ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1041.2010年3月20日(土) イラク戦争開戦から7年

 今日は忌まわしいあの事件が起きて15年目である。事件とは、地下鉄霞ヶ関駅におけるオウム・サリン事件のことで、その当時はまだ会社勤めだったが、事件はあまりにも衝撃的で第1報を耳にした時は、事件がどういうものなのか状況がよく呑み込めなかった。今も被害者の間で後遺症が尾を引いている。

 その後8年を経て、2003年の今日はイラク戦争勃発の日である。これも鮮明に覚えている。シベリア鉄道に乗ってモスクワに行き、その帰りにモスクワから空路ウラジオストックへやって来てトランジット・ルームのテレビで開戦のニュースを知った。

 旅行出発前、日1日と高まっていくイラクの緊迫した状況と、相変わらずイラクのフセイン大統領の強気の姿勢から推して、戦争を回避することは最早不可能だと判断し、まもなく戦争状態に突入するだろうと内心予想していたので、ニュースを聞いても「ついに来るものが来た」と感じて、それほどの驚きはなかった。新潟駅前で地元のテレビ取材班にインタビューされた時も冷静に応えることが出来た。だが、とうとう始まったかと感慨深い気持ちに捉われたことをよく覚えている。

 ところが、15年前に起きたサリン事件については数日前からマス・メディアでも大きく報道されていたが、7年前に勃発したイラク戦争についてはほとんど断片的な報道だけで、切実感が伴ったニュースとして伝えられていない。報道量が少ないというのは、やはり現段階で現実に日本が直接戦争に拘わっていないことが影響しているのではないか。つまりイラク戦争は日本人にとってあくまで他人事であって、身内の事件ではないということなのだ。この点は、マス・メディアが世界的な大事件として8年目に入ったイラク戦争という観点から、もっと取り上げて公平に取り扱い報道するべきではないかと思う。

 さて、昨日の衆議院外務委員会で密約文書について参考人招致が行われたが、証言した東郷和彦・元外務省条約局長が引き継いだと証言した書類が見つからないことについて、現状では破棄されたと看做され、また当事者がそのように聞いているとまで語っている以上、まず隠蔽され、廃棄されたことは間違いないだろう。実際そういう結論に至った。誰がなぜそのような不届きな行為を行ったのだろうか。

 不可解なのは、東郷氏がはっきり引き継いだと証言した当の被引継ぎ者の藤崎一郎・元条約局長(その後駐米大使)が、記憶が不明だと語り、この対応は今後外務本省に任せるべきだと言っていることである。今更自ら火の粉を降りかぶるような厄介な事柄には巻き込まれたくないということなのだろう。

 今日の朝刊には意図的に国民の知的所有権を廃棄した罪は重いと書かれている。外務官僚の内々の論理で、勝手なことをやっておいて国のために行ったという言い分だけは聞きたくない。国家にとっての機密事項を個人の判断で右から左へ捨て去るという悪質で軽率な行動は許し難い。こういう倫理観のない悪辣な国家公務員には、お仕置きとして法的罰則を課したうえで、国家・国民のためにマイナスで職責を全うしていなかったと捉えて年金も減額すべきだと考えるが如何だろうか。

2010年3月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1040.2010年3月19日(金) クロマグロの国際取引禁止案否決

 夕べ遅くなって日本に伝えられたドーハからの第1報は、予想外の結果だった。日本にとっては朗報とも呼べるものだった。取り敢えず日本には危機回避となった。会議開催前は、ほとんど日本のモナコ提案反対の立場が支持されるような空気ではなかった。これで今後はマグロのトロを食することは難しくなると考えられた。世界でも初めて成功した近畿大学のマグロ養殖がメディアで大きく取り上げられ、今後はこういう資源保護派を納得させるような技術の開発を進めるべきだとの声も高まっていた。

 ワシントン条約締約国第1委員会の投票は、予想とはまったく反対の結果となり、モナコ提案は完敗とも云えるほどの大差で否決された。その背景には、相変わらず欧米先進国の自分たちだけの権益だけは守ろうとの保守的な考えが表れた反面、沿岸漁業国のアフリカ、中東、アジアの国々の間ではこの提案がひとつのきっかけとなり、今後他の漁業権まで禁止へ向かうとの危機感が生まれてきたことである。

 開会前はモナコ案に反対を表明していた国は、日本のほかには韓国とニュージーランドだけだった。それが蓋を開けてみたら、投票は無記名とは言え中国、ロシア、アイスランドのほかに、前記の国々が反対票を投じたようだ。中国のアフリカ諸国への説得工作が効いたとも云われている。EUは賛成と言っていたが、必ずしも一枚岩ではなく27ヶ国のEU諸国が参加していながら、賛成票のトータルが高々20だった。

 ただ、これで1件落着とは行かず、漁業資源の枯渇は世界的な問題であり、魚類の最大消費国である日本としては、世界中から厳しい目を注がれる中で今後どのように資源保護対策を主導的に進めていくかが問われている。

 さて、今月9日に外務省密約問題を公表して、密約ありと政府は認めた。今日衆議院外務委員会は、西山太吉氏と当時の外務省関係者の参考人質疑を行った。肝心の密約資料を破棄したことが明らかになった。証言した元条約局長が後任者に引き継いだ核持ち込み密約に関する文書のうち、最重要資料の半数8点が発表されていないと証言した。つまり紛失したのである。否、破棄したのである。外務省の機密書類保管に関する対応は、まったく無責任極まる。

 朝日夕刊には西山太吉氏の証言を載せている。「言いたいのは公平な裁きだ。裁かれてしかるべきものが裁かれぬまま今日に至った。まったく追求がされなかった」と証言した。その通りであり、事件を闇に葬ろうとした当該者に対して何らかの処罰を科すべきであろう。西山氏に関連して知人の北岡和義さんについて紹介している。北岡さんは先日の最高裁西山裁判の際も、TV画面に大きく写っていた。西山さんと同じ記者仲間として当初から西山さんを支援する活動を献身的に行っている。偉いなぁと思わず頭が下がる。

2010年3月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1039.2010年3月18日(木) 評伝執筆を引き受け「都会の憂鬱」

 昨年秋ごろ、私にとって上司だったご主人を数年前に亡くされた奥様から夫の評伝を書いて欲しいと頼まれた。プライバシーにあまり関わりたくないので、2度までも丁重にお断りした。

 しかし、その後再三に亘りどうしてもご主人を中心に息子家族、自分自身、夫と自分の両親・兄弟、特に関係深いご親戚について全体的な○○家の記録として残したいので、短くても良いからぜひ執筆してもらいたいと懇願された。そのうえお引き受けしないうちに、メモや写真、家系図などを一方的に送ってこられ、挙句の果てに書いてくれないとお迎えが来ても死に切れないとまで哀願されてしまった。そこまで頼られるなら私にとっては荷が重いが、無視することも出来ずお手伝い致しましょうとお引き受けすることを決めた。

 その後1度ご自宅を訪れたほかにも何度か手紙のやりとりをしたり、電話でもお話した。

 結論から言ってプライバシーを覗く家庭について、依頼者の気持ちを損ねないように評伝を書くのは相当難しい。今になって泣き言になってしまうが、やはりお引き受けすべきではなかったと後悔と反省の気持ちばかりが残る。相手が譲らない言い分と私の気持ちや書く手法、視点が大分違ううえに、後から後から新しい情報を提供され、段々お互いの考えがずれてきた。その都度書き直し、写真の貼り付け場所についても、当初とは違うご指示をいただくようなことになってしまった。

 依頼主はご高齢でそれほど健康状態も芳しくないので、あまりこちらの言い分を強く主張するわけにも行かず、ご機嫌を損ねないように気を遣いながらお話を伺うというスタンスに終始している。

 今朝はお電話で余計なことは書かなくて良いときつく言われてしまった。言われる通りにするなら現在までに書き上げた原稿を半分ぐらいにまで縮小せざるを得ない。さらに今まで書かなくても良いと言われた情報について、今度はやはり書いて欲しいと言い出された。構想を練り、時間をかけ、良かれと思って作業を始めても、完全にご自分の考えている通りでないと納得していただけない。気持ちも大きく揺れて、しばしば考えが変わる。しかも原稿は自分で書くことはされず、拙稿について細かい指摘や、注文をされるので、話がしばしば頓挫して次第に書こうという気持ちが萎えて行く。これまで豊かな生活を送られ、社会へ出て働かれたご経験がない方で、そのうえ少々わがままなご性格なので、あまりこちらの気持ちを斟酌されるようなことはない。

 今更愚痴を言っても始まらないが、最初に直感的に引き受けまいと思った時、やはりはっきりお断りすべきだった。まだ、完成まで時間がかかりそうで、ほかの仕事も抱えてしばらく憂鬱の時が続きそうである。何となく佐藤春夫書くところの「都会の憂鬱」である。

 深夜近くなって、ドーハで開催中のワシントン条約締約国会議の第1報が入ってきた。それによると悲観的に考えられていた、モナコの西大西洋と地中海におけるクロマグロの捕獲禁止の提案は、20対68で否決された。つまり日本などの反対派の考えが通ったようだ。圧倒的に不利と見られていたが、予想が覆ったのは、アフリカ諸国やアラブ諸国が日本案に回ったかららしい。

2010年3月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1038.2010年3月17日(水) 「三軒並んだラーメン屋」のネタはどこから?

 落語の初代・林家三平師匠の十八番「三軒並んだラーメン屋」の小咄を引き合いに出して、博多・長浜ラーメンの元祖争いを今朝の朝日「天声人語」が面白おかしく紹介している。

 三平の小咄に出てくる「三軒並んだラーメン屋」とは、右端のラーメン屋が「日本一うまい」と看板を出すと、左端は「世界一うまい」と看板を出した。困った真ん中のオヤジが寝ないで考えた看板が「入口はこちら」というユーモア溢れる小咄である。

 しかし、この三平の小咄は、果たして三平独自のアイディアがネタとなって高座で語られるようになったのか、私の体験上些か疑問に感じた。

 というのは、まだ東西冷戦中の1979年にブルガリア・トラキア地方のプロブディフで学校訪問をした時、同じような話をブルガリア人通訳から聞かされたからである。8日間も行動を共にして、気分的にも打ち解けた通訳さんは、笑いながらブルガリアのユーモア話として聞かせてくれた。

 そのジョークというのが、3軒並んだ端の1軒には「天国に舞い上がったような気分になるフランス料理店」との看板があり、もう1軒は「舌がとろける中華料理店」と看板を掲げていた。しかし、お客はみんな3軒目のレストランに入った。何とそのレストランの看板には、ただ一語「ENTRANCE」とだけ書かれていたというユーモラスなものだった。当時社会主義体制のクビキによりソ連にがんじがらめにされ、ソ連の申し子とされていたブルガリアに滞在して、窮屈な中でほっとするようなジョークだったので、殊更印象に残っている。

 三平師匠がこの落語を話したのを聞いたことはないが、どこにもありそうな小咄でもあり、断定的なことは言えないが、多分これは三平のアイディアから生まれた小咄ではないような気がする。

 それにしてもどこにも似たような話があるものである。

 さて、昨日子ども手当法案と高校無償化法案が衆議院で可決され、法案は参議院へ回った。今年度内に成立する見通しである。その高校無償化法案の朝鮮学校を対象外とするとの主旨が、懸念していたように国連の人種差別撤廃委員会で問題となった。同委員会報告書は「在日コリアンや中国人指定の学校が公的支援や補助金などの面で差別的扱いを受けている」と指摘した。これについて、あるNGOは、もし勧告に反して朝鮮学校外しを強行するなら、国際的批判を浴びるだろうと厳しい見方をしている。

 どうするのか、まだ政府は決めていないようだが、そんなにぐずぐずしている時間はないのではないか。

2010年3月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1037.2010年3月16日(火) 録画で「ベン・ハー」を半世紀ぶりに観る。

 先日録画しておいたMGM映画「ベン・ハー」を半世紀ぶりに観た。1959年にアカデミー賞の11部門で賞を獲得し、大ヒットして日本映画史上初の天覧上映となった映画である。

 日本では翌1960年に東京・京橋の「テアトル東京」で一般公開され大きな話題となった。それまでのスクリーンと違って横長の画面で、大きなシネマスコープだと思いこんでいたが、後年になってパナビジョン社が開発して「ウルトラ・パナビジョン70」に発展した、当時の新型スクリーンだったようだ。チャールトン・ヘストン主演の4時間近い長編映画だった。あの当時の迫力とサスペンスは今観ても色褪せず面白い。大作と云われる所以だろう。

 映画を観たその年は60年安保の真っ盛りで、当時世俗的な情報には上の空だったが、この映画だけは観てみたいと思い、大学演劇部に入っていた同じクラスの肥後留太郎くんと「テアトル東京」へ観賞に行ったことを思い出す。

 この映画で関心を惹いた「戦車競争」が、奴隷を使役したガレー船、ライ病に冒された母と妹の悲劇的な情景とともに強く印象に残っている。その後度々ローマを訪れたが、戦車競走の撮影場所、パラティーノの丘の下にあるチルコ・マッシモを眺める度に「戦車競走」のシーンを断片的に思い出したものだ。

 50年経ってもそれらのシーンは強く心に残っており、改めてあの時の臨場感を思い出したが、いくつかの場面はどうしても思い出せなかった。特に情けなく感じたのは、ある若いタレントが1番印象に残っているシーンとして挙げた、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ引き立てられて行く場面が、まったく記憶になかったことだ。些細なシーンならともかく映画の中でもひとつのクライマックス・シーンをすっかり忘れ去っていたことは、ちょっとショックだった。これが半世紀間の空白なのだろうか。

 こうして記憶が徐々にまだら模様となり、完全空白になって老いていくのだろうか。

 まあ、くよくよしても始まらない。記憶力は確かに少しずつ減退してはいるが、前向きな気持ちは弱まっているとは自分では思っていない。むしろ時間が足りないくらい忙しない毎日だ。

 さて、カタールのドーハで今日開幕されたワシントン条約締約国会議(175ヶ国加盟)では、モナコから提案されている、大西洋で絶滅が危惧されるクロマグロの捕獲と国際取引を禁止する附属書への掲載を議論することになる。EU諸国やアメリカがモナコの提案に同調する態度を示したことにより、反対の立場にいる日本は窮地に追い込まれている。世界のマグロ漁獲量のうち、その約8割を日本が消費している。差し当たり、大西洋の捕獲禁止が日本の消費市場に大きく影響することはなさそうだが、今後のクロマグロの市場を考えると深刻な問題である。

 ところで日本はマグロ船で太平洋海域を中心にマグロを捕獲し、大西洋にも船を出し、同時に多くのマグロを輸入している。日本人のマグロ好きがここへ来て自然資源減少の張本人扱いされ、諸外国の目は厳しい。ニュース番組で専門家も言っていたが、食文化の違いとか、クロマグロをパンダやシーラカンスと同じように絶滅危惧種扱いすることを非難することより、マグロ好きな人たちも美味しいからとか、安いからとかの理由だけでむしゃむしゃ食べるのではなく、日本の食文化ならお寿司の食べ方として、数少なくじっくり味わうということも考えた方がよいと言っていたが、なるほどと思った。そう言えば、贅沢になった近頃の子どもは、回転寿司屋でお腹一杯食べているが、あまりお勧めできないと話していた。確かに日本の食文化を主張するのも良いが、世界中から非難されるようなら、ここはひとつ立ち止まって考えてみることも必要ではないか。

2010年3月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com