充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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713.2009年4月26日(日) ジョン万次郎記念館はいずこに?
ジョン万次郎がマサチューセッツ州フェアヘヴン市に到着したのは、5月7日ということになっている。今年はその到着日にこれまで改装して休館していたジョン万次郎記念館がオープンするという記事が載っていた。ジョン万次郎は妻の遠戚に当るので、関心は人一倍あるし、1976年に文部省教員海外派遣団の添乗員としてジョン万次郎記念館を訪れた時、記念館館長から歓迎されたことがあるので懐かしい気がする。
いつも思うのだが、記念館のある場所がフェアヘヴンと書かれているが、正確には隣町の捕鯨の町ニュー・ベッドフォードである。マサチューセッツ湾に望む小さな漁師町で、海辺の漁師の家の屋上には突き出たような見張台がついていた。そこから遠洋へ出漁する夫が乗る捕鯨船を妻が手を振って見送ったと説明を受けた。万次郎が救助された捕鯨船のホイットフィールド船長の自宅が記念館になっている。ニュー・ベッドフォード市教育委員会のお世話で同市に約1週間滞在して、その間に学校訪問をしながら近郊を観光させてもらったことを思い出す。その時隣町のフェアヘヴン市へも行った。記念館の館長さんから遠戚の奥さんとまた一緒にお出でくださいと言っていただいたが、残念ながらその機会は未だに訪れない。その後しばらくして、当時皇太子だった現天皇・皇后両陛下が訪れた。中々静かな環境の中にある、瀟洒な2階建て木造住宅だった。
昨日からメキシコの豚インフルエンザのニュースが流れている。どうやら拡大しそうな勢いである。昨日はメキシコ国内だけで60名の死者が発生したと言っていたが、今日になってその数は81名にまで増えた。アメリカでも11名が感染している。これまで日本国内では鳥インフルエンザは随分騒がれたが、豚というのは初めてではないだろうか。こうなると困るのは旅行者と旅行業者である。メキシコ方面のツアーをキャンセルしている旅行業者が多い。運が悪いとしか言いようがない。しかし、旅行業者の立場なら、敢えて火中の栗を拾う必要もあるまい。ツアーをキャンセルして、豚インフルエンザが頭上を通り過ぎるのをじっと待つだけである。それにしてもこの種のニュースは旅行業者泣かせであるばかりでなく、多くの人を悩ませる。
712.2009 年4月25日(土) なぜ北朝鮮は強気でいられるのか。
かなり前から政治的に中国が北朝鮮の立場を擁護する行動が目立ち、中国がどうしてここまで北朝鮮に肩入れしているのか、或いは遠慮するのか不可解に思うことが度々あった。北朝鮮の国際社会における瀬戸際外交には、各国が散々悩まされ迷惑を蒙っている。実は今朝の朝日新聞によれば、中国にもその北朝鮮に手出し出来ない事情があるようだ。中朝国境の中国・吉林省延吉市では、北朝鮮との間にかなりもめごとがあるようだ。中国人が北朝鮮から脅されるというトラブルは日常茶飯事のようである。一番酷いのは、物資輸送に使われた中国の鉄道貨車やトラックが、北朝鮮に行ったきり帰ってこない。その数は昨年だけで何と貨車2~3千両が未返却のまま、北朝鮮で利用されている。北朝鮮を怒らせると何をされるか分からないから抗議も出来ないと中国はまるで腫れ物に触るような対応である。中国が北朝鮮にこれほど気を遣うのは、北朝鮮の不安定化を恐れているからだと指摘している。体制が崩壊して大量の難民が流入すれば中国に悪影響を与えかねないし、仮に親米政権でも生まれたら国境を接している中国にとって脅威になりかねない。中国政府筋は高いコストがかかっても朝鮮半島の現状を維持するのが中国の国益に叶っていると言っている。こうして北朝鮮は中国の足元を見ているのだ。結局手玉に取られているのは、中国なのである。これではまったく展望が開けない。
今日息子家族がやってきた。3月22日に息子が走った東京マラソンの記録証がやっと大会事務局から送られてきたと見せてくれた。この記録証を見ていて面白いことに気がついた。完走者22,789人中5,297位、記録は3時間58分14秒で目標の4時間を切った嬉しい走行だった。ところが、ネットタイムが参考として書いてある。3時間54分18秒とある。約4分の差が不思議だったので、息子に聞いてみるとスタートの号砲が鳴ってから実際に走り出すまでの時間だそうである。スタート地点から走り出すまでに4分ものロスタイムがあったことになる。5kmごとのスプリットタイムも書かれている。2万人を超えるランナーの記録をここまで詳細にキャッチできるのはどうしてだろうと思い、また息子に聞くとシューズの中に入れられたチップがチェックポイントを通過する毎に感知して大会本部が数値を把握するらしい。たかがマラソンと思っていたが、IT技術の進歩ですごいものに替わってきている。
711.2009年4月24日(金) フランス語の先生は森鴎外の孫だった。
大学で必修科目の第2外国語にドイツ語ではなくフランス語を履修した。経済学部の学生としては、ドイツ語の方が一般的だと思う。それにも拘らず、入学前から敢えてフランス語を専攻しようと考えていたのは、将来世界各地を旅行する場合にドイツ語よりフランス語の方が広く通用し実利的だと感じたことと、フランス語がラテン系言語なので他のラテン語圏でも簡単な言葉なら意味が分かりそうだとの単純な考えだった。しかし、実際に旅行を生業とするようになり、フランス語を履修したおかげで随分助かったことがありフランス語を専攻して良かったと本心から思っているくらいである。
実は、今日の日経夕刊紙に「鴎外自筆書簡に孫の命名由来」との記事が掲載されている。その孫こそ誰あろう、教養課程でフランス語を習った山田爵先生だった。優しい感じでユーモアに溢れた先生だった。当時成城学園に住んでおられた山田先生が、ある時小田急線が事故を起こし不通になったので、われわれ学生は当然授業は休講だろうと思っていたら時間前に教室に来られて「休講と思ったでしょう。残念でした」と愉快そうに仰った。事故を知って早めに他の交通手段で日吉キャンパスへやって来られたのだそうである。愉快な先生でいつも微笑みを絶やさなかった。ご自分から鴎外の孫であるとは一度も仰らなかったが、噂は広がり、誰もがそう思っていたところ、もう1人のフランス語の木内先生が「秘密」を明かしてくれた。間違いなく文豪森鴎外の孫だったのである。鴎外の子孫には、外国語の名前をつけた人が多い。漢字の当て字を使用するが、外国人にありそうな名前を日本語にこじつける(?)のである。この山田先生の爵も難しい漢字を当てる。鴎外は「世界通用ノ名トナル」と得意だったようだ。とても読めない漢字で、画数が多くて覚えきれない。名前の由来書には「名トシテヨイ字ダトオモハレル」と記している。
何年か前に北九州JR小倉駅近くの森鴎外記念館を見学したことがあるが、その折鴎外の家系図を前に担当者と話をして、そこに記載されていた山田爵先生に教わったと話したら、随分うらやましそうな顔をされたことがある。
フランス語の実力はついていないが、おかげで文豪・森鴎外の孫にフランス語を習ったということも今となってはひとつの勲章である。後年山田先生は東大教授になられた。
710.2009年4月23日(木) 中国経済の成長について
17日に画家・安野光雅氏がNHK朝の番組で話していたことを今日の日経夕刊のエッセイに書いている。的を射た論旨に納得して、主旨を友人に書き送ったほど強く印象に残っている。
こういう内容である。「誰が言い出したのか『今回の不況は百年に1度の不況だ』と盛んに言われている。こういった無責任な発言に私たちは非常に弱い。脅かされるだけで、その言い分の根拠がただせないが、百年といわず、わずか六十年余りさかのぼっただけで、恐るべき敗戦の日がそこにあったではないか」。実際その通りでどうして百年不況説が通説として拡がっていったのか。更に安野氏はこうも続けている。「あの時代と、不況と言われている今の世の中とくらべてみるといい。不況だというのに、新聞や雑誌の広告は旅行案内でいっぱい。食料は巷に満ちあふれ、着飾った男女が街を闊歩し、六十年前は米軍の車だけだったのに、売れていないはずの車で道路は渋滞している。テレビは飽食の料理とお笑い番組のない火はない」とまったくご指摘の通りである。
今日発表された企業の08年度決算は軒並み赤字である。野村ホールディングス7,000億円、農林中金6,200億円、みずほFG5,800億円、中央三井800億円等々である。加えて昨日IMFが発表した今年度の成長率は、日本は先進諸国の中で最悪の-6.2%である。一方車販売が好調の中国は6.5%だと、多摩大学沈才彬(シン・サイヒン)教授が他の視点からの分析を併せて詳しく説明された。
今日の多摩大学・現代世界解析講座は、今最も中国経済に精通している沈教授が担当された。テーマは「今後の中国経済の行方」だった。沈教授は軸足を日本に置いているが、中国江蘇省生まれで、中国社会科学院博士課程を修了後日本の大学で研究員として、中国経済の研究に携わっていただけに、日本人学者には及びもつかない発想と視点から実態を分析される。
確かに日本人学者の視点とは異なる。例えば、中国経済のひとつの特徴として「『政変』には弱いが、外部危機には強い」と断言する。文化大革命の66年はGDP成長率-7.2%で、劉少奇国家主席が失脚した67年は-7.2%に、毛沢東が亡くなり4人組追放があった76年は-2.7%、華国峰主席失脚の81年は-5.2%と成長率が落ちている。それ故現政権交代が予定される2013年が要注意だと分析される。
それにしても中国経済の強さには驚くばかりである。世界の銀行ランキングでも1位から3位までが中国の銀行だそうである。その純利益計上額も中国銀行で、その額も桁外れである。外部危機に強いのも共産党一党支配の強みで対応が早いことだと言われた。ただし、問題がある。国民の間に溜った不満が一気に爆発する心配がある。そのひとつは都市と農村の格差問題であり、もうひとつは政府幹部の腐敗・汚職であると指摘された。いずれも日本では考えられないほど桁外れなのである。
日中関係は、70年代の「日中友好」から90年代の「日中協力」を経て、現在は「日中融合」の時代に入ったと結ばれた。 中国経済の驚嘆すべき底力について分かりやすく説明された。
709.2009年4月22日(水) マルクス経済学者の死
一昨日大内力・東大名誉教授が亡くなられた。享年90歳だった。われわれが学生のころ、農業経済の第1人者としてマルクス経済学会における存在は際立っていた。大内先生の講義はどこでも聴講したことはなかったが、父親の大内兵衛・元法政大学長の公開講義は法政大学の大教室まで出かけて静かに聴いたことがある。
その時伺った大内兵衛・元学長の話の中で今なお記憶に残っているのは、歌手坂本九が好きだということと、財政投融資は一般会計予算を本妻とすれば、めかけのようなものだと財投めかけ論をはっきり述べたことである。よくもまあ大学内の公開講座でそんな下品なことを言えたものだと思う。しかし、その後購入した大内兵衛著「実力は惜しみなく奪う」の中に同じことが書かれていた。大内先生は本気でそう思い、そのように外部に言うことによって思うところを世間に啓蒙していたのだと思う。その頃より財政投融資の評判は極めて悪かった。大内兵衛先生の謦咳に触れることはなかったが、マルクス経済学者として生涯筋の通った学究生活を送られた。
偶然と言おうか、今夕の日経紙「あすへの話題」に経済学者の佐和隆光氏がエッセイを書いておられる。私が生まれた昭和13年に治安維持法違反で大内兵衛・東大教授と有沢広巳助教授は揃って検挙されたが、戦後2人のマルクス経済学者は、吉田茂内閣に入閣を要望されたという。それほど両先生の理論は高い評価を受けていた。
夕刊の記事からショックを受けたのは、28年ぶりに日本が貿易赤字に陥ったことである。戦後貿易立国として経済成長、国家繁栄を享受してきたが、その大きな要因は貿易黒字だった。戦後一時的に貿易収支がマイナスになったことはあるが、百年に1度の経済不況に影響され貿易赤字になるとは、日本経済がかなり深部まで打ちのめされているということである。
さて、これからどうすべきか。大内兵衛教授から現況に対するコメントをお聞きすることは出来なくなってしまったが、変質学者の中谷巌・三菱経済研究所理事長からご高説を伺いたいところである。