充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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838.2009年8月29日(土) 鳩山論文がアメリカで物議を醸している。
明日はいよいよ総選挙投票日であるが、ちょっと気がかりなことがある。恐らく民主党が天下を取るだろう。その民主党鳩山由紀夫代表が「ニューヨーク・タイムス」に寄稿した論文が、アメリカ国内で波紋を広げている。論旨は「米ソ冷戦後日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」とこれまですべての面でアメリカ追従の歩みが日本経済にとっては足かせとなったと訴え、新しい関係構築を提唱したものである。
アメリカ政府関係者や、知日派政治家には寝耳に水のようで、当然の如く反発している。鳩山氏の訴え方がどういう経緯でこのような発信力のある「ニューヨーク・タイムス」へ掲載されることになったのか定かではないが、少々勇み足の感は拭えない。しかし、近年日米間に来たした齟齬は、いずれ遅かれ早かれ表面化する下地はあった。すでに小沢代表がアメリカの対日政策に対して批判的であったし、PKO活動や海上自衛隊のインド洋海上給油活動に対しても憲法違反の恐れありとして国会でも反対の意思表示をしていたからである。
その小沢氏に代わった鳩山氏が、同じようなスタンスで臨んでいたところへ、このようなアメリカにとって刺激的な論文をアメリカ政府関係者の手を経ずに一方的に公に発表されたことに、腹が立っているのだろう。
しかし、これまでの日米外交は完全にアメリカの手のひらのうえで踊らされ、日本はアメリカの言い分を至極ご尤もと承っていたに過ぎない。対等とは言いながら、決してそうではなかった。アメリカにとっては飼い犬に手を噛まれたとの思いであろう。だが、アメリカにも反省すべき点は少なくない。日本がいつも言いなりなのを良いことに、かなり無理強いをしてきたのが、これまでの日米同盟交渉である。
鳩山政権が成立したら、比較的アメリカに知己の多い岡田幹事長を外相に起用して、戦後一貫して屈辱的だった関係をフィフティフィフティの立場に立って、言うべきことは言い、妙なご機嫌取りは止めるべきだろう。平等の2国間外交であるべきである。それが長期的にみて相互にとって一番メリットの多い2国間の友好関係になる。それにしてもそれが出来る政治家と外交官が、果たしているだろうか。日米同盟は日本にとって最も大事なパートナーシップである。どうも気になることである。
837.2009年8月28日(金) 「責任力」って何だ?
衆議院議員総選挙投票日が明後日に迫り、候補者の広報カーが近所を走りまわり、そのスピーカーが煩いこと夥しい。4年前の郵政選挙と称せられた選挙の時もヒートアップして自民党が圧勝に終ったが、今回はまったく逆転現象となり、政権交代を訴えている民主党が圧倒しそうである。
新聞各紙の見方もほぼ似たような予想を立てているが、昨日の朝日新聞によると115議席だった民主党が2倍以上の伸びで307~330議席を獲得しそうだと予測している。一方自民党は300議席だったが、89~115議席にまで大幅に議席を失いそうだ。さあどうなるか。
前回の第1四半期GDPが久しぶりに向上して景気が少し良くなってきたと多少楽観していたが、今日総務省が発表した労働力調査によると、7月の完全失業率は前月を0.3%上回る5.7%となった。家に篭っていると実感としてはあまりぴんと来ないが、完全失業率が5.7%というのは、その周辺に相当数のフリーターと非正規社員がいるということである。政権が代わってもすぐ直面する大変な問題である。
トヨタの米カリフォルニア州におけるGMとの合弁工場をトヨタは閉鎖するという結論を出した。トヨタとしては再建中のGMが色よい返事をしてくれず、ついに諦めざるを得なかった。これにより従業員4,300名が職を失うことになり、財政状況がピンチだったカリフォルニア州にとっては新たな雇用問題を抱えることになった。
こういう目に入ってくる経済関係のニュースを見るたびに、不況からの脱却はまだ当分遠いとの感がする。
さて、朝日夕刊1面を見て笑ってしまった。言葉の問題であるが、昨今気になっていた「~力」という使い方である。先日麻生首相が言い出した「責任力」という言葉が、どうも違和感があり、かつてこんな言葉はなかったのではないかと疑問に思っていた。夕刊の記事はこの「~力」を皮肉ったものである。98年に作家・赤瀬川原平の「老人力」から始まるのだが、その後「常識力」「人間力」「鈍感力」「にっぽん力」等々、みんなこんな言葉があったかなあと思える単語ばかりである。最初の「老人力」などは、洒落が利いている感じで、むしろ目新しさも効いて面白い表現だなと思ったが、総理大臣が自ら責任を果たしてもいないのに、「責任力」を言い出すに至ってはとてもまともには受け取れず、ついユーモアの世界ではないかと思ってしまう。
836.2009年8月27日(木) なぜロシアは偽善者として振舞えるのか。
ケネディ家の末弟、エドワード・ケネディ上院議員が亡くなった。一時は大統領への道を駆け上がる最有力候補だったが、女性とのスキャンダルで自滅した。ケネディ氏はオバマ大統領の支持者だったがゆえに大統領も特別の弔辞を述べていたが、イメージばかり先行して、結局のところ自ら蒔いた種が災いして坂道を転げ落ち、ついに幻の大統領に終ってしまった。
いかに名家に生まれ、学力が優秀であっても、この大物はセルフ・コントロールが効かなかったようである。40年も前に夜中に湖へ突っ込んだ自動車事故で同乗していた女性秘書を死に至らしめ、彼女をそのまま放置して運転していた本人はその場から逃げ出した。この不誠実で人格を疑わせる行為ひとつとってみても常識ある社会人の行動とはとても思えない。ましてや政治家として、はたまた1国の大統領としては完全に失格である。こういう人物がちやほやされること自体アメリカの気づかれない欠点であろう。死者に鞭打つ気はさらさらないが、ケネディ氏は噂ばかり先行して、政治家としての実績は医療改革以外になかった。
昨日26日はノモンハン事件発生70周年記念にあたる。例によって、またロシアの舞台露出が激しくなってきた。モンゴルの首都ウランバートルで開催された記念式典には、わざわざメドベージェフ・ロシア大統領がやってきて当時のソ連の大義を強調した。
今年は第2次世界大戦開始から数えても70周年になる。ロシアは対独戦の勝利を「ファシズムからの解放」といい、ノモンハン事件を「日本軍国主義への勝利」と宣伝している。モンゴルでは「ロシアは戦争だけでなく経済的にも助けてくれた」とロシアへの感謝の声がある一方で、大戦中バルト3国やポーランドなどソ連の圧制を経験した国々では、歴史解釈をめぐりロシアとの間に摩擦が起きている。一方ロシアは7月に欧州安保協力機構の議会が採択した人権と自由に関する決議に「20世紀の欧州はナチスとスターリン主義という2つの全体主義体制を経験した」などと記述されたことに猛反発した。それに対抗するように「ソ連とナチスドイツを同列に扱うのは許せない」との声明をロシア上院で採択し、メドベージェフ大統領はソ連の負の面を強調する歴史観を徹底的に批判した。
しかし、いくら公平に見てもロシアの国家観はどうしたって怪しいものだ。どうもロシアは覇権主義を振りかざし、自国の歴史評価の修正はヤルタ協定や、サンフランシスコ講和条約などに疑義を呈することにあるらしい。それなら「北方4島は日本が無条件降伏した第2次大戦の結果としてソ連に移り、ロシアに法的に継承された」などと言える筋合いではあるまい。日本の敗戦直前になって、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して参戦し、そのうえサンフランシスコ条約も承認していない。さらにドイツ人捕虜と日本人捕虜を過酷なシベリアに長期間抑留して強制労働を課し、多くの犠牲者を発生させた。このナチスをも上回る残虐行為の罪をどう贖うつもりか。まだロシアの反省も贖罪も済んでいない。何を偽善者ぶって我田引水的発言をしているのか。これだからロシアは信用できない。
835.2009年8月26日(水) 黒い稲妻、トニー・ザイラー逝く。
昨日オーストリアのアルペン・スキー花形選手だった、トニー・ザイラー氏が亡くなった。1956年のコルチーナ・ダンペッツォ(イタリア)冬季オリンピックで史上初めてアルペン3冠王となった。その後映画界で活躍して日本映画でも主演俳優として出演し、スキーファンのみならず、多くの日本人に愛されたスポーツマンのひとりだった。われわれの学生時代には憧れの選手だった。名画「白銀は招くよ」「黒い稲妻」のカッコいい雄姿が懐かしい。
2003年にかつてのオリンピック会場だったコルチーナを訪れた時、最初に瞼に浮かんだ人物は、日本人ではザイラー選手に次いで銀メダルを獲得して日本人として、アルペン種目初のメダリストとなった猪谷千春選手と金メダリストのザイラー選手だった。コルチーナのロープウェイ駅にはイタリア、オーストリア、その他の国旗と並んで日の丸が掲げられ、青空の中にへんぽんと翻っている光景が何とも言えず心強かったことを思い出した。聞けば、コルチーナではメダリスト・猪谷選手は最も有名な日本人とのことだった。
思い返してみると、現在のスキー界では、かつての花形種目だったアルペン、ジャンプ、複合、ノルディック長距離に対して、モーグルとか、エアリアル、フリースタイルなどが人気を高めてきた。しかし、われわれには学生時代に楽しんだアルペン・スキーのスピードと爽快感が忘れられない。
それにしてもまだ73歳で、猪谷氏は自分より5歳も若いのにと言って嘆いていた。
奇しくも今年7月に開催されたユネスコ世界遺産委員会で、コルチーナを含むドロミテ山塊地区が世界遺産として登録されることが決まった。実際に現地を訪れて味わった山の中の空気は本当に美味しく気持ちのよいものだった。山の景色、湖周辺の美しい環境、山に囲まれた街の雰囲気、どれをとっても一級品である。今まで日本人が訪れることが少なかったのは、交通アクセスがあまり便利でなかったことによる。30年ほど前にイタリア北東部のボルツァーノを文部省教員視察団とともに訪れた時、当地の教育長からぜひコルチーナを訪れて、イタリアの山の素晴らしさも堪能して欲しいと強く勧められたが、時間的に訪れることは出来なかった。6年前に夢にまで見た景勝地へ初めて足を踏み入れ、素晴らしい観光地へ来ることが出来て芯から幸福感に浸ったものだった。
ドロミテ周辺が世界遺産に登録されたことは当然とも言えるが、今あの場所で名を上げたザイラー選手の訃報を聞くにつけ、コルチーナと併せ考え感慨無量の思いである。
834.2009年8月25日(火) 危険な学童集団登山が富山県で行われている。
昨日のNHK「にっぽん紀行」という番組が「十二歳の成人」と称する興味深いテーマを取り上げ放映した。12歳の成人という言葉に、些かの疑問と興味を感じて観た。それによると富山県のある小学校では、6年生が全員霊峰・立山山頂を目指すことを長い間学校行事として続けてきたという。子どものころ体験した親も、良かったと評価していた。
しかし、はてと考えてしまった。2泊3日の体験学習として、小学6年生にここまで過酷で危険なエクスカーションを行う必要があるのだろうかと思った。大げさに言えば、生と死の瀬戸際にある学校行事といって差し支えないと思う。
今夏は北海道の大雪山を中心とする各地の山々で犠牲者を生んだ遭難事故が発生した。そのほとんどが旅行業者の主催するツアー登山による事故である。ゆとりのないスケジュールに、天候の激変、疲労、判断の間違い等がその原因として取り沙汰された。しかし、私の経験上言えば、登山では低山のハイキングならともかく一般的に高山に集団で登ること自体馴染まない。特に、知らない者同士が旅行業者の指定する集合場所で初めて顔合わせするような団体ツアーでは、大切なチームワークが芽生えようはずがない。
テレビ放映された富山県小学生の学習登山は、旅行業者が主催するようなツアー登山とは異なりあくまで学校が主催するものであるが、その反面別の視点から問題がある。まず、体力的にも未成熟な100名を超える小学生を団体で一度に3,000m超の高山へ連れて行く必要があるだろうか。一言で言えば無謀である。引率する教師らの気苦労も計り知れないものがある。もっと他に幼い6年生の体力に合った教育的な体験学習が考えられるのではないか。高原のキャンプでは駄目なのだろうか。これほど危険を冒してまで12歳という年齢を祝う必要があるだろうか。こんな危険な学校行事を私は聞いたことがない。私も大学生になってから何度かこの立山連峰の主峰雄山(標高3,003m)に登頂した経験があるが、幸い天候に恵まれた。しかし、3,000m級の高山にはそれなりに厳しい道のりがあった。景色は良かったし、天然記念物「雷鳥」を見ることも出来た。だが、そこには危険が背中合わせに隠されているのだ。高山で樹林はなく岩と石ばかりで遮るもののない山頂周辺は1度天候が狂えば、風雨から身を避ける場所がない。しかも痩せた尾根で、突風でも吹けば大人でも危険で、小さい子どもには必死になって岩にしがみついても吹き飛ばされる恐れがある。テレビ放映を観ていても、天候が3日間安定していたわけでもなく、これは引き返すべきだと思ったくらいである。幸いにして遭難事故とはならなかったが、その可能性は頗る高い。
こういう危険な行事を学校、教育委員会が黙認し、奨励するがごとき対応は児童の生命軽視と思われても仕方がない。彼らが誰もその危険性に気づかなかったり、疑問を唱えなかったとすれば、最早教育者としては失格だと思う。このように教育に名を借りた、その土地だけの特殊で危険極まりない行事は即刻中止すべきであると考えるが、目の前が見えなくなっている富山県教育委員会はどう考えるか。もし来年もこのままこの立山集団登山を強行するようなら、間違いなく遭難の危険性が秘められていることを警告しておきたい。