充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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962.2009年12月31日(水) 紅白歌合戦を見られず。
ついに今年も大晦日を迎えることになった。大晦日と言えば、樋口一葉の作品「大つごもり」が有名であるが、高校入学前に渋谷で従姉夫妻に誘われて一葉のオムニバス映画を見たことがある。あれは随分印象に残っている。
ありきたりだが、1年の過ぎ去るのが年年歳歳早まっている。来年は寅年の年男となり、72歳である。母が割合早く亡くなったが、やはり羊年の72歳だった。とりあえず72歳をクリアして、次の目標は父の93歳である。しかし、その年齢まで生きられるだろうか。多分10年以内にお迎えが来るような予感がする。来世には格別な個人的な望みを持っていて、私の「自己紹介図」の一番下欄に「夢」という項目があるが、そこに「安楽死」「アメリカで教育を受けたい」「考古学者になりたい」と書いている。生まれ変わったら考古学者になりたい。実現出来るかどうか、秘かな願望である。
思い返せば、今年は鳩山政権誕生という画期的な政治変革があった。3月には野球のWBC で日本が2連覇を飾った。個人的には、「停年オヤジの海外武者修行」の出版記念会を開いたり、偶然ではあるが、代々木で皆既日食を観る機会に恵まれたり、11月にはインドを36年ぶりに訪れ、世界遺産訪問を150箇所に増やしたり、12月には懸案の知研プロジェクトで「知の現場」を世に送りだすことができた。身体も取り立てて悪くなったりしていない。
大晦日と言えば、ここ数日NHK「紅白歌合戦」の前宣伝で大騒ぎである。ここまでやるかというほど新手で冴えないCMを放映している。かつてこんな低次元なことはあまり記憶にない。出場歌手が歌う曲目だって昔に比べてがなり立てるような騒がしい曲目が増え、私の年齢層にとっては少々つまらなくなった。年々視聴率が下がり、ついには興味本位としか思えない、奇異を衒ったようなゲスト、スーザン・ボイルさんをわざわざイギリスから招くようなことまでやっている。私はかなり前からこの番組にそれほど興味がない。NHKも何とか紅白の体制維持を図ってあの手この手を考えている。1年に1回のお祭と考えれば、あまり目くじらを立てることもないが、どうも陳腐な発想がいただけない。
それはそれとして、午前中からどうも体調が優れない。明日は恒例の高校ラグビー部の定期総会があるが出席できるかどうか分からない。会計の和田さんにひょっとすると出席出来ないかも知れないと連絡した。毎年必ず出席していたので、当然みんなは私が出席すると思っているかも知れないが、今晩の体調次第である。熱は38.6℃で血圧を計ったら上が174で、脈拍も109と俄然高くなっている。早めに床について睡眠を取ろうと思い、20:30前にこのブログを書き込んで就寝した。ちょっと身体がだるい。
1年の最後になってこの健康状態はどうしてだろう。原因がよく分からない。
おやすみなさい。
961.2009年12月30日(水) 在日朝鮮人の年金記録確認される。
年末でもあり久しぶりに書斎兼寝室の大掃除をした。なくしたと諦めていたものが思いがけず出てきたり、必ずあると信じ込んでいたものが見つからなかったり、自分自身に愛想が尽きることがある。それでも時間をかけて、片付けると部屋も小奇麗になって気持ちのいいものだ。お正月を迎える擬似門松やお飾りは昨日手伝いに来てくれた長男が取り付けてくれた。
さて、昔机を並べて仕事をしていた大学の後輩でもある元同僚・小沢英信さんが、1冊の書を送ってくれた。会社を辞めてから時節の手紙のやりとりだけは欠かさなかったが、少し遠いところに住んでいるので、普段は疎遠になっている。時々拙稿を載せた小冊子「知研フォーラム」などを送っていたので、わざわざ書物を送ってくれたのだと思う。彼もいよいよ本を出版したのかと思って小包を開けてみると、彼の著書ではなく、何と「平和を愛する世界人として」と題する統一教会の文鮮明の自叙伝である。日本語版が発行されて2ヶ月足らずで6刷を重ねたというから凄い。手紙が添えられていたので、拝読すると脳梗塞で倒れてリハビリ中で、思うように文字が書けないと書かれてあるが、言葉は少なくとも漢字も交えてそこそこ書けている。今年受け取った年賀状にはそんなことは書いてなかったので、いつ倒れたのだろう。それにしても、不自由ではあろうことは想像がつく。今まで彼が統一教会に絡んだ話は耳にしていなかったので、或いは脳梗塞になったことが、統一教会へ入信(多分)するきっかけになったのではないかと想像する。
しかし、手紙を添えて本を贈ってくれた点から考えても、頭もしっかりしているようだから、最悪ということではないと思う。それにしても些かショックではある。彼と同期生だった原田弘造さんは今年8月に亡くなった。われわれももうそんな年齢なんだと言い聞かせる。私より2歳若く昭和15年生まれだから、来年古希を迎えるところである。お礼を兼ねて「知の現場」を送り、激励してあげようと思う。それにしてもかつての仲間が元気を失くしたり、表舞台から姿を消していくのは寂しいものである。
今朝の朝日新聞のトップ記事を見て驚いた。韓国人4,727人に戦時中の日本国内における年金記録が確認されたという。日本の戦前の年金記録自体があやふやだったのに、在日朝鮮人の労働と年金記録が確認されたのは、ずさんな社会保険庁としては珍しい。これまで朝鮮半島出身の軍人・軍属に関する資料は韓国政府に開示したことはあるが、今度の年金記録は民間人の年金記録である。日本の工場や鉱山などに強制動員されたと申請した韓国人は16万人にも上るという。このうち9割はまったく裏づけがないということから認定作業は滞っている。
戦時動員された外国人の厚生年金については、同じ主旨の労働者年金保険が生まれ、1942年から国籍の区別なく、炭鉱や軍需工場などの国内の事業所で働いていた労働者に給料の天引きという形で加入させていた。
帰国の際脱退手当金でことを処する人もいたが、依然として一定期間掛け金を支払いながら、脱退手当て金を受け取っていない人も多く、その資格者が相当数いると考えられ、日本側の対応次第では韓国内の反発が強まる恐れもあると懸念されている。
しかし、それより朝鮮を植民地化していた時代でも、大日本帝国政府が労働者に年金制度を導入していたことに驚いている。その旧制度が表面化したのも、例の年金疑惑で加入履歴を調べた結果だそうだから、ひょうたんから駒という感じである。契約であるからきちんと調べて支払うべきものは支払わなければならないが、数年来問題視されているようにわれわれ日本人の年金記録もしっかり調べて欲しいものである。
960.2009年12月29日(火) 図解塾講座打ち合わせ
1月から3月まで開催されるセミナー「図解塾」の打ち合わせをするべく、浜松町の企画会社㈱TEIへ出かけ、担当取締役中村伊三雄氏と担当者此上真己課長にお会いして、当図解塾の講義内容について打ち合わせをした。
TEIというセミナー会社についてはまったく知らなかったが、先日小田急トラベルの安倍マネージャーと雑談をした時、TEIの社員と話をしたことがあると言っていたから業界ではそれなりに知名度はあるのではないかと思う。
旅行業界内教育、通訳斡旋、添乗員派遣、空港送迎業務等を生業にしているようで、社長が以前「添乗員サービス協会?」を起業した、業界でも知られた三橋女史だと聞いて、何となく分かるものがあった。
中村氏の話では、「図解」のセミナーは初めてということだったので、今まで私が受け持った自治体の経験等の内輪話をした。中村氏がJAL、そしてJALPAKに勤務しておられたので、旅行業界の内部情報に通じておられる。私の実績もかなり評価していただいたので、講師としては非常にやりやすいと感じた。セミナー計画としては、まだ完全とはいえないようで、こちらからもアイディアを提案して、双方にとってプラスになるようなセミナーにしたいと思っている。テキストも先日の打ち合わせでは、改めて講師仲間の中村茂昭さんから送ってもらった資料用紙から適材のものを抽出して、毎回配布するということで事前に形のあるテキストブックは使用しないということで進めていく。一番の問題点は、一般募集のセミナーでもあり、受講生をどれだけ集められるかということである。最初のセミナーである1月下旬まであまり時間がないが、此上課長が年明け早々に企業、役所へアプローチすると言っておられた。
その後、下北沢へ周り飯田ゼミの忘年会を生牡蠣料理店「JACKPOT」で行った。ここがえらくお気に入りの島田国生先輩のお手配で、11名が集まった。ひとり連絡なしのノーショーがあって、周囲に迷惑をかけた。こういうのは本当に困る。
ゼミの集まりは理由をつけては頻繁に開かれるが、この店は生牡蠣を美味しく食べさせてくれる場所として知られ、多くのチェーン店を持っている。生牡蠣と言えば、ニューヨークのグランド・セントラル駅の地下にあるオイスター・バーや、ニューオーリンズ市内のレストランでいただいたのが、印象に残っているが、ここの牡蠣も中々いける。今日も長崎や、広島の上等な牡蠣を美味しくいただいた。生牡蠣を食して、イタリア・ワインを飲みたいだけ飲むという忘年会らしい趣向だった。40数席ある店だが、満席だった。出版したばかりの「知の現場」を1人ひとりに差し上げた。さらっと見てゼミの仲間の感触も悪くないようだ。いずれ彼らの読後感を聞いてみたいと思っている。
959.2009年12月28日(月) いつも楽しいヨタロウ会
JN協会で白澤事務局長と観光の出版物について、簡単な打ち合わせをした。どんな風に書き出していくのか、まだはっきりしたイメージが湧かない。あまり大きなテーマで取り組むと茫洋としたものになって焦点が絞れず、手に取った読者に気に入ってもらえるかどうか。多少雑でもターゲットをいくつかに絞って、具体例を挙げてコメントするという型式にした方が書物としては受け入れられると思っている。まだ展望が開けない。
さて、今日は小中陽太郎さんのファンクラブ「ヨタロウ会」の忘年会である。場所は小中さんご夫妻お薦めの自由が丘・ヤマダ電機LABI前の中華料理「麦府」である。20人ほどが参加された。タイミングよく「知の現場」が発行されたばかりなので、PRを兼ねて1冊とチラシを30枚ばかり持参し、瀧澤陽子幹事に了解をいただいたうえで宣伝した。取材相手に本日主役の小中さんがあり、取材者が私なので、「ヨタロウ会」で宣伝するにはぴったりの書だと思っている。皆さん関心を持っていただいたようだ。北岡和義さんからは面白いと言っていただいた。いつもながら楽しい会になるというのは、小中さんのお人柄によるものだと思う。
竹中労について話が持ち上がり、喧々諤々のバトルとなった。良きにつけ悪しきにつけ、話題のの人柄によるものだと思う。それぞれにご自分の考えがあるので、ある程度聞かねばならないが、どうしても個人的な主張になる。
終ってから須藤甚一郎さんのご案内で自由が丘駅近くの「カスタネット」で2次会を開く。この店のマスターが、昨年亡くなったタレント、ポール牧の弟さんで井上計二さんといい、お兄さんによく似ておられる。歩いている私を見たことがあり、妻と店の前を通ったことを覚えているという。ついお世辞に乗って手持ちの「知の現場」にサインして差しあげてしまった。
958.2009年12月27日(日) 「坂の上の雲」第1部終わり
11月下旬から始まったNHK長編ドラマ「坂の上の雲」第1部が今日最終回を迎えた。毎回1時間半という長い時間設定のドラマで、広い舞台にスケールの大きい話に、どういう結末へ持っていくのか興味があったが、取りあえずストーリーは20世紀へ入ったところで一時休憩ということになった。具体的にはアメリカ駐在中の秋山真之がイギリス転勤のため大西洋の船上に立っているシーンで幕となった。いよいよ日英同盟である。そしてその後に日露戦争が待っている。
今日のタイトルは「留学生」とあって、舞台は東京、松山、ワシントン、ロンドン、サンクト・ペテルスブルグと目まぐるしい。しかし、幕末から明治維新、更に日清・日露戦争を史実に則り特定の人物に照準を合わせて大河小説を書き上げた司馬遼太郎の好奇心、探究心、歴史好き、日本人好きには、まったく脱帽である。この続きである第2部は、何と来年の12月だというから気の長い話だが、待ち遠しい。そして、第3部は再来年だという。恐らくこんな長いスパンで演じられたテレビ・ドラマは空前絶後だろう。それだけにこれまでの大河ドラマのような演出では、とても仕上げることは出来なかったに違いない。外国のロケも大変である。もう一度「坂の上の雲」を読んでみたくなった。
さあ、これで気持ちを切り替えて来年1月から始まる日曜夜の大河ドラマ「竜馬伝」を見ようと思う。
「知の現場」を出版社からまとめて購入して今日兄弟や親戚、親しい友人ら32人に郵送したが、玉川郵便局では日曜、しかも夕方5時過ぎに訪れたこともあり、長い行列である。皆さん小荷物を送るために並んでいる。因みに20分も並んで待った。やはり暮になると郵便局はてんてこ舞いをしているようだ。
この「知の現場」については、かなり反響が良いのではないかと思っているが、知研のホームページに本書の広報ページを設けることになって、執筆者がそれぞれのエピソード、自己紹介、写真を掲載することになった。何とか書いて写真と一緒に秋田プロジェクト・マネージャーに送ったが、北康利氏のインタビューのエピソードを書くに当り、本音をずばりと書けば読んだ北氏が心象を悪くするのは分かりきっていたので、遠慮しながら多少本音も書いた。ほかの3氏はまったく気持ち良く取材させていただいたが、「白洲次郎」で株を上げた評伝作家・北氏は、エリート意識紛々で些か鼻についた。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは北氏とは縁遠かった。出版後にイチャモンをつける北氏の人間性に疑問を感じさせるような、ちょっとしたトラブルもあり、「知の現場」の有終の美を飾ることが出来なかった点に、些か悔いが残った。