充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
758.2009年6月10日(水) 消費税12%?骨太の方針は大丈夫か?
金融危機と経済不況により政府が補正予算を組んで財政出動した経済対策には、考え方としては基本的に納得出来るところはあるが、これに族議員が暗躍して群がり、あれもこれもと支出項目が増えバラマキ予算になった傾向は否めず、元々苦しい国家財政のわが国をいよいよ大借金国にしてしまっている。しかも、今後財政黒字国へ回帰する見通しも見えず、このままでは国は破綻することは自明の理である。これを政治家と官僚がそのまま放置して、益々国家財政の足を引っ張り、国民にやる気を失わせるていたらくである。
それでも流石にこれでは不味いと思ったのか、漸く経済財政改革の「骨太の方針」素案が示された。
それによれば、とりあえず基礎的財政収支を黒字化へ持っていこうとの考えである。すでに、小泉内閣時代に決めていた11年度内基礎的財政収支黒字化目標達成の可能性が消え、同時に決めていた社会保障費の削減も無理だと考えられ、根本的な計画練り直しと発想の転換を求められる事態となった。
ではどうするのか? つまるところ財政再建のためにはなりふり構ってはおられず、消費税の値上げしかないということである。現在国と地方の債務残高はトータルで816兆円である。当面この抑制が柱である。試算によると11年度から消費税率を段階的に引き上げて17年度に12%にした場合、基礎的財政収支は18年度に黒字化するという。結局最悪で消費税は12%にまで引き上げられるということだ。しかし、どうやっても国民の負担である日常経費にかかる消費税の12%はきつい。現在の5%の2.4倍である。じわっと利いてくるような気がする。心配なのは、あの小泉政権下の骨太でさえ実行出来なかったものが、誰が次期首相になろうとはたして実行出来るのかどうかということである。あくまで、利益誘導の悪辣な政治家が関わらないということと、官僚が真面目に国民のことを考えて仕事をするという前提条件がMUSTである。
それにしても朝令暮改ばかりで嘘つきの政治家と、上司の顔ばかり見て怠けながら仕事をする役人がいるようだと、また元の木阿弥である。
ゼミ仲間の池田博充くんと久しぶりに銀座の小料理屋で食事をした。彼も昨年会社の要職を離れ割合自由時間があるという。相変わらず現実社会に問題意識を持っている。青土社から出版された弁護士・中村稔著「私の昭和史」のコピーをもらった。中村氏の父は予審判事だったが、ゾルゲ事件で逮捕され処刑された尾崎秀実について「自分が出会った日本人の中で最も偉いと思ったのは尾崎秀実、外国人ではリヒアルト・ゾルゲだ」と述べていたそうだ。コピーはその件を書いた部分である。興味深い内容のようだ。
757.2009年6月9日(火) 幼友だち・椎名研二くんの訃報
冒険作家・椎名誠さんから封書を受け取った。先日贈った拙著「停年オヤジの海外武者修行」に対する礼状に感想を書き添えてくれたものである。先日彼の兄・研二くんの動静について尋ねたが、それについても応えてくれた。悲しいかな研二くんは昨年亡くなったと書かれてあった。10年以上会っていなかった。
誠さんからの封書は、冒険家らしく大きめの原稿用紙に筆ペンでダイナミックに書かれていた。全文は次の通りである。
「先日はたいへんばくはつ的に面白い本をありがとうございました。旅が好きなので一気に読ませていただきました。パワーありますね。
研二はおお酒のみがタタッて昨年亡くなりました。まあシアワセな一生だったとファミリーは思っています。
またどこかでお目にかかれますことを。」
椎名誠さんは、千葉市立幕張小学校(当時は幕張町立)時代の友人研二くんの実弟で7歳年少である。ガキのころ近所の椎名宅へ押しかけては家の中を荒らしまわって母上にご迷惑をおかけした。その時チビがいるなと思ったのが実は誠さんだった。彼の初期の作品「犬の系譜」や、その他の著作に研二くんはしばしば登場する。卒業後はそれぞれ別の中学へ進学したので疎遠になって、大人になってからクラス会で会う程度だった。研二くんは5年生の時東京から転入してきた。その数ヶ月後に私も同じクラスに転入したが、家が近く、お互いに野球好きで親しくなり、総武線で後楽園に巨人戦を一緒に観戦に行ったこともあった。研二くんの知られざる一面は、飛行機嫌いだったことと、大酒飲みだったことだ。
同級生何人かで一度香港とマカオへ旅行した時に、彼を誘ったら飛行機が苦手だから行かないと言ったので、弟(誠)は大旅行家だから同じDNAを考えれば食わず嫌いでもったいない。行こうと何度も誘ったがダメだった。酒については、誠さんが書名は忘れたが著書に面白おかしく書いている。中央線電車内で酔っ払いが大声で暴れていたので、うるせぇ野郎だと思って顔を見たら兄貴だったので当惑したとあった。元々憎めない男だったが、都内にマンション住まいして他にも賃貸マンションを持ち、家賃で暮らしていると暢気なことを話していたことも忘れ難い。4月に開かれた最後の同窓会では、椎名研二くんの噂は誰からも出なかった。性格が明るく友だちも多かっただけに、同級生に彼の訃報を伝えたらがっかりするだろう。同じ年齢の仲間がこの世からひとり去り、ふたり去っていくのは何とも辛い。今度誠さんに会ったら思い出話をしてみようと思う。
756.2009年6月8日(月) 「大逆事件残照」について
5月19日から6月5日まで14回に亘って朝日新聞夕刊に「ニッポン人脈記『大逆事件残照』」という取材記が連載された。1面の3段記事に写真入りという紙面取りで中々読ませるものだった。竹久夢二、与謝野晶子、小林多喜二、荒畑寒村ら有名人も次々登場するし、意外な人間模様を紹介してくれて面白くすっかり引き込まれてしまった。今まで学生時代に専攻した社会主義思想の視点からだけしか大逆事件を捉えていなかったので、枝葉のエピソードや処世の話が面白かった。大逆事件も来年発生百年を迎えるが、当時日露戦争直後の軍国主義の風潮の中で、危険思想として社会主義を取り締まる警察権力の前に社会主義者は騙され捕捉され刑場へ、或いは獄舎につながれた。薄幸の生涯を送ったこういう人々に光を当てた考えさせられるドキュメントである。
主犯とされた幸徳秋水、管野スガ、大石誠之助、宮下太吉ほかの業績や物語は随分読んだし、荒畑寒村のテレビ・インタビューも見たので、かなりはっきり全体像は掴んでいるつもりだったが、裏面史もかなり奥深い。処刑されたひとり、内山愚堂が箱根大平台の林泉寺の住職であったことなども初めて知った。新宮市の住職・高木顕明のように無期囚だったが、獄中で自死したものもいる。高木は結局真宗・大谷派から逆徒として破門され、永久追放されたが、今ではその処分も取り消され名誉を回復した。しかし、この間すでに85年の月日が経過した。
宮下の無分別な言動から事件が発覚した長野県安曇野市、秋水の生誕地・高知県四万十市、和歌山県新宮市など直接事件とかかわる都市にまつわる話は知っていたが、地道な実話やエピソードは世に知られることなく忘れられていったのだ。このドキュメントも朝日記者の早野透氏が個人的な関心と執念から来年百年を迎える大逆事件を風化させないために筆を執ったものと思う。日露戦争に勝利して軍国主義が華やかだった時代に、反戦論や天皇制に物申すことはご法度だった。残念ながら秋水らの考えが、どんなものであろうと宮下という印刷工の行動により、罪のないものまで連座して捕捉されたのは、いかにも軽率であったという気がしてならない。
しかし、いま検証するまでもなく、大逆事件について考えたり行動するのは何の障害もない。その自由なムードの下に当時検挙された人々の名誉回復が全国で図られている。この事件は同時代の反逆、騒乱事件の中でも格別特異な事件で、それだけに調査していても面白かった。学生時代に読んだ「寒村自伝」や、テレビで観た荒畑寒村のインタビューも内容的にとても興味のあるものだった。いずれ、もう一度「寒村自伝」を読み返してみたいと思っているほどである。
とにかく久しぶりに好奇心を刺激された連載ものだった。
755.2009年6月7日(日) 日本4大会連続ワールドカップに出場決定!
昨晩遅く日本中のスポーツファンが大興奮した。日本が1-0のスコアでウズベキスタンを破り次回サッカー・ワールドカップ出場を世界一番乗りで決めた。4大会連続でアジア代表の1チームとして南アフリカで来年開催される本大会へ出場することになった。アジアでは、時間的に少々遅れてオーストラリア、韓国も決め、ヨーロッパではオランダが本選出場を決めた。
日本は期待が大きかっただけに監督以下選手が受けたプレッシャーは相当なものだったと思う。とかく本番に弱いと言われていた日本選手が堂々敵地で勝ち取った栄誉を誉めてあげたいし、正直言ってたいしたものだと思う。かつては日本代表チームの実力はそれほどではなかった。それが、Jリーグが発足してから少しずつ実力が向上してきた。その過程で強豪外国チームと激しいゲームをやって身体で技術を身につけた成果が表れてきたのだと思う。アジアではかつてムルデカ大会という大きな国際大会があった。その中でも日本は中々勝てず、特にマレーシアには歯が立たなかった。ある時バンコック空港の搭乗ゲートで待っていた時、当時の日本代表チーム団長だった故長沼健氏と会話して、マレーシアが強いと言っていたのを昨日のことのように思い出す。今やそのマレーシアは日本より遥かに下にいる。昔日の感がある。
この勝利を一里塚として謙虚に本大会へ向けて邁進して欲しいと思う。
先日インタビューした武者陵司・ドイツ証券副会長の取材記事の原稿起こしのためDVD録画を繰り返し丹念に見た。取材中はもちろんメモを取っているが、やはり内容の正確性を期するために繰り返し見直すことが大切だ。これで武者氏の考え方を確認出来て良かった。何度かトーク内容をチェックしてみて、改めて武者氏自身の現場体験に裏打ちされた自信たっぷりで実践的な理論に感銘を受けた。一両日内に武者氏の期待に応えられるようなコクのある内容の原稿にまとめたいと思っている。
754.2009年6月6日(日) 日本共生科学会会員となる。
星槎大学湘南大磯キャンパスで「日本共生科学会」設立総会が開かれた。前もって小中陽太郎氏から参加の案内をいただいていたので、小中さんがキー・ノート・スピーカーとして講演するということ、そして「共生」というのは何だろうとの好奇心もあってJR大磯駅から迎えのマイクロ・バスで会場へ行った。多少予想はしていたが、地元の地理によほど詳しくないと行き着けないような森林地帯の中にキャンパスはあった。元々修道院として使われていた施設だというのも頷ける。これも自然との共生を志向するグループの理念に合致していると感じた。
キャンパスは学校法人、社会福祉法人、NPO法人、農業生産法人である星槎グループが北海道から神奈川、東京、埼玉、静岡、大阪、広島、福岡、沖縄、福井、富山、宮城、福島県内各地にまたがる通信教育、特殊教育中心の人間教育を行っているネットワークのひとつである。大学は北海道芦別市に存在するが、日本のみならず世界でも唯一の共生科学部を持つ大学ではないかと主催者が語っていた。
議事進行は順調に進み、シンポジウムもパネリストの話が興味深く大変有益なものだった。参加者が真剣に説明する態度にケレン味がない。とにかく真面目である。日本共生科学会初代会長に推薦された山口薫氏が、就任挨拶の中で、①人と人との共生、②人と自然との共生、③国と国との共生、を目指すと話され、自然科学、社会科学、人文科学の後の科学の分野に共生科学が処せられるべきだと思うとの熱い願いを語られた。
懇親会で多くの大学関係者と話をしたが、年配の先生の表情にもポジティブなひたむきさが窺えた。創立者の宮沢保夫・グループ会長兼議長は私より若いが、37年前に生徒たった2人からスタートしたとその苦労話をしてくれた。
建学の精神は「社会に必要とされることを創造し、常に新たな道を切り開き、それを成し遂げる」である。教育理念は「必要とする人々のために新たな道を創造し、人々が共生しえる社会の実現をめざし、それを成し遂げる」。教育目標には「困難な場面において相手を想い、笑顔と勇気を持って立ち向かう強い心の育成」を掲げている。それぞれに志が高い。
この他にもいくつかモットーがあって、校訓には①労働=人のために働くこと、②感謝=いつも感謝する気持ちを忘れないこと、③努力=努力をし続け、決してあきらめないこと、を詠い、ビュッフェの割り箸袋にも「星槎3つの約束」と書かれていて①人を排除しない、②人を認める、③仲間を作る、この3つが標語である。モットーやスローガンの好きなグループであるが、目指すところは人間学ではないかと推測している。
グループの理念と学会の主旨に大いに賛同したので、今後の発展に寄与出来るかどうか分からないが、早速会員になることにした。帰途横浜駅前の崎陽軒で小中ご夫妻から出版関係のお2人ともども中華と紹興酒をご馳走になる。
さて、1945年の今日、ヨーロッパ戦線ではノルマンディー上陸作戦が敢行された。この上陸作戦から連合軍の怒涛の進撃が始まり、ドイツ軍は敗走に次ぐ敗走で雪崩を打つように後退した。思い起こせば、あの海岸の近くにある戦没者記念墓地では慰霊祭が行われるのだろう。広大な場所に整然と区画わけされた墓地には、生花が飾られていた。イスラエル兵の墓地だけが、すぐ目に付いた。日本が敗戦を受け入れたのはその2ヵ月後である。