充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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718.2009 年5月1日(金) 今日も日本中がインフルエンザの虜
今日も新聞とテレビは新型インフルエンザ感染の話題で持ちきりである。昨晩成田空港へ帰ってきた若い女性が感染の疑いありとして隔離されたが、今朝になり検査の結果新型インフルエンザではなく、通常のインフルエンザということが分かった。ところが、25日にカナダから帰ってきた横浜の高校生が今朝1時過ぎに新型インフルエンザ感染者第1号と診断され、隔離されたと舛添大臣が発表した。しかし、この高校生も疑いが晴れ、大臣が言うように新型インフルエンザではなく、一応通常のインフルエンザと分かった。
この後の舛添大臣と中田横浜市長の鞘当てがお笑いである。まったくこんな時に誤報道の責任は相手方にあると言わんばかりの言い争いを見せ見苦しいことおびただしい。
笑っちゃうと言えば、新型インフルエンザの疑いから解放された高校生の通う高校長が、涙を流しながら「嬉しい。万歳ですよ。ヤッターという感じです」と述べた。この無邪気な喜び方のパフォーマンスは、些か常軌を逸しており、果たしてこれが高校の校長先生かと思った。事柄を間違えているのではないか。どこもかしこも知的レベルが下がっているのではないかと心配になってくる。
ついにというべきか、アメリカ自動車産業ビッグ3のひとつ、クライスラー社が経営破綻した。この後経営再建を目指し政府の支援を受け、同時にイタリアのフィアットとの資本・業務提携を目指す。クライスラーといえば「ジープ」や「ダッジ」が有名だし、マンハッタンのクライスラービルは、ニューヨーク摩天楼街の中でも抜きん出て格好のよいビルで、最も好きなビルのひとつだった。
さて、昨日で連載が終った日経紙「私の履歴書」の筆者、近藤道生氏の自伝は興味があり、久しぶりに印象深いものだった。今年傘寿にしてなお博報堂最高顧問として矍鑠と活動されておられる。第1回から戦争体験を書き、半分の15回分を戦争記述に費やした。戦争の悲劇を実体験から淡々と書いており、しかも生死の境をさまよい終戦をシンガポールで迎えた。その間南方で中学時代の同級生と出会いながら、その友を失うなど、随分苦労を重ねた苦しみを余すところなく描いていた。後に国税庁長官にまで栄達しながら、民間会社で力量を発揮して人間的にも中々の魅力のある人物であることが分かる。
昔はこういう肝っ玉の据わった人がかなりいたものだ。
717.2009年4月30日(木) 「フェーズ」って何だ?
豚インフルエンザが猛威を振るいだした。新聞、テレビのニュースのトップ記事はすべてこの新型インフルエンザに関するものである。世界保健機構(WHO)は警戒水準を一昨日「フェーズ3」から「フェーズ4」へ上げたが、今日更にその一段階上の「フェーズ5」へ引き上げた。WHOの「フェーズ」分類は6つに分けられており、上から2番目の警戒水準になったのは、WHOの一地域に属する2ヶ国以上で新型による感染が継続している状態になったからである。一昨日メキシコにしか死者が出ていなかったのに、昨日ニューヨークで1歳児が亡くなったのを受けて水準を上げたわけである。世界中を挙げて大騒ぎである。
ところでどうしてマス・メディアはこの「フェーズ」という言葉の詳しい解説をしてくれないのだろう。「フェーズ」なんて言葉の語源を知っている人がどのくらいいるだろう。もう一週間近く話題になっていながら、この期に及んでまだどの新聞でも、テレビでも解説してくれない。マス・メディアの人たちはその意味を知っているのだろうか。そんな言葉ぐらい誰でも知っていると思っているのだろう。こういう好い加減で思い上がったところが、メディアの頼りにならず許せない点である。止むを得ず、昨日インターネットで調べたら‘PHASE’というスペルだった。時期とか、段階だとか、或いは相というような意味で、これなら分かるが、これまで頭はPHAではなくFAから始まると思っていたのでまったく見当がつかなかった。マス・メディアの報道の役割というのはどうなっているのだろうか。
先日グーグル社の書籍検索に関する諾否のアンケートが日本文芸家協会から送られ回答を郵送したが、これについて日本の作家や出版社も戸惑っている。昨日日経紙の記事や、今日のNHKニュースを見るとデジタル化の対象になっている4,300人の作家に送ったアンケートで、8割強の人が完全削除を求めたとあった。僅か293人がデジタル化と表示を容認して収益の分配を受けるという。私はその293人の中のひとりに入っている。若干和解を勧める協会の誘導質問に乗ってしまった形だが、私の場合は必ずしも文筆で食べているのではないので、真剣味が足りない回答になっていたようだ。大江健三郎のごときは、150冊もの著作があるので、当然グーグルへ削除を求めるのは頷ける。それにしてもグーグルの知的暴力には憤懣やる方ないが、判断が難しい問題である。
716.2009年4月29日(水) 「昭和の日」が静かになった。
「昭和の日」であるが、かつての天皇誕生日はとっくに卒業して平凡な祭日となった。しかし、それにしても昭和天皇の誕生日にその天皇に関するニュースがまったく聞こえてこないのは、ちょっと奇妙な感じである。2,3年前までは、どんな小さなものであれ、何か昭和天皇に関する情報を伝えたと思う。しかも今年は昭和天皇が亡くなってちょうど20年という節目の年でもある。
最近一部のマス・メディアが昭和天皇の戦争責任について肯定的に触れた。天皇に関してはあまり干渉しないことがこれまで暗黙の了解となっていたと思う。特に、右寄りの人たちは、天皇の戦争責任に触れること自体を避けたいために、敢えて昭和天皇が話題になることを避けようとしている節がある。原寿雄著「ジャーナリズムの可能性」では、はっきり昭和天皇に戦争責任ありと断定している。存命中にうやむやにしてしまった昭和天皇の戦争責任は、今や時間的に取り返しはつかないが、やはりきちんと決着はつけるべきだというのが原氏の持論である。原氏の講義の際にも昭和天皇には戦争責任があると明言していた。徐々に天皇の戦争責任を追及する空気が盛り上がるのを避けようと、敢えてマス・メディアがニュースとして取り上げるのを避けたとするなら、これは右傾化の流れではないか。
昨日本稿で補正予算のてんこ盛りについて触れたが、今朝の朝日「天声人語」でも黙っていられないと厳しい「天の声」を突きつけている。今年度国家予算は合わせて100兆円を超えて過去最高額となった。新規国債も44兆円で税収に匹敵する。「天の声」が批判しているのは、「100年に一度」の不況を政府の護符として、何でもありの政策決定は許せないというのである。ところが、今日からゴールデンウィークで日本の2大巨悪、政治家と官僚は仕事をしない。マス・メディアでこれだけ批判されても政治家は自分勝手にしかものを考えないのだろう。
それに引き比べ、今日観たNHK「にっぽん紀行・高知93歳カツオ漁師支える89歳妻」には感動した。強欲な政治家と比べるのもどうかと思うが、この高齢で一艘のカツオ船に2人で乗船して、夫はカツオ釣りの様子を、妻は最近になって心配だからとただ傍で夫のやることを黙って見て支えている。息子や周囲からも船を降りるよう説得されるが、受け入れない。そのうえで、「年老いて船を降り船を売った漁師が次の年に亡くなった例が多い」と頑固に沖へ出る。結婚して70年の夫婦がお互いに支えあう姿は美しく見えた。政治家もこういう美しく支えあって仕事に夢中になる夫婦愛を見て少しは見習ってはどうか。
715.2009年4月28日(火) バラマキ予算のツケをどうするのか。
急速に豚インフルエンザの影響と警戒が広まっている。メキシコでは、すでに死者が149名に達したという。水際で食い止めようと日本も対策に動き出し、メキシコからの直行便の機内検査を入念に行ったように、俄然警戒度を高めてきた。メキシコでこれだけ短期間に感染者が広がったのは、衛生観念の甘さが原因との指摘があった。
世界規模の警戒と予防で各国とも感染防止に懸命である。世界保健機構(WHO)の見方も「フェーズ3」から「フェーズ4」というカテゴリーに引き上げられた。日本国内でも今日は厚生労働省から市町村の保健衛生担当部署に至るまでてんやわんやの大騒ぎである。
この騒ぎの陰で大切な国会審議にスポットライトが当らない。これも心配である。今年度の補正予算(13兆9千億円)が昨日提出された。今月10日に追加経済対策(15兆4千億円)を決めたばかりである。本年度全体予算の内、国債新規発行が44兆円に達するという。不況対策として財政出動はある面で止むを得ないが、この金額はあまりにも突出していて些か異常と言わざるを得ない。税収比率が45%と過去最低だそうである。支出予算の内、半分以上を借金に頼るわけである。毎度のことながら緊急性を訴えているが、どうもそれだけではなさそうだ。あくまで景気を刺激するための緊急対策であるべきであるが、近づいている総選挙対策のためのバラマキになっているのがミエミエである。
1兆円の予算がついた農林漁業では即効性があるとは思えない諸々の支出項目満載にうんざりである。教育予算にしても一般会計でなく緊急経済対策として学校教室の電子黒板なんて必要なのかどうか、間に合っているのに小中高にパソコンを購入させるのが緊急経済対策なのかどうか、トンチンカンな支出ばかりをてんこ盛りで経済不況を理由にして何でもかんでもばらまく神経は確かにおかしい。就任当初は期待していた与謝野財務相が、うも自民党幹部に追い詰められて、否応なく予算の大盤振る舞いをやったと思えてしようがない。しかし、このツケをどうするのか。国の借金はどんどん溜っていく。これを健全財政にしようとする意欲もビジョンもまったく見られないのだ。改善しようとの気持すら、政治家のパフォーマンスには見られないのが寂しい。一体全体国の行く末はどうなるのか。どうにも虚しい話である。
714.2009年4月27日(月) 出版2ヶ月で古書とは?
今夕新宿で知研出版プロジェクトの主要スタッフが集まり定期的な打ち合わせを行った。私以外の6人は仕事を終えてから集まってくれた。取材の撮影、記録を担当している幅健一さんから鮮明なDVDを送ってもらい大助かりだったので、お礼の気持を込めて先日拙著「停年オヤジの海外武者修行」をお送りした。ところが幅さんはすでにアマゾンを通して拙著を申し込んでくれたので、私が送ったものとアマゾン本と2冊同時に届いたとメールをもらった。それでは別の拙著と取り替えてあげようと「新・現代海外武者修行のすすめ」に署名して持参した。幅さんからアマゾン本を受け取って裏表紙を見た途端びっくりした。何とそこには「恵存『向上心と好奇心』近藤節夫」と手渡して贈呈する場合と同じように墨書してあるではないか。差し上げた人の名が書いていない点から、すぐピンときた。これは、2月の出版記念会の際出席していただいたゲストに差し上げたものだ。自分の手元を離れた自著と再会するとは考えてもみなかった。差し上げてから僅か2ヶ月である。可能性はあるが、実際こうも簡単に、かつ偶然に手元を離れた著書と出会うなんてことがあるなんて考えてもみなかった。同じような経験がおありなのかどうか、今度小中陽太郎さんにお会いしたら聞いてみたい。
しかし、珍しいことを知った反面ちょっとばかりショックでもある。せっかく差し上げた拙著をこうも簡単に手放されたことが何とも残念である。自分の思い込みもあるが、いつまでも大切に持っていただければ幸いであるとの気持を込めた「恵存」と書いたのもそういう願いだったからである。幅さんに聞いてみると古書の扱いだったようだ。購入価格は1,000円だったというから、定価1,400円から考えて、まだ価値はそれほど下がっていなかったことになる。それにしてもちょっとばかり悔しい。
今日のプロジェクト会議は、主インタビューアが取材の原稿を書くことを確認したことと、原稿内容の方向性とまとめ方がはっきり決まっていないので、最初にインタビューした私が、取りあえず取材記録を文章化してモデル文を書こうということになっており、もうじき脱稿出来る。勿論久恒理事長と八木会長からアドバイスをいただいて推敲し、ひとつの形を作りあげるのである。責任重大である。