充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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917.2009年11月16日(月) 鳩山外交がぶれている。
「知の現場」の再校ゲラが回ってきた。昨日の読み合わせに参加出来なかったので、メールで送信されてきた拙稿4名分をチェックした。いくつか気づいた点について秋田プロジェクト・リーダーに送る。とにかく出版までは気を抜けない。
一昨日韓国・釜山で射撃場の火災があり、多くの日本人観光客が亡くなった。随分雑な店のようだが、韓国ではスプリンクラー設置は法律で決められていなかったようだ。昨年1月に近代的な冷凍倉庫が爆発火災を起こし、40名が即死したが、かつてソウル市内のデパート火災でも多くの買い物客が亡くなったことがある。これから寒くなるので、火災の危険性も高くなる。
さて、私がインドを旅している間にアメリカのオバマ大統領が日本を訪れていた。僅か22時間の滞在の後、シンガポールで開催中のASEAN10 ヶ国首脳会議出席のため飛び立った。オバマ大統領にはノーベル平和賞受賞が強くアピールしていたので、広島か長崎のどちらでもいいから訪れて欲しかった。もし訪れてくれれば、国際社会に対して強烈な訴求力があったと思う。
昨日機内で「中国日報」英字判を読んだ時、1面にオバマと温家宝首相が握手している写真を見てうっかり中国を訪問中だと勘違いしたが、あの写真は9月の国連の場で会った時のものだろう。オバマはシンガポールでもあっという間に機上の人となり、今日中国を訪れ若者と対話集会をこなしていた。メディア報道によると若者が自由に発言しているように見えるが、どうもかなり規制が働いたようだ。その対話集会の前にオバマは中国首脳に対して自由な発言を求めたようだから、相当中国の言論統制を気にされ、注文をつけているようだ。
それにしても日本の外交はどうなったのか。前の自民党政権より腰がふらついている。今日も岡田外相が沖縄を訪れ、普天間基地と嘉手納基地を見学して何とか普天間を嘉手納へ統合させる私案を実現させようとしているが、地元はもちろん閣僚の間でも反対があり、中々ことが進まない。どうも岡田外相は手順が悪いような感じがしている。選挙のマニフェストに、基地を海外か県外へ移転させると実現性の薄い約束をしたことが足かせになり、今やニッチもサッチも行かなくなってしまった。
鳩山首相も煮え切らない。オバマとの会談で日米合意に沿って話を進めて欲しいと釘を刺されてしまった。結論も年内とか、早い時期とか、来年早めにとか、どうも結論が出るのかどうかも心配である。大体考えが甘い。例えば、県外移設なんてどの県も引き受けるはずがないではないか。海外移転についてはグアムが候補地のようだが、これだって相当の補償金をグアム政府に支払わなければ引き受けることは考えられない。
案の定今朝の朝日世論調査によれば、内閣支持率は微減程度で納まっているが、外交の評価は低い。評価36%に対して、反対が同じ36%と出た。いくつかの政策の中で一番評価が低い。鳩山外交もいよいよ正念場を迎えたようである。
916.2009年11月15日(日) 近いうちにもう一度インドへ
眠る間もなく前夜11時にクマールさんが迎えに来られた。フライトは北京経由の中国国際航空で出発時間は3:05である。空港まで約30分なので、やや早い気がするが、インドではチェック・インが3時間前と聞いた。深夜にインディラ・ガンジー空港まで飛ばして、着いてみるとターミナル・ビルの前は車の洪水で車をつけるのも一苦労だった。世話になったガイドのクマールさんとドライバーのシンさんにここで別れて、人ごみを掻き分け、ボディチェックを受けて空港建物内へ入る。
フライトのチェックインはトランクを預けて簡単に終ったが、待ち時間が3時間もある。いざ搭乗となったら、いつの間にか搭乗ゲートが変更になっていて大いに戸惑う。案内が徹底されていないからだ。4番ゲートのはずが、5番に変っているが、その表示がはっきりしない。しかもここでインドと中国の険悪な関係を知らされることになった。空港内では中国国際航空の表示が一切出ない。4日前に到着した時も、税関で荷物を引き取るターンテーブル番号の表示がなく、空港係員に尋ねて彼がトランシーバーで問い合わせてやっと分かったという按配である。今日も5番ゲートには、普通表示される航空会社略号とフライト№が電光表示板に表示されない。そのうえ、ショルダーバッグに航空会社のタッグが付いていないからと言って、再び荷物検査を強制される有様だった。
そう言えば、宇都宮から参加した女性のひとりは、日本人に帰化して「伊藤きよみ」さんと仰っていたが、中国人だった。そうとは知らないクマールさんが最初から中国の悪口を言い出したので、止めてほしいと「伊藤」さんが抗議してクマールさんが謝った経緯がある。
インドと中国は同じBRIC’sではあるが、どうも昔から対立関係は根深く、国民同士もお互いに津の突き合わせていて、ことはそう簡単には解決しそうもないようだ。
薄い雪景色が見られる北京空港で乗り換え、成田空港へ帰ってきたが、今回の旅は内容的にはあまり期待していなかった割には、どうしてどうして中々良かった。他に成田からHISで同行した人が15人もいたが、ほとんど3人ずつに分かれて同じ観光地を見学していた。彼らの言い分を聞いてもこういうように小さなグループに分かれて見学出来たのは、期待もしていなかったが、良かったとかなり高く評価していた。私も格安旅行だから、大きな期待もしていなかったが、ホテルのグレードアップもあって、更に何よりもインド自体の魅力があって、旅行としてはほぼ満足出来るものを見せてもらったと思う。
堀田善衛は生前もう2度とインドには行かないと書いている。それは、嫌いと言うのではなく、あまりにも深く考えさせられる国だからこそだそうだ。私は確かに深く考えさせられたが、だからこそ逆にもう1度近いうちに訪れてもっとインドという国を知ってみたい。それも必ずベナレス(バラナシ)を訪れてみたいと強く感じた。得た物は実に大きいインドの旅だった。
915.2009年11月14日(土) 素晴らしい! 感動的なタージ・マハール
タージ・マハールは予想していた以上に素晴らしい世界遺産だった。16世紀半ばに22年の歳月を費やして建設されたイスラム建築の極地である。年間400万人もの観光客が訪れる。生きている限り出来るだけ機会を捉えて訪れてみたいところだ。
スペイン・グラナダにあるアルハンブラ(アランブラ)宮殿は、このタージ・マハールをモデルにしたと言われているが、比較にならないくらいこのタージ・マハールの方が立派であり、上品でもあり、訪れた人の心を打つ。ここを訪れて説明を聞き、庭園内を散策するだけで、その素晴らしい価値が伝わってくる。建物の中には、ムムターズ・マハール妃の棺が祀られていて、隣には22年の歳月を費やしてこれを建設したムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの棺が安置されている。暗い内部は写真撮影が禁止されているにも関わらず、フラッシュを焚く馬鹿な外人観光客がいる。撮影禁止だと言ってやると、「そうですか」と言ってまた撮っている。モラルの欠如は東西を問わない世の中になった。
建物の背後を流れるヤムナー川の左後方には、ジャハーン帝が息子アウラングゼーブ6代皇帝によって幽閉され晩年を寂しく暮らしたアグラ城が見えるはずだが、靄か、スモッグがかかってまったく見えない。
この後訪れたアグラ城の建物も素晴らしかった。ジャハーン帝が幽閉された部屋の斜め前方にはタージ・マハールが見えるはずだが、今日は霞んで見えなかった。
ところで、日本でほとんど知られていないが、タージ・マハール東門への道は、「Dr.MATSUKI MIYAZAKI ROAD」と呼ばれている。インドのらい病患者のための施設を造り、終生インドの貧しい人びとのために尽くして、土地の住民から感謝されていた日本人である。なぜこういう気高い人が日本では紹介されないのだろうか。
その後もう1ヶ所、世界遺産のファテプール・シクリを見学したが、前二者に比べてそれほど感激しなかった。
アグラからニューデリーへは、230㎞ほどで、再び怖いドライブが始まった。バス、トラック、オートバイ、自転車、馬車、人力車など多種な種類の乗り物が、レーンに関係なく走りまわり、車線変更は当たり前で、時々大きなトラックまで逆走してくる交通法規無視が、渋滞と危険に追い込んで無法地帯と化してしまう。すぐ解決法といっても考えつかないが、せめて走行車線と追い越し車線の区分をしっかり守れば、もう少し安心してドライブを楽しめるのではないか。
夜9時になって最初に宿泊したパークホテルへ戻って来たが、途中農家に立ち寄らせてもらい、家の中を見せてもらった。こういう時のためにいつもチョコレートを準備しているが、これが沢山の子どもにえらく喜ばれた。
やや疲れてひと風呂浴び、眠い中でこのブログを書くのも少々きつい。まもなくクマールさんが迎えにやって来る。インド最後の晩は疲れのうちに時が経つ。それにしてもタージ・マハールは感動的だった。訪れることが出来て本当に良かった。
914.2009年11月13日(金) ジャイプールの観光は盛り沢山
夜は寒いので冷房を切って、ベッドに入ったが夜中にあまりの寒さに目が覚め、ジャンパーとズボンを着て再び眠りに就いた。今日は朝から霧雨状態で外は寒そうで少々気が重い。8時30分の出発に合わせてクマールさんがピックアップに来られた。宿泊したラマダ・ホテル玄関で立派なあごひげをくわえたドアーマンの顔にはびっくり。聞いてみるとギネスブックで、世界一長いあごひげの人物と紹介されたと言い、あごひげの新聞も見せてくれた。ホテルも中々感じが良くて、流石高級ホテルらしい雰囲気である。
このジャイプールには世界遺産はないものと理解していたが、最初に訪れたアンベール城が世界遺産だとクマールさんは言う。確かに後背の山の稜線上に「万里の長城」を配して、丘の上に赤い色彩の塀は、光景としても充分価値があるし、内部のいくつかの建物と歴史は世界遺産に登録されてしかるべきである。城へのアプローチが、象に乗るというもので、これは人気があって乗り場へ行ったら小雨の中を延々長蛇の列だった。象にはバンコックでも乗ったことはあるが、狭いグランドを一周するような子供騙しではなく時間的にも15分ぐらい掛けて、坂道をゆっくり揺られながらアンベール城内までサルタンの王侯気分を味わう。聞けば、この象に乗ることが観光客の人気を集め、象の酷使につながるとして、今では朝8時から11時までしか利用できず、1頭の象は1日5往復しか出来ないように取り決められ、象のストレス解消に努めているという。まあ、いろいろあるなと思う。
その後、「街の宮殿」を見学して、写真では何度も見たことのあるピンク色の「風の宮殿」前で写真を撮って、アグラまで210㎞を飛ばしに飛ばす。とにかくドライバーは運転技術が上手いが、載っている者としてはちょっと怖い。夕方近くなってアグラ市内へ入ってきたが、入口で車とオートバイと自転車、それに歩行者が信号のない交差点で動きがとれない状態になった。われわれの車は10㎝ごとに動くような有様で、地元民のラッシュ時間にも重なったのかも知れないが、市内中心部に入るまで続き、その混雑ぶりは、よほどの対策を打たないと最早手に負えないのではないかと感じたくらいである。
明日は今回の旅行で最も楽しみにしているタージ・マハールを見学することになっているが、クマールさんからの提案により、新しくできた劇場でタージ・マハール完成の史実を芝居で上演しているという耳寄りな話に乗ることにした。オプショナル・ツアーである。
6時半開演の3分前に何とか劇場に到着して、ヘッドフォーンで日本語による台詞と説明を聞きながら、オペラ的ミュージカルを観劇することになった。完成して間もない立派な劇場で、仕掛けも良くストーリーも明日のタージ・マハール見学の露払い的役割でグッドタイミングだった。1時間半のミュージカルだったが、充分楽しむことができた。
今夜宿泊予定は‘JAYPEE PALACE HOTEL’という5つ星ホテルで、確かに素晴らしいファシリティのホテルだ。2人の女性客の滞在ホテルへ先に寄ったが、数段格が違うという感じだった。彼女らのホテルはダウンタウンの喧騒な場所にあり、小さなホテルだった。やはり落ち着いて滞在するには、グレードアップして良かったと感じた。今日もかなり見所の多い行程だった。明日は最終日になるが、タージ・マハールはもちろんであるが、アグラ城も楽しみにしている。
913.2009年11月12日(木) 世界遺産を2箇所見学
7時半にウェイクアップ・コールで起こされた。やはり短い時間だったが、一気に眠ってしまった。まだ若干疲労感はあるが、朝食を摂って9時の出発を待つ。ほどなくクマールさんが出迎えに来られた。昨日別のホテルに泊まった2名の女性もすでに同乗していた。彼女らは宇都宮から参加したと言っていた。ひとりは日本へ帰化したが、中国人だった。道理で機内でスチュワーデスと流暢な中国語を話していると感じていた。
40歳で独身のクマールさんには拙著を2冊差し上げ喜んでもらったが、果たして読めるかなぁと笑っていた。名門デリー大学で日本語を専攻したと言っていたので、相当達者な日本語を話す。酒もタバコもやらないと言っていたが、宇都宮からの元中国人が日本名だったので、分からず当初は中国人批判を繰り返していた。嫌いなのは中国人と政治家だと言い、政治家に対しても税金泥棒と厳しい。話しすぎるくらい熱心にガイドを務めてくれる。
インドは今世界が注目するBRICsの一国であるが、人口が多いだけに国力をひとつの方向に向かわせれば大きな力を発揮するだろうが、貧富の差が激しく、民族・宗教等の対立、などが相変わらず解決されていない。
さて、最初に世界遺産クトウブ・ミナールはデリー郊外にある。高さが72mもあり、奴隷王朝のスルタンがヒンドゥ教徒に対する勝利を記念した建てたものだそうだ。外に出た時、可愛らしい小学生のグループと一緒に写真を撮って愉快なひとときもあった。
2つ目の世界遺産はフマユーン廟でムガール帝国2代目の皇帝のために妃が立てたものと言われている。1階の内部にお棺が安置されている。これらの観光地を取り巻く環境は、緑が多く、いたる所地下鉄工事などで道路を掘り起こしているが、その自然がせめてもの慰めである。インド門は遠くから眺めて昼食後、ジャイプールへ向かった。
ジャイプールまで約250㎞で、一般道から高速道路へ入ったが、所々混んでいて結局7時間ほどかかってしまった。車のスピードも速く、少々怖いくらいである。道路走行のルールが大分乱れていて、接触寸前ということもあったし、途中で事故も見た。運転手もマナーがあまり良くなく、側線とは言え、逆走してくる車もかなりあった。外灯がないので、日が暮れてからカーブの走行などは減速しないので危険だと感じた。珍しく道路際を2人ずれの男が歩いていたが、ひとりは素っ裸、つまりストリーキングだった。こんなところでストリーキングを見るなんて思いも寄らなかった。
特に、気づいたのは市内で若いカップルが手に手を取って、歩いている光景をまったく見なかったことである。宗教のせいだろうか、クマールさんも自信も持ってあまりいませんと言っていた。もうひとつは、州境で通行税を払うということだった。
まだ表面的な印象だが今日の様子では、36年前にボンベイで受けた印象とは大分異なる。