ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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768.2009年6月20日(土) ペトロ岐部の殉教

 日本キリスト教団中目黒教会で伝道集会が開かれ、「ローマまで歩いた日本人、ペトロ岐部の殉教」のお話があると小中陽太郎さんから案内をいただいていた。中目黒教会へは以前1度訪れたことがあるが、今日の催しは中々興味深い趣向だった。キリスト教については、それほど詳しく分からないが、出席者の質問の中には、プロテスタント教会でカトリックの人たちを主題に催しを行うことは稀で、その意欲的な試みを評価する声があった。

 実はペトロ岐部という人物がどういう人で、歴史上どういう役割を果たしたのかよく分からなかった。話をされたのは、川村信三・上智大学准教授だったが、ローマで学んだので流石に詳しい。

 ペトロ岐部は天正少年遣欧使節団より20年ほど遅れて、キリシタン禁教令の下で外国人神父や仲間とともに追われるように長崎を発って行った。些か恥ずかしかったが、ペトロ岐部は少年遣欧使節のひとりだと思っていた。船と自分の足で目指すローマへ向かい、お仕置きを覚悟で日本へ帰り、殉教した。川村講師の話によると井上筑後守が処刑の決断を下した際に、ペトロ岐部の強い信仰心と揺るがぬ決意に感動したようである。その辿ったルートを見るとホルムズ海峡から砂漠の中をペルシア、イラク、シリアを経由してエルサレムへ到着した。その後ベネツィアから、ローマへ入り、マドリード、リスボンを経て海路東南アジアを経由して帰国した。

 1614年に発って16年後の1630年に日本へ戻ったというから、この時代では宇宙的な大旅行だったことが分かる。今日の出席者からペトロ岐部が処刑されたのは、江戸・札の辻だという説明があった。新知識ばかりだ。出席された人たちはそのあたりの薀蓄にかけては詳しく、質問でも話の内容でもとても私にはついていけるものでなかった。

 進行は小中さんのリードで進められたが、奥さまともども熱心なクリスチャンである小中さんは、素敵なコーディネーター役をこなしておられた。賛美歌から取った「勝利をのぞみ」という歌詞が、懐かしい‘We shall overcome’であるとは知らなかった。かつてはベトナム反戦デモの際よく英語歌詞で歌ったものである。浅はかな知識から、この歌はフォーク歌手ジョーン・バエズが作ったものだとばかり思っていた。終ってから階下で手に入れた90頁ほどの小冊子‘PETRO KIBE’「ローマまで歩いた男」はざっと目を通しただけだが、コンパクトによくまとまっている。ペトロ岐部について新たな一面を知ることが出来たように思う。

 目黒区議の須藤甚一郎さんも来ておられた。教会を出て歩道で須藤さんがご存知のタレント・久本雅美さんにばったり逢った。以前の仕事の関係で須藤さんもお顔が広い。そのまま自由が丘へ出て、小中さんご夫妻のおごりで、須藤さん、それに最近ソマリア沖の海賊対策でジブッティへ行かれた防衛省深山秘書課長とともに食事をした。

2009年6月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

767.2009 年6月19日(金) ブラウン英首相がビルマ軍政を非難

 イギリスのブラウン首相が、今日ビルマのアウン・サン・スー・チーさん64歳の誕生日に際して、ビルマ軍政に対する極めて強い調子の寄稿文を朝日新聞に寄せた。スー・チーさんはもう13年も軍の厳しい監視下に置かれて外出も思うように出来ない。ブラウン首相は国際社会がビルマの悲劇を忘却の彼方へ追いやってしまうことを恐れるかのように、世界中の人々に軍政に対して強い行動を起こすよう呼びかけている。元々イギリスの植民地であったという負い目があるのかも知れないが、日本をはじめ近隣諸国があまりビルマに対して、本来の支援活動を起こさないことに対する苛立ちが発散されたようだ。イギリス政府はビルマ軍政の正統性を認めておらず、ビルマが軍政になってから国名をミャンマーと変更したが、イギリスは受け入れず、依然としてビルマと呼んでいる。一時的にビルマが話題になることはあるが、国際社会からはすっかり忘れられた存在になっている。

 ところで、国連制裁を受けている北朝鮮の貨物船が出国して中国沿岸部に沿って南下している。アメリカ政府は積荷の検査を、入港した国へ要求すると上空から監視しながら尾行を続けている。その入港先がビルマらしい。一両日内に判明するだろうが、ビルマは北朝鮮の貨物船を受け入れ、その場合アメリカの要求通り積荷の検査に応じるのだろうか。両国ともによくよく物議を醸す国である。

 今日は1日中忙しく、池袋から新宿、そして駒澤大学と移動ばかりしていた。池袋では、外人向インバウンドツアーの紹介と立会いで、以前に会ったことのある王一仁さんに話を聞いた。中国を中心にアジアからの旅行客に小田急の施設を利用してもらおうとの試みである。‘VISIT JAPAN’を標榜する観光立国政策の影響もあり、年々訪日客が増えているが、国内の受け入れ施設が整備されないようでは話にならない。その最たるものがガイド不足である。王さんの話によると、ガイド資格試験の合格率が低くて絶対数が不足しがちであるという。それでいて、日本にはガイド数を増やそうとの気持ちが感じられないという。それは、中国人が中国語ガイドの資格試験で、歴史、地理、文化等は合格点に達していながら、本家本元の中国語で落とされるという椿事があるという。韓国語でも、韓国人が語学で落ちるというミステリーにどうしたら良いのか分からないと率直に話してくれた。まあこんな愚かなことをやっている国土交通省の役人は、本丸がどこか分からず、政策立案だけやっている感じである。これで観光立国とは少々お粗末ではないか。日本のお役所仕事というのは、いつもこうだ。

2009年6月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

766.2009年6月18日(木) 広告会社が戦争を仕掛ける?

 1年ぶりに多摩大学でジャーナリスト・江川招子氏の講義を聞いた。昨年の講義が面白かったので、期待していたが、正直に言って内容的には昨年ほどの面白さはなかった。しかし、中々説得力のある魅力的な話しぶりで、近年メディアが抱える問題、取材の現場の苦労話を聞かせてくれた。また、想定外な話も聞いて興味は尽きなかった。題して「新聞の読み方・テレビの見方」である。

 今日の講義で江川講師はいくつかの問題点を提起されたが、大きな問題としてマス・メディア業界全体に、不況の影響による広告量の減少、それが新聞の頁数の減少となり、記事より写真が増える傾向にあると指摘された。

 実際今朝の朝日などはかつては考えられなかったような2流、3流の広告が載っていた。メディア内部の問題としては、①「週刊新潮」の誤報、というより意図的とも思える朝日新聞神戸支局員殺害事件のニセ犯人問題、②奈良県少年放火殺人事件、を例証された。現在事件の情報源が罪に問われるケースが深刻になっている。同時に、「SLAPE」と呼ばれる公的発言を封じる行為が問題視されている。例えば、真実を究明した結果、逆に裁判に訴えられた場合、対抗上弁護士に相談せざるを得ない。時間のやりくりも大変だが、それ以上に高い弁護士費用を払えないケースが出てくる。講師自身もオウム真理教から坂本弁護士殺害事件に関連して、訴えられた体験を話された。それが行き過ぎるとジャーナリストもつい無難な記事を書く傾向に陥る。こういう流れをどう食い止めるか。

 また、広告掲出企業を悪く書かない傾向も見えてくる。最近では一部にかなり批判されたトヨタの奥田氏とキャノンの御手洗氏のメディアに対する嫌がらせ発言の例がある。

 怖いのは、広告会社が広告を作る際、広告会社のイメージで作る場合であると非難していた。外国では、湾岸戦争やユーゴスラビア解体直前の恣意的なCMが戦争を引き起こす結果になったと、「戦争広告代理店」とまで呼んで糾弾しておられた。現在の傾向としては、「見るものが欲しがるものを出す」ということと、「何事も短く」というのが時代の風潮であり、キーワードのようである。

 考えてみるとこういう風潮が進むと、マス・メディアは徐々に内部崩壊していくのではないか。広告会社が戦争を仕掛けるとはまったくもって考えたことがなかった。

2009年6月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

765.2009年6月17日(水) イランの民主化?

 イランが荒れている。先日行われた大統領選挙が、予想を超える現職の圧勝という結果に終ったことが原因である。現職のアフマディネジャド大統領が圧勝したが、対立候補のムサビ元首相支持者が現大統領圧勝の陰で選挙結果における不正があったと異議を唱え出したからである。1979年イスラム革命以後イラン国内でこのような大規模なデモが行われたことはなかった。反米一辺倒の保守派・アフマディネジャド大統領の磐石な体制も案外揺さぶられている。当初現職が圧倒的な勝利を収めるかに見えたが、選挙戦中盤から革新派のムサビが追い込んで投票日直前には僅差の勝負になるとみられていた。しかし、結果は現職の圧勝だった。これが騒ぎの原因だったから分らないものである。最近のイランの動きを見ていても、是非は別にしてもやはりアフマディネジャド氏が強いのではないかとは思っていた。

 一般にイスラム国家というのは、政治的には非民主的である。イランはイスラム体制だが、中東では珍しく民主主義制度の残る国である。その少ないイスラム民主主義国家の中で、イランは堂々総選挙で国民に信を問うている。しかし、それはまだ見せかけだけで民主化は体制組織の中ではごく一部で、国家の権力構造は宗教指導者の権限が相変わらず強い。その証拠に最高指導者は大統領ではなく、聖職者・ハメネイ師と言われている。この国が大統領の一方的な独裁色を打ち出すのは、革命防衛隊という組織が力を握ったからで、政府幹部もほとんどこの革命防衛隊の出身者である。ハメネイ師自身体制維持のために防衛革命隊に頼るという、奇妙な相関関係があるからだろう。だが、民主化へ進む一歩として、この何やら秘密めいた革命防衛隊なるものの存在を明らかにする必要があるのではないか。

 今回のデモが多少民主化への目を開かせてくれたかと思いきや、イラン政府は許可のない海外マス・メディアの取材を一方的に禁止するありさまである。枠を広げて大勢の外国人ジャーナリストに臨時ビザを発行して、自国の民主化をPRするつもりだったが、暗に反してそうは行かなくなってしまった。

 私自身2度に亘ってイラン国内を歩き回り、このイスラム国への思い込みが強いだけに、今の強硬姿勢にはどうしても違和感と反発を覚える。もっと素直に国民の声を反映させることは出来ないものか。このままでは国際社会から益々嫌われてしまうのではないか。

2009年6月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

764.2009年6月16日(火) 生命保険の契約変更

 高校ラグビー部の後輩、鈴木敦雄くんに生命保険をお世話になっている。7年前まとまった金額を一括払いして、死亡の場合にいただける保険金はその倍額になる契約を結んだ。しかし、最近になってその保険料がそのまま塩漬けになって、このまま使えなくなっては自分の金でありながら自分の金ではないような気がしてどうするのがベストかしみじみ考えるようになった。一旦現在の契約を解約して、毎月定額保険料を支払う契約を交わした方がよいのではないかとも考え、今日後輩に会って相談したところ良いアイディアを提示してくれた。年齢的に解約は不利で、生保会社から保険料総額の9割以内で借金して利息を定額保険料として支払うのがベターではないかとアドバイスしてくれた。しかも金利は年利3%ということなので、あまり負担にならない。金利は最終的に遺族が保険金を受領する際に相殺されるということだった。流石はプロの的確なサジェスチョンである。これなら極めて好都合であり、早速信頼出来るアドバイスに従うことにした。まあ生命保険なんかであまり頭を使いたくない。これからずっとこのまま行きたい。

 朝刊紙で「週刊女性」誌の広告を見てびっくりした。タイトルは「王貞治『老老介護苦汁の現実』」となっていた。失礼ながら王さんの母上はすでに亡くなられたのではないかと思っていた。1901年9月のご誕生だから、現在107歳のはずである。長い間王家の皆さまと交流があったので、母上のことはある程度承知していた。ご家族がおそろいのころは、毎年正月に箱根旅行をお世話していた。王一族打ち揃ってハワイ旅行をされた時などは、母上は帰国日が運勢上良くないと仰ってそのまま自宅には帰らず、成田にお1人で1泊されたこともあった。8年前の百賀のお祝いのパーティも王貞治前監督の兄上で医師の王鐵城先生から依頼されて新宿センチュリー・ハイアットで設営したこともある。

 3年前に王先生にお会いした時、母上は大分弱っているので信頼出来る施設にお世話になっていると仰っていた。昨年暮れにその王先生が亡くなられた時、葬儀の場に母上の姿はなく、お名前も掲示されていなかったので、やはりもう鬼籍に入られたと早合点していた。それが何と今朝の週刊誌の広告である。

 早速週刊誌を買って読むと、特別な内容ではなく、先年恭子夫人を亡くされた王貞治氏が、ひとりで、或いは娘さんと時折母上をお見舞いしているという週刊誌のトップ記事として大騒ぎするほどのものではない。

 今や実兄の王鐵城先生も亡くなられ、夫人にも先立たれ、大きなお世話かも知れないが、野球人としては最高位を極めた王貞治氏にとって、家庭的にはあまり恵まれているようには見えない。王先生夫妻と私たち夫婦で一緒にヨーロッパ旅行をして、王家の方々とは随分親しくご厚誼をいただいただけに、とてもお気の毒で少々寂しい気もする。人柄の素晴らしい王貞治氏は私より2歳若いが、いつまでも元気でいて欲しいと願うばかりである。

2009年6月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com