充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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878.2009年10月8日(木) 台風18号日本列島を縦断
南洋沖で発生した時から強大な台風と予想された18号は、予想通り暴風雨となり南大東島から北上して昨夜から今日にかけて日本各地に大きな被害をもたらした。午前5時に愛知県知多半島に上陸して青森県まであっという間に本州を縦断した。夜11時現在で死者2名、行方不明1名程度で納まっているが、風が強く竜巻となって、家屋の倒壊が頻発して、茨城県では家ごと吹き飛ばされたところがあった。とにかく午前中は風が強かった。交通機関にもかなり支障が出て、JRの如きはほぼ都内全線が影響を受け、運転中止と運転見合わせという状態だった。例によって私鉄が割合動いているのに、なぜJRばかり動かないのかという議論になっている。
大学の公開講座を今年も受講しているが、春季講座は多摩大学と駒沢大学で受講した。秋は、引き続き駒沢大学を受講するほかに、多摩大学を止めて新しく多摩美術大学で6回に亘る美術の生涯学習講座を受けることにした。昨夕初めて多摩美大上野毛キャンパスで、「フランス『パリ』を歩く―永続的アート革命都市」と題して清水敏男・学習院女子大学教授がパワーポイントを使いながら、パリ市内の街角、ストリートと美術館を紹介してくれた。中々面白い趣向で、例えればグーグルのストリート・ビューと同じようなスタイルでパリ市内を紹介しながら、専門家の見方で講義してパリ市内のアートとアーチストの関わり具合を分かり易く説明してくれる。
約30名の熱心な受講生は、男女取り混ぜいろいろな年代層に分かれているが、それぞれに美術に関心の深い人たちばかりで質問も的を射た、専門的なものだった。ほとんどの受講生がパリを訪れたことがあるようで、美術にも造詣が深く、知的レベルは相当高いとみた。ただ、7年間もパリに在住した講師が講義するだけに、細部に亘り街角を説明しても1~2回パリを訪れた程度では、シチュエーションをすんなりとは理解出来ないかも知れない。
来週は別の講師がウィーンについて講義されるようだが、この様子なら今後期待が持てそうだ。
さて、鳩山新政権で年金問題を切り札に役所へ乗り込んで行った、‘ミスター年金’長妻昭・厚生労働大臣が初めて「貧困率」という言葉を使い出した。
経済協力開発機構(OECD)が貧困割合を示す指標として、所得の高い順に並べた時に真ん中の人の所得を基準にして、その半分に満たない人が占める割合を「相対的貧困率」としたものだ。
日本政府はこれまで公式には貧困率を発表していないし、況してやそれを基準に貧困率を下げるような政策も採り入れていなかった。国が保障すべき最低限度の生活をどう考えるのかとか、いかに支援するのかとの長期的なビジョンが欠けてはあまり意味がない。しかし、遅かれとは言え、とかく目こぼれしていた貧困者の生活に、具体的な数値が加味されて俎上に上がったことは善しとすべきであろう。
ところで、貧困率というのは一体どれほどの数値なのかと言えば、対象国が現状では極めて少なく僅か30カ国である点から世界のレベルを比較するのは難しいが、意外なのは日本がその30ヶ国の中で4番目に高い(14.9%)という実情である。対象国は高々30カ国ではあるが、OECDによれば、日本は貧困国ということだ。アメリカに至ってはもっと貧困国ということで、すんなり受け入れ難い数値ではある。一番高いのは、メキシコ(18.4%)、以下トルコ(17.5%)、アメリカ(17.1%)、日本、ドイツ、イギリス、オランダ、フランス、スェーデン、デンマークの順になっている。アジア・アフリカ諸国が一国も入っていないのは、統計がないからで、メキシコ、トルコは別にして先進諸国内での比較ということになる。
それにしても中国、インド、ロシア、シンガポール、韓国、アジア・アフリカの発展途上国が入らなくては比較すること自体に格別意味があるようには思えない。指標として価値のある資料に肉付け出来るかどうかが、今後広く活用されるかどうかの生命線となるだろう。いずれにしろ、これまでどうして厚労省はこのような国際指標を発表しなかったのだろうか。
877.2009年10月7日(水) 小中陽太郎さんと金大中氏とのツーショット写真
年内に発行予定の共著「知の現場」で、小中陽太郎さんを取材させていただいたが、個人的には小中さんの「知の現場」以上に、小中さんの過去の幅広い社会的活動に強い関心があった。わが家からほど遠からぬご自宅における取材でも、話題と関心がつい「べ平連」や、米空母「イントレピッド」米水兵脱走事件に行ってしまう。その他にも小中さんからは公に報道されていない話も随分伺ったが、ポーランドのワレザ元連帯議長やチェコのハベル元大統領にもお会いしたということもあり、新刊書に「行動」をにじませたく何とかツーショット写真を添えてもらいたいと思っていた。幸い編集者から同意してもらったので、提供していただく写真をお願いしたところ快くお引き受けいただき、今年8月に亡くなった韓国の金大中元大統領と一緒に撮った写真をお預かりすることになった。昨日お願いしたところ早速メール添付で送っていただいた。金大中氏についてお話を伺ったところによれば、お会いしたのは、1973年10月24日、軟禁されていた金氏を解放してもらうべく韓国官邸を訪れた直後に金氏は釈放された。その足で金氏の自宅を突撃取材された。その時の貴重な写真である。それにしても金氏も小中さんもいかにもお若い。拉致されたのが、その年の8月8日で、偶々私はエジプトからスーダン、エチオピアを経て当時インドのボンベイに駐在していたアルペンクラブの廣瀬明夫くん宅を訪れていた時だった。そんなこととは露知らず、帰ってきて世間の蜂の巣をつついたような騒ぎに接して、ことの重大さに驚いたことが、昨日のことのように思い出されてくる。
小中さんの凄いところは、厳戒体制下の金氏の自宅を取材に訪れたのは、何と小中さんが最初で、そのせいで翌日には国外退去の処分を受け強制的に出国させられたことである。小中さんは「イントレピッド」もそうであるが、率先してポジティブに行動する人というイメージが強い。
その折りの金氏とのツーショットを新刊の中で見るのも違った意味で楽しみである。キャプションを付けて早速プロジェクト・リーダー経由で編集者へ送付した。
そう言えば、先日私のブログを見て三島由紀夫のことが書いてあったからと言って、わざわざ三島由紀夫が書いた秘蔵の手紙をコピーして送ってくれた高校時代の友人がいる。ブログを読んでは時々建設的なコメントを寄せてくれる近所に住む友人、呉忠士くんである。
三島が友人の父親へ宛てた私的な手紙である。友人の父は有名な古代ギリシャ文学の碩学・呉茂一元東大教授で、小田実の恩師でもあり、恐らく三島も学生時代に教えを受けたひとりであろう。手紙を読むと三島が意外に愉快な人物であることが分かり、微笑ましく親しみが湧いてくる。世上よく知られている三島のボディビル鍛錬を、三島は中止してその10年の鍛錬期間を浪費だったと反省し、その分ギリシャ語が10年遅れたと自戒していることや、執筆中の「金閣寺」を大岡昇平が「キンカクシ」と読んだことなど、世に知られていない内容で中々愉快である。
周囲にこういう貴重な資料を抱えている人たちがいて、それを提供してもらい恩恵に浴していられることは有難いことで、感謝するばかりである。
876.2009年10月6日(火) 外国語の日本語表記は、特性を考えて
昨日の朝日朝刊の「声」欄に、中国に7年間駐在されて帰国した人が、中学生の子どもの地理の教科書を見て中国の地名の表記について疑問を呈していた。
外国語の日本語表記は、現地語に則ることを原則とするにしても、よほど注意しないと実際の名称とはまったく別の言葉に変わってしまう恐れがある。文部科学省では、現在現地語表記を基準にして指導している。それがこの教科書のケースに当てはまるのかどうか。欧米の言葉の場合は日本語とは文字や発音がまったく異質だから、ある程度の発音のずれは止むを得ないと考えている。しかし、日本語と同じ漢字を使う中国語や朝鮮語の地名表記の場合は、よほどきめ細かく、あらゆる角度から検討しないとまったくかけ離れた言葉となって、相手国の人に理解されなかったり、誤解される場合が起こり得る。「声」で主張されていることは、件の教科書の中国地名に漢字を使うことなく、音読みのカタカナ表示をしている点で問題があり、誤解や間違いを生みやすいということを言っておられる。
例えば、英語の「ジェネバ」「ベニス」「ネープルス」「ミラン」「アレキサンダー」を、近年はそれぞれ原語に近い「ジュネーブ」「ヴェネチア」「ナポリ」「ミラノ」「アレクサンドロス」と呼ぶようになったが、それが本来の現地風の発音により近いと分かれば、それで良いと思う。
問題は、中国語や朝鮮語を日本語読みにした場合である。これまで毛沢東や、鄧小平を日本人が中国語で発音することはなく、日本語による音読みだった。地名でも北京は「ベイジン」と呼ばれることもあるが、普通は「ペキン」であり、西安や天津、広州などは漢字に表記される通りに音読みで発音している。それが「声」投書氏によれば、中学生の教科書には、漢字ではなく大連は「ターリェン」に、天津は「ティエンチン」、広州は「コワンチョウ」とカナで書かれているそうである。投書氏は「中国では今でも日本の地名や人名は漢字で表記、中国語の発音で読むことが主流である。日本も漢字で表記、日本語読みでよいのではないか」と素朴な疑問を投げかけている。その教科書は見ていないが、私も投書氏に同感である。
こういうように素直に考えれば良いことを、こねくり回すから分からなくなる。先日来商品の取扱説明書の分かりにくさについて、万歩計メーカーのオムロン社へ問い合わせたが、オムロン社からは一向に明確な回答が得られない。一旦売ってしまえば後は購入者が考えろと言わんばかりの傲慢な会社の消費者軽視の姿勢や、言葉をこねくり回す悪弊が簡単なことを複雑化させるとの考え方に通じるものだと思う。
中国の地名だけの問題ではなく、ことは自分たちさえ分かれば可とする姿勢こそ他人をボイコットする利己主義の表れではないか。
875.2009年10月5日(月) 太宰治「斜陽」のタネ本は、太田静子の「斜陽日記」
昨晩NHK・ETV特集の太宰治生誕百周年記念番組「太宰治‘斜陽’への旅」で「斜陽」が作品として完成する過程を人間模様を織り交ぜたドキュメントとして放映した。愛人・太田静子との間になした娘・太田治子が保管する日記等の資料、治子の津軽への旅、神奈川県下曽我の雄山荘の生活、治子へのインタビューや感想等を通して詳しく紹介して、興味深く観ることができた。1時間半のドキュメントであり、文学の裏世界の話でとかく敬遠されがちなモチーフであるが、当事者の心理面まで中々よく描けていたと思う。
今まであまり世間に知られていないような秘話を太田治子が提供したということは、ある面で父の生誕100年を機に過去の太宰治像と決別しようと吹っ切ったのではないかと思える。実際62歳になって初めて父の実家である青森県金木の太宰記念館を訪れ、自分の揺れる気持ちに思いがけず戸惑う。母静子とともに暮らした下曽我の家は、誰も住まない廃屋同然のまま残されており、閉ざされた門から邸内へ入ることが叶わず、周囲を歩き、外からかつての自宅の思い出に耽る。「斜陽」では舞台は伊豆になっているが、実際はこの下曽我の雄山荘の出来事だった。
「斜陽」が完成するためには、静子が書き続けていた「斜陽日記」がヒントとなり、推進力になったようで、太宰もそれをしきりに当てにしていた。「斜陽日記」は、太宰と静子の間で交わされたラブレターで、斜陽の言葉通り太宰の生き方も傾いて、気持ちは徐々に死へ向かっていく。一方、その過程で新しい時代の女であった静子は、治子の誕生から一転して幕引きを「死」から「生」へ昇華させていく。この静子の「生」への希望が、「斜陽」の最後は「死」と捉えていた太宰をして、静子との別離を決意させたようだ。静子は「斜陽」の完成を見て金木の実家近くに住んでいた太宰へ会いに行く。しかし、太宰はつれなく、これが2人の最後の逢瀬となった。「生」へ向かって力強く生きようとする静子と、「死」に執着する太宰との永遠の別れである。
その僅か半年後、「死」を決意していた太宰は、もうひとりの愛人・山崎富栄を誘い入水自殺する。一方静子は太宰との思い出を胸に秘めて、女手ひとつで治子を育てながら69歳で亡くなる。
胸に詰まらせられる愛憎ストーリーである。ノンフィクションであるが、これまでほとんど知らない内容だった。今年は太宰治関係のイベントが盛り上がり、随分遠い時代の人と考えられがちであるが、松本清張と同じ年齢だったとはとても思えない。先年93歳で亡くなった亡父より1歳若い。
太宰に新しい興味も湧いてきたので、近い内に「斜陽」をもう一度読んでみようと思っている。
874.2009年10月4日(日) 中川昭一元財務・金融担当大臣自殺か?
今朝インターネットのWEBサイトを見ていて思いがけない訃報にあっと驚いた。あの元財政・金融担当大臣だった中川昭一氏が今朝自宅のベッドで亡くなっているのを奥さんが発見した。何となくミステリーじみている。ニュースを知って直感的に自殺だと思った。
今年2月ローマで開かれた主要7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見における酔っ払った無様な様子が国内外で報道され、日本国内ばかりでなく世界中からブーイングが上がり厳しく非難された。それほどお粗末なもうろう会見だった。一国の財務大臣ともあろうものが、世界注視の記者会見に酔っ払って出席するとはあきれ返った行状である。取り巻きもよくない。あの映像は確かに酷かった。目はうつろであらぬ方向を見据え、ろれつの回らない口調でそのだらしなく、惨めな姿は大臣の人格をさえ疑わせるもので、マス・メディアからも散々叩かれた。自業自得とは言え、帰国後直ちに大臣を辞任して、その挙句に父親から譲り受けた地盤の支援者からそっぽを向かれ、総選挙で落選し、比例区での復活当選もならなかった。ローマでの記者会見から奈落の底へまっしぐらで直行し、そのまま浮かび上がることはなかった。
高校卒業後、浪人中は代々木ゼミへ通い、英語授業は小田実さんや小中陽太郎さんから教えられ、東大から旧興銀へ就職したくらいだから頭は良かった筈である。自殺した北海道のヒグマと言われた、父親中川一郎氏の死後地盤を継いで、北海道選出の自民党有力議員として徐々に存在感を示したが、人の上に立つ人物としては、酒乱による素行に見られる通り、周囲の人への配慮や態度に欠け問題があり過ぎた。父一郎氏が一派を成す有力議員だったためであろうか、取り巻きが何でもやってくれると思い違いしている内に、いつの間にか裸の王様になってしまった。数年前の駐日インド大使主催のレセプションでよろめきながら大使館へ到着した裏話は有名だ。
自民党に他に人材がいなかったわけでもあるまいに、世襲議員として当選回数を重ねている間に、国会内でひとかどのうるさ型となっていった。一部では未来の総理候補と期待されていた節もある。その間実力をつける代わりに権謀術数や世渡りだけが身についたようだ。それにしても世襲議員特有の甘ちゃんに、かつてはわが国の農林行政を、最近では金融を一切任せていたとは情けない。結果はどういうことになったか。農業は疲弊し、金融は一向に立ち直りの気配が見えない。父親の七光りで連続8回の当選をしていながら、酒だけ力量を上げて、政治家としての力を磨くこともしてこなかったのではないか。人間的にはまったく子ども同然である。
見栄を張り偶に威張る程度ならまだ許せるが、傲慢不遜そのものの態度で押し通した。選良の負託を受けて代議士になった以上、勉強して実力を培うことは当然であるが、精神的な強さも身につけなければ、他人の足を引っ張ろうと考えている輩が多い中ではとても太刀打ち出来ない。サンドバッグのように叩かれても叩かれても耐え抜く意思の強さがなければ、魑魅魍魎の政治の世界ではとても生き抜いていくことはできるものではない。
まだ、自殺という結論が出たわけではない。司法解剖の結果で警察はその可能性が低いと発表したが、死因の断定には至っていない。病理検査を行うという。父親の自殺の際も当初は自殺とは発表せず、その後著名な医師による虚偽の死亡鑑定書が問題視され、結局自殺と断定された経緯がある。
どうも地位に相応しい人間性と実力が伴わない人間が権力を持つとろくなことはない。それにしても麻生前首相は、選挙の大敗という堂々たる?理由で辞めることが出来て良かったのではないか。