充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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947.2009年12月16日(水) 普天間基地移設の結論を早く
案の定昨日鳩山政権が沖縄普天間米軍基地移設問題の結論を先送りしたことが、各方面に波紋を呼んでいる。最も困惑しているのが、当の沖縄県である。問題が先送りされ、そのうえこの先の結論がどうなるのか宙ぶらりんの状態でどこへ不満をぶちまけたら良いのか分からない。いずれ結論が出された時に、もしアメリカが望む現状維持、つまり普天間移設せず、とでもなったら普天間基地周辺では暴動が起きるかも知れない。
一方、アメリカ政府や軍では、先送りの結論がどうしても納得できない。11月に首相がオバマ大統領と会見の際、首相が‘PLEASE TRUST ME’と大統領に約束したことが、アメリカの望む通りやるから任せてくれと理解されている。ところがアメリカが最も憂慮していた結論の先送りとなった。約束が違うのではないかという風に受け取られている。早速コンウェイ海兵隊総司令官が、米軍再編計画が遅れると懸念を示した。
ひとり悦に入っているのは、社民党委員長で少子化担当相である福島瑞穂氏である。福島大臣は、県外移設を目指すと沖縄県仲井真知事と話し合っていたが、これも少し軽いのではないかと心配である。今の様子では県外移設、或いは海外移設の可能性はどのくらいあるのか。福島談話が県外移設のムードだけ盛り上げて、実際に可能性が消えた場合、自分は力を尽くしたが、民主党がアメリカに押し切られたという都合の良い論理にすり替えるのではないか。ちょっと気になる。
とにかく先送りで山は越えたのではなく、益々追い詰められているという厳しい現状を民主党は直視して、充分心して真剣に取り組んでもらいたい。
さて、今年も残すところあと半月となった。少し遅れたが、海外の知人・友人にクリスマス・カードを11通送った。以前現役のころは、毎年30通ほど送っていたが、仕事を離れると縁も徐々に切れて今連絡を取っているのは、親しい友人ばかりである。郵送先国がばらばらで郵便局員が目をぱちくりしていた。因みにアメリカ、ブラジル、ビルマ、スイス、ベルギー、イタリア、セルビアの7ヶ国へ宛てたものである。
恒例の年賀状もぼちぼち書き出した。今年は年賀欠礼のハガキを30通以上もいただいている。親しかった人の家族からいただいたハガキを見ていると寂しい気持ちに捉われる。これも世の習いであるが、虚しい。年賀状は700枚購入したが、これから毎日少しずつ気持ちを込めて宛名書きをしようと思っている。
946.2009年12月15日(火) 鳩山内閣の危なっかしい綱渡り
このところ連日報道されている沖縄の普天間米軍基地移設問題が、とりあえず結論先延ばしということになった。アメリカという日米同盟の相手国との外交交渉がその先にあるだけに、日本だけの都合で落着というわけにはいかない。加えて基地のある沖縄県の事情もある。
最大の問題は、スタートから関係筋それぞれの思惑にずれがあったことである。当初は現在の普天間基地を名護市の辺野古沖キャンプ・シュワーブへ移設することは日米間で合意していた。同時に、沖縄の米軍海兵隊員8,000人のグアム移転も決まっていた。にも拘らず、民主党は先の総選挙のマニフェストに、普天間は海外移設、少なくとも県外移設すると約束した。この約束実行について、鳩山民主党は事前にどの程度の自信があったのだろうか。それほどの成算はなかったのではないか。新政権発足後慌てて実行策を立てたような気がする。それは、海外・県外移設を前提に、あれもこれもとアイディアを練った。連立を組んだ国民新党と社民党からも、マニフェストの実行を責められ、結局可能性はどんどん狭められ行き詰ってしまった。それが今日の結論先延ばしではないか。
しかし、この先延ばしだって極力早い結論を求められている。アメリカにしても辺野古への移設を前提に海兵隊を移動させる計画が狂うことで、来年度の連邦政府予算に移転費用を組み込めるかどうかの判断を迫られているらしい。アメリカから不信感を持たれ、現行の移設案以外は考えられないとまで言われ、挙句の果てには日米同盟にひびが入りかねないとまで言われている。
この無様な国内対応と対外折衝は、鳩山政権のあやふやな政治哲学と決断力の欠如と言われても仕方あるまい。この行き着く先はどうなるのか。まさに鳩山首相と民主党にとって正念場である。
鳩山政権が抱える新たな問題も浮上した。来日した中国の習近平・国家副主席が今日天皇陛下と会見したが、その決定に至る不透明な経緯が物議を醸している。天皇との接見には、少なくとも会見の1ヶ月前までに宮内庁に伺いを立てるしきたりになっているが、習副主席のケースはその後の申し出だった。それが、会見可能となった背景に、鳩山首相からぜひにとの希望が平野官房長官を通して宮内庁へ伝えられた。一旦は無理と見られた話がこれによって復活し、この経緯を不満に感じた羽毛田宮内庁長官が記者会見で不快感を表明した。
この後がぐにゃぐにゃである。皇室の政治利用ではないかとメディアは喧しい。背後に小沢幹事長の強引なねじ込みがあったと噂されたが、小沢氏はむしろ羽毛田長官を憲法論まで持ち出し、内閣が決めたことを一役人が批判したと烈火の如く怒った。
しかし、小沢氏の憲法論は根拠が薄いし、国民を納得させない。本人は復活に圧力をかけたことは否定しているが、直前に650人を引き連れ中国へ乗り込んで胡錦寿国家主席ら中国首脳陣と会談していた状況を考えると、小沢氏が会見を請け負った可能性は充分考えられる。真実は分からないが、天皇会見は政治主導でとか、宮内庁の専権事項などという問題ではなく、公平に考えても民主党のやり方に小沢氏の力が影響していると考えるのが普通ではないか。もし仮にそうだとするなら小沢氏は少々思いあがっていないだろうか。
鳩山首相もこういう問題で躓いていると、内閣も倒産してしまう恐れがある。
945.2009年12月14日(月) 経済学者ポール・サミュエルソン教授亡くなる。
今日12月14日と言えば、元禄年間「忠臣蔵」吉良邸討ち入りの日である。当時は旧暦だったから今とは季節もずれていたが、それでも昔は映画でも、芝居でも12月と言えば「忠臣蔵」、或いは「赤穂浪士」の話題でもちきりだったものだ。ところが、今では古いものはどんどん忘れ去られる傾向にある。
古いと言えば、MIT(マサチューセッツ工科大学)のポール・サミュエルソン名誉教授が亡くなられた。享年94歳である。「知の巨人」とも呼ばれたが、最近は高齢でもあり、あまり表舞台に立つことは少なかった。しかし、何と言っても20世紀を代表する経済学者であり、ノーベル経済学賞受賞者である。私自身大学経済学部に入った時、経済原論はこのサミュエルソン教授の「ECONOMICS」(経済学)を通して学ぶと聞いて、こんな難しい原書を教養課程の必修科目で使用するのかと最初はぞっとしたことを思い出す。朝日夕刊には「1948年に初版が発行された著書『経済学』は半世紀近くに亘って、経済を学ぶ学生の教科書の定番だった。日本語をはじめ約40の言語に翻訳され、これまでに約400万部が売れる世界的なベストセラーとなっている」と紹介されている。
久しぶりに本棚から「経済学」を取り出して見てみると行間にかなり鉛筆で書き込みがしてある。しかし、古くはなっているが、印刷の色も当時のままだし、装丁も崩れていない。810頁のハードカバーが懐かしい。アジアの学生向き編集としてあって、マグロウーヒル社から向学社がパテントを獲得してアジア地域の学生のために日本で印刷したものである。私が所有しているのは、1958年発行第5版で裏表紙にアジアで販売されるすべての国名が書いてある、と同時に北米、中欧、イギリス、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドには再輸入禁止としてあることが面白い。
教養課程の頃は、まだ経済学の本質が良く分からず、原書で読むことに苦戦した。翻訳本がなく、岩波書店から都留重人・一橋大教授の日本語訳が出版されたのが、すでに会社へ務めていた1966年で、早速購入した。因みに当時上巻は512頁の箱入りハードカバーで900円だった。翌年下巻が出版されたが、これは1212頁で1,100円だった。いずれもずしりとくる重量感のある書物だった。
原書と日本語翻訳書のサイズが同じで、頁数は日本語がちょうど2倍もあるというのは日本語にはムダが多く、説明が多すぎるということなのか。
しかし、原論とは言え、結構難しかった。私自身経済学部の学生としては、どちらかと言えばサミュエルソン教授の近代経済学というより、マルクス経済学へ関心が行き、あまりサミュエルソン教授さまさまとは行かなかったが、いずれにしても思い出は尽きない。そのサミュエルソン教授も逝った。学生時代は遠くなりにけりである。
先日JN協会白澤照雄事務局長から電話があり、今日JN協会が発行する新刊書の最初の打ち合わせをするというので、海事センター会長室へお邪魔する。JN協会松尾道彦理事長、副理事長のJR東海相談役・須田寛氏、白澤事務局長と私の4人で、編集方針や目標などについて話し合った。何となく漠然としているが、私の担当する「観光」については、具体的な目次、或いは見出しをつけてもらうということで納得した。そうでないとあまりにもフィールドが広過ぎて、まとめようがない。まだまだ何度も打ち合わせをしないといけないと考えている。 その後松尾理事長に麹町の洒落たお店で食事をご馳走になる。4人でフリートーキングをしたが、須田さんの話題の豊富なこと、特に役人と政治家の経歴に詳しいのには驚いた。もうひとつの驚きは、今をときめく?亀井静香・郵政金融担当相が運輸大臣だった、当時の運輸事務次官が松尾理事長だったとは2度びっくりである。
944.2009年12月13日(日) 現代人は本を読まなくなったのか。
最近出版に関する話題に事欠かない。
そのひとつが、朝の朝日1面に今年1年間の書籍・雑誌の推定販売金額が2兆円を割り込むことが確実になったとの出版科学研究所の分析が紹介されていた。1996年のピーク時から年々下がりっぱなしである。4日(金)のNHK「ニュース7」で駒沢大・清田昭義講師が「出版ニュース社」の編集者として今年の出版界の傾向についてインタビューに応えておられたが、どうも出版界はぱっとしない。村上春樹の「1Q84」だけが突出して売れ、全体として雑誌の売れ行きが減少傾向にあるようだ。雑誌で名前だけでも知っている「就職ジャーナル」「英語青年」「諸君!」「マリ・クレール」等を含めて10月発刊までで170誌が休刊だというからその数の多さには驚いた。
同時に、朝日には専門的な三島由紀夫の研究文献総覧も紹介されていた。「三島由紀夫研究文献総覧」で、実はこれは清田講師の会社が刊行したもので、貴重な三島に関する研究を続けている神田の古書店主・山口基氏の資料をまとめたもので、分厚い790頁の大作で価格も1万500円で、限定500部だそうである。三島研究に事欠かない資料が網羅されているようなので、実は先日友人の呉忠士くんが生前三島から父親・呉茂一先生へ宛てた直筆文をメールで送ってくれたので、一昨日の講義の後、そのコピーを清田講師へ差し上げた。じっくり目を通されて、この文字は三島のものですと言って喜んでおられたので、研究家にとっては涙の出るような貴重な資料になるだろうと思う。来週は講義の後、清田講師を囲んで忘年会を行うので、この話題についてゆっくり話してみたいと思う。
日経朝刊「文化」欄を読んでいて、作家で翻訳家でもある常盤新平氏のエッセイに島崎藤村の「破戒」を中学2年生の冬に読んだとの件がある。私は2年生の秋だった。やはり同じころに読んでいたのだと思うと、失礼ながら同志や同級生のような気になる。あの当時読んでいて「エタ」という部落民の存在が理解できず、意味が分からないまま何か特殊な人たちではないかなどと思いをめぐらせていた。あまりにも印象が強烈で社会性を含んでいたせいか、子ども心には些か刺激が強かったのではないかと思っている。しかし、そのお陰で「破戒」は、今でも愛読書のひとつとなっている。
不思議な連鎖と言おうか、常盤氏のエッセイの下段に歌人・小池光氏が「蜘蛛」というエッセイを書いておられるが、蜘蛛というあまり好かれない奇怪な生き物に関した短文のエッセイで、これが中々面白い。芥川の短編「蜘蛛の糸」にまつわるもので、「カンダタ」がお釈迦さまに糸を切られ地獄へ落ちていく象徴的なシーンが有名だが、小学校6年生の頃担任の湯浅和先生がよく読んでくれ、そのお陰でクラスのほとんどがストーリーを覚えてしまったことが懐かしく思い出される。その時は、主人公は「カンガタ」ではなく、「蜘蛛の甚十郎」と呼ばれていたような記憶がある。
やはり名作を若い頃に脳裏に刻むことは、後々想い出になったり何かの折に役立つがある。
朝日「声」欄にこんな記事もあった。77歳の都内に住む方の投書「忘れてはいけない12月8日」である。「もはや12月8日は忘れられ、大きな意味を持たない日になって来たのか。それだけ平和になったわけなのだろうか。それが本当の平和を希求する日本国民の平和認識と見て良いだろうか。何かさびしい1日だった」とある。
言わないこっちゃない。戦争を知っている世代の人たちにとっては、最近のマス・メディアが開戦記念日について何も報道しないことが不満なのだ。
943.2009年12月12日(土) ライトアップされた原宿・表参道の賑わい
原宿の表参道にある元同潤会アパートが「オモテサンドウ・ヒルズ」となって、東京の新名所のひとつになった。その表参道が最近夜になると並木をライトアップして注目を集めている。以前にもライトアップしていたが、11年前に電気のムダ、環境問題から中止した。それがどういう主旨でどんな要望があったのか、今年再びライトアップされ夜になると賑わっているとメディアが騒いでいたので、お上りさんよろしく妻と夜景見物に出かけた。
土曜の夕べということもあり、JR原宿駅はプラットフォームから混雑していて入場者を制限して、下車客をさばいていた。話題の通りは黒山の人で前へ進むのも一苦労である。これが、公衆道路だからこの辺りの生活者にとっては随分ハタ迷惑なことだろう。表参道の両サイドのライトアップされた夜景は楽しむことが出来たが、ほとんどが若い人たちだった。話題の「オモテサンドウ・ヒルズ」の内部に入って洒落たショップをウィンドウ・ショッピングして見たが、この内部もすごい人混みだった。高級ブティックが並んでいて、これではリッチでないと楽しめないのではないかと感じた。
路地に入り込んだら道が分からなくなり、タクシーに乗ったところドライバーが、ライトアップして道路が混んで、ゴミが散らかり良いことはまったくないとこぼしていた。どうしてこんなものを復活したのかと大分ご不満の様子だった。聞けば、商店会もそれほど売り上げが上がるわけではなく、町内は汚され、なぜライトアップ復活に賛同したのか分からないと、車を降りるまでぶつぶつ言っていた。車の渋滞の様子を見ていると何となく分かるような気がした。まあ私には話のタネにはなった。
それよりシャクに触ったのは、東横線に乗った時、幌を被った車両の連結部分で小さい女の子が2人遊んでいて危ないので、そこから離れるように注意したら、何と傍に父親が黙って立っていた。一旦その場を離れた子どもが、再び同じ危険箇所に入り込んでも父親は頑として黙っている。呆れ果ててもう注意するのを止めたが、こどもが危険に晒されても無関心で、他人から注意されても知らん顔をしているのに出くわして、いよいよ世も末だと思った。周りを見たら周囲のシルバー・シートはみんな私より若そうな乗客に占領されていた。もう思いやりとか、親切心、常識とかを持たない連中が大きな顔をする世の中になってしまったのだ。こういう連中は年老いた時、自分たちは誰からも助けを必要としないとでも思っているのだろうか。
昔に比べて嫌な奴がふえてきたなぁ。まったく不愉快である。