充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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952.2009年12月21日(月) 野口聡一さん、ソユーズで宇宙へ
ロシアの宇宙船「ソユーズ」がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から射ち上げられた。どうも宇宙工学や技術面の専門的な知識がないので、詳しいことはコメント出来ないが、これに搭乗した日本人宇宙飛行士・野口聡一さんが国際宇宙ステーション(ISS)で5ヶ月間も長期滞在するらしい。これまでほとんどアメリカのスペース・シャトルで飛んで行ったが、今度はロシア製ロケットによる宇宙飛行である。 その理由はスペース・シャトルが老朽化したので、近いうちに退役するらしく、ISSへの往復はこれから「ソユーズ」が行うことになった。
ロシアの宇宙船と言えば、思い出すのは人類最初の宇宙飛行をやってのけたソ連人宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリン少佐だ。1961年に初の宇宙飛行から戻ったガガーリン少佐は、宣伝旅行で世界中を巡った途次日本にも立ち寄った。丁度その時私はこの目でガガーリン少佐を見た。大学の授業に出るため、偶々JR田町駅前の国道1号線交差点で信号待ちをしていた時、オープンカーに乗ったガガーリンが、かなり早いスピードでわれわれの前を通り過ぎて行った。小柄なガガーリン少佐は軍人服に身を包み、にこやかに手を振っていた。私も沿道の人たちとともに手を振り返した。心に残る印象的なシーンだった。
その後1992年に初めてシベリアのイルクーツクへ出張した時、ガガーリン通りに面したホテルに滞在した。通りの謂われを聞いてみると英雄ガガーリン少佐は、イルクーツク近郊の生まれだという。ガガーリンは国策上「農民」出身とされていたが、実際には両親ともにインテリだったと言われている。当時アメリカに対抗して世界を2分する力を誇示していたソ連邦社会主義国家は、国の威信を昂揚するためにソ連のロケット技術の優秀性を世界に宣伝するべく、ガガーリンを宣伝員として世界各国へ派遣した。ガガーリンは宇宙からの帰路ロケット内で空軍中尉から少佐へ昇進し、フルシチョフ首相の出迎えを受け、世界へPR旅行をさせられたのである。
初の宇宙飛行の後のガガーリンは世界中から注目される英雄となったが、人知れぬ悩みを秘めるようになったらしく、情緒も不安定になり自殺未遂事件を起した挙句の果てに、1968年謎の飛行事故を起こし、不幸にして34歳の若さで亡くなった。ある意味で国に利用され、国の犠牲者となったと言ってもいい。そんなことを考えるとガガーリンが気の毒であり、学生時代に彼を実際に見ることが出来たことは、私にとってもエポック・メイクな出来事だったと思わざるを得ない。
今では「ソユーズ」は信頼出来る機材となり、最近ではほとんど事故を起こしていないそうだが、初の宇宙飛行以来ほぼ半世紀にして、人類は宇宙圏外で長期に亘って居住出来るようになった。
初の宇宙飛行士となったガガーリン少佐の薄幸の人生を想うと、ついセンチメンタルな気分に捉われるが、一昨日終ったCOP15とは異なり宇宙利用は、ぜひとも各国共有の平和利用をお願いしたいものである。
951.2009年12月20日(日) 危険な冬山の富士登山
一昨日富士山で随分無謀な登山があった。かつてF1レーサーとして知られた片山右京氏が惨めな姿で下山してきたのである。彼ひとりだけなら生還として喜ばしかったが、何と彼は二人のスタッフを連れて登山しながら、その2人を荒天下に置き去りにしたまま富士山から降りてきた。
結局2人は昨日遺体で発見された。惨めな記者会見を行った片山氏は涙を見せながら、お詫びをすることになった。12月の富士山は完全に冬山である。片山氏の登山計画はあまりにも杜撰で無謀だった。
私自身ある程度登山経験もあるし、学生時代には際どいこともあった。昭和35年11月のことだった。富士山冬山訓練に出かけようとして新宿駅まで来た時、偶々その直前に富士山・吉田大沢で雪崩が発生し、早大、東大、日大山岳部員らが遭難し、確か11名が亡くなった。あの衝撃的な事故の悩ましい記憶がどうしても思い出されて仕方がない。われわれの場合は、新宿駅までそのセンセーショナルな事故の情報を持って見送りに来てくれた先輩に出かけるのを止められて、そのまま解散して帰途についた。高校の同級生、熊切くんが早大パーティの一員として滑落して重傷を負ったと聞いたのもこの後だった。
その後会社の山岳部時代に南アルプス・仙丈岳で冬山訓練をした。安全地帯で天幕を張っていたので、強風でテントを吹き飛ばされるような危険を感じたことはなかった。冬山の常識として片山氏らがテントを飛ばされたということがどうしても信じられない。3人で登り、強風の中で1人用テントの片山氏は大丈夫だったが、2人用のテントの2人はそのテントを吹き飛ばされ、そのまま凍死してしまった。
最近のテントがどんな装備になっているのか詳しくは分からないが、それにしてもテントが飛ばされるという事態がすんなりとは理解出来ない。冬山用テントは床部分と屋根部分が一体化されている筈であるし、上部分だけが飛んでいくとはどうしても考えられない。簡単に屋根が吹き飛んだということは、2人は冬山用テントを利用していなかったのではないか。
それにしても無駄死にしたものである。これも片山氏がカーレーサーを引退して、過去の名声を利用して別の分野(山岳界)で安易に生き延びようとした足掻きだろうか。冬山はそんなに簡単に征服出来るものではない。
幸い学生時代から独身生活の最後まで、数多くの登山をして多くの山に登ることが出来た。時々懐かしくなり、登山したい気持ちは山々だが、膝を痛めてしまったので、今ではそれは難しいと思う。交通機関で近くまで行き眺めるだけの登山となってしまったことが、何とも辛く寂しい。
950.2009年12月19日(土) 成果なし。COP15閉幕
8日からコペンハーゲンで開催されていた国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)が、今日最終日となって政治合意案を大筋で了承して幕となった。
しかし、まとめられた政治的合意には法的拘束力は伴わない。結局これだけ大掛かりな世界的会議を開催していながら、地球温暖化防止の動きはほとんど前進しなかったことになる。
世界各国がそれぞれ自己本位に主張するばかりで、地球温暖化を食い止めるという大きなテーマは隅に追いやられて、肝心要の前向きの討論がおろそかにされ、2012年を期限とする京都議定書を超えた新しい取り決めが出来なかった。
その最大のガンとなったのは、言うまでもなく中国であり、アメリカである。さらに言えば、インド、ブラジル、そして発展途上のアフリカ諸国である。前回の京都会議ではまだ影が薄かった中国が、今では世界最大のCO2排出国になっている。その中国が地球温暖化を引っ張り、途上国に悪知恵を授けている。地球を汚していることに反省も責任も感ずることなく、先進国へ排出規制を迫り、持論を展開して現在の地球温暖化は先進国に責任があり、中国は責任がないと主張している。中国は先進国の言う排出ガスの規制には応じられないというのが自分たちの考えであり、強く先進国にはCO2排出規制を促すという都合の良い論理を展開中である。
この中国の身勝手な論理には、開いた口が塞がらない。この論理を堂々展開する交渉力には、日本はおろか普通の国も呆気にとられている。
しかし、これだけ世界に迷惑をかけ自分たちだけ良ければよいと主張することは、将来生き残った自国民が世界中の人たちに対して、恥ずかしい気持ちを抱くことになるのではないかと懸念するがどんなものだろうか。
とにかく法的拘束力の伴わない政治合意が歩み出すことになった。これで日本は鳩山首相が先の国連総会で世界へ向けて発信した「排出ガス25%削減」の公約も守らなくても非難されることはなくなったが、果たしてこんなことで将来地球環境は守られるのだろうか。核保有問題も同じ理屈である。このままでは、核と温室ガスで人類が地球を破壊していくことに付き合わされることになる。
949.2009年12月18日(金) 今年度駒沢大学公開講座終了
駒沢大学の最終2時限の講座があり、特にいつも考えさせられる清田義昭講師の「出版周辺」の授業ではビデオ放映はなく、過去30年の出版物の販売傾向と今年度の出版界10大ニュースについて話をされた。
前者については、1976年から2008年までの出版点数と出版実売総金額、返品率について表を示して説明されたが、76年には販売金額が1兆円だったのが、ピーク時の96年には2兆7千億円にまで達した。それが08年には2兆円をやっと超えるところまで落ち、恐らく今年度は2兆円を割り込むだろうと悲観的な予測をされた。特に雑誌類の落ち込みが激しい。
その原因のひとつとして、週刊誌等の取材に個人情報保護法施行、プライバシー侵害に対する訴訟問題等があると指摘されていた。個人的な事件やスキャンダルについて、取材側が突っ込んで記事に出来ないことが、興味を薄れさせ週刊誌等の売れ行き不振につながっている。かつての「チャタレイ夫人の恋人」「愛のコリーダ」の猥褻裁判騒ぎも時間が経つと、実際には容認されたかのように世間であまり騒がれなくなる。どこまで取材して書くか、この辺りのせめぎあいが勝負になると話された。
後者については時間がなくあまり詳しく説明されなかったが、どんなニュースが話題になったのかと気になった。いただいた「出版ニュース」12月下旬号にその10項目が載っている。
上位3つは、①「1Q84」224万部、発売前の予約でベストセラーに、②出版業界の再編加速、大日本印刷の主導で、③グーグル検索和解問題で論議、日本は対象外に、となっている。やはり、村上春樹は圧倒的である。ゼミの池田くんの務めている大日本印刷の出版業界における存在感も迫力がある。
終ってから前回の授業で話があった懇親会ということになった。お世話役の女性が下見まで済ませて近くの居酒屋に予約をしておいてくれた。事務局の宮本女史にまで声をかけて参加させてくれた。彼女は調布市の自宅から毎日50分かけて自転車で通っているという。現役学生はひとりしか参加しなかったが、9人が参加して出版業界の内情や、清田講師の経歴なども聞かせてもらって懇親の実を深めることができた。清田講師は出版業界では、著名の方でマス・メディアにもしばしば登場される。元々宗教家だったが、「出版ニュース社」社長に就任して、16年目だそうだ。現在66歳だが、今の職業をやってきてまったく悔いはないと自信を込めて仰っていた。
清田講師は後期から担当したので、前期担当の柴野京子講師と話し合いしながら、授業を進めてきたと話しておられた。これまで社会的な問題のビデオを放映してきたが、それが受講生に良かったのかどうかという点について、しきりに気にされていた。それほど気にされることはないと思うのだが・・・。個人的に私も尋ねられたが、私にとっては貴重なビデオを観ることが出来たし、改めて社会的な問題について関心を新たにしたので、授業としては良かったと思っている。カリキュラムの内容については、担当講師が検討されてご自分なりに思うようにやられればそれで良いのではないかと思う。
千葉県職員の不正経理事件が明るみに出てからかなりの時間が経つが、総額30億円という巨額の不正事件に、在任中の責任を追及されかかっていた堂本暁子・前知事はいずれ自分の態度もはっきりさせねばいけないだろうと直後の記者会見で他人事のように語っていたが、その後何ら明確な対応もしなかった。どうなったのか、最も責任を負うべき立場の人間が逃げ回っているのではないかと疑っていたが、今日処分が発表され、新たに見つかった不正分を含めて、何と2,245人もの職員に処分を行った。その中に前知事に対する返還金も公表され、千葉県は前知事に対して1千万円を請求することになった。
杜撰というかお粗末な経理処理である。最高責任者の知事が知らん顔でやり過ごそうとしていたところ、運悪く?見つかってしまった。当然の報いであるが、堂本氏の同義的責任は重い。こういうみっともない事件はなくしてもらわないと納税者は溜まったものではない。
948.2009年12月17日(木) 「知の現場」見本を手に感激
日本列島は寒気が押し寄せ、とりわけ日本海側は大雪が降っている。妻が新潟市内に住んでいる次男にメールしたところ、雪国・新潟でも近年にない大雪に驚いていると返信があった。更に普段は車なら20分ほどで会社へ到着するのに今日は2時間もかかったそうだ。地球温暖化とは直接関連していないが、そのためCOP15へ出席のため今日鳩山首相はコペンハーゲンへ出発した。
そのCOP15もぐじゃぐじゃになって、先進国と途上国の対立が解けず、そこへ中国の存在が要らぬ対立を煽ることとなり、会議は暗礁に乗り上げ決裂寸前である。日本の突出した排気ガス削減と途上国への支援額供出が、圧倒的な数値であるにも関わらず、全面的に必ずしも好意的に捉えられているわけではない。これまでの交渉過程があまり評価されていない印象を受ける。いつもながらわが国は損な役回りをさせられている。
最大の二酸化炭素排出国であるアメリカと中国が前向きの提案を出そうとしないことが、出席国の不信感を呼んでいる。ここで鳩山首相がどういう提案をするのか。9月に国連総会で二酸化炭素ガス25%削減を公表して喝采を浴びたが、各国は改めて首相の説得力のある提案を待ち望んでいる。果たして首相はそれに応えることが出来るか。
今日東洋経済新報社の中村さんから、出来上がった「知の現場」を送ってこられた。ぱらぱらっとめくっただけだが、中々良いのではないかと感じた。表紙のデザインも洒落た感じがするし、内容も充実しているので、獲らぬ狸だったが結構売れそうな気がする。プロジェクト・メンバーとしてはやっと肩の荷が下りたような気持ちである。出版社としても宣伝・広告に積極的に取り組んでもらえるようだ。早速広告を発売日の翌25日に朝日に、来年1月4日には日経に載せてくれると聞いた。
共著というのは初めてのことだったが、率直に言ってやはり難しいと感じることがある。その最大の原因はメンバーの年齢差が大き過ぎることだろう。お互いに遠慮している感じだし、年齢に最大で40歳近い差があると時代感覚が異なるので、考え方も違うし、合意するのが難しいと感じた。
来年は先日打ち合わせしたばかりの共著を完成させなければいけないが、これは年齢差があまりないし、元々観光に関わってきた人ばかりで編集し、執筆するので、それほど違和感はないと思う。
しかし、出来上がった新刊書を前にして、苦労が報われたと感じる。やっぱりやってみて良かったとしみじみ思う。成果を形として見ることが出来るのは、張り合いのあることだ。これからも出版については前向きに取り組んで行きたいと思う。