充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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793.2009年7月15日(水) 開高健の思い出話を聞く。
4月以来の「酒のペンクラブ」例会出席である。浅草の「鍋茶屋」は私にとって初めての会場だったが、中々料理も良く気に入った。この次の飯田ゼミの会合に使えそうなので、その旨女将に話をしておいた。
今日はいつものメンバーの中で会長格の長老山中さんが来られなかったのが、些か寂しかった。脳梗塞で体調が悪いとのことだった。お人柄も良く存在感もあった方なので、やはり柱が欠けたような寂しい気分である。1日も早いご回復をお祈りしたい。
初めて参加された方の中に、須藤甚一郎さんと北岡和義さんがおられた。冒頭に日本ペンクラブ事務局長・吉澤一成氏が「開高健と酒」と題して30分ばかりお話をされた。現在茅ヶ崎にある開高健記念館の館長職を務められ、生前は特別に親しい関係だっただけにエピソードを交え、他人が窺い知ることが出来ないような話をされた。最近アラスカへ仲間と釣りにもでかけ、生前開高が面倒をみたネイティブとともに大きな鮭を釣り上げたことを話された。他にもベトナム戦争に関わった開高についても分かり易く説明された。
お開きになってから、小中陽太郎さんと須藤さん、北岡さんと近くの飲み屋の2次会へ流れた。小中さんが北岡さんをもっとテレビ局へ売り込んで出演してもらおうと言い出された。皆さんそれぞれに個性派で、話を聞いていても中々面白い。
小田実さんが亡くなられて間もなく3回忌を迎える。べ平連のこと、小田さんのこと、外務省外交機密文書漏洩事件のこと、西山太吉記者のこと、話は止め処もない。結局今の政治家の世襲制による劣化現象と役人の横暴に話が行き着いた。
今の状態に誰も満足しているわけではない。愚痴になるが、なぜか倦怠感が感じられてならない。
渋谷・紀伊国屋書店でNATIONAL GEOGRAPHIC社の「世界を変えた100日」という分厚な書を購入する。過去150年間における歴史的事件となった瞬間を捉えた100のストーリーを紹介したものである。100の中でも、私自身が影響を受けたり、現場に近いところで聞いたニュースがいくつかある。ベトナム戦争終結、第3次中東戦争、ソ連軍のプラハ侵攻、ダイアナ妃の死、9.11テロ事件、イラク戦争勃発、等々は思い込みもあるが、自分にとっても大きな影響を受けた。今後はもう個人的にこういうことはまずなくなると思うが、若かりしころの些かはみ出た行動がノスタルジアのように懐かしい。
792.2009年7月14日(火) 外務省機密文書処分が明らかに
外務省の外交機密文書破棄の件で、衆議院外務委員長・河野太郎氏が元外務事務次官・村田良平氏に会い、村田氏から「密約」と噂された外交文書の存在をはっきり確認した。河野議員はよくぞやってくれたと思う。やっとまともな政治家がいてくれたという思いである。
ところが、終始一貫密約はないと主張していた政府は、河野議員が密約はないと主張する政府見解の修正を求めたことに関連し、麻生首相が「密約はずっとなかったと申し上げている。改めて調べるつもりはない」とにべもない。河野議員は政府答弁は虚偽だと批判しているが、河村建夫官房長官も「歴代首相、外相は密約は存在しないと明確に否定している。政府方針に変わりはない」と首相の談話を補足した。
政府や外務省にとっては、実際にあった事実より事実だと信じることの方が遥かに大切だと非教育的なことを外聞もなく言い続けているのである。あまりにも不条理ではないだろうか。
今後外務省は事実関係についてどう対応し、説明するのかはっきりしないが、半世紀の長きに亘って世間に疑惑を持たれた事件だけにきちんと説明し、国民を納得させるべきであるし、それが国の外交を預かるものの最低限の責務である。
昨日北康利氏から伺ったところでは、白洲次郎が旧通産省を造り上げるうえで吉田茂の手を借りて計画立案を進めたが、現在の経済産業省の記録を調べてみると白洲の名前はたった一行しか書かれていなくて失望したそうだ。つまり役所というところは、外部から意見を聞いて、ことが成功することが、結果が良くても内心では快く思わないのである。
このことは、結果が悪く自らに汚点となることなら尚更認めることを回避する傾向がある。今回の密約事件のように国民を半世紀に亘って騙し続けて、いざ事実が明るみに出そうになるや証拠を廃棄処分してしまうがごとき言語道断の行為は、とても普通の神経では実行出来るものではない。犯罪行為である。
先日もそうだったが、昨日も北氏は一方で役人擁護の言葉も述べた。それは、役人を責めたり、引き摺り下ろすようなことではなく、もっと役人の良い点を誉めてあげないと誰も馬鹿らしくて真剣に働かなくなると同情的に言っていた。ご尤もであるが、役人に良い点なんかほとんどなくて、最初から高待遇に胡坐をかいていて、やることは一部の人間が全権を行使して国家を危うくするような行為までする。一民間人が成すこととは違うのである。あくどい限りの悪行を行ったとすると、これは最早全体責任であり、弁護のしようがないと考えるが、いかがなものだろうか。
外務省の外交「密約」文書事件は、全外務省職員が辞めてもらうに匹敵するほどの大罪だと思う。これが厳しいとなれば、この世に法律なんか要らない。救いようがないからである。
さて、昨日不通だったPCの無線回線が、やっと通じるようになった。NTTの専門窓口に聞きながら何度も何度もテストを繰り返して、漸く以前の状態に戻すことが出来た。細かい質問なので、時間はかかるし、分かりにくいので相手も嫌になることも多いと思うが、根気よく受け答えしてくれて気分良く30分近い時間を付き合ってくれた。私のような短気なものには、とても出来る仕事ではない。大型電気店の配送係には、概して程度の低い係員が多いが、その中でもごく僅かではあるが親切な係員も見られる。日曜日に機器設置に来られた電気係員と、今日電話で応対してくれたNTTサポートサービス係員の親切な対応に、久しぶりに涼風を感じたような気がした。
791.2009年7月13日(月) 8月30日総選挙投票日で決まりか?
昨日の都議選自民党惨敗の結果を受けて政界では今朝から右往左往している。遂に麻生首相も21日ごろをメドに解散を決意して、総選挙は来月30日に行うことを与党内で合意したようである。岡目八目というように、政治家よりも政治記者の方が実態や裏話については本当のことを知っているだろうから、これからきっとマス・メディアも喧しいことだろう。
知研セミナーを虎ノ門の日本財団で予定していたので、夕方になって出かけた。今日の講師は3月に取材させていただいた評伝作家・北康利氏である。タイトルは「白洲次郎のプリンシプル」で、北氏が惚れこんだ白洲次郎をいろいろな角度から語られた。大雑把に言えば、白洲は日本人としての確たるプリンシプルを持っていた人物ということに尽きる。白洲が影響を受けたのは、何と言っても福沢諭吉である。「国を支えて国に頼らず」と独立自尊の精神を体現した福沢の日本人らしからぬ考え方と行動規範は、終戦直後に日本の進むべき道を示唆した白洲次郎の生きざまに大きな影響を与えたと話を続けられた。概略は取材の折に伺ってもおり、格別目新しい点はなかったが、いつの時代にも必ず道しるべとなる偉大な人物がいるものだと改めて感銘を深くした次第である。
昨日光フレッツの担当者が来て、先日購入したデジタル対応テレビの光フレッツ対応、つまりアンテナを必要としない機器(ひかり電話対応ホームゲートウェイ・ルータ)を旧来の機器と置き換えて、いよいよ我が家でもアンテナなしのデジタル画面を楽しむことが出来るようになった。しかし、PCに関しては、ことはそう簡単にはいかない。
PC機器に改めてIDとプロバイダーのパスワードを記入してインターネットの環境設定をしなければならない。昨日はパスワードの抽斗を失念していて、それが出来なかった。今日NTTへ電話で問い合わせしながら、改めて見つけ出したパスワードを打ち込み何とか起動することが出来た。しかし、問題はまだ解決されたわけではない。2台あるノートPCがインターネットを受信しないのだ。その内の1台がホームページの工房でここからホームページとブログを発信しているので、毎日発信しているブログが発信出来なくなる。これは困ったとPC上で調べると「LANケーブルが接続されていない」と表示された。昨日まではこれら3台のPCは無線で接続されていたので、「これはおかしい」と考えながら止むを得ず、LANケーブルでつないで何とか受発信出来るようになったが、これでは無線の意味がないし、困ってしまう。結局問題を先送りするようになってしまった。
しかし、なぜ無線が流れなくなったのだろう。また、誰かに相談しなくてはならない。
790.2009年7月12日(日) 都議選で民主圧勝、自公敗北
近づく衆議院総選挙の前哨戦で、総選挙の行方を占う東京都議選の投票日である。首都東京とはいえ一地方選ではある。しかし、その重要度と影響力から考えても普通の地方選挙とは少々わけが違う。かつてこれだけ注目を浴びた都議選はないと思う。
午後光フレッツの設備設置のためNTTと光フレッツの作業員が来るので、午前中妻と近くの東深沢小学校で投票を済ませる。
それにしても、今回各候補の前宣伝が激しいようだ。これまでにないほどの電話の勧誘や、チラシの投げ込み、街宣車のアッピールがあった。公明党のごときは、会社のOBと亡くなった小学校同級生の夫人からも電話と直接訪問の投票依頼があった。
今回は総選挙の前哨戦との事前の見方から、①自公で過半数を死守出来るか、はたまた②民主党が第1党の座を獲得出来るか、ということが注目されていた。すでに静岡県知事選挙でも民主党推薦の川勝平太氏が勝利を収めている。千葉市長選、横須賀市長選でも民主党系が勝利を収めている。献金問題で小沢一郎・前代表、鳩山由紀夫・現代表に嫌疑がかかっている民主党も一時的な逆風を乗り越えて、流れは完全に民主党に傾いている。
さて、その結果であるが、即日開票の結果、夜のニュースでは民主党の圧勝となった。都議選の2つのポイントである、①②とも民主勝利、自公敗北ということになった。自民党が第1党の地位を滑り落ちるのは、社会党にその座を明け渡して以来、実に44年ぶりだそうである。その社会党の流れを汲む社民党は、前回に続きただ1人の当選者も出せなかった。
私が注目したいのは、民主党の勝ち方である。各選挙区ともトップ当選はほとんど民主党候補者が占めた点と、1人区でほぼ民主党候補者が勝ったことである。都議選は中選挙区制であるが、もし小選挙区制だったら、民主党の勝ちっぷりはぶっちぎりだったと思う。例えば、最終的に民主54人、自民38人となったが、開票後1時間半を経過した時点で、民主32人、自民は僅かに4人だった。これは各選挙区に民主党の強い支持者が満遍なく広がっているということである。
最早自民党の凋落傾向を止めることは難しい。麻生首相の求心力の低下に加え、自民党内が仲間割りのような収拾のつかない騒ぎになり、党内のまとまりを欠いている。
これで明日以降の政局の行方が注視されることになった。麻生政権は解散を選択するのか、任期ぎりぎりまでこの体制で行くのか。麻生首相もあんまり首相の座にこだわっていると、益々地盤沈下を招きそうな気がする。
789.2009年7月11日(土) 外務省、役所ぐるみの情報隠しと情報破棄
昨日の続きであるが、外務省の外交機密「密約」文書が2001年4月情報公開法施行直前に、廃棄処分された形跡がある。朝日新聞社が調べた同法施行直前の各省庁の文書廃棄数は、外務省が圧倒的に多い。2位の財務省と比べても桁違いに多い。これはそれだけ国民に見られてはやばい資料が存在したということである。日米政府間で密約した当該の外交文書が、大量に処分された資料の中に入っていたかどうかは推測の域を出ないが、恐らく含まれていたのではないかと思う。事実関係を問い合わせた朝日に対して、外務省はきちんと応えていない。中曽根弘文・外務大臣にいたっては、問題を調査する考えはないと述べた。この世襲議員は一体何を考えているのだろう。流石に朝日社説は「密約自体は半世紀も前の話だとはいえ、破棄が指示されたのは2001年ごろのことだ。現役官僚も関与しているかもしれない。なぜ真剣に調べようとしないのか、納得出来ない」と不満を述べている。
情報公開訴訟を手がけている小町谷育子弁護士は、「国民への説明責任も果たさず、重要な文書を捨てるという行為は許し難い。政策の検証も出来ないまま、真相は藪の中だ。国民が怒りの声をあげないと同じことが繰り返される」と警告している。外交史専門家、石井修・一橋大学名誉教授も「米国では、政府高官の電話での会話すらテープにとったうえで公文書におこして残す。内容を非公開とする場合でも、文書そのものが存在することは明示される。『公文書は国民のもの』という真摯な態度があるからだ。それに引き換え、今回のように公文書を捨ててしまえと指示するというのは歴史に対する冒涜であり、納税者に対する犯罪である。怒りがこみ上げてくる」と外務省の対応を非難する。
元々役人のやることには、残念だが心から信頼することは出来ない。どこの役所も相も変わらず官尊民卑の観念があるうえに、あまりにも非効率な仕事ぶりを知るにつけ、やはり公務員のあり方を根本的に見直し、国民の下僕であるとの心構えをきちんと胸に収めてもらわないといけないと思う。そうでなければ、多分似たようなことは年中行事となるだろう。まったく今どきの役人根性には愛想が尽きる。
昨日の朝日夕刊「人脈記」の「反逆の時を生きて⑭」に、懐かしいかつての2人の学生運動家の近況が紹介されていた。1人は加藤三兄弟の真ん中の加藤倫教(57歳)で、もう一人は植垣康博(60歳)である。二人とも連合赤軍の同志で、浅間山荘事件前後に「総括」と称して12人もの仲間を殺害するという猟奇的な事件に加わり、警官隊と銃撃戦のすえ逮捕された。TV画面に目を釘付けにされた、世間を震撼させた社会的事件である。今年3月には若松孝二監督の映画も観た。事件の起きた1972年当時、随分関心を持ってこの事件に目を奪われながら、彼らの一挙手一投足を固唾を呑んで見守っていた。加藤は兄弟間の愛憎に心が揺れる中で兄の殺害に加わった。植垣はその前から全国に指名手配され、その精悍な顔写真をはっきり覚えているが、37年が経過して頭は光輝き昔日の面影はない。どうしてここまで血迷ってしまったのか言うべき言葉もない。2人ともベトナム反戦運動にも加わったが、ベトナム戦争の終結は獄舎の中で知った。ともに国立大理科系で学びながら、今では加藤は農業を、植垣は静岡でスナックを経営している。
加藤は「どんな犠牲を払っても武装闘争をという間違った共通認識が素地にあった」と言い、植垣は「自分がこうして存在していることが不条理な気がする。こうして生きていていいのか。亡くなった人たちには『すまんな』というしかない。『すまんな』で済む問題ではないが」と言っている。
こうした言葉に一抹の哀れさを感じる。カルト集団のように、絶対的な権威者や独裁者から盲目的に「成すべきこと」を信じ込まされるとこうなってしまうのか。かつては、鉄のような信念と強い意思を持って、武闘派集団として軟弱な体制派?と闘っていたかに見えたが、挫折し37年の時間が経過して、今やあまり幸せそうでないことが推察出来る。これも70年安保世代の屈折の軌跡と呼ぶべきか。何となく虚しい。