかし、今江東区に第2東京タワーとも言われる、新しい東京名所として売り出そうとする「東京スカイツリー」が建築中である。新しい時代の電波発信基地としての要請に応えて、新しいものに変わりつつある。これも時代の移り変わりを反映しているのだろうか。
昨日VAIOのデスクトップ・パソコンが修理を終えて戻ってきた。スイッチは入り、メール通信は可能となったが、インターネットがダメだ。また、明日にでもソニーに電話で問い合わせてみないといけない。まったくPCというのは、うまく機能するうちはよいが、一旦故障すると他にも影響が出る。まるでモグラ叩きである。